リスクジャンキー
「もうお前とは一緒にやっていけない。それが俺たちの総意だ」
僕が階段を下りてくると、階下からそんな声が聞こえてきた。
ある日の夕刻。
僕が今いるのは、冒険者御用達の酒場兼宿屋だ。
1階が酒場になっており、2階に宿泊用の部屋が並んでいるという、最も一般的なつくりの店である。
その2階から階段を降りて、1階の酒場へとやってきた僕が目撃したのは、酒場に3つある丸テーブルのうちの1つを囲んで揉める、とある冒険者パーティの姿だった。
4人が着席したその丸テーブルでは、うち3人が、残りの1人に対峙するような形で会話が展開されていた。
今喋ったのはどうやら、その3人のうちの1人、戦士風の男のようだ。
僕はそのいざこざを横目に見ながらカウンター席へと向かい、そこに並んでいる丸太製の椅子の1つに座ると、マスターにエールとつまみを注文する。
そして、件のテーブルの方をやんわりと注目する。
「そっか。残念だな」
3人と向かい合っている1人は、女性だった。
褐色肌のしなやかな肢体が魅力的な少女で、歳は僕と同じぐらいに見えるから、おそらく16歳とか17歳とか、そのぐらいだろう。
美しい銀髪は短く整えられていて、瞳は吸い込まれそうになるエメラルドグリーン。
「今まで楽しかった。ありがとう」
少女は3人に向かって淡々と言うと、席を立った。
そして、僕のいる方──カウンター席のほうに歩いてきた。
「……隣、いいかな?」
少女が、僕に聞いてくる。
僕の隣しか、席が空いていないのだ。
僕がどうぞと言うと、彼女は僕の隣の丸太椅子にちょこんと腰かけた。
酒場のマスターが肥満体を揺らしながら、陶器製のジョッキになみなみと注がれたエール酒と、ソーセージの盛り合わせを持ってきた。
僕は対価として銅貨を2枚支払い、それらを受け取る。
少女が僕の横で、同じくエールとつまみを注文する。
僕は別に、少女と見知った仲というわけではなかったが、なんとなく彼女と話し始めた。
少女はイオラと名乗った。
イオラは、運ばれてきたつまみ──牛肉とじゃがいもとタマネギの煮込みを口に運びながら、あっという間にエール酒を1杯胃に流し込み、次を注文する。
「これで、パーティから追い出されたのは、3度目」
褐色肌の美少女は僕の隣で、ふて腐れたようにそう言った。
「どうしてどいつもこいつも、危険を恐れるのかな。それで冒険者を名乗ってるんだもん、聞いて呆れる」
不機嫌さを隠そうとしないイオラの声は、あてつけのように大きい。
僕が少し焦ってさっきの丸テーブルを窺うと、そこに、さっきまでいた残りの3人の姿はすでになかった。2階に引き上げたのだろう。
それからイオラはヤケ酒を続け、しばらく後にはぐでんぐでんに酔っぱらっていた。
さっきのやり取りではクールそうに見えたが、実は内心、かなりのダメージを受けていたらしい。
これ以上の深酒は良くないと思い、僕が2階の部屋まで送ろうかと聞くと、
「ふぇ? おくりおおかみ?」
などと呂律のあやしい口調で言ってきた。
美少女にそんな態度を取られ、僕も一端の男子としてムラムラしてくるが、懸命に理性を働かせてイオラをなだめる。
「らいじょうぶ、わかってるよ。じんちくむがいっぽいもんねー、きみ」
そんなことを言いながら、イオラは最終的には、カウンターにこてんと突っ伏して眠ってしまった。
無防備すぎる。
僕はイオラのあどけない寝顔と柔らかそうな唇に吸い込まれないよう頑張りながら、彼女を2階の部屋まで担いで、ベッドに寝かせてやった。
翌朝、僕は友人から、彼女についての評判を聞かされることとなる。
「『死にたがり』ってのが、あの子についた異名だ。何を考えてんのか、とにかく危険な依頼に足を突っ込みたがるんだよ。お前も巻き込まれないように気を付けろよ」
そう忠告された。
忠告はされたのだが、僕も結構物好きなので、イオラと組んでゴブリン退治の依頼を受けることとなった。
依頼の貼り紙の前で悔しそうに歯噛みしている彼女に対して、どうにかしてやりたいと思ってしまったのだ。
「さすがに私1人でゴブリンの巣を叩くのは無理だし……」
そういうイオラの態度は、『死にたがり』という評判と矛盾するように感じた。
本当に『死にたがり』なのだったら、ゴブリンの巣に1人で突っ込んで死ぬことに、躊躇いはしないはずだ。
僕らがゴブリンの棲む洞窟の前まで来たときも、彼女は『死にたがり』ではなかった。
慎重かつ大胆に事を進めるイオラは、探索者としてかなり優秀であるように見えた。
見張りの1匹を隠密的に片付けたイオラは、火を点けたたいまつを手に先導し、洞窟へと踏み込んでゆく。
イオラが優秀なおかげで、洞窟踏破はかなりスムーズかつ順調に進んだ。
戦士が本分である僕は、本格的な戦闘でのみ前に出張ればよく、それ以外のほとんどのことは、イオラが実に手際よく適確にこなしていった。
ただ、2人でゴブリンの巣を相手にするのは、さすがにリスキーな行為だ。
僕も腕に覚えがないわけではないが、3~5匹ものゴブリンを1人で相手にすれば、盾と頑丈なチェインメイルで身を守っていても、さすがに命の危険を感じる。
そんなときは、イオラも1匹か2匹のゴブリンを相手取って命の危機に晒されているわけなのだが、戦闘中に視界の端に捉えた彼女の表情は、嬉々として輝いていた。
まるで、心が躍ってしょうがないという顔だった。
かと言って、戦いが好きというわけでもないようだ。
相手をするゴブリンが1匹か2匹程度で、僕1人で相手をしたほうが安全なときには彼女は前には出ないし、そのことに不満もなさそうだった。
さらに言えば、彼女のリスク排除は徹底している。
探索者としての技術ばかりでなく、幻覚や音を操る魔法のいくつかを操れるイオラは、あの手この手でゴブリンたちを翻弄し、退治していった。
それでもどうしても排除できないリスクのみを、真正面からの戦闘で突破していったのであり、それが主に僕の仕事となった。
ちなみに、イオラが細々とした策を弄している時に僕が話しかけたりすると、
「あのさ、気が散るから今話しかけないでくれる?」
と真剣に怒られた。
イオラは僕よりもよほど、危険排除に対して徹底的であったが、しかし命の危機に晒されている時の彼女は、狂的に愉しそうだった。
無事にゴブリン退治を終え、洞窟に幽閉されていた村の子どもも首尾よく救い出すことに成功した僕らは、村から追加報酬込みの達成金として金貨6枚を受け取り、ホームタウンへの帰路についた。
帰り道、僕がイオラに直接、疑問をぶつけると、彼女はこう答えた。
「私、冒険のスリルそのものが好きなの。危険愛好者とでも言えばいいのかな。でも、手を抜いたせいでピンチを招いても、それは違うでしょ。せっかくの冒険なんだから、本気でやらないと」
そう言って、銀髪を煌めかせながら振り返る褐色肌の少女の笑顔は、とびきりだった。
(第1話 リスクジャンキー 完)