『青い花咲いた』 ~担当絵:hal様の作品~
◇◇◇◇◇前半戦担当作品◇◇◇◇◇
■絵師 hal様のマイページ■
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こちらがhal様のお題作品
お題絵に関する絵師様からの指定
指定①:スチームパンクファンタジー
指定②:女の子は赤い犬耳
◇◇◇◇◇sides now(ここんトコの話):チャズの話
窓に差し込む煙った空からの日差しはどことなく弱々しい。
動き続ける工業地帯の町中は、昼夜問わずに工場の耳障りな騒音が響く。
住めば都とはよく言ったもので、こんなに落ち着かないエリアでも慣れてしまえば快適に暮らせる。
住居兼作業部屋のワンルームのアパルトマンは安普請で壁は薄く、外の騒音は容赦なく室内へ侵入してきた。それでも、チャズは鼻歌交じりに精密作業に没頭する事が出来た。
作業台に並べた工具で目の前の〝鉄の塊り〟のメンテナンスに勤しむ。
チャズの〝専属随行者〟が常に左肩へ着けている、肩から指先まである重い義手。
労働者向けの義手なら重作業に特化した雑な造りの強化義手だが、チャズの目の前にあるのは『戦闘する事に特化した精巧な機械義手』だった。
百年は経つ名工物の逸品で、綺麗な造りをしている。
時間と共にその時々の使用者のカスタマイズが入っているが、ベースが精巧なだけに朽ちたりしない美しい物だった。
コレを扱う事が出来るなんて、技師冥利に尽きる。
チャズの髪から覗くぴんと立てた獣の赤い耳が、夢中で目の前の作業に没頭している様子を示していた。
時折手が止まり、片耳だけが『あれ?間違えた?』とばかりに垂れるのだが、気を取り直して作業を再開すると再び耳が立つ。
集中しているのだが、ふと、昨夜この鉄の塊りがチャズの素肌を撫でたヒヤリとした感触を思い出し、
「ふぅわっやだっなに考えてるのっダメだってばっ」
雑念で手が止まった。
わたわたと狼狽して顔を真っ赤にしたチャズの口を吐いて出る声に、部屋を仕切る遮光カーテンの向こうで眠りがゆるゆると浅くなって咳き込む気配があった。
チャズは慌てて口を押え、カーテンの方へ目線だけを向ける。
カーテンの向こうにある小振りなベッドの中に、眉間に皺を寄せて眠る隻腕の男が居た。
シーツに包まる男はひとしきり咳をした後、鼻をすすって寝惚けたまま首をポリポリと掻いて、また寝た。
微かな鼾が聞こえ始めると、チャズはほっとして手にあった工具を作業台へ置いて静かにカーテンの方へ。
隙間から覗く。
ベッドの中に、渋みの効いた男の顔が苦悶の表情を浮かべて眠っていた。
その苦悶の表情の原因が自分にあるとはいえ、チャズは〝こっちだってベッドが狭くなって迷惑してますよ!〟と可愛らしく顔を顰めてみた。
純血種の〝人間〟である男は、閑静な高級住宅エリアに自宅を持っている。
が、仕事帰りは必ずパートナーのチャズの部屋に帰って来る。
獣と人の遺伝子を掛けて人工的に作られた人型の人工種と恋仲になっても特段問題は無い。
様々な種類の人工種が居て、重労働用や精密作業用、それから戦闘用に開発された者も居る。
チャズも戦闘用のカテゴリに入る種だった。
開発が盛んだったのは過去の話で、現在の人工種は交配が進んで外見的要素がほとんど見られない者が多い。
そんなご時世に、チャズの頭にはひと目でそれとわかる獣の耳がこれ見よがしに掲げられていた。
今更のように『ケダモノとつるむなんて・・・』と常識人ぶった純血種の人間が居ない事も無いが、恋愛事情なぞ本人達が良ければそれでいい。
随行者として主人と伴に危険な仕事に赴く人工種は多く居て、主人がお気に入りの獣人の元へ通う事も多々ある事なのだ。
なのだが、
カルーさん、犬アレルギーなんだから自分ちに帰ればいいのに・・・
