2:夕暮れ夜へのストリート
昔々のお話です。
ある時ある世界のある場所に、一人の少年がおりました。
彼は疑問を抱えてしました。
それは簡潔な謎。何故自分が生まれここに生きているのか。
彼は人に生まれるには些か変人、そして余りに優しすぎた。そんな彼は悩みました。
日々生きる糧は命。何かを食らわねば生きてもいけない自分が生きてしまっている意味は何かと神に問う。
誰かの命を奪ってまで生きているのだ。きっと自分には何かなさねばならないことがあり、そのために生かされているのだと彼は信じる。そうしなければ彼は自分の生を肯定することも出来なかったのです。
そうして日々食し、命を奪い、生きていた。彼は日々嘆き悲しみ、涙しない日は一日たりともなかったそうです。
そんな彼はある日死にます。意味もなく、何をなすでもなく、何も変えられぬままに。
彼は最期にも涙しました。これまでの生に意味などなく、彼の人生、命にも何の役目もなく、意味などなかったのだと知って。これまで犠牲にしてきた全ての糧への心からの後悔。ああ、もし自分がもっと早くそれに気付けていたのなら。例え神の教えに背いてでも、自ら地獄に落ちる覚悟で自分を殺せていたのなら、一体どれ程の罪無き命が今日ここに、存在することが出来ていただろうか。
そして神の定めたシステムにより、彼の抱える罪の意識が優しき彼の魂を地獄へと引き摺り込みました。誰より優しいその人は悪魔として生まれ変わり、日々嘆き続けています。現の醜い争いを彼は厭い、せめて美しい夢が見たいと遠い世界に思いを馳せて。
「あ、ティモ」
「げ、エングリマ」
悪魔の屋敷で出会した、空色の髪の少女のような少年と海色の髪の少年のような少女。
第二領主の身の回りの世話をしているのは罪と罰の双子の悪魔。夢の領地を持たない二人は現の領地の門から先は進めません。それでも長らく領地を不在にしているその悪魔のために、屋敷の管理をしているのです。
「ふん、こんな所で点数稼ぎぃ?第二領主に気に入られてこの領地を譲り受けようだなんてそうはさせないんだから!」
「だから僕はそんなつもりじゃない。僕は僕の領地だけで満足してる。権力争いに興味はないっていっつも言ってるじゃないか。掃除をしに来ただけだよ」
「はん、どうだか。私より少し領主の地位が上だからって調子乗ってんじゃねーぞ!」
「静かにしてよティモリア。あの人は寝ているんだから」
「くっそ。どうせ寝るなら現で寝ろっての。寝首掻けやしないじゃない」
「だから夢の領地で眠ってらっしゃるんだよ」
悪魔の世界でも争いは溢れている。そんな日々が続く限り、この屋敷は空のままなのだろうと少年悪魔は嘆息をします。
「カタストロ様。せめて今度は良い世界に巡り会えていると良いんだけれど」
*
「……一体全体これはどうしたの?」
「何処で盗聴されているかも解らない。ここが一番狭い。だから何かを仕掛ける場所も一番少ないはず。そう考えたんです」
「そりゃあそうかもしれないけどシュリー……だからってクローゼットに人間三人も入れば狭いわよ」
「我慢して姉さん」
「ってあんたはどうしてそこで寝てるの!?起きなさいっ!」
「僕は一日12時間睡眠はしないと明日への活力を補えない体質なんだ」
「繊細なんですね」
「唯のぐーたらでしょ!」
金髪の歌姫に殴られて、僕は欠伸ながらに目を擦る。
「ふぁあ……ええとシュリー君?」
「は、はい!」
「そこの床下。盗聴器がある。それからそこの壁の間にカメラがある。情報書き換えて別の部屋のカメラと盗聴器と回線繋いでおいた。しばらくはバレないはずだけど、ここにも長居は出来ない。壊したらすぐにバレるから、向こうにバレるまで壊れないようにプログラム組んでおいた。こっちも時間の問題だろうな」
「えええええ!?そ、それじゃあトイレとかでお話ししましょう!」
「いや、普通に風呂場とトイレと寝室が盗撮盗聴スポットだった。内通者がいるのかスキャンダル狙いの敵かは知らないけどさ。難儀な商売なんだな有名人っていうのも」
「くそっ!私ら性別が明るみに出たら大変よ!?どっちがどっちかわからない、あやふやーな感じで人気保ってるんだもん!妄想の余地を残す所に意味があるのにっ!」
「ううう、だよね姉さん!世の中には僕らどっちも女の子だとかどっちも男の子だとかそういう脳内妄想してる人達だっているんだから!」
「本当、大変なんだなぁ」
他人事のように呟くと、姉?は睨んで、弟?は涙目で僕を見る。
「大丈夫よシュリー!お風呂に入る時も私ら女巻きにして上も下も隠してたでしょ!?胸だってお互いそんなにないからわからない!下着は二人とも女物で統一してたし問題ないっ!」
別の意味で問題だと思うけど放っておくか。
「まぁ、今ハッキングした所によると取り付けられたのはつい最近だね」
「ここのところ、この部屋は仕事で空けてたし……その間に?」
「多分ね。だからまだ危ないものは撮られていないよきっと」
僕がそう言えば、二人はほっと息を吐く。
「そうよね、ここのセキュリティを破ってそんなん簡単に仕掛けられないわよ」
「……だと思うから聞きたいんだけど」
この建物に入るにはそれなりに面倒な手続きがあった。部外者に破るのは困難だと思う。
「最近何か変わったことは無かった?マネージャーが変わったとか、新しい付き人が来たとか」
「……姉さん、心当たりある?」
「……それはないけど、金でも積まれたのかしら。参ったわね。身内の人間信頼できないって言うのは痛いわよ。くそっ!ちょっと社長とボスに文句言ってくるっ!」
ズカズカと電話のある隣室に向かった金髪少女を見送り彼女が受話器を取る。付近の盗聴器具はそのタイミングで壊しておいた。僕が携帯を弄って一仕事終えたところで銀髪少年が僕の方へと近付いた。
「お兄さん……いえ、ウェルさんはこういった機械的なことに詳しいんですよね?」
「まぁ、一応」
「それなら、お願いがあるんです」
「お願い?」
「貴方の衣食住を保証します。だから僕と姉さんを守ってくれませんか?」
それは有り難い申し出だ。住処を提供して貰った以上、確かに何らかの礼は面倒臭いけれどしなければならないが、ボディガードなんて僕の得意分野からは程遠い。
「守る?いや、僕弱いしそんなの無理無理」
「身内の人間が信用できない今、使用人の皆さんは左遷するか解雇するしかないんです。新しく雇った人間が敵の内通者かどうかもわからない。貴方みたいな人が今、僕たちには必要なんです」
「……そんなこと言われても」
この銀髪の子の方はなんだか無下に出来ない。妙な既視感さえ感じる。別にファンでも何でもないが、よしよしと頭を撫でてやりたくなるような愛嬌が彼?にはあった。
