正義の信徒(中編)
この話には、かなりの強度の残酷な描写が含まれています。
苦手な方はご注意ください。
果たして、僕たちを待ち受ける者たちは、姿を現さなかった。
自分たちが野盗と見られていることに対して、弁明するつもりはないということだ。
「森の中、左右に分かれて来る」
イオラが腰から小剣を抜き、告げてくる。
「人数差が見えないわけでもないだろうに、よっぽど切羽詰まってるのかな」
そう言うイオラの声は、ちょっと躍っていた。
どうやらいつもの病気が発症しているみたいだ。
僕も長剣と円型盾を構え、臨戦態勢を取りつつ前に出る。
こうなっては仕方がない。できる限りをやってみよう。
前に出る僕の隣では、クリスが鉾鎚と凧型盾を構え、戦闘態勢を整えていた。
クリスは僕たちと、商隊のメンバーにのみ聞こえる程度の声で告げる。
「全員、私がメイスを天に掲げたら、1秒以内に目をつむって」
それだけを言うと、クリスは前方に向かって駆けて行く。
僕も遅れまいと走る。
2人の鎖帷子が立てるちゃらちゃらという音が、森の中に響いてゆく。
僕の目が敵の姿を補足した。
右と左の前方から、それぞれ3人ずつ、木々の合間をどたどたと走ってくる。
先頭の者とこちらとの距離は、10mをわずかに切ったぐらいだ。
それを見たクリスが、足を止め、呪文を唱え始めた。
クリスの呪文が完成するより前に、最初に辿り着いた1人が、戦斧を振り上げクリスに襲い掛かろうとする。
僕はクリスの前に進み出て、その野盗の攻撃を盾で受け止める。
外縁と中央部を金属で補強しただけの木製盾に、戦斧の重い刃が深々と食い込む。
だが盾がそれで壊れたわけではない。
僕は力を込めて、盾を押し返す。その野盗はたたらを踏んでよろけた。
そうして1人を防ぐと、2人目の野盗が到着する前には、クリスの呪文が完成する。
背後でクリスの鉾鎚が天に掲げられる気配があった。
目をつむれと言われていたが、僕はそうしなかった。
クリスが使おうとする魔法が何であるのか、予想がついていたからだ。
「──光よ!」
少女の掛け声とともに、僕の背後──クリスの体から、まばゆい閃光が迸った。
森の中が一瞬、白一色に染まる。
彼女を背にした僕は大丈夫だったが、こちらを向いていた野盗たちはひとたまりもなかった。
閃光に目を焼かれ、視力を奪われた野盗たちは、ある者は木にぶつかって倒れ、ある者は木の根に足を引っ掛けて転倒し、ある者はその場でうずくまった。
閃光の魔法による失明効果はせいぜい数秒間程度だが、それによって戦局はほぼ決まっていた。
視力が失われ、あるいは視力が回復しても狼狽している野盗たちを、僕とクリス、それにいつの間にか傍にいたイオラが、次々と打倒してゆく。
「わ、悪かった! 降参だ!」
尻もちをついた最後の1人が、武器を放り投げて言った。
それで戦闘は終わった。
イオラが倒れた野盗の1人から服を引きちぎり、それをロープ代わりにして、降参した野盗を手際よく縛り上げる。
6人いた野盗のうち、2人はすでに絶命していた。
降参した1人はほぼ無傷だが、残りの3人は瀕死の重傷だ。このまま放っておけば、遅かれ早かれ失血により命を失うだろう。
戦闘が終わったのを見計らって、馬車を引きつれた商隊が追いついてきた。
「そいつを殺せ!」
降参した野盗が命乞いをする姿を見て、商隊のリーダーはそう命じた。
まあ、そう言うだろうなぁとは思っていた。
街中や村などであれば、その地域を収める領主の作った法、あるいは国の法が適用される。
だが人の統治下にない荒野や山林というのは、基本的には治外法権の場所だ。