最大の問題はこれだった。
チャズの髪から覗く赤い犬の耳が困ったように垂れた。
ひょんなことから軍人崩れの傭兵、カルーの仕事に随行するようになったが、いつの間にか専属の随行者になっていた。
カルーは戦闘用に開発された凶暴な強化変異種の〝白狼〟を狩る事では右に出る者は居ない程の腕前で、犬嫌い。
犬嫌いの理由は憎む獲物がイヌ科の変異種だからだろうと思われていたが、嫌いな理由が『犬アレルギーだから』なんて、誰も知らない事だった。
『痒い』『鼻がムズムズする』『目が痛い』そして、『纏わりつくな、鬱陶しい』と、猟師は猟犬に冷たいが、ムスッとしながらも何故かチャズの部屋へ一緒に帰って来る。
チャズの口元がニヤケて溜め息を漏らす。
気に入ってくれてるのはわかるんだけど、大事にされ過ぎるのも困っちゃうんだけどなぁ
苦悶の表情で無防備に眠るカルーの寝顔が愛しい。
〝さて〟と思い直して作業台へ戻り、工具を手に取る。
全体の緩みや歪みを修正して駆動部の点検も終わった。
仕上げにシリンダーの中の圧縮ガスの圧を調べて充填を掛ける。
気圧計の目盛りを見ながらシリンダーへ補充ボンベの中のガスを送り込む。
規定量に達したところでシリンダーに差し込んでいたピンを抜いた。
淡い日差しの中で、微かに漏れたガスが空気と触れて化学反応を起こし〝青い花〟が咲く。
◇◇◇◇◇The thing that the relationship is strangeness(縁は奇なもの):カルーの話
店の中にまで入り込んだ古い油のかさついた匂いがカルーの鼻につく。
夜の街が賑わう時間の古びた酒処は、仕事帰りの労働種が疲れた様子で混じり物の多い酒を嘗めていた。
油まみれの薄汚れたコートの中で肩を竦めて酒を嘗めて居る連中の匂いだが、このエリアは街中が同じ匂いで満ちていた。
ここまでの道のりですっかり鼻も慣れた。
特に気にもならない。
小奇麗な上質のロングコートを肩で羽織り、カウンターの右隅の席で安酒に喉を焼く。
下層の労働者たちが見れば〝鼻につく〟と難癖のタネになりそうな場違いな身形だが、〝ここ〟がどういう謂れの場所か知っている常連なら絶対に近寄って来ない。
硝煙の匂いがする相手に自分から命を差し出しに行く莫迦は居ないのだ。相手が何をしにここへ来ているのか知っていた。
比較的敷居が低く、酒処として常連も多いこの店の営業品目には〝怪しげなモノ〟が入っている。
武器弾薬から怪しげな呪い薬といった『形があるモノ』もあれば、人探しや逃がし屋の手配まで、『形が無いモノ』も扱う。
暗黙の了解だけでそれなりに罷り通る界隈で、この近辺にはこの類の店が何軒もあった。
合法だろうが非合法だろうが、やる店。
そもそもこの界隈で法が正しく機能しているのかといえば、怪しい物はある。
法できちんと護られた人種も居れば、人の形をしていても人として法に護られない下層の労働種がいるエリア。
人のようで人では無い、効率のいい労働力を得る為だけに人工的に人と掛け合わせる遺伝子操作で作られた種。
世界にはそういう〝法で人として扱われていない種〟というモノが存在していた。
過去、国同士の諍いにそれらの種を投入して戦争を行っていた時代もあった。
互いの国の人権の無い兵達で戦争を行い、他国を従属させる。
戦争が終わればそれらは用済みになる筈だったが、戦争で使われた凶暴な強化変異種の残党が問題となっていた。
だから今、この店のような商売が繁盛している。
この界隈にも危険な変異種が混じっていて、危ないエリアといえば危ないエリアだが、礼儀作法さえ気を付ければそれなりに治安はいい方だろう。
〝注文〟した事は無いが、この店では凶暴な類の突然変異種も取り扱う事があるらしい。
胡散臭さは半端無いが、それを咎めるつもりも無い。