「いえ、身体の方は僕ら自身で守ります。だけどああいう機械的な分野は僕らじゃ太刀打ち出来ない。それに姉さん……姉さんを思い留まらせてくれた貴方なら、姉さんの……僕らの心を守ってくれるんじゃないかって」
その言葉に強く、惹き付けられるような気がした。そんな風にこんな僕を誰かに必要とされる日を、まるで僕は待っていたかのように、身体の震えが止まらない。
「……あのビルの道路側に面した柵その全て、寄り掛かれば壊れるようになっていたんです。昔から僕らの世話をしてくれた……本当に信頼できる人に確かめてきて貰いました」
「僕が手をついた柵は姉さんがいた柵の隣。仮にその情報が嘘だとしても少なくともあの二つは傷付けられていた。それは確かです」
確かにあの柵二つは屋上に出て真っ先に目に入る場所。わざわざ違う方向に向かうとも考えづらい。まして相手は子供。下で「早まるな」という声が聞こえれば、その方向へと向かうはず。誘導されていたと考えられないこともない。
「姉さんは自殺をするような人じゃない。多分僕が知らないだけで、誰かに酷いことをされたんだと思うんです」
「君……」
「僕は子供で……弱いから。姉さんは僕に頼ってくれない。全部を話してくれないっ。周りの人も僕を馬鹿にしているんです。姉さんがいなくなったら僕なんか何も残らない。一人じゃ歌えもしないっ!だから姉さんを潰せば恐るるに足りないっ!そう思われているっ!実際そうだっ!でも、だからって!姉さんばかり苦しめられるのは、嫌なんです!」
……でも一番嫌なのは、何も出来ない自分。彼はそんな顔をしている。
それは衝動のように、湧き上がる感情だ。僕もそれを知っている。まるで自分を見ているようで不思議な気分。自分も他人もどうでも良いと思い続けていた僕が初めて……純粋にこの子を守りたいと思った。
だってこの子の気持ちは誰にも解らない。僕の気持ちが誰にも解らなかったように。それならこの子はこの子だけは解ってくれるんじゃないのか?僕がこんなにもこの子のことが解るように。
「ウェル、さん?」
「いいんだ。もう……もう、良いんだ。守るよ僕が。だから泣かなくて良い」
思わず抱き締めてしまったのは、鏡を見ているような気持ちから抜け出したかったから?それとももっと近くにこの子を感じたかったから?
「いいわけあるかっ!泣かせるな!」
思い切り背中を蹴られた。笑わないと可愛くない方の子だ。
「人が電話しているうちに何してんの!うちの子に手を出して見なさいっ!ボスにお願いして闇に葬らせるわよ!」
流石は三強の一つの歌姫。裏世界との繋がりもやっぱりあるんじゃないか。
「姉さん、ウェルさんが僕らの世話をしてくれるって」
「は?」
「盗聴とか盗撮対策は彼がいれば安心できるよ」
「確かにこいつ、私とシュリーの名前間違えるわ私の顔見て私と解らなかったりするわ……他の陣営に荷担しているようには見えないわね」
最初は嫌そうな顔をしていたフォルテも次第に頷き黙り込む。
「って、時間よシュリー!着替えないと!」
「うわ!もうそんな時間?」
「何するんだ?」
「あんたは出て行って!着替えないと行けないの!」
「なるほど。ならこの部屋のは破壊するか。えいっ」
盗聴盗撮器具を破壊し扉の外へと出ると、部屋の中から微妙な不満が聞こえてくる。
「な、何よあれ。少しは残念がりなさいよ!世紀の大人気歌姫の着替えなのよ!?」
「ウェルさんって紳士だよね。凄い信頼できるよね!」
双子と言っても正反対の反応だった。そんな声が続いて数分後……扉が開いた。そこにはふて腐れたような少年と、微笑を浮かべた少女。
「ウェルさん、見張りありがとう」
「……おい、このシュリーを見て何か言うこと無いのかよ。お前それでも男か?」
部屋の中から現れたのは銀髪の少女と金髪の少年。ああ、入れ代わったのか。暗さで気付かず一瞬何事かと思ったが、髪の色は違かった。
「日替わり性別交代制なんだよ俺達は。さっきまでが姉弟、今からが兄妹。一度で二度美味しいんだぜ?」
すっかり男口調になったフォルテが言う。
「一昨日ぶりのスカート!えへへ!」
シュリーは嬉しそうにくるくる回る。
「……こっちはこっちでも可愛いのに」
「うるせぇっ!俺も俺でかなり人気はあるんだよっ!」
兄妹比べて溜息を吐けば、男になったフォルテに睨まれる。ああ、確かに。少年の姿の方が彼?はしっくり来る。いるよなこういう男の子。やんちゃ坊主、近所の悪ガキ。でも外見だけは美少年。好きな人は好きかもしれない。
「そうだね。フォルテも元気いっぱいって感じで微笑ましいよ」
「可愛いって言え!馬鹿っ!」
「え?」
「つーか何でシュリーだけ名前で俺は苗字なんだよ」
「え?」
「だから俺の苗字がフォルテっ!名前がフリューゲルだって言ってるだろ!?」
「あ、そうなんだ」
言われてみれば鳥の翼が名前だと言っていた。
「あれはこの国風に明記して上下逆にしてるんだよ。郷に入っては郷に従えって。ファンじゃねーなら知らなくても無理ねーけど……」
「なるほど。そうやってファンとファンじゃない奴見分けてたのか」
感心する僕にシュリーはにこりと微笑み、兄?を指さしリュールだよと教えてくれた。
「リュール?」
「リュールだとどっちも呼べる愛称になっちゃうから私はシュリー。リュール兄さんがフリューじゃ嫌だって言うんだもん」
「シュリーはセンスがないんだよ。フリューだのゲルゲルだの」
「それは兄さんが私をシュリューとかセルセルとか言うからだよ!兄さんだってセンスないじゃない!リュールのファンクラブはゲルマニアとか呼ばれてるからゲルゲルはそこから取ったんだよ!」
「な、なんだよ!お前のファンクラブだって“シュリーちゃんの錠前に鍵を刺し挿れ隊”とか気持ち悪い名称じゃねぇか!」
「それはこの国がおかしいんだよ!他の国だとちゃんと普通にシュリーファンクラブだもんっ!」
「わかった。この国の腐敗具合の責任を取って僕が死ぬことにしよう」
「待てこらっ!」
リュールに手にした交ぜるな危険洗剤を叩き落とされた。
「何をするんだ」
「てめぇが何してんだ!人様の家の薬品持ち出して危ないことするな!俺とお前はどうでもいいが、俺の可愛い妹が巻き込まれたらどうしてくれるんだ!」
「それもそうか、ごめん、悪かった」
「ふん、解ればいいんだ。……って少しは俺のことも気遣え馬鹿野郎っ!お前それでも俺達の使用人か!?」
「使用人?ボディガード……いやメンタルガード兼ホームセキュリティの間違いじゃないかい?」
「黙れ家政夫。衣食住保証してやるんだからお前は俺のことも気遣うのが当然なんだよ」
「そうなの?」
「そうなの兄さん?」
「俺がそうだって言ったらそうなんだ!」
僕からシュリー。シュリーからリュールへと向かう視線リレー。
