3:交錯のファンファーレ
「姉さん……なんていうかもう、なんて言えばいいのか解らないけど酷いよ!」
敬語も忘れてイーリャは半泣きで薄暗い夜の街へと走り去る。確か、突然車の中から降ろされたのだ。ローザ姉さんはその時確か……
「イーリャ、それでは約束通りいい男を見繕って来てください」
とか思い出したように言っていた。車で追い越したイーリャは完全に涙目だった。
「兄様、私咽が渇きました!」
こう言っておけばきっと彼は何かを買ってくる。私の我が儘。それは姉さんの理不尽よりは可愛い理不尽。姉さんの突然の行動に、私が意味を与える。それなら彼は兄として私のために責務を全うしてくれる。
……そう言えば聞こえは良い。だけど私は嫌だった。
彼が姉さんのために動くのが。そこに何割かでも私のためにを含ませたかった。そう、信じさせて欲しかった。あの日の思い出は、彼にだって汚されたくはない宝物だから。
「今日は控え室が一室しか用意できなかったそうですからね。如何に弟とはいえ嫁入り前の姉の裸は見せられませんわ」
ああ、そういうこと。着替えの時間をずらしたかったから、途中でイーリャを降ろしたのね。
(わざわざそんな誤解されるようなこと言わなくてもいいのに)
私達の弟はまだまだ子供。女心なんて解らない。それでもこの女は違う。私と同じ生き物だ。同じなのに……違う、生き物。
年齢よりも発育の悪い私。年齢以上に発育の良い姉。隣に並ぶと女として私は貧相。イーリャが女として意識するのは私ではない。
私達は偶像だから、恋人なんて作れない。時期が来れば国から与えられるのだと思う。そのための人気者。最初から最後まで国のためにある駒なのだ。
だから思春期に入った弟が身近な異性として実の姉にときめいてしまっても仕方がない。その罪な女はそれでもつれなく、弟に男を紹介しろなど言って好意をかわす。
「イーリャは馬鹿ね」
自分の口から漏れた言葉?そう思ったけど違う。それは姉さんの口から漏れた言葉だ。何を思ったか知らないけれど、彼女もその言葉を考えていた。
「……突然、何?」
「あら、声に出してしまっていました?」
「……そう、聞こえたけど」
姉さんと二人。一緒に部屋の中。逃げ出したい気持ちを隠そうとして私は無表情を装うの。
(嘘ばっかり)
化粧をする姉さんの慣れた手つき。そんなことしなくても十分モテてる癖に。姉さんの踊りと姿の美しさに魅了された人間が多かったから、こんなことになってしまったのに。さも自分が魅力のない女?そんな演技をするから私は苛つくんだ。傍にいると、苛々する。
姉さんはとても綺麗だけど、もっと綺麗に見える。何というか舞台映えする顔になるのだ。その役柄にあった気持ちに切り換える、そのスイッチ。その心が顔にも表れて、自信に満ちあふれている。私はその顔が嫌いだ。とても嫌い……大嫌い。
「カーチャ?」
「……何?」
姉さんは私をカチューシャとは呼ばない。呼ぶのは兄さんの前だけ。私もイーリャがいなければ、決して姉さんを愛称で呼ばない。
「そこ、お化粧おかしな事になってますよ。どれ、この不肖の姉が塗り直して差し上げましょう」
「別に、一人で出来るわ。子供扱いしないで」
「まぁまぁ、そう言わないの」
今のは姉さんを見ていて鏡を見ていなかっただけよ。言えない言葉を押し留める内に、私のお化粧道具が奪われて、鏡の前に座らせられる。姉さんが私に化粧をしてくれている間、ずっと惨めな気持ち。
「私がお前をカチューシャと呼ばないのは、大人扱いしてるつもりなのだけれど」
「姉さんは良いわね。名前が短いから」
「……さぁ、出来ました!見事な出来映え。流石は私の妹です!」
(聞いてないし)
私は本当にこの人が苦手だ。わかっているのにわからないふりをする。その度合いがわからないから何処までが計算されたことなのか全くこちらはわからない。天然か作り物の悪女。どっちにしろ悪女。つまりは酷い女。それは事実。
「さて、そろそろあの子が来るころかしら」