ハンと鼻で笑う。
自分も食いはぐれる事は無い
その程度の感心しか無い。
黒の革手をした右手にあった煙管をグラスの横へ置き、グラスへ持ちかえてそれを口元へ運ぶ。
安い味だがここで一番上等のものがコレしか無い。
酒を愉しみに来ているわけでは無いので、グラスの中身が工業用アルコールでも特段驚きはしないが。
不釣り合いな安酒のグラスへ口をつけ、含み、さらりと喉へ流す。
喉の焼ける感触が懐かしくていやに心地良い。
『安酒でも構いやしないわよ、酔えればいいんだから』
懐かしい猫が頭のどこかで言う。
大昔の遺伝子合成で作られた戦闘用人工種で、人の姿の食肉目だった。
記憶の中の黒豹は、灰色の目でグラスの縁から刺すような視線を向けて来ていた。
ストレートの長い黒髪と白い肌の女。
今では珍しい外見的特徴が出ている個体で、艶やかな漆黒の長い尾を持っていた。
はすっぱな猫はカウンターの下でその長い尾をそろりと太腿へ絡めて来るようなマネもした。
猫は必ず右側に座った。
いつも右側に居た。
自由気ままで愛想の無い猫だったが、硝煙の匂いのする場所では影のようにぴたりと右側について守りを固める。
左側に立つモノは全て薙ぎ払う分、お留守になってしまう右側は全て任せる存在だった。
その猫が居なくなり、もう随分時間が経ったように思う。
無い腕が疼く。
強化変異種に喰い千切られた左腕が代替えの冷たい鉄の塊りになっても、特に何かを失ったという感覚は無かったが、いつの間にか隣に立つようになった猫が居なくなった事には言い様の無い違和感が残っている。
その違和感の正体を把握する感覚はとうの昔に鈍ってしまって、自分でもどう思っているのか判らないし、知る気も無い。
安酒で焼いた喉へ、咥えた煙管から吸い込んだ煙草の煙が染みる。
店の奥から体躯の良い厳ついマスターが現れ、〝待たせてすまねぇ〟と微かに頷きながらカウンターの右端の席へ歩み寄り、
「〝白狼〟の旦那に頼みたい仕事があるんですがね。」
酒の相手をしている風の様子で話し始める。
営業品目の売り物の仕入れがしたいらしいが、答えて、
「別件で立て込んでる、他をあたってくれ。」
素っ気なく言葉を返した。
「そうですかい、また宜しくお願いしやすね。」
「俺の方の依頼はどうなってる?」
こちらの用件を切り出すと、厳つい顔を寄せてきたマスターがカウンター越しにボソボソと耳打ちをして二つ折りにした手の平サイズのメモ紙をグラスの横へ置くが、耳打ちの内容に顔を顰めて舌打ちが漏れた。
「雄猫を借りたかったんだが?予約は掛けておいただろう。」
「在庫切れで居ねぇモンは仕方ねぇぜ、旦那。次の新月まで待ちますかい?」
マスターはしらっと肩を竦めてみせた。
最近、強化変異種が騒ぎを起こす事も増えてきている。
商品が品薄なのはそのせいだ。
これ以上会話しても状況は変わらない。
カウンターへ前金のカードを置き、グラスの横のメモ紙を取って席を立った。
そのまま店の外へ出る。
薄く湿る石畳にガス灯の明かりがてらてらと落ちていた。
ガス灯の灯りの下で今し方受け取ったメモ紙を開いてちらりと眺め、それを片手だけで器用に細く折って革手の指の間に挟む。
挟んだまま、コートの内ポケットから煙管を取り出して口元で構えた。
指に挟んでいたメモ紙をガス灯の隙間へ差し込んで火を取り、それで煙管の煙草へ火を点ける。
メモ紙の火が大きくなるまで待ち、ある程度手元まで燃えてから足元の石畳へ落とした。
左腕はコートの下にしまったまま、右手だけでその動作をやった。
男が口に咥えたままの煙管の中で、赤く種火が燃える。
さらりと吸い込んだモノを唇の片端からするすると吐き出していく。
冷え込む夜に、息の白さと煙草の煙の白が混じっていた。
ヒヤリと頬を撫でる風に、右手でコートの襟を立てる。
左手は使わない。