「仕方ない、解ったよフォルテ」
「解ってねぇじゃねぇか!」
「君たちみたいな有名人をいきなり愛称で呼んでたら怪しいだろ?しばらくは苗字呼びが無難だろう。シュリーの苗字は長いな……ピアノで良い?いや、面倒臭いな。シュリーはシュリーで良いか」
「良くねぇよ!俺の妹簡単に名前呼びしてんじゃねぇよ!」
「え?さっきまで大丈夫だったじゃないか」
「お前さ、唯単に俺の愛称発音しづらいって言うので逃げてるだろ!」
「仕方ないだろ、この国の人間は概してラ行が苦手なんだ。LとRの区別があんまり出来ていない。僕もそうだ。シュリーはなんとか発音できてもリュールは言い辛い。ルールじゃ駄目?」
「お前それでも年上か!?俺達はお前より年下なのにこんなに流暢にお前の国の言葉も喋ってるんだぜ!?」
「言われてみれば確かに。凄いな」
フォルテに言われて気が付いた。確かにそれは凄い。こんなに小さな子が流暢にこの国の言葉を喋っているなんて。
「伊達に歌姫やってないんだよ俺達は」
「政治の駒ですから。基本的に侵略する国の言語は覚えます。傘下に入ってくれた国の言葉も覚えます。愛を語るにはその人の国の言葉で。上から目線の愛してるなんて人の心に響かない。だから精一杯の愛を込めて、その言葉を愛す。同じ所に立って同じ目線で歌うこと。それが私達に出来る、せめてもの礼儀です」
「なるほど」
やっぱりこの子達もこの国を侵略に来た使者なんだなと改めてそう思った。だけど嫌悪感は不思議と無かった。ぼんやり二人を眺める僕に、シュリーがくすと笑みを溢す。
「ウェルさん……貴方は不思議な人ですね」
「え?」
「だって私達は敵国の人間です。それに私達の背後はどんな組織かも解らない。それなのに……私達に親切にしてくれる」
「そんなんじゃないよ」
別に縋れるだけの未練がこの国の中にないんだ。
どうせ奪われるだけなら、徹底的に破壊された方がまだマシだ。この国の歴史も文化もこの数百年で塗り替えられた。売り飛ばされて売られてしまった。今は偽りの歴史の中を生きている。それを叫いたところで世界はこの国は変わらない。音楽戦争なんてものに国の明日を託してしまった。
「本当にそれが愛する価値のある自分たちの文化なら、趣味じゃなくても僕だって応援したかもしれない。だけど違うんだよ」
もう既にこの国の楽器は歴史に葬られた。起源も奪われた。何も残らない。歌ってはいけない歌ばかりが増えていく。子供の頃に親しんだ童謡さえ他国に権利を奪われて、自由に口ずさむのが罪になる。新しく与えられた歌詞は僕らの知らない物。他国を讃える歌に変えられていた。間違った歌詞を歌えば罪になる。それが著作権を侵害しているんだってさ。著作権は今では100年まで引き延ばされて、それが終わってからも新しいアーティストが権利を金で買う。歌から自由が奪われて、ちょっと口ずさむ子守歌にまで著作権を徴収に来る奴らがいる。派閥に入らなければ自由に歌も歌えないらしい。他の派閥の人間は馬鹿高い金を払わないと、異国の歌も歌えないのが今の世界なんだってさ。
「もうこの国には守る価値のある物も、者もいない。奴らに奪われるくらいなら、君たちに壊された方がまだ良いんじゃないかって思っただけだ」
「なんで、そんなこと……」
「だって君達は歌が好きなんだろ?それなら金のために歌ってる奴らより十分立派な歌姫だ。その背景がどんなものだって、少なくとも君たちは立派な歌姫だ。僕はそう思う」
フォルテの金色の髪に触れれば、彼は涙ぐんで目を逸らす。
「ウェルお兄ちゃん……」
背中から抱き付いてくるのはシュリー。僕に背を向けるのはフォルテ。シュリーの涙は僕の背中に染みこむが、フォルテのそれは頭振った彼の動作で誰にも拭われないまま床へと落ちた。僕と彼との距離がもう少し近かったなら、僕の手は届いただろうか?今更のように考えた。
「シュリー、下らないことやってる場合じゃねぇ!イベントが始まる!下に車が来てる頃だ!」
「うわ!大変!」
「ぼさっとしてんな!お前も来い!」
「え、面倒臭い。俺は段ボールの組み立てが」
「来ないと焼却処分する!俺様の権力でこの世の段ボールという名の段ボール全てを」
「それは困る。僕がここを追い出されたときのためにも段ボールは必要だ、よし、行こう」
すっくと立ち上がった僕にフォルテは首から引っ提げるケースに入ったカードキーを投げてくる。
「これ持ってろ。関係者としていろんな場所に行けるようになる」
受け取り損ねると、それを拾ったフォルテが俺に近付く。それを俺の首にかけ……彼は小さく囁いた。
(俺のことは良い。だけどシュリーが心配だ。見ててやってくれ)
(フォルテ?)
(俺はテレビの前じゃある程度行動制限されちまう。人形だからな。だから不測の事態にしてやれることも限られている。でもお前の力なら、その不測の事態を未然に防ぐことも……出来るんだろ?)
(やろうと思えば)
(じゃあ思え。いいな)
「兄さん?」
遅れる僕らを気遣ってシュリーが後ろを振り返る。
「ああ、今行く!お前もぼさっとすんなよ」
フォルテが僕の背中をばしっと叩いた。その力強さは、本の数時間前自殺を図った少女のそれとは思えない。あれは何かの演出とか演技だったんじゃないかと思ってしまうほど、声色まで少年のそれになっている。何が何だかわからないまま僕は頷き従った。
フォルテが死ぬなら一緒に死んであげること。シュリーを守ること。僕としたことが、こんな数時間の内に約束は二つになっていた。
*
「何そわそわしてるんだよ撫子」
「うぇえええ、だってだってだって大和ぉっ!」
仕事へ向かう途中だ。見つけて拾った車の中、めそめそと俺に抱き付いてくる俺の相方、撫子。長い黒髪、白い肌。大和撫子を体現したようなお淑やかそうな女の子。
しかし芯は強くなく、物凄く打たれ弱い。シャープペンシルの芯で例えるならこいつは6Bくらいの柔らかさ。それでも対する俺が6Hくらいでいれば二人揃ってHBにはなれるだろう。要するに俺と撫子はベストパートナーってことだ。
「だから悪かったって。ごめんな。転校初日の学校に顔出せなかったのは謝る」
俺達コンビは今全国ツアーの真っ最中。全国の学校を回って共に学生生活を共にし着実に足場を固め、ファンを増やしていくと言う計画を実行中だ。
「ううん、私の車も渋滞で遅れたから学校に顔出せなかったの。一人じゃ不安で……それで」
昨日は別番組の収録があった。本日初登校になる訪問先に、放課後だけ顔を出す事になっていたのだが……相方が泣いて俺に抱き付いて来たのだ。その頃にはもう次の仕事が迫ってきていてそっちはキャンセルになった。次の仕事は一緒だし、こうして拾ってやったんだけど……何かあったのだろうか?