姉さんはすたすたと控え室から出て行く。当たり前のようなその態度が凄く嫌。
「姉さんは、狡い」
私は扉を睨み付けて……そのままイーリャの声が聞こえるまで動けなかった。手と足の、震えが止まらなくて。
「カチューシャ?」
後ろからぎゅっとその背中に抱き付いた私にイーリャは困ったような微笑。見慣れた顔だった。それが私はとても嫌。
カチューシャは私の愛称。でもそれは、イリヤのそれは……家族を、年下の妹を呼ぶ名前。決して夫婦や恋人ではない。そう、他人としての愛情ではないの。
カチューシャと、呼ばれる度に私は泣きそうになる。そして錯覚しそうになる。そういう気分を味わって、私は悲しい心を慰める。
(嫌いよ、あの歌は)
イリヤはきっと、その男と同じ。国から言われたら、逆らえるはずがない。どこか遠くへ行ってしまう。彼が行かなくても、先に私が……何処か遠くへ行ってしまう。離れ離れになる。
(それは死ぬのと同じこと)
唯傍にいたい。それだけ。それだけのためなら私は夢だって捨てられる。夢より大切なものがあるのだと教えてくれた人がいる。
(ねぇ、気付いてイーリャ)
私は今も泣きそうなのよ。
先に舞台袖に向かった姉さん。私は弟と一緒に控え室。私の前でイーリャはさっさと着替えて舞台衣装を整える。
私が相手じゃ、恥ずかしいとも思わないのね。家族は身内は他人じゃない。多分私が眠れないとか言ったって、本でも読んで添い寝をしてくれるだろう。弟の目には私は本当に小さな妹のように映っている。私はそれが歯痒い。
私は貴方の年上なのよ?貴方のお姉ちゃんなのよ?もっとお姉ちゃんらしく扱ってよ。姉さんを見るみたいに、私で動揺してよ!一瞬でも……私に恋をして。叶わなくても良いから。
我が儘な妹演じながら、この腕でしっかり貴方を抱き締める。抱き付いている。そうしないと貴方は他の誰かのものになってしまうわ。
イーリャは何も知らない。例え知っても私を連れて逃げてはくれない。
聞き分けのない子供を見るように、甘く優しい声で私に語りかけ、私を拒絶するんだわ。
(ねぇ、イーリャ)
あの日見上げた私の視線。その表情の意味が子供の貴方にはわからなかったことでしょう。今こうして泣きそうな私の気持ちだって、貴方にはわからない。だから、分かって欲しいの。この位私は辛いんだよって、貴方も同じ気持ちになって。それだけでいい。分かって欲しい。
(バレエがしたい……貴方と踊りたい)
私は上手く歌えない。恋の歌は恥ずかしい。楽しい歌は歌えない。悲しい歌しか歌えない。
言いたいことも言えない私が、歌の言葉を借りたって何かを言えるわけじゃない。歌にしてしまったら何もかもバレてしまうわ。だから踊りたいのよ。
バレエは一夜の夢。魔法みたい。違う誰かになれる。私も貴方も。
踊りだけで伝えるの。それは物語だから、貴方は真剣には受け取らない。それでも本気で私と踊ってくれたなら、貴方はきっと私と恋に落ちるでしょう。貴方に寂しい気持ちをほんの少しでも与えることが出来たなら私は、幸せ。
「あの、カチューシャ?」
抱き付かれていたら着替えが終わらないよと。困ったようにまた笑う。
「カチューシャ?」
「……」
その愛称は、私と彼の繋がりを表す。近くて遠い。隔てられた壁の生温く冷たい温度。
「……緊張してるだけです」
「そっか」
私がそう言えば、仕方ないなと言う風に彼は苦笑。聞き分けのない私をぎゅっと抱き締める。本当に、それは子供をあやすような仕草で……優しい彼は今日も私の心を引き裂いていく。
「大丈夫だよ。緊張することなんか無い。カチューシャの歌はとっても綺麗だから」
「イーリャには劣ります」
「そんなことないさ。僕なんかあと何年歌えるか……」
そこまで言って彼は気付いく。その時まだ私がこうして表舞台に生きているならば……その時こうやって、私の緊張をほぐしてくれる相手は誰?
歌えなくなったら、イリヤの利用価値はない。遠くへ行ってしまう。私が踊れない、歌えなくなる。貴方は弱い私の、その依存に気付いているの?