左腕の手首にある〝フック〟で腰の銃帯に引っ掛けてある。
『今は使う理由が無いから重さを銃帯で受けている』わけでは無い、と、その事実に頭が痛い。
出鼻を挫かれ舌打ちと共に細く息を吐くと、ふと空を仰いだ。
ガス灯のオレンジの灯りで滲む街の上空は、立ち並ぶ煙突から上るスモッグで覆われていて、まるで雨雲が立ち込めている様に暗い。
空に星がある事を知らない者さえ居る街。
◇◇◇◇◇A hunter and hunting dog(猟師と猟犬)
星明り。
夜の湿原の上は見渡す限りに広がる満天の星空。
新月の宵で辺境の湿原地帯の暗闇には星以外の明かりは無く、夜空を埋め尽くす星々の明かりだけでそれなりに周囲の景色を認識する事が出来た。
湿原に張る薄い水溜りには空の星が映り込み、湿原の所々に星空の穴が開いているようにも見える。
たしかに、美しい。
帝都で夜空を見上げても、空はそこら中に立ち並ぶ煙突から上るスモッグで覆われていてここで見るような美しい星空は絶対に見る事が出来ない。
俯いて歩く下層の労働者など、空に星がある事を知らない者さえ居る。
得難いほどに美しい星空だが、いくら星明りが煌々と明るいとは言え人の目には周囲の草陰の隙間に湿原の水面に映る星の明りが見えて居るだけで、それ以上、暗がりは特段変化を見い出せないのだが・・・。
美しい宵の景色を前にして、カルーの渋みの効いた中年の強面には露骨に苛々とした表情が張り付いている。
元々愛想の良い顔立ちでは無いのだが、苛々とした表情がまた凄みを増してしまう。
さらに、
「・・・っせぇな、クソ。」
ぼそりと、耳に届く騒音についての苦情が口から洩れてしまった。
薄い水の連なる小川へ浮かべた小型のホバーシップに同乗する〝相方〟は、無駄にテンションが高い。
若い娘特有の生態だが、無駄にきゃぴる小娘のノリはついて行けない。
小娘は大はしゃぎで暗がりに響き渡る歓声を上げまくっていた。
「ね!カルー!あっちにもあるよ!すごい!すごい!すごーーーーーーい!!!」
暗くて見えないがチャズは赤茶のケダモノの耳をくるくると振り回している筈で、その証拠に犬アレルギーのカルーの鼻がムズムズする。
毛が、飛んでいる。
大昔の遺伝子合成で作られた種で、外見的特徴が出ている個体も今では珍しいのだが、紹介所ではコレしか居なかった。
希望は〝猫型〟だったのだが、選りによって〝犬型〟しか居なかった事が悔やまれる。
カルーの事情で雇う事にした随行者だが、犬アレ持ちのカルーにとっては大問題だったのだ。
〝犬型〟の外見的要素が耳だけだから妥協した。
それでも、毛が飛べばあちこち色々とむず痒い。
チャズの尻に興奮して千切れるほど振りまくるような尻尾まであったなら、カルーはとっくの昔にぶちギレていた。
諸事情在って、腰の銃帯に収めた大口径のリボルバーを歓声を上げ続けるチャズの後頭部へ向かってぶっ放す事が出来ないジレンマも今は相俟って、苛々が止まらない。
もし本当に尻尾があってそれが今目の前に出て来たとしたら、左腕の義手で尻尾を引き千切り、チャズをホバーシップから蹴り落とすかも知れない。
引き千切る尻尾が無いので必死に忍耐しまくっているが、チャズに尻尾があったとしても、今は引き千切る為の義手が〝動かせない〟。
だから大口径のリボルバーもぶっ放せない。
ただの重い金属の塊りと化してカルーの肩にぶら下がったお荷物。
動かせないからカルーは必要に駆られて仕方なくチャズを雇ったのだ。
欲しかったのは遺伝子合成種の〝視覚神経〟の能力だけだった。
が、毛もついて来た。
猫型が良かったのに・・・
思ってみても、もう、諦めるしかない。
ホバーシップから逃げ出すわけにも行かず、微かに諦めの溜め息を吐くカルーは、
「真面目にやれ、〝お花〟の色は青だ。それ以外は必要無い。」