「誰かに苛められたのか?」
「ううん、そうじゃなくて……学校入れなくて、引き返して、そこで同じ学校の制服の人見つけて」
「うん」
「それでその人毒のある雑草を食べようとしてたから止めたら……め、メールアドレスも知らないはずのその人から、メールが届いて!私、怖くてっ!」
「……ストーカー!?」
「そ、それにしては私に興味無いみたいで。私が誰かも知らないみたいで……晩飯の邪魔するなって……」
「このメールアドレス……これは酷いな。これフリーアドレスだ。おまけにそれだってちゃんと自分ので登録したか怪しいもんだ。そこら辺の相手の携帯奪って送信したとしか思えねぇ」
「え?どういうこと?」
「お前の携帯、ウイルス感染してるよ。もうOSいかれてやがる」
「えええええ!どうしよう大和ぉっ!あれってもしかして幽霊!?お化けっ!?怪奇現象!?見ちゃった!?私見ちゃった!?」
「いや、撫子は霊感無いだろ。ありそうな顔してるけど皆無だろ」
「え、これって呪いじゃないの?」
「呪いでOS逝かれて堪るか。そんなことより問題はお前のスケジュールがパーってことだぜ」
「ああああああ!そ、そうだ!どうしよう!!」
「俺と一緒の奴は別に良いんだけどな。お前だけの仕事もあるだろ?だからちゃんと普通に手帳も用意しろって言っただろ」
「ちゃんと携帯と手帳の両方に書いてたんだよ!唯、手帳落としちゃっただけで……」
「お前なぁ……ドジッ子じゃ済まされないっていい加減。お前もプロなんだからしっかりしような。な?今日の所は俺の携帯貸してやるからさっさとマネージャーに連絡して予定確認すること!」
「……はい」
でもそう言う話なら話は早い。そういうのは俺の得意分野だ。
「そいつの顔くらいは覚えてるだろ?」
「うん…」
「なら次に会ったら俺がとっちめる。それで話は終わりだ」
この機械音痴に携帯持たせることはだから俺も反対してたんだ。大抵俺が傍にいるんだから使わないだろ。そう思ったのにさ。別の仕事がやって来たからこれを機にとかって撫子に頼まれて。いや、俺とメールするのが楽しみだったとか夢だったとか言われたら俺だって断れないわけで。
(だからこそ犯人許せねぇっ!)
俺と撫子のメールライフを僅か三日にして壊してくれるとは!どう落とし前付けてくれるんだ!俺は名も知らぬ犯人に怒りが燃えた。絶対見つけ出してやる!
「大和?」
首を傾げて俺を覗き込んでくる相方は非常に可愛い。見た目だけなら絵に描いたような大和撫子なんだこいつは。いや、性格だって俺から見れば十分可愛いけどさ。
目を逸らしながら俺は彼女に包みを取り出した。
「それとこれ」
「え?」
「そろそろお前の誕生日だろ?今度は落とすなよ。手帳内蔵時計だ。容量、メモリも申し分ない。たっぷり仕事予定ぶっ込め。腕に付けてりゃ流石に落とさないだろ」
「大和!ありがとうっ!大好きっ!」
手作りの時計だが、思いの外喜んでくれたみたいだ。前に一緒に出掛けた先でこいつが見ていた時計。それを買って分解。中身をもっと実用的に作り替えた代物だ。超小型PC、劣化携帯と呼んでも良い位にはハイテクだ。いや劣化させなくても良かったんだけど、そうしないとこいつ壊しそうだと思って予め機能を制限して作っておいて正解だった。
「OSは俺の作ったオリジナルだ。そんじょそこらの奴には破れない。ネットには繋いでないからウイルスに冒されることもない。文章の打ち込みは出来るし赤外線で俺の時計と携帯とはやり取りできる。俺の携帯経由でならメールも出来る。新しい携帯買うまでこれで我慢しろ。何かあったら俺が代わりに聞いておいてやるから」
「うん、ありがとう大和……」
「撫子、気を抜くなよ。ここ最近の緊張感は何かある。何時仕掛けてくるか。いや、これだって何者かからの先手なのかも知れないんだ」
「俺達は、俺達の背負ってる物を忘れちゃならない」
「うん、解ってる。二人で頑張って……」
(この国を取り戻すんだよね、大和?)