何年かあれば良い相手が見つかる。何年かあればきっとこの弱い姉も成長する。だからそれまで自分が傍で、一日でも長く支えよう。そんな風に笑ったイーリャ。優しくて大好き。でも残酷で大嫌い。
大好きで大嫌いな弟は、思い出したように表情を明るくする。
「あ、そういえば知ってた?この国の人達は父称が無いんだって!」
まるで僕たちみたいだね。弟は笑う。
その話は私も聞いたことがあった。
「兄妹揃ってこの国の人々は同じ名を名乗るそうですね」
私達の名は父称ではない。通り名のようなもの。芸名のようなもの。
馴染みがなさ過ぎては侵略にも手間が掛かる。だから、対この国用の表記だ。余所の国の歌姫が苗字と名前の順を入れ換えて名乗っているのと同じこと。
音楽戦争はあくまで音楽で世界を支配する。郷に入っては郷に従えを重んじ、親しみを持たせ油断をさせることがとても大事。そのために国の埃も価値観も、人形は捨てなければならない。苗字が変わることに何も思わない私達は、人形としてはとても優秀。
そもそも父称だって、父の名を知らない私達には名乗りようのない名前。だから弟は……それを持たないこの国に、親近感が湧いたのだろう。
「本当、面白いなぁ余所の国って」
イーリャは笑う。国の外に出ること。嫌いじゃないんだ。
知らないことを知っていく喜びに満ちたその顔は、嫌いではないけれど、見ていて不安になる。貴方をとても遠くに感じる。
「外ってさ、もっと怖いところだと思ったけどそうでもなくて。親切な人もいるものだなぁ……」
「親切な人?」
そう言えばさっき姉さんが凄い勢いで舞台の方へ向かっていったのは、そういういきさつだった気もする。
私は知っている。イーリャは姉さんを見送る時、少し寂しそうな顔してた。私の大嫌いで大好きな顔。その顔が私に一瞬でも向かえばいいのに。
それが叶うのならば私は人形らしく踊るのに。誰の腕の中にでも飛び込んで、お嫁に行くわ。私から貴方を振ってあげるわ。その切なさで貴方の一生を悲しみで満たしてあげる。私はそれだけでいいのに、ねぇイーリャ。私の前で、他の誰かの話なんかしないで欲しい。
「……その人、何て名前?」
「え?名前……?そう言えば聞いてなかった。でもこの会場に入れたから関係者だと思……!あ、確かカードの照合で一瞬見えたけど大文字のB……」
「B?……Barock、バロック……?」
それは、敵だと教えられた楽団の名。三強の一角。
相手が陰になっていて見えなかったのだと彼は言ったが、それ以外にその文字から始まる楽団はなかったはず。
「……いや、でもどう見てもこの国の人間に見えたけど、黒髪黒目で。13番ゲートとかの見間違いかもしれないからあまり信用しないで」
「そう…」
「でも、急にどうしたんだい?カチューシャが誰かに興味を持つなんて珍しい。姉さんに何か触発されたとか?」
駄目だこの子。全然解っていない。
「そうね。いつか私もお嫁に行く日が来るんだわ、兄様」
「そっか」
弟は、私には寂しそうに笑わない。
笑って見送るつもり?いつでも胸が痛いのは私ばかり。そんなの、狡いわ。
「ふぁあ。甘いジュースだったから眠たくなった。兄様先行ってて」
「駄目だよカチューシャ!そう言ってさぼるつもりだろ!もうすぐ僕らの出番なんだから!それじゃ僕が怒られる」
「誰から?」
「みんなから!カチューシャのファンと姉さんと国のお偉いさん達から!」
「そう、大変ね」
「カチューシャぁ……」
弟は涙目だ。大人げなかったかしら。
もしここで私が「キスしてくれたら言うこと聞く」とか言ったなら、してくれるでしょうね。額か頬か手の甲か爪先か、私に選ばせてくれるわ。私が欲しいのはそのどれでもないのにね。
「はい」
「え、何これ」
「今度バレエでやりたい話」
「白鳥の湖?いいね、でもカチューシャには難しいんじゃないかな、今はまだ」
私が渡した本を手に、イーリャは笑う。何も解らず笑うのだ。
姉さんなら白鳥、黒鳥を演じられると言い出す前に、私は笑って先手を打った。
「そうね。有名所過ぎる。だから私は配役全ての男女逆転を推奨します。兄様に主役あげます」
「ちょっ!それ誰得なんだよ!?」