〝お花〟の単語を強調し、聞こえているのかどうだか怪しいと思いつつもボソリと嫌味気に言葉を投げる。
チャズの声が、
「カルーったら信じらんない!こんなに綺麗なのに!!!感動できないワケ!?」
舳先の暗がりからこちら向きに飛んで来た。
ので、チャズがちゃんと聞こえていて勢いよく振り向いたのは察したが、
「俺には見えて居ないと何度言えば判る?」
苛々を押し殺してカルーが投げ返すも、ノリノリの若い娘がこちらの話をまともに聞いてくれるはずも無く、
「綺麗なの!ピンクのお花畑なのよ!!!すっごい綺麗!!!」
チャズは犬の目に見える周囲の微細な発光現象の実況を始める。
この湿原のあちこちで噴き出す特殊なガスが空気と触れて化学反応を起こし、そこで起きた発光の様子を言っている。
ガスがふわりと舞い散る様子がまるで花開いて行く大きな蕾のように見えるらしい。
だから、
「お花畑よ!すてき!ステキ!素敵!!!ほらっ!今のなんて三つくらいの花が一度に咲いたわ!」
と、いう事になっている。
犬毛アレはともかくとして、カルーは絶叫してやりたくて仕方ない。
だから、犬、嫌いなんだよ…
こちらの気分などお構いなしに全力でまとわりついて来る生き物。
猫は後ろを気ままについて来るが、犬は前を勝手に走り回り『遊べ』と強要して来る。
カルーの〝犬〟に関する認識はその程度。
カルーが帝都でチャズを雇って辺境へガスの採取へたどり着くまで、準備期間も入れて10日は掛かったが、その間、チャズに親しく口を利いた事も無ければ馴れ馴れしくつけ込まれる隙を見せた事も無い。
なのに、チャズは最初からカルーに対してこのノリでマイペースだった。
こちらの方が馴致されているように思う。
この環境から脱する為には、とにかく仕事を終わらせるしかない。
「・・・とりあえず、舟はどちらへ向ければいいんだ?」
祈る気持ちで訊く。
が、チャズは、
「ね、降りてもいい?走っていい?絶対楽しいもの!」
聞いていない。
カルーは盛大に溜め息を吐き、
「おまえ、降りた途端二度と走れない体になるぞ。」
「え?」
「〝お花〟を護っているのが2m越えのヒルだと説明した。」
「・・・・・・・・忘れた。」
チャズの耳が後ろへ倒れる。
一気に大人しくなったチャズへ、
「血液どころか筋肉まで吸い取る吸引力だ。足が骨だけになっても走れるのなら今すぐ降りろ。」
ここぞとばかりに棘のある言葉を投げつけた。
微細な光源で周囲の景色を極彩色に捉える事の出来るチャズの視界には、苛々して鬼の形相のカルーの顔がはっきりと見えて居る。
しょんぼりと、
「・・・ごめん。」
チャズの落ちた声が暗がりからカルーへ届く。
表情のある声。
視覚で確認せずともチャズがどんな表情で居るのか知れる。
その声音で、チャズがごっそり落ちている様子が手に取るように判った。
大人げ無かったか・・・
思い直し、カルーは一息吐いて、
「〝青〟がどんな色だか知らないが、とにかく〝青いお花〟を探してくれ。」
落ち着いた声音で言う。
その言葉の内容と声音に、チャズはさらに落ちた様子で、
「・・・ごめん。」
もう一度繰り返したので、
「どっちの意味だ?」
訊く。
チャズは多くを語らず、しゅんっと、
「カルーの目の方。」
一言で終わらせる。
カルーには先天的に色覚が無い。
後天的だが左腕も無い。
腕はともかくとして、文明の衰退期にある今は様々な要因が重なり純血種の人類には欠損が多い。
外見的要素なら補えるものは機械で補うが、何を使っても色覚を補うだけの文明は残っていなかった。
暗がりを見る為のスコープはある、しかし、色が判らないカルーには目的のモノは見つけられない。
だから、
「だからおまえを雇っている。悪いと思うなら仕事をしてくれ。」