(ああ)
盗聴があるかも知れない。迂闊なことは話せない。それでも視線で言いたいことが解り合える。共に目指す夢は同じだ。
この国から奪われた全てをここに取り戻す。目的のために手段は選ばない。今はどこぞの犬だの手先だなんだ呼ばれても、俺達には夢がある。愛する祖国のためならば、甘んじて汚名も受けよう。
(もうすぐだ……もう少しなんだ)
開戦の狼煙は間もなく上がる。その時まで如何に上手く立ち回るかが鍵。
それまで付き合ってやろうじゃないか。この下らないお人形ごっこにな。
*
僕、Илья・Снегурочкаには困った悩みがあった。
「ラズィー姉さん、カチューシャ、早く着替えて。仕事に遅れるますよ?」
「嫌」「嫌ったら嫌!」
雪の中から生まれたお姫様みたいだなんて形容されてる姉さん達も、その私生活知ってる僕からしたら悪魔みたいなものですよ。
もうすぐ仕事だって言うのに、まだ部屋着のままで二人揃ってそっぽ向く。もう本当にこの人達はどうしよう。
ローザ姉さんとエカテリーナ。二人とも性格は全然違うのに、困った共通点が一つある。
「イーリャ!私のことはローザ→リーズ→リゼットと呼びなさい!愛称ならばゼーシャ姉さんで良し!」
「イーリャ兄様、私はジゼル!愛称でゼーリャ!」
大人びた方の女の子がローザ姉さん。僕より年下に見えるのがエカテリーナ姉さん。でも設定上、エカテリーナ姉さんは僕らの妹と言うことになっている。オフの時から彼女を妹扱いする癖を付けていないと仕事の時にやらかしてしまう可能性もある。だから僕は常に彼女を妹と呼び、彼女は僕を兄と呼ぶ。この辺はちゃんと彼女もプロなんだけどさ……
「いや、カチューシャの方は元の名前が微塵にも残ってないんじゃない…?」
「死んだ男を思って一生暮らすより若い内に死んで、恋人が浮気したら殺しに来るような、それでも絆されて見逃してあげるような悲しくも可愛らしい女に私はなりたいのです兄様」
「そ……そうなんだーすごいなー。でもそれ余所で言っちゃ駄目だよ。愛国心も大事なんだし、立派な子じゃないか」
「立派なのは私と同じ名前の彼女ではなく、彼女の恋人です」
「ていうか別に死んでないんじゃない?あれは遠くにいる恋人を思う歌であって」
カチューシャはカチューシャでも別のカチューシャかこの子は。いや、あっちのカチューシャだって裁判には掛けられるけどこんな恐ろしい性格はしていないぞ。
戦争すなわち永遠の別れと決めつける僕の妹はどうかしている。
「あのねカチューシャ。僕らだって音楽戦争に参加している。それでもこうして僕らはちゃんと生きているじゃないか」
「兄さんは何も知らないから」
「え?」
「愛する人と離れ離れになることは女にとっては死と同等。それより辛いことだと私は思います。いえ、この子はそう言いたいのでは?」
「姉さん……」
カチューシャの言っていることの意味をやんわりと告げられて、僕は戸惑う。
「ああ!私もそんな風に思える殿方に出会いたいっ!そう!まるでそれはオデットとジークフリートのようにっ!…あら、これは駄目ですわ。来世にまた期待じゃありませんの。それじゃあフィガロとスザンナで」
「……ね、姉さん幾らタイトルに結婚が入ってるからって……」
僕の姉さんと妹は、バレエが大好きだ。踊るのが苦手な僕は歌の仕事の方が嬉しいんだけどな。だって白タイツって恥ずかしいよ。僕も思春期なわけだから、白タイツには抵抗あるよ。まだ僕も女装しろとか言われた方が衣装で隠せて有り難いよ。
そういうわけで僕は歌の仕事が大好きです。でも姉さん達はそうじゃないみたい。
妹の方はこの間演じた劇に随分と感銘を受けたみたいで今の名前を捨てそうな勢いだ。そんなことしたらファンの皆さんに申し訳が立たないじゃないかって言っても駄目だなこの子は。
(……はぁ。『カチューシャ』か『エカテリーナ』ってタイトルのバレエでも書いてあげるかな。作曲もして。それでこの子が好きそうな展開の奴で)
じゃなきゃ本当に改名しかねないこの子なら。溜息ながら視線を逸らし、その先で姉さんと目があった。リゼットってこっちはこっちで、この間演じた娘役に酔ってしまったらしく恋と結婚に憧れ出した。そりゃあ僕らはプライベートまで管理された生活しているんだから、そういう事柄とは縁遠い生活だよね。スキャンダル一つが国際情勢に関わるんだ。基本僕ら音楽に関わる人間は聖職者になって修道院入りした気分で仕事に臨まなければ痛い目を見る。
「何?イーリャ?」
「いや、姉さんまだ若いんだしそんなにガツガツしなくても」
「イーリャ!そこに座りなさい」
「はい」
「良いですか?女の一生は長く、そして短い!儚いものなのです!故に私は10代の内に結婚したい!タイムリミットまであと何年だと思っているのですか貴方は!」
「まだ四年、誕生日が来てもまだ三年あるじゃないですか」
「お黙りっ!四年も三年もあっという間です!こんな下らない会話に私を付き合わせて!もう何秒浪費したと思っているの?行き遅れたらどうしてくれるんです!責任取って貴方が娶ってくれるんですか!?」
姉さんが僕に座れって言ったのに姉さん酷い。
「でもほら姉さんだって人気あるじゃないですか!あっちこっちから姉さんを嫁にしたいっていう声も聞こえて……」
「お黙りなさいっ!私にも選ぶ権利という物があるのですよ!最低ラインがイーリャ!貴方です」
本当この人どうしようもなく面倒臭い。そういう中途半端なブラコン止めて下さいよ本当。もう少し僕を労って下さいよ本当に愛しているなら。
「私と結婚したくなければいい男の一人や二人姉のために見繕ってくるのです!いいですね!今日のイベントの終わりまでに連れてこなければ……ふふふふふふふふおほほほほほ」
「な、何をするんですか姉さんっ!?」
「貴方の部屋にある古今東西マトリョーシカコレクションの頭と胴体があっちこっち他のセットの人形と入れ代わります。あれを元通りにするのは並大抵の労力ではありませんよ!おほほほほっ!さぁ、イーリャ!働け!働くのです!この私のために!」
姉さんの高笑いに僕もいい加減げんなりしてくる。この二人の相手をしろってだけで僕は胃が痛いのに。もし僕が将来禿げたら姉さんとカチューシャの所為だ。
……とは言ってもだ。方向性の違いはどうしようもない。今回のツアーはそういうのじゃないんだから。二人ともプロならその辺腹をくくって欲しい。三強の一勢力がこれじゃあ三下相手にだって足下掬われる。ここはアウェイの土地だ。僕らに分があると思って掛かったらそれは絶対結果に響く。もういっそ丸めて二人揃えて脳味噌ゼリーコンビとか呼んじゃ駄目なんだろうか。駄目なんだろうね。そんなこと言ったらこっちがどうなることやら。
「あのさ、この仕事を終えたらバレエのツアーでも何でも組んでくれるって話だったじゃないですか。これも仕事だよ。頑張ろうよ、ね?カチューシャ、ラズィー姉さん!この国での仕事が終わったら新しいバレエのための衣装作り、僕も協力するからさ」
「……仕方ありませんね。此方に滞在中に良い感じの男性を何人か見つけてきてくれるだけで許してあげましょう」
「私にはこの国のバレエの本。それが無いなら題材として使えそうな伝承、童話の本を買ってきて下さい兄様」
おのれ。腐っても姉か。妹の皮を被った姉まで便乗して来た。姉弟ってどうしてこうなのさ!もし生まれ変われるなら僕は、今度は兄という生き物に生まれたい!そして妹や弟を扱き使ってやるんだから!奴隷のように!馬車馬のようにっ!ボロ雑巾のようにっっ!