「兄様のファンは喜びます」
「拷問靴で僕の足が死ぬよ!!」
カチューシャもなんだかんだで姉さんと同じで鬼畜だと、もう半泣きのイーリャ。
「……冗談です」
「え、あ……だよね。もう」
「……もし私に白鳥、黒鳥……どっちも踊れる日が来たら、一緒に踊ってくれますか?」
「……うん、わかった」
約束すると差しのばされた手。また子供扱い。でもそれに甘えるのも……たまには良い。こうやって独り占め気分出来るから。
「それじゃ、そろそろ行こう?遅れたら大変だ」
*
「いや、よくわからないが面白い奴もいるもんだな」
謎の学生と分かれてから、俺は深々と頷いた。最近じゃ、あんな風に突進してくるファンが俺には居なかった。だが、ああ言う奴は俺は好きだぜ。アウトローだなあいつ。ここ、関係者以外入れないのに、どんな手使ったんだ?ああ言う積極的な馬鹿は見てて悪い気はしないもんだ。
それでもまぁ……異常だな。あいつがじゃなくて、この会場がよ。どいつもこいつも歌聞きに来たって顔してねぇ。なんつーか、気持ちが悪い。学生の頃、昼寝しながら耳では聞いてた大昔の宗教戦争っての?あれってのもこんな空気だったのかって思うくらいだ。
宗教も音楽も人を傷付けるためのものじゃない。救うためのもんだろ。嫌な気分吹き飛ばすための支えっつぅか。それを金儲けの道具にしようだなんて、馬鹿げてる。
(……ったく、音楽戦争ってのは本当質が悪いぜ)
今この国に訪れようとしているもの。海外留学している内に俺はリアルにあれに遭遇した。あれはとんでもねぇ。信者にならなけりゃ電車も飛行機も使えないっておかしいだろ。かつて自由の国と呼ばれた場所も面変わりしちまった。俺が憧れて金貯めてやっと来た場所……だったのに。
それが時代の流れだって言うんなら俺も仕方ねぇと頷いた。だがそれって音楽じゃなくねぇか?人を支配し領土を得るため、洗脳の道具として音楽を使うなんて。ジャンルこそ違っても同じ音楽を愛する人間が、音楽やってるって普通は信じたいじゃねぇか。それがなんだ。ジャンルが違うだけでやれ、戦争。やれ異端。俺は悪魔扱いだ。ロックが好きならこの決められた派閥に属せだの、崇めろだの礼拝しろだのお布施しろだの遠征に付き合えだのわけがわかんねぇ。今何時代だと思ってるんだよ。20世紀過ぎて何百年経ったと思ってるんだ。今時遠征って……そんなのどうなんだ?
つか、実際いいと思ったらCD買って手元に置くし、趣味じゃないなら買わない。そんだけだろ。何でグッズまで買わないといけないんだ?普通にいらねぇだろ。誰かもわかんねぇ奴の顔写真の入ったTシャツとか欲しいか?ストラップとか欲しいか?俺はいらねぇ。そんなん買うくらいならそこらの本屋でエロ本買ってくる。そう言って断った。
確かそれで相手がキレたんだ。誰々様がエロ本に劣るだと!?ファック!とか言ってたな。いや、普通にエロ本の方がいいだろ。そっから俺は追われに追われて殺されかけて、こんな時代に徒歩とヒッチハイクで旅をしたんだったか。州を渡り歩いてまだ何処にも侵略されてない場所を見つけた。全てはそこから始まった。
気付けばいつの間にかこんな場所にいる。俺はそんな者に参加したつもりはないのに、勝手に音楽戦争という奴は俺もその一つの派閥に数えてやがる。別に信者や金が欲しい、国土が欲しいなんて言って無いんだがな。てめぇら、目ぇ覚ませって糞五月蠅い音楽奏でてやってるだけだったのに。そんな俺まで崇める奴が出てきている。おかしなもんだ。
そういう奴らは俺を讃える歌を歌い出したり、騒ぎ出したり喧しい。奴らの頭の中じゃ俺は仏像か何かだと思われてんだろうな。一部の変態以外は俺が用を足しに行こうとしただけで夢が壊れたとかなんだとか言い出しやがった。おいおい俺は何時からアイドルになったんだってんだ。
音楽戦争の怖ぇえ所って言うとあれだな。ファンすら敵になるって事だ。質の悪い信者ほど勝手にこっちに幻想抱いて、それが破れれば寝返るもんだ。いや、本当ろくでもねぇ。
こっちが包み隠さず、ありのままさらけ出して生きてたって、幻想を見る奴は必ず居る。