と、思わず慰めるような微かな笑みを口元に浮かべ、チャズに言葉を渡した。
カルーの口元の笑みをしっかりと確認して、ぱぁっと顔に笑みの戻ったチャズの耳が勢いよく立ったが、早速仕事に戻って舳先へ体を返した途端、またチャズの耳が垂れた。
困ったように、
「え・・・っとね、舳先3m先にヒルが居るの、5m位の大き 」
「早く言え!」
チャズは言い掛けていたが、カルーは右手にハンドタイプの炸裂弾を握って安全ピンを口元で引き抜き力いっぱい左舷へ向かって放り投げた。
◇◇◇◇◇Caress your dog and he'll spoil your clothes.(飼い犬に手を噛まれる)
離れた湿地でべしゃべしゃとぬかるみの水音がしている。
炸裂弾の振動に誘き寄せられた数頭のヒル達が巨体をぶつけあいながら共食いしている音だった。
シップの後方に湿った嫌な音を聞きながら、ゆるゆると水の流れに乗って進んでいる。
暗がりをいいことに、チャズは舳先で寝そべり縁に頬杖をついて〝花畑〟の景色を楽しそうに眺め、
「ピンクのお花じゃダメなの?」
シップの後方で縁に背を預けて座るカルーへ背中で訊く。
カルーの視覚が感じるモノトーンの暗がりでも、チャズがコルセットの下に身に着けているスカートの白は闇に浮かんで見える。
微かに闇に浮かぶ白に二つの黒い影がブラブラ揺れているという事は、チャズは俯せに寝そべって折った膝をプラプラさせるリラックス姿勢だとバレバレだった。
その足を引っ掴んでそのまま外へ放り出してやろうか?
苛々する。
カルーの神経を逆撫でする事に関してチャズは天才的だった。
奥歯を噛み締め〝無駄な体力は使うまい〟と口の中で唱えたカルーは、
「その〝ピンクのお花〟は不純物が多いから使い方の荒い俺〝の〟に使うには不向きだな。それに、青い方はガスの圧縮率が格段に違う。」
言いながら、右手で左腕の義手にある上腕のシリンダーに触れた。
ヒビが入ったシリンダーの中は内容がほとんど空になっている。
あと1回、派手に動かせば中身は完全に空になる。
シリンダーも新調しなければならないが、入れるモノが無ければシリンダーを先に新調したところで意味が無い。
チャズは関心薄げな『ふーん』とともに、
「そ、なんだ。」
ぽそっと言う。
その言い方がまた投げやりに聞こえてカルーは苛とするのだが、
「兎に角、青く発光するガスが噴き出す場所へ誘導してくれ。採取は俺がやる。」
押し殺しても声音に苛々した音が混じってしまった。
声の雰囲気で、振り向かなくてもカルーがどんな顔をしているのかチャズには判る。
なので、困ったようなトーンで、
「あのね・・・言いにくいんだけど。」
切り出した。
「なんだ?」
「ここ、カルーの〝左腕〟の匂い、しないよ。」
割れたシリンダーから漏れる〝青い花〟の咲くガスの匂いは嗅ぎ分けられる。
チャズの両足が床にパタリと落ち、座り直して上体だけ振り返る。
振り返って見たカルーの顔ががっかりしたモノになっていると思って、少し耳が倒れた。
しかし、チャズの予想に反して振り返って見たカルーの顔にある目が丸くなっている。
驚いている。
カルーにもチャズの言っている言葉の意味が、『ここに目的のガスの埋蔵は無い』と言っているとちゃんと判っているのだが、それを言い当てたチャズの五感の能力に驚いた。
「おまえ、嗅覚も?」
思わず訊く。
カルーの表情の意味が判らないチャズはきょとんとしてしまって、
「うん。」
ただ頷いた。
ははっと微かに声を漏らして笑うカルーは、
「意外に使えるんだな。」
「え?」
紹介所でチャズの過去履歴を渡された時、今までの随行歴と共にそこに記載されていたのは〝周波数変動感知型の視覚以外にも身体能力が高く白兵戦を得意としている〟とだけだったので、ここまで期待していなかった。