「仕事までには帰ってくるんですよ」
「いってらっしゃい兄様」
「今行かせる気ですか!?」
「お行きなさい、馬車馬のように!」
「いってらしゃい、馬車馬の如く!」
姉さんが御者。カチューシャが馬車。そんでもって僕が馬だと彼女たちは言わんばかりの表情だ。泣いても、いいよね……僕。
*
「それにしても……これはいくら何でも」
今夜のイベントというのは些か酷い。
「合同ライブなんです」
シュリーは優しく微笑むけれど、これって……
「敵陣真っ直中の戦場じゃないか」
「ぶるってんのかよ。こう見えても俺とシュリーは三強楽団。この遠征にはるばる国境越えて旅してついて来てくれた信者も多いんだぜ?三分の一……までは行かないだろうがこの会場の五分の一は俺達のファンだと思ってくれて良い」
「なるほど。つまり五分の四は敵ってことか」
片足折れた男に護衛をやれだなんてまったく酷い話があったものだ。溜息ながら松葉杖と足に視線を落とす、その途中でシュリーと目が合った。
「あの、痛くないですか?」
「うん、まぁ痛いけど……その内治るよ。僕は運は悪いけど、身体は丈夫なんだか割とすぐ治るんだ」
「カルシウムをしっかり摂ってらっしゃるんですね」
「そういうことにしておいて」
丈夫な身体の所為で、何度自殺に失敗したか。死ねもせず痛いだけ痛いなんてまったくやってられないよ。
「まぁ、怪我人相手なら敵も油断するだろうさ。しっかりやれよ女中野郎」
フォルテは僕に素っ気ない。ビルの屋上で会った時はもう少し可愛げがあったような気がするのに。
「行くぞ、シュトラーセ」
「え?」
車から降りたフォルテは、道にいる得体の知れない怪しげな老人に声をかける。今時珍しい手回しオルガン。
「す、ストリートオルガン……」
初めて見た。おおと覗き込んで見ているとそれを操る初老の紳士がにたりと笑った。何故か本能的にこいつはやばいと思った。
「人攫いっぽくないあの人。敵じゃないの?」
「彼はライアー。ライアー=シュトラーセ。私達に仕えてくれている執事です。例のビルを調べてきてくれた人です。こう見えても有能ですしとても頼りになる人なんです」
「へ、へぇ……」
こう見えて、と前置きする辺り……シュリーも薄々そう思ってたんだね。
「遅かったじゃないかシュトラーセ」
「すみませんねぇ坊ちゃん。この国はよそ者に厳しい。職質に遭っていたらこんな時間になりました」
そりゃあされるわこんな怪しげなおっさん見かけたら。大体名前がライアーって。普通にそれ聞いてストリートオルガンの事だって思わないだろう。横文字に弱い警官がライヤーって聞き間違えたんだ。嘘吐きって名乗ったと思われたらそりゃあ交番に連れて行かれるよ。
「まぁ……それではやはりあの付近には敵の目もあったのですね。ライアーを通報したのもその者でしょう」
シュリーがそれっぽい考察をしているけれど、どこまで本当なんだか。
「さぁさ、お嬢様もお急ぎ下さい。護衛はこのライアーめが引き受けました」
「あ」
ガラガラと手押し車に双子を乗せて風のように去っていく老人は客観的に見ると人攫いだ。
「ストリートオルガンって何百万ってするんじゃなかったっけ……?」
あんな風に扱って良いんだろうか。瞬く間に遠離り見えなくなった三人に、僕はどうしたものかと頭を掻いた。
こんな足で歩き回らせるとはなんたる非道。
(でもまぁ……)
部屋を貸して貰ったんだ。面倒臭いが働かねばなるまい。約束もしてしまった。
とりあえず僕もカードを使って会場入りするか。そう思って歩き始めた時、肩を叩かれた。
「なんだよ、結局お前来てたの?お前誘った連中断られたってぼやいてたぜ?でもそっかーお前もか。解る解る。ツンデレって奴だな」
「……誰?」
「同じクラスの田中だろ!いい加減覚えろ!……つーかどしたのその足」
「折った」
「いや、まぁ……折れてるな」
「じゃ」
「いや、おい、待てよ。じゃ。じゃないだろ!会場入り口はそっちじゃないだろ」
「……バイト」
「は?」
「僕関係者だから。じゃ」
「は!?」
松葉杖と無事な片足ですたすたと歩き出した僕。遅れて全力疾走で追いかけてくるクラスメイトA(自称)。
「まだ何か用?クラスメイトAさん」
「いや、俺そんな名前じゃないから!覚える気が無いにも程があるだろ……ってそうじゃなくて!関係者ってマジかよ!?」
あまり詳しい話を言うのは面倒事に繋がりそうだ。適当に流しておくか。
「ここの掃除任されてるんだ」
「あ、このドームでバイトしてたのか。役得だなおい」
別に嘘は言っていない。曖昧に言っただけ。騙される方が悪い。
「あ、あのさ!本当頼むっ!出来たらで良いんだ!出来なくても責めないからっ!サイン貰って来てくれよ」
「誰の?」
「『folclore』の歌姫、二胡ちゃんのサイン貰ってきてっ!」
「誰それ」
「ちょっ、おま!二胡ちゃん知らねぇの!?にこちゃんっていう愛称も知らないの!?あのチャイナドレスのほら!スリット生足美人の子だよ!!」
「だってあのグループ沢山居過ぎて何が何だか誰が誰だか」
「よく真ん中にいる子だよ!人気投票で一番人気の!」
そんなこと言われても。女の子って一定人数集まるとみんな同じ顔に見える生き物じゃないか。メイクとかそんなに変わらないし。僕の記憶に残りたかったら顔面ペインティングでもしてきて貰わないと。赤とか青とか目立つ色の。
「面倒臭いからパス」
安請け合いは基本的にはあんまりしない。それでなくとも今日は約束を二つもしてしまった。これ以上の面倒事は御免だと、僕は関係者入り口へと急ぐ。鈴木だか佐藤だか渡辺だかは僕に追い縋って来たけど、まもなく引き剥がされるだろう。
入り口まで行くと、警備員達人だかりが出来ている。何事だろうかと覗き込むと、怒っている少年が居た。
「偽のカードキーを持って来る以上、本人とは認められん」
「だから、これは手違いで……他の何かっ……音声、指紋照合でも何でもやりますから通して下さい!早く行かないと時間に間に合わなくなる!そうなって困るのはあなた方なんですよ?!僕は子供ですが歴とした外交カードの一枚なんです!」
雪みたいに綺麗に光るプラチナブロンドのその子は僕より年下だ。14,5くらいだろうか。それにしてはしっかりとした口調で話している。
「おい、あれって『Тро́йка』のイリヤじゃないのか?」
「すみません、僕も仕事なんで通して貰えますか?」
壁にカードキーを叩き付けると扉が開いた。その隙に少年が扉の中へと飛び込んだ。それに続こうとした高橋だか山本だかが今度は警備員に取り押さえられていた。当然僕も文句を言われたが、僕のカードに警備員はすごすごと下がっていった。
「じゃあね山下」
「田中だって言ってんだろ!?」
クラスメイトに手を振りながら、僕も会場入り。しばらく歩くと僕を待っていたのか先程の少年が居た。
「さっきはありがとうございました」
「別に。僕も仕事があっただけだしちゃんと警備できなかった人が悪い。僕も君も悪くない。君を取り押さえるのは別に僕の仕事じゃないし、面倒臭い」