向こうの国でやりあった勢力も、最終的には内輪もめで潰れたんだったか。
……他人事でもないか。そういう奴は現実否定して、最終的には本人さえ否定して殺しにかかる。俺自体何も変わって無くても、俺の名が有名になっちまったことで俺に裏切られたって思う奴も世の中に入るんだ。
(遠くに行く感覚が、どうしても許せない……だったか)
それは誰に言われたんだったかな。あんまり思い出したくない過去だ。あの時は痛かった。土手っ腹に刺してくんだもんよ。いや、参ったぜ。
だがまぁ、感じ方は人それぞれだ。誰が悪いとは俺も言わない。だが、手を出した時点でそいつが悪だ。音楽戦争ってのはそういう認識を悪い方向に利用した言葉なのだと思う。
人を傷付ける、殺すのは悪。だから戦争はない方が良い。そう、何世紀か前の奴らがほざいた。武装解除された世界はそれでも悪で栄えている。
音楽戦争で、殺し合うのは信者同士。国はそれに命令を下した訳じゃない。凄いよな。主張の違いを歌ってさ、音楽で余所の国を魅了するだけで、勝手に内乱起こして国内つぶし合ってくれるんだぜ?そうなってから助ける振りして乗っ取る。手が汚れるのも罪を被るのも直接行動した奴ら。国を守るために戦った奴らがそれで投獄されたり殺されたりする。国ってなんなんだよおい。……っとまぁ、数え上げたら世の中の不満なんてきりがないわけだ。それら一つ一つを書き殴れば歌なんか幾らでも生まれるもんだ。そのくらい俺は今の世界ってもんに苛ついてる。
(だが、まだ捨てたもんじゃねぇ)
世の中には面白い奴が居る。何処の国にだってそういう奴はいるもんだ。何にも染まらない。何かに従えられるのが嫌で嫌で堪らない奴ってのが。俺が組みたいのはそう言う奴だ。一緒に歌いたいと思える奴が居るだろうか、まだ俺の祖国には。いや、いないならいないでもいい。俺は俺の歌を歌うだけさ。
サイン一つのために突進してくるファンもいたんだ。可愛いもんじゃねぇか。今日の仕事はやる気が出た。俄然出た。
「……きゃっ」
「おっと、悪い」
今日はよく人にぶつかるな。相手が倒れる前に受け止めて、しまった。俺は気が付いた。
その子は金髪青目の外国人。肌はとても白い。北の方出身か?
あの辺の常識俺わかんねぇ。とりあえずパーソナルスペースはどの辺までが良いんだ?抱き起こすにもさっさとしねぇと俺に怨みがある奴があることねぇこと記事に書く。その際の弁解を頼む上でも下手なことは出来ないな。
「大丈夫か、嬢ちゃん……?つか、言葉通じる?」
俺他に話せるの一つ二つくらいしかねぇぞ。通じない圏の子だったらどうすっかな。
面倒臭いと思いながらも、とりあえず起き上がらせて手を放す。驚いた。凄い目が覚めるような美人だ。それだけじゃねぇ。出るとこ出て、締まるところ締まってる。スタイルが凄い良い。かといって太っているわけでもない。手足は長く全体的にはすっきりしてるのに胸がある。適度にほどよく胸がある。思えば倒れてきた時、随分と柔らかかった。って、そうじゃなくて!
(つーことは、どこぞの派閥の歌姫さんか)
まず顔が大事だからな偶像ってのは。お人形さんって訳か。関わり合いにならない方が良いな。
「黒髪、黒目……」
「なんだ、こっちの言葉解るのか」
俺を観察するように少女は俺の顔を覗き込んでくる。一応染めてるんだけどな。ここまで見事な金髪の奴から見りゃこの程度まだ黒髪扱いなのかも知れない。
「弟を助けてくれたのは貴方でしたのね」
「弟?」
もしかしてさっきの挙動不審な男が?どう見ても国籍が違う顔だが、何か深い事情でもあったのかも知れない。
「ああ、さっきの奴か」
「弟だけでなく私も助けてくださるなんて、なんて優しい方……」
少女は顔を赤らめる。こんな美人にそういう反応されて、悪い気はしない。いや、これは何かの策略じゃないのか?こんな美味しい展開が在って堪るか。まんまと騙されてみろ。また痴漢冤罪で投獄されるぞ。いや、前のは前歩いてた女が道幅塞ぐくらいの巨体で、横道も丁度無い道で、仕方ないし何段腹あるのか気になって数えてたら「何嫌らしい目で見てるのよ!変態!」とか言われたんだよな。自意識過剰過ぎるだろ。あれの二の舞は御免だぜ!