この小柄な小娘が凶暴な突然変異種の駆逐作戦へ駆り出された事もあるとその時に見たリストの走り書きで知ったが、どうせ後方支援で混じっていただけだろうと思っていた。
こんなきゃぴる小娘がそれ程使えるようには見えない。
見えないが、
「ミサアドの奪還戦ではどこに居た?」
チャズの過去履歴の中でカルーに覚えのあった随行歴を訊く。
遺伝子合成種を自分の支援者にして参戦する傭兵も多い。
誰かがチャズを雇って強化変異種の駆逐戦へ参戦していたらしい。
チャズの顔がきょとんとしたまま、
「カルーの最後の出勤の時の話?」
さらりと訊き返して来る。
引退試合の事を持ち出されると少し具合が悪い。
それっきり、宮仕えは辞めたのだ。
カルーの顔が微かに苦い顔になった。
「俺を知ってたのか。」
「知ってるよ。だって今回の随行は〝白狼狩りのカルー〟の依頼だったから楽しみだったんだもん。」
暗がりから飛んで来るチャズの声が無駄に弾んで居て、舌打ちが漏れる。
だからってこのテンションは無いだろ・・・
〝猫は後ろを気ままについて来るが、犬は前を勝手に走り回り『遊べ』と強要して来る〟。
今、全力で自分の前を駆け抜ける赤犬の姿が連想された。
つい、額に右手をあてて頭を抱えてしまう。
そのまま溜め息混じりに、
「で、どこに居た?」
「南組の先鋒、だよ。」
問いに対するチャズの答えに目を見開いて顔を上げた。
戦争用に開発された強化変異種〝白狼〟の群が占拠したミサアド地区の奪還作戦で、カルーは現場の指揮系統の中枢に居た。
地区の四方から敷いた包囲網をじわじわと狭めて、敵の数を減らしながら殲滅する作戦だった。
占拠した強化変異種が脱出の為に包囲網突破を仕掛けて南へ後退し、そこが一番の激戦区になったのだ。
南側に配備した『南組』の誰かがチャズを随行者として雇っていた、とチャズは言う。
敗走する〝白狼〟が南へ逃げる事は予想していたので、そこへ重点的に手練れを配置していたが、チャズはその南組へ混じる事が出来るだけの実力を持っていた。
野良の随行者を伴うのは傭兵だが、チャズが生還しているという事はペアを組んだ傭兵自身も生還しているという事になる。
戦闘用の人工種にとって、軍人の専属随行者になる事は良い主人をみつけて安住の地を得るようなものだが、チャズのような野良の随行者は使い捨てになる事が多い。
軍に属す者達は専属随行者を己と対等に見て共に生還しようとするが、傭兵達は自分の命を優先して随行者を弾除けにする。
弾除けにされても、獣は本能的に仮初の『主人』を命懸けで護るのだ。
憐れだが、戦闘用の人工種はそういう生き方しかできないし、それを当然と受け入れている。
カルーが知る中でも激戦だったミサアドの奪還戦で、目の前のチャズは随行者を生還させて自身も生還したのだと言っているのだが。
信じられない。
思わず、
「おまえが?」
〝南組に?〟と訊くが、
「私が。」
暗がりのチャズはにっこり笑った声で答える。
「よく生きてたな。」
「カルーが旗振する作戦に参加して死ぬ人いないでしょ?」
『人』は死なないが、死亡した『人工種』の数は把握される事は無い。
目の前の『人工種』に何と答えたものか、一瞬苦笑いが過るが、
「死なないレベルの〝人材〟しか使わないだけだ。それでも再起不能の重傷者は山ほど出したな。」
奪還に成功はしたが、こちらの被害も小さくは無かった。
その時、自身も相当な深手を負った。
チャズはシップの縁へ座りなおし、舳先の見張りで前を向いて、
「どして傭兵になったの?王軍では偉かったんでしょ?」
〝花〟をみつめて訊いてみた。
「どうしてだろうな。」
カルーは疲れた様に吐いて、視線を暗い湿原へ向けた。
やはり、モノトーンの視界には〝お花畑〟を見る事は出来なかった。
〝無駄足〟にカルーは短い溜め息を吐き、チャズへ顔を上げ、