そこで起こったことには、領主や国の定めた法は、適用されない──というか、領地外で起こったことに関しては実質的に事実確認が不可能に近いから、どうしてもそうなってしまう。
なので、降参した者の処遇はといえば、敵対者の任意に決められることになるのが普通である。
そして、街と街とを渡り歩く商人にしてみれば、自分たちを襲ってきた野盗など生かしておくだけ自分の命の危険に繋がるのだから、ここで殺してしまいたいと思うのは当然だ。
降伏したその男は、「もう二度と野盗なんて真似はしねぇよ」と言っているが、本当かどうかしれたものじゃない。
野盗の男にしてみれば、この場さえ乗り切ってしまえばあとは自由になれるのだから、この場での口約束など、守る理由がない。
が、そのとき。
「待ってください」
クリスが商隊のリーダーに向かって言った。
命令に異を唱えられた商隊のリーダーは、一瞬、ぽかんとした。
だがすぐに、「命令に従え」「金を払っているのは俺だぞ」などとギャーギャー喚く。
戦闘前のクリスへの悪印象も手伝っているのだろう。
だがクリスは、涼しい顔でそれを無視する。
そして彼女は、降伏した野盗の前に立つと、あらためて質問した。
「今言ったことは本当か?」
今度は野盗の男が戸惑う番だった。
けれどもすぐに、彼はその、自分に対してまっすぐな瞳を向ける年若い少女の姿に、希望を見出したようだ。
「た、助けてくれるのか?」
野盗の男はそう言って、クリスに媚びへつらう笑いを浮かべる。
商隊のリーダーが、「おい誰か、あの女を止めろ」などと言っているが、僕は無視、イオラも我関せず、商隊のほかのメンバーはお互い顔を見合わせてどうするか迷っているようだ。
クリスはその様子を確認すると、縛られた眼下の男に向け、再び言葉を向ける。
「もう一度だけ聞く。お前は先ほど、もう二度と野盗なんて真似はしないと言ったな。あれは本当か?」
クリスの質問に、男が答える。
「あ、ああ、本当だ。もう二度としねぇ。絶対だ。約束する」
男の言葉を聞いて、クリスがぎりと、奥歯を噛みしめた。
「……どうしてよ」
クリスが震える声で呟いて、鉾鎚を振り上げる。
そして、呆気にとられた野盗の男の頭部に、それを振り下ろした。
頭蓋が砕ける嫌な音がして、少し後、男の体が横たわった。
下草の茂った地面へ、赤い染みが広がってゆく。
僕は何となく事態が分かっていた。イオラも同様だろう。
だが商隊のメンバーは、リーダー含め、何が起こったのか理解できなかったようだ。
クリスが血に濡れた鉾鎚を腰に収め、商隊のリーダーの方に向かう。
商隊のリーダーはひっと悲鳴を上げた。
まあ、返り血を浴びた年若い美少女が、悲しみの表情を浮かべて向かって来たら、そりゃ怯えるだろうな。
「私は魔法によって、彼が嘘をついていることを知りました。彼には更生の余地がないと判断し、断罪しました」
クリスが商隊のリーダーに告げる。
嘘を見破る魔法を使ったのであろうことは、だいたい予想がついた。
そしてその結果、嘘を言っていたと判別すれば、“法と正義の神”の信徒であれば、こうするであろうことは別段驚くべきことでもない。
ただ、ここで僕はふと思う。
もし、発言が嘘でないと分かった場合、彼女はどうするつもりだったんだろう、と。
人の心など、その時その時で簡単に覆る。
今この場では、怯えによって、もう二度としないと本心から誓ったとしても、それは本当に二度としないかどうかに関して、何の保証にもならない。
悪事をする癖がついてしまった者は、そう簡単には更生できない。
それが彼の生き方であり、本質になってしまっていることも、多々あるのだから。
そして、そんな僕の疑問は、この後の彼女の行動によって、明らかなものとなる。
(後編へ続く)