「悪い、俺もうすぐ出番なんだ!」
「お待ちになって!」
「ぐえっ!」
髪の毛引っ張られた。この子とんでもねぇ!やっぱ俺の命を狙いに来てたのか。生身の女って怖ぇえ。やっぱり女はエロ本に限る。
「あの、貴方のお名前……あ、失礼しました!私はローザ!ローザと申します!不肖の弟めのイリヤが世話になりまして……」
おろおろとしているその子はとんでもなく可愛い。脳天から雷打ち落とされたような衝撃だ。お、恐るべし戦争兵器。歌姫ってのはこんなに可愛いのか。向こうで頭なってるの殆ど野郎だったからこういうのは全然耐性ないぞ俺っ!女で組織切ってるのもいたけど!いるにはいたけど!そういうのって大抵男より男らしい姉ちゃんばっかで!こういう女の子らしい女の子なんて何年ぶりに見たんだ俺は?いや、そういうのはこの国じゃとっくに滅んでいたかも知れないから、お目に掛かったのは実質二十一年生きてて初めてだぞおい!
(いや、待て待て待て待て!)
こんなに可愛い女の子が俺なんかにこんな反応をするわけがない。脱がせてみたらとか気付かずやった後に翌日隣で男が寝てるとかそういうオチなんだろどうせ。俺のリアルラックの低さは半端じゃねぇ。落ち着け。落ち着くんだ俺。
「あの……もし……」
俺の反応待ってる。待ってもじもじしてる様が可愛い、くそ、翌日オチがあったとしてももうどうでもいいと思えるくらいに可愛い。恐るべき戦争兵器っ!
「く、黒烏」
「くろう?」
ああ、くそっ。話したくなかった。みんな最初は笑うんだ。
「黒がくろで烏がう!黒いカラスって書いクロウ!苗字は水本!969メイカーのヴォーカルだ!」
苗字の水本が読みによってはみなもとって読めなくもないとか歴史マニアの親父が言って、歴史上の人物とカラスをかけましたみたいなろくでもない名前。とりあえず物心ついたときに親父のことは一発殴っておいた。外人ウケも微妙なんだよ。そっちの名前はそこまで有名ってわけでもねぇし、大体敗れた将に思いを馳せるような美学ってのはこの国独自のものだ。
「クロウ?……ヴァローナのことですね!」
「う゛ぁろーな?……ロシア語とか?」
「ええ!よくご存知でしたわね」
「いや、まぁ……」
ゲームとか漫画で使われて知ってたのの中になかったんで、それ以外の国でって適当に言ってみただけなんだが、その子があんまりにも嬉しそうにしてるもんで、正直者のはずの俺も思わず言葉を濁してしまう。なんともやり難い相手だ。これ、俺の苦手なタイプじゃね?可愛いが俺の地雷かもしれない。やっぱり女はエロ本に限る。
「貴方も参加されるんですね!まぁ!その楽団は私達の丁度前ですわ。舞台袖までご一緒しましょう!これも何かの縁です」
「か、勘弁してくれ……」
「クロウ様の愛称はどんなものですの?ローリャ様?」
「普通にクロウだって」
「まぁ!余所の国の人は本当に変わっていますのね」
俺から見れば嬢ちゃんのが本当に変わってる。
(なんなんだ、この子)
割と本気で、そう思う。
*
「ああああああ、も、もうすぐ本番かぁ」
「落ち着けよ、シュリー」
「だだだだだだって、兄さん!」
俺の妹は本番前は決まってこれだ。俺の弟の時は落ち着いてるんだけどな。服装一つで精神状態が不安定になるのは何もシュリーに限ったことじゃない。俺だってそうだ。だからこれは仕方ない。俺の仕事だ。
「ほら、こっち来い」
両手を広げてシュリーを招く。震えが止まるまでぎゅっとしていてやろう。
歌うのは楽しい。それは俺もシュリーも同じはず。だけどこうしてシュリーが脅えるというのは何かを感じ取っている証拠。
シュリーは何も知らない。俺が教えないように手回しをしている。だけど人の視線とか言葉とか。そういうものまでは俺に出来る限度を超えている。耳を塞いでやっても聞こえてしまう音はある。
「大丈夫だシュリー、お前は可愛い。俺の自慢の妹だ。世界一可愛い」
「に、兄さん?」
腕の中、首を傾げる様は俺の片割れながら実に愛らしい。
「大丈夫だ。みんな、そう思ってる。だから怖いことなんてない。みんなお前の歌が聞きたいんだ。だからお前は歌ってやればいい。いつもみたいに楽しめばいい。俺も一緒にいる。一緒に歌える」
「……うん」
「よし、良い子だ」
頷くシュリーの頭を撫でて、俺はにぃっと笑う。
(問題はあの女中野郎だな)
シュリーは俺が守らないと。あいつはハッキングの力はあっても生身の戦闘能力は怪しい。足折れてるし。舞台の上じゃシュトラーセも使えない。今日はなるべくシュリーを庇いながら歌おう。
「兄さん、ウェルさんのこと考えてる?」
「ま、どの程度働けるか見てやろうじゃねぇか。これで使えなかったらあいつの飯はランクダウンだ。豚の餌、犬の餌、猫の餌、鳥の餌、虫の餌、金魚の餌と次第にランクダウンしていく方式だ」