「引き上げよう、無駄な時間を省ける。」
「・・・へ?」
「おまえの能力が役に立った、ってトコだ。ここにはもう用は無い、またひと月待つ事になるが仕方が無い。」
カルーの〝役に立った〟の言葉にチャズは勢いよく振り返り、
「ホントに!?ホントに役に立ったの!?」
「こんな場所に長居は無用だ、次も随行してくれ。」
頷いたカルーが次の契約について話したが、
「やったぁっ褒められた!」
テンションが上がって湿原の闇へ歓声を上げるチャズは聞いていない。
チャズの勢いに押され、『不用意に褒めて失敗したか?』と思いつつも、
「・・・まぁ、褒めた・・・か?」
苦笑い混じりに頷いた。
高いテンションのまま振り向いたチャズは、
「ついでにもっと褒めて!」
勢い任せに切り出した。
本当は言いたくてウズウズしていたが、〝怖いおじさん〟にどう切り出したものか悩んでいた事だった。
脈絡無くチャズが何を言いだすのか予想がつかず、カルーは訝しめな顔になったが、
「何だ?」
訊き返すと、チャズは自前の白兵を差出した。
凝った造りで機能性にも優れた得物なのは初めて見た時から判っていた。
カルーの右手へ自慢の白兵を握らせ、
「コレ、私のお手製なの!」
チャズはカルーへ言葉を渡し続けるが、
「あ・・・ぁ、すごいな。」
困ったように〝これを褒めろと?〟と、カルーは小首を傾げた。
カルーの戸惑いにはお構いなしに、
「でね、私んちに自前の工房があってねっすっごい色々揃ってるの!だからカルーのシリンダーのタッチアップくらいしてあげる!」
チャズは話を進める。
カルーにも段々チャズが言いたい『チャズの気遣い』が判りはしたが、
「それはありがたいが・・・中身が先だな。」
「でね、でね、言いたいのはここからなの!私、〝青いお花〟の匂いを嗅いだことあるの!」
話が急に核心へ入る。
思っても見ない話を振られカルーも驚いて、
「どこだ?」
問うて、次に出たチャズの言葉に一瞬にして眩暈がする。
「私んち!在庫持ってるの!すごいでしょっ!」
チャズ的には、内心ヤケクソ気味に言い放っていた。
湿原の暗がりは一瞬にして静寂を取り戻す。
背中が冷えて行くチャズの目線はカルーを直視できず泳いでいるが、カルーの顔がじわじわと鬼の形相に変貌していく気配は刺さる程暗がりから伝わって来ていた。
冷汗交じりにへへっと笑ったチャズは、
「・・・・よ、喜ん・・・で?」
と、漆黒の闇を纏うカルーへ投げてみるが、闇の中で助走を付けるように勢いよく息を吸いこむ気配がして、
「っだから犬は嫌いなんだよ!先に言え!」
カルーが腹式でチャズへ言葉を投げつけた。
◇◇◇◇◇and sides now(さらに、ここんトコの話)
超壮絶絶不調で目覚めたカルーの目の前に、チャズは仕上げた義手を差出した。
差し出され、変貌した自分の愛機を目にしてカルーの顔がじわじわと鬼の形相に変わる。
へへっと笑うチャズは、
「可愛いでしょ?シリンダーのトコにお花柄のペイントしてみたの!私のオリジナルカスタマイズ、ね♪」
怖いおじさんをノリで押し切ってしまおうとしたのだが、無言で睨みつけて来るカルーの刺さるような視線にどんどん背中が冷えて行く。
カルーの口元でギリッと奥歯を噛む音がした途端、
「・・・ごめん、カルーがずっと寝てて暇だったからシール貼ってみただけなの。」
チャズは自白してシリンダーに貼り付けた青い花柄のシールを剥いだ。
赤い犬の耳がぐったりと垂れている様子に、カルーは呆れた脱力の溜め息を吐いてチャズの手にある剝ぎたての青い花のシールを手に取り、
「ここにでも貼っておけ。」
チャズの鼻の頭にぺとりと貼り付けた。
一瞬、目を寄せてきょとんと鼻先に貼られた青い花のシールを見つめると、チャズは花開くようにふわりと笑った。