「あの人達みたいに僕が偽者だとか思わないんですか?」
「仮にそうだとしてもそれは僕の仕事じゃない」
流暢な言葉遣い。あの双子同様、この子が本物だって証拠だ。少なくともこの子はこの国の土俵に立って来ている。
ていうか僕、二カ国語しか無理。おまけに読めても母国語以外は話せない。知ってる言葉じゃなかったら声をかけられても無視していただろう。それでも異国語覚える手間までかけて面倒臭いながら話しかけてきてくれたんだ。労力は買うよ。
「じゃ、僕はこれで」
松葉杖をついて歩き出した僕の後ろでさっきの少年が何やら話しかけられているようだ。
「あら、遅かったじゃないですかイーリャ」
警備員かと振り向けばそうじゃない。彼に似た雰囲気の女の子が二人いた。背が高いのと小さいの。二人とも軍服だ。あれが三強の一角か。
「ラズィー姉さん……なんなのさこれ。姉さんがくれたカードキー!通して貰えなくて大変だったんですけどっ!」
「あら、私としたことが。ポイントカードと間違えていました」
「姉さん……わざと?僕はてっきり何者かにすられて別の物と変えられたのかと……こんな手の込んだことして……」
「読めない貴方が悪いのですイーリャ。男性は修羅場をかいくぐってこそたくましく成長するのではないかと言う姉心、痛み入りましたか?」
「痛み入る通り越して痛いです。大体姉さんだって読めるけど書けないじゃないですか!」
「あら、だって嫌がらせのように文字が沢山あるではありませんの。あれ全部覚えろと言うのは酷な話。この国の人々だって常用漢字以外は書けないそうではないですか。読めれば十分です」
何やら言いくるめられている。特別助ける義理もないか。あれが向こうの家族というものの会話なのかも知れない。
これ以上向こうに構ってもいられない。僕はヘッドフォンを装着し、外部音と遮断する。それと同時に携帯電話を弄り、この建物内のハッキングを開始。あの二人を狙う奴がいないかを確かめる。
「兄様、ジュース買って来てくれた?それじゃあコップに注いでくださらない?」
「はいはい、わかったよカチューシャ」
「まぁ!姉妹差別ですの?カチューシャにあって私に土産が無いんですか!?良さそうな男は見つかったんです?優しくて豊かでそれでいて夜は」
「金持ちかどうかは知りませんけど、親切な人ならいましたよ」
「まぁ、何処に!?」
「あの人」
外部音の遮断とは言っても、完全には防げない。だからそれはうっすら僕の耳へと届く。
何か白羽の矢が飛んで来た。逃げなければならない気がする。これ以上の厄介事は御免だ。
僕は松葉杖で跳ねた。後は全力で走る。何も聞こえない。音楽でノリノリになって何も聞こえないけどテンション上がって走っている。そんな人間を演じるため、適当に頭を振り乱しながら僕は駆けた。当然前など見えない。結果として何度目かの角を曲がったとき、向こうから来た人にぶつかる。
「悪い、大丈夫か?」
僕が怪我人だと気付いたその人は僕を起こしてくれた。が、ちょっと怒ったような顔つきでちゃんと注意もする。
「よくわからんがあんまりバックヤードではしゃぐな。怪我人にしてはなかなか見事なヘドバンだったが……」
見かけはチャラチャラした兄ちゃんだけど意外と真面目そうな目をしていた。僕が内心感心していると、その兄ちゃんは何事かに思い至ったかのように手を打った。
「お前その鞄からはみ出てるの色紙だな。俺のファンか」
「え?」
ていうか誰?とか言ったら流石にあれか。今日はその言葉で怒りを買ったことを思い出す。
でも僕何時色紙なんか鞄に入れた?さてはあの村上だかが僕の鞄に潜り込ませたな。それにしてもこの人目敏いな。
「最近忙しくてファンサービスもままならねぇ。俺の関心を引き付けるためにインパクトある行動をしたってわけか。気持ちは解るが他の人にぶつかったら迷惑だろ?ほら、サインはくれてやるからもうこんなこと止めるんだ。いいな?」
「え、あ、はい」
「よし!解ればいい」
軽く手を振って、ギターケースを抱えた兄ちゃんは消えていった。残された色紙には何やら荒々しい文字が刻まれている。
「……読めない」
何語、これ?あの人この国の言葉べらべら喋ってたけど髪の色はこの国のじゃないし。染めてた?地毛?よくわからない。
このサインにしたって文字と言うより象形文字だ。ていうか絵だ。
(フォークロアの子のサインって事にしてに藤原に渡しておくか)
いや、そもそも僕鈴木の顔覚えてないや。渡せないかもなこれ。第一もう、あの学校行かないと思うし。
とりあえず貰った物だ。捨てたら悪いかもしれない。鞄にそれをしまい込み、僕は階段を上る。ステージが見える場所に行きたい。機械室、放送室が見える場所が良い。ステージをよく見渡せる場所。怪しい場所を巡って、仕掛けを施していく。
今日のイベントは、歌の祭典なんちゃらライブとかで内外問わずそれぞれの派閥が集まるような思惑渦巻くイベントだ。
フォルテの心を抉り、シュリーの部屋を盗撮した奴。絶対ここにも現れる。他国への遠征は危険が伴う。アウェイでの戦闘。護衛全てを連れて行くことが出来ないから隙が生まれる。敵の勢力はそれぞれ、お飾りである歌歌い達を始末したいと思っている。また新しい駒を育てる時間はない。だから絶対に失ってはならない人形。それに害為せば、他国での地位や富を約束されるとも言える。
だからあの子達の命を狙うのは、何も他の音楽家の狂信者達だけではない。金目当て、後ろ盾欲しさにそういうことをする連中だっていないわけじゃない。
そう言う奴は、歌に魅せられていない奴に多いと思う。それなら僕なんか二人に疑われて当然だ。
(それでもフォルテとシュリーは、僕を抱え込んだ)
約束をした。だから守らなければならない。
決意も新たに僕は僕の仕事の進み具合を確かめる。僕が陣取った場所は何、唯の医務室だ。具合が悪い振りをしてベッドを借りてカーテンを閉める。よもや敵も敵がこんなにごろごろ寛いでいるとは思うまい。だってこんな所にいたら護衛も糞もあるか。助けに行くのに時間が掛かる。だからこそこんな所にいるとは思わない。それでも約束した以上、二人のことはちゃんと守る。
僕の携帯電話はほぼPC。どうせ話す相手も話したい相手もいない。電話機能を取り除き、その分色々詰め込んで超小型PCとして改造した。監視カメラの情報をこの携帯で見ているが、小さい画面では足りない。いつか何かの役に立つかもと作っていた、昼寝用のサングラス型モニターを改造し作ったコンタクトレンズ型モニターを起動。それを複眼モードに切り換えて、監視カメラを掌握。
怪しい人物がいればすぐに解る。あの二人を見張るカメラ。あの二人を撃ち殺せる距離にあるカメラ、舞台照明に攻撃を仕掛けられる位置のカメラ。僕の仕掛けた仕掛けを見張るために僕が取り付けたカメラ。仕掛けをするときは監視カメラを切り換えて僕の姿は映らないように弄っておいた。何の問題もない。ああ、そうそう。後は万が一あのオルガン爺が敵だったときのことも考えて、その注意も怠らない。
(敵には僕みたいなタイプの奴がいないのかな、少なくとも遠征には来ていない?)