「それ、微妙にランク上がってるのない?虫用のゼリーとかって普通のゼリーとあんまり変わらないんじゃないかな」
「マジかよ。じゃ、一回全部食ってどれが不味いかランク分けしないといけねぇな」
「坊ちゃま方、そろそろ移動をお願いしますぞ」
「っち、もう時間か」
悪巧みという俺とシュリーの至福の時間を邪魔する悪魔、もとい執事爺。面倒臭いからしつじじじいで略して読みはしつじぃ。執Gで表現できる。
「坊ちゃま。また変な渾名を考えていらっしゃいますな」
「変とか言うなよ完璧じゃねぇか!ていうかお前の名前長いんだよ!それに二人もいたらややこしいったらないぜ!」
「兄さん、そりゃあ普通に普通は家族は同じ苗字だよ。私達があれなだけで」
「シュリーになんてことを言わせるんだシュトラーセ!ボーナス減らすぞ!」
「老体になんと惨いっ!」
「老体がそんな機敏に動くかっての!」
執事に運搬されながら、俺とシュリーは通路を進む。その間ちょっと聞こえた音楽は耳に五月蠅い音楽だ。しかし会場はそれなりに盛り上がっている。が、舞台袖から見た男に見覚えはない。
「あれはなんだ?どこの陣営だ?」
「派閥を持たない派閥。レジスタンスの頂点に位置する楽団です。破落戸を従える術に長けた品のない男ですな」
「確かにな。品のない面してやがる」
「そう?格好はよく分からないけど感じの良い笑い方してない?」
「シュリーぃいいいい!駄目だぞ!ああ言う男は、ちゃらちゃらしてて全然駄目だ!格式も品格もあったもんじゃない!どのくらい女と遊んでいるかもわからない!危ない病気とか持ってるかもしれない!男はもっとどっしり構えた、そうだボスみたいな男が良い!」
「兄さん。普通にボスは女の人何人か連れてなかった?」
会う度に違う女の人と一緒にいたよと言われて、俺も返す言葉が無くなった。裏社会の人間を例えに出したのが不味かった。だけど俺達の周りにはまともな大人なんて殆ど居ないぞ。一番マシだと思った人でさえそれだ。
「でも、うん、わかった。兄さんはウェルさんみたいな人にしろって言いたいんだよね?」
「はぁああ!?あんな頼りない男なんかお前を嫁にはやれん!」
「あはは、兄さんったら」
シュリーは何かよく分からないことを納得する風に笑っている。止めてくれよそういうの。
「おいシュリー、俺は別に」
「兄さん、しーっ!次の始まる!トロイカだって!」
「……俺達の他の、三強が」
こうして直接会うのは初めてだ。そりゃそうだ。直接ぶつかるより先に、少しでも多くの国を支配下に置きたかった。構ってる暇がない。その隙に盗られては困る。
ぶつかり合うのは主にファン。楽団同士がやり合うことは無かった。そう、これまでは。
(だけど……)
この国がどの陣営に落ちるかで、すべての方向が定まる。その後はどんな局面に転がるか。分かり切っている。もう落とす国がないなら、第二段階。今度は奪う戦争が始まるんだ。楽団同士が歌で直接ファンを取り合う試合が始まる。今日はそれの予行練習。或いは……もう本番なのかも。
「まぁ…………お手並み、拝見だ」
俺は脅えた様子のシュリーを抱き締める。……俺の手も、少し震えていた。
*
そう。その直前までの歌は凄く激しかった。明るくて、強くて。ギラギラしてる。
だけど違った。今度の歌はそうじゃない。会場の空気が塗り替えられていく。温度が低下していく。旋律の力で、熱気が冷気に変わる。
人の凍える心。それを拾い上げる歌声。灯火のような温かさ。それに触れるように人の心が魅せられていく。彼らの心に火が灯る。
(……不味い)
「フォルテ兄さん。今日のプログラムを組んだの、誰か解りますか?」
思わず男の時の口調に戻ってしまった。僕は……私はその位危機感を感じていた。
「どうやらプログラムが変わっている。会場近く、あまりの混雑での渋滞。不測の事態で何組か来られなくなっているようです」
手元のプログラムと上演プログラムの違い。あの969メイカーと言うグループはもっと前だったはず。それが私達の前の前というのはおかしい。そう思っていた。その理由が分かった。これは、仕組まれている。
「わざと、渋滞を起こすなんて……」
「シュリー……?」
「あ、……ええと」
不意に我に返って、今の自分の姿を思い出すと上手く言葉が紡げない。恥ずかしくなる。頑張れと自分を叱咤して、私は顔を上げる。
(彼らの歌は静と動で言うなら静。私達の教会音楽もどちらかというなら静)
(……なるほどな。二連続でそんなん聞いたら誰だって嫌だわな。つか、インパクトが薄れる。今から俺達のプログラムを組み直せないとなると……確かに今回これを仕組んだ相手も見えてくる)
(ということは、やはり最後のトリが?)
