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秋の愛

 赤く色づいて木々の枝から剥がれ落ちてゆく木の葉を、春馨は無感動に眺めていた。


 春馨が荘稀に嫁いでから、二年が経った。春馨の心の中から、籍英の存在はまだ、消えない。


 けれども、変わったこともある。

 春馨はこの二年、夫となった荘稀の姿を間近に見てきた。荘稀は優秀な男である。寡黙で常に冷静沈着、しかし動くべき時の行動力もしっかりと持ち合わせている。


 そして、優しかった。

 恐らくこれは、ほとんどの人間が知らない一面であるに違いない、と春馨は思う。


 結婚してから、二年。実はあの婚儀の夜以来、彼は一度も春馨に触れていない。

 毎夜同じ寝室で眠るのだが、本当にただ一緒に眠るだけなのだ。その上、春馨の視線が、態度が、ふとした表情が想い人の存在を匂わせていても、彼は何も訊かなかった。ただ黙って、春馨の部屋に気晴らしになるようなもの――美しい花であったり、書物であったり、絵画であったり――を届けてくれた。


 そんな荘稀の側で暮らすうちに、春馨は時折、ふと暖かい気持ちに包まれるようになった。そして、思うのである。


 ――私はこの人を愛せるかもしれない。


 恋ではない。

 春馨のたった一つの恋は、籍英に捧げてしまった。今でも、春馨は籍英に恋をしていると胸を張って言える。

 けれども、荘稀には、それとはまた別の、愛と呼ぶべき感情を、向けられる気がするのである。


 そんな風に思うようになってから、春馨は自分からも荘稀に歩み寄ろうと努力を始めた。

 たとえば、屋敷で書簡を認めている彼にお茶を淹れたり、仕事に疲れて帰ってきた彼がぐっすり眠れるよう寝室の香を工夫したり、といった風にである。そうして、今のところこの奇妙な夫婦関係は問題なく成り立っていた。


 この日、春馨が荘稀が仕事に使っている部屋に近づいたのも、彼の書斎に防虫効果のある香を置こうと考えたからである。そんな春馨の耳が、荘稀ではない知らない人間の声を拾った。

「もう二年ですぞ」

 最初、春馨はそれが自分に関係のある話だとは思っていなかった。

「弥氏への義理立てはもう十分でしょう」

 その言葉が聞こえてきて初めて、話題が何であるかを察する。

「子を産めない妻一人しか置いておられないというのはまずい。弥氏への義理は義理として、(しょう)を置かれるべきかと」

 産めないわけではない、と、春馨は心の中で反発した。どうやらこの客人は春馨が子供を産めない体質なのではないかと疑って荘稀に妾を勧めに来たようだが、そもそも荘稀は婚儀の夜以来春馨に手を出していないのである。子どもができるはずがなかった。

「結構だ」

 荘稀の声は、飽くまで静かだ。

「私も妻もまだ若い。焦ることはない」

「しかしですな、相国殿。近頃の不穏な様子を見ておるとどうも……」


 この国は今、揺らいでいる。

 王と荘稀達重臣を中心とした勢力に反発し、自ら革新派と名乗る若手の官僚や役人達が民衆の不安を煽るように遊説して小規模な反乱を誘発していると聞く。いつか大乱にならないとも限らない、と政府筋は危惧しているようだ。


 そういった政治の方向に進んでいく話を片耳で聞き流し、部屋に戻りながら、春馨は考えた。


 私はあの人を愛せるかもしれない。

 私は子どもを産めないと思われている。

 あの人はそれでも、妾を置いたりはしない。



 夜になった。いつも通りに寝室を訪れた荘稀は、そこに畏まって端座している春馨を見て首を傾げる。

「どうした」

 簡潔な問いが、口をついて出た。春馨が顔を上げる。

「私はあなたを愛せます」

 春馨は意を決して言った。唐突な言葉に困惑している様子の荘稀に、更に畳み掛ける。

「あなたの子を産めるということです」

 荘稀は一瞬目を見開いた。それから、ほんの少し、目元を緩める。口角が僅かに上がっているのを見て、春馨は彼の笑顔を初めて目にしたことに気付いた。

「聞いていたか」

 何を、と問うまでもない。昼間の会話だろう。

 荘稀は苦笑に似た表情を滲ませながら、春馨の前に膝をついた。そっと、彼女の頬に掌を滑らせる。

「心配しなくとも、妾を置く気は無い」

「そんな心配をしたわけではありません」

 荘稀の少しずれた言葉に、春馨は言い返す。

 荘稀はまた微かに笑んで、春馨の肩を押した。


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