世界レベルのハッカーが出てきたら僕だって楽に仕事は出来ない。僕の存在がバレてしまえば余所からもそういう連中が出てくる。あくまで僕は目立たず気付かれないようにしないと。いや、それを言うならあの貸家の仕掛けを壊した時点でバレてるか。参ったな。僕がそれを思い出したとき、ヘッドフォンから警告音。
(来た、か)
僕以外の侵入経路を見つけた。中々やる。でも僕が変えたパスワードはまだわからないらしい。破られるのも時間の問題。でもこのアドレスは携帯だ。なら、携帯からじゃ簡単には打ち込めない文字の羅列にしてしまおう。よし、やった!逃げたか。
額の汗を拭い、僕はほっと息を吐く。
詰まるところあれだ。僕は運が悪いが運が良い。全ての幸運をこのハッキングに費やしてしまっているのではないかというくらいこの道とは相性が良い。それ以外のことは本当に駄目だ。ろくでもない人生だ。唯一無二のろくでもない特技を必要とされたんだ。
(面倒臭いけど、負けるわけにはいかないんだ)
「……って、あれ?このアドレス……」
侵入を諦めた者のアドレスは見覚えがあった。
*
「くそっ!やられたっ!」
俺の携帯は撫子に貸している。俺の手元にあるのは撫子の携帯。
ちょっと弄って直せば会場の警備の確認をするくらいは出来ると思った。だけど……
(先客が居るなんて聞いてない!)
撫子の携帯は当然普通の携帯だ。パスワードで普通に打ち込もうとして打ち込めない記号や文字がある。ならそれはネットに繋いでコピペでもして来た方が早い。だけど時間が掛かる!解析は出来てたのに!でもこれを越えてもまたそれの繰り返しだろどうせ。こっちの足下見られてる。
「大和?そろそろスタンバイだって」
「くそっ……時間切れか」
仕方ないので腹いせに罵詈雑言を打ち込んで送信。
「うわっ!」
「きゃああああ!」
俺と一緒に画面を覗き込んでいた撫子も悲鳴を上げる。抱き付かれた。ちょっと嬉し……がってる場合じゃないだろ!
「あ、悪趣味」
「や、やっぱり呪いなんだよこれぇえええ!」
画面に映し出されたのは精神ブラクラ。如何にもな心霊写真とグロ画像。携帯からはお経とうめき声の音声サービス。撫子じゃないがこれは心霊現象だと逃げたくもなる。
「最近の幽霊はこんなハイテクなのかよ」
「大和、もしかして?本物……?」
「これは違う。でも……勘だ」
「巫女さんの勘?」
「まぁな」
恥ずかしいが俺の実家は神社。言うなれば俺は巫女だ。そういう属性は撫子だったら似合うのに、撫子は普通の庶民の娘だ。俺なんかが巫女服着てても誰得だって話。野郎の制服着てた方がよっぽどウケが良い。
「……ちょっと妖気がしたんだよ。どこの陣営の奴か知らないけど、これだけ人種坩堝な音楽パーティ。そういうのが紛れ込んでも不思議じゃない」
「ひぃいいい!嫌だ、怖がらせないでよ!」
撫子は涙目だ。可愛い。俺のささくれた心が幾分か癒された。
「とりあえず気を引き締めていこうぜ。雑草ハッカーにオカルトハッカー少なくとも二人は得体の知れない敵がいる」
「……うん」
「撫子、お前に何かあったら大事だ。俺から離れるな、いいな?」
「解った、大和。……大和?」
「い、いや、何でもない」
ぎゅっと腕にしがみついてくる相方は本当に可愛い。ああ、もうくそっ!どうしてくれよう!嫁に来いっって叫びたいくらいの可愛らしさだ。
(……にしても)
ステージへの道すがら、俺は考える。
(あんな妖気、この国じゃ感じたことがない)
外来産の幽霊か?いやもっとあれはおどろおどろしい。“悪魔”だなんて可愛らしいもんじゃねぇのは確かだ。
「……本当だ、大和。ここの会場何か悪い噂でもあるのかも」
「え?」
撫子が指差す方向。壁にお札が貼られていた。しかも割と古びた歴史を感じさせるような……
「迂闊に触るなよ撫子。害があるようなものなら俺が、出演終わってから始末する」
「今は時間がないもんね。解った」
*
“でもカタストロ様、今度はどんな人間に転生なさってるのかな”
“契約でも出来たら魂ゲットでいきなり下克上出来るのに、居場所が掴めないとなると痛いったらないわ”
“イストなら知ってるんじゃない?”
“トリア?あははははは!冗談じゃないわ!この前遊びに行ったら夕飯にタワシ出されたわよ。どっかの世界で見た食べ物だって”
“食べたの?”
“カレーは偉大よ。あれにこそ魔力の宿ったものだわ!あれかければ大抵のもの食えるもの!”
“それはティモが激辛好き過ぎて味覚おかしくなってるだけじゃないのかな。タワシ食べる痛さと香辛料の辛さの痛さで痛覚麻痺みたいな。僕は甘口じゃないのをカレーとは認めないんだからね”
本の中に閉じこめたわけではないけれど、場面転換で他の領地の様子が映るのは、これが第二領主に関係する物語だからだろう。全く本の中の第二領主が羨ましい!ハッキングですって!?私なんか使い魔を領地の外に出すことも出来ないのに!眷属達だって離れ離れの子多いのに!
(今に見てらっしゃい!)
この仮はいずれ返してやるわ。とりあえず本に映る同僚二人のことで、私は夕飯を運んできた使い魔に向かって微笑んだ。
「使い魔、この間第五領主に出したご馳走、好評だったみたいよ?今度からモリアにはあれでいいわ。第四領主には激辛を。まぁ、彼は滅多なことではうちに遊びに来ないでしょうけど来たらそうしてあげなさい。この私に観察されているとも知らずに自ら弱点をさらけ出すなんてまだまだお子様ねあの子達は」
「畏まりました。ご友人、同僚に対しても鬼畜でいらっしゃるとはさすがはお嬢様」
「そりゃあ私も悪魔だもの。当然よ。ていうか今日はカレーなのね」
「はい。俺も本の展開が気になりましたので凝った料理をする気になれず」
「私にまでタワシ出したら殺すわよ」
「お嬢様、失礼します」
「何?空気の入れ換え?」
「どっせぇえええええええええええええええええい!!!!」
「あ!今あんたタワシ投げたでしょ!?服の袖から投げたでしょ!!最低っ!やる気だったわね!!」
悪魔視点→本の中の物語(何度か視点変わる)→悪魔視点。
これがこの話の各話構成になります。
手回しオルガンって素敵ですよね。でも値段調べて凄い驚いた。高いんだなぁ……