(他に誰が得をする?もう一つの三強様だ。二連続の静音楽。その直後に動音楽を持って来い。どんな下手な歌だってそれなりには盛り上がる。マシに聞こえる)
視線と小声で会話をする私達。余り大きな声は出せない。何時スタンバイにそのグループが入ってくるかわからないのだ。そのトリは他の三強を踏み台にし、演出に使うための土台を用意した。トリになるために幾ら金を積んだのか。
(三下に舐められるのは許せない。あんな音楽で俺達の音楽を馬鹿にされて堪るか!)
兄さんは執事に視線を向ける。それに彼は頷き、手回しオルガンの中から楽器を取りだした。エレキギターだった。
シュトラーセがもつ手回しという割りには荷台くらい大きなオルガン。その中にはいつも無数の楽器が隠されている。
「シュリー、俺達は前の奴らが生み出した静の空気を引き継ぐ。そっから俺達が動になる!」
私達教会音楽なら、仮にトリで静だとしても、しんみりした空気で終わらせることが出来る。
それでも古典音楽だって激しいものは激しい。直前がトロイカだと知っていれば私達だってそういう曲目を選んだ。そう、私達の前は本来今日トリになっているはずのグループだった!そもそも今回は多くの人々に聞いて貰うための催し。だから目玉になる楽団を終盤に固まらせたりはしない。均等にばらす。だからおかしい。三強が連続になるなんて、あり得ない。それもそれに続く実力のあるグループの後に。
「……やっぱり。3つ前は、『folclore』だったようです」
ウェルさんに送ったメール。すぐに返信が来た。移動の際にアドレスを交換していて良かった。
お礼の言葉と共に、もう一つのお願いを送信し……私は携帯電話を懐にしまう。勿論電源は落とした。間もなく出番だから。
「兄さん……頑張りましょう!」
ぎゅっと兄さんの手を握る。もう私の身体は震えていない。震えるとしたら、そう。それは怒りだ。
(私とリュールの歌を踏み台にするなんて、許せない)
私の幸せを、汚す奴らは許せない。とてもじゃないけど、静として歌える気がしない。
「でも…仕方ないですよね」
「シュリー?」
「誰も悪気があった訳じゃない。仕方ないんです。そういうことってありますもんね、手違いって」
「し、シュリー……?」
私は大好きな兄さんに心からの笑みを贈る。
「でも私は兄さんと歌える歌なら、どんな歌でも大好き」
計画的犯行ですと伝えてみれば、ようやく届いたのか兄さんも、にやっと笑った。
前の歌姫達が去り、流れて来た入場の合図のメロディー。それは私達が指定した物とは違うものだった。
これが流れたときは、いつも私達は違う歌を歌い、楽団は違う曲を弾いていた。それがすっかり身体に染みついている。
そのいつもの癖でそうしたくなってうずうずしてしまう。そんな気持ちで別の曲をやるのは危ないわ。こうなってしまった以上、別の歌にしないと駄目ね。先に入場した楽団達はもう、間違えて誘導されたまま他の曲を演奏し出す。
「……ああ、そうだなシュリー!仕方ないよなぁ、そいつは!」
「私達、別に唯の古典音楽じゃないものね」
「そうだな、Barockの後ろ四文字は……」
「Rock!」
「よし!なら仕方ねぇ!」
あの男もやるじゃねぇか。兄さんが少し嬉しそうに笑っていた。
他の陣営がちらほらと顔見せ。今回主人公出番無し。
シュリーとメールしてただけですねあの男。
主人公の出番がなければ、その観察をしている悪魔サイドの話も無し。
歌の所為で既にクロウとローザの行く末が不安。しかも助けたの主人公だったのにフラグがかっさらわれました。お前はロリショタで我慢しろ。