正義の信徒(後編)
中編同様、残酷な描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
さて、その後クリスはどうしたか。
彼女は、瀕死状態だった3人の野盗のうちの1人に対して、治癒の魔法をかけた。
傷口に当てられたクリスの手のひらから、白い魔法の光が発せられ、みるみるうちに傷口が塞がってゆく。
傷は完全には塞がらなかったが、ここまで回復すれば命を失うことはなさそうだ。
しかし、クリスが起き上がって次の患者に向かおうとするとき、その少女の体がよろめいた。
すぐ近くにいた僕がとっさに腕を伸ばし、倒れそうになる彼女の体を支える。
「ごめん……大丈夫」
クリスはそう言ったが、僕の腕の中にあるその少女の顔は、明らかに憔悴していた。
額には脂汗が浮かんでおり、息が荒い。
おそらくは、短時間に魔法を使い過ぎたせいだろう。
けれどもクリスは、ふらつきながらも僕の支えを離れ、残った瀕死の野盗のうちの1人の元に歩いてゆく。
そして、戦闘前に地面に置いた、荷物の入ったバックパックを僕に持ってくるよう頼んできた。
僕が荷物を持ってくると、クリスは今度は魔法を使わずに、包帯を巻いて止血するなどの物理的手段を使って、傷口の応急手当てを施してゆく。
「な、何をしているんだ」
商隊のリーダーが狼狽しながら問い詰める。
「負傷の手当てをしています」
クリスが、商隊のリーダーを一顧だにせず、手を止めずに答える。
「そんなことは見ればわかる。何のためにそんなことをしているかと聞いているんだ」
「正義のためです」
クリスはやはり手を止めないまま、そう言い切った。
「せ、正義だと……? 意味が分からん。こいつらは野盗だ。我々善良な市民を襲い、命と財産を奪う悪人だ。悪人を生かすことが正義のわけがあるまい!」
この商隊のリーダーの言葉は、僕の内心の疑問を代弁したものでもあった。
そもそも、“法と正義の神”の信徒は、普通こんなことはしない。
野盗は悪人であり、断罪する──彼らはそういうシンプルな集団であるはずだ。
「この世に、悪人などいません」
クリスは再び、無茶なことを言い切った。
そして、1人目の手当てを終えた彼女は、次の患者に取り掛かる。
「いよいよもって意味が分からん! だいたいお前はさっき、あの降伏した男を殺したではないか! 悪人でもない者を、お前は殺したのか!」
商隊のリーダーが、自分が殺せと言ったことなどなかったかのように言う。
それに対してクリスは、
「そうです」
と答えた。
平静を保とうとしていたようだが、その少女の声は、震えていた。
この受け答えで、商隊のリーダーは、もはや何を言っても無駄だと諦め、匙を投げたようだった。
「休憩にする」と言って商隊のメンバーを集め、この血生臭い場所から離れて行った。
残されたのはクリスと僕、それにイオラの3人。
野盗たちに最低限の治療を施し終えた後、しばらくすると、その男たちが1人ずつ、意識を取り戻していった。
クリスはまず呪文を唱えて、何らかの魔法を発動させる。おそらくは先ほども使っていた虚言看破の魔法だろう。
クリスの憔悴具合が、目に見えて酷くなる。
呼吸が荒く、今にも倒れそうだ。
しかしそれでも彼女は、毅然とした態度で野盗たちの前に立ち、意識を取り戻した男たちに、先ほど降伏した男にしたのと同じ質問を投げかけて行く。
「もう二度と、野盗などしないと誓うか」
というものだ。
このクリスの質問に対して、3人のうち3人ともが、もう二度としない、と言った。
クリスは返答を聞くと、そのうち2人に対して鎚鉾を振り上げ、頭を砕いた。
そして残りの1人に対して、立ち去るように言った。
その生き残れた1人の男は、傷の痛みに苦しみながら、この場から立ち去って行った。
男が見えなくなったのを確認すると、クリスは一気にくずおれた。
地べたにへたり込んで、はぁはぁと荒く息をしている。
クリスの行動の一部始終を見届けたイオラが、へたり込んだ金髪少女に問いかける。
「いま嘘を言ってなかったからって、本当に更生すると思ってる? またやるかもしれないよ、あいつ」
この問いにクリスは、
「そうね。ありえるわ」
と言った。
イオラは、「分かってるならいい」と言ってから、「でも」と付け加える。
「でも“法と正義の神”の信者らしくないよね。野盗を逃がすなんて、教義に反してるんじゃないの?」
そうイオラが問うと、クリスはこう答えた。
「私は神に仕えているの。教団に仕えているんじゃないわ。教義は、教団が作ったものよ」
そのクリスの言葉を聞いて、僕は呆れてしまった。
つまり彼女はこう言っているのだ。
神には仕える。
でも、その教義は私が決める、と。
僕に言わせれば、そんなもの、宗教の意味がまるでない。
宗教とは、それに仕える者が、教義に従っている限り自分の進むべき道を迷わずに、自分はあるべきことをし続けているという確信を心の支えとして、心穏やかに過ごすためのものだ──と、僕は思っている。
だというのに、クリスは常に迷い続けているのだ。
自分にとっての「こうするべき」を、すべて自分で決め、ゆえに後悔もして、自分がしたことが正しかったのかを、いつまでも反芻し続けている。
彼女の心は不安でいっぱいだろう。
彼女は神に仕えているつもりでも、それによって「救われ」てはいないはずだ。
先ほどのクリスの姿が思い浮かぶ。
野盗たちに対して、彼女が自らの考えで判断し、自らの手で「断罪」し、あるいは「断罪」しなかったのだとしたら。
歯噛みし、震える声で「どうしてよ」と呟く彼女の姿。
僕は、野盗たちを次々と「断罪」してゆくクリスの姿を見て、どことなく「神」そのものの姿を見ているような錯覚をしていたけれど。
案外、それは錯覚ではなくて、本質だったのかもしれないなと思った。