26:海中のムジカ
新興国“七月王国”は、何処も彼処も人工的な印象が漂っていた。自然の中にある異物。一際異彩を放つのが、七月島。
海を観光資源とした他の島とは異なり、高層ビルが立ち並ぶ。王城や政治機関が置かれているのもこの島だと言うが。
「産業っつーよりあれだな。本当に情報街、情報都市だ」
黒烏の言葉は的を射ている。この島に限って言えば、陸上はメディア関係施設ばかりで見るべき観光スポットもない。土産屋や飲食店すらまばら。この島は、稼ぐための島じゃない。
「でも、観光以外で稼げる宛があるんだろ。“情報”と、“海底資源”」
海上・海中都市。彼らはビルを高くするのと同時に、人工的に陸地を広げ水中へも建築を行っている。水中ホテルに水族館、島々を海中で結ぶ海中道路――……それから。
彼らが海中開発を行う理由は“海底資源”。七月王国付近では海底資源が豊富である。その“情報”をいち早く掴んだ“情報王ティティアーノ”……後の初代七月王が、情報を握り潰して目を光らせていた。まったく、幸運な男だ。そんな場所に島が誕生するなんて。
「……さぁてな。その辺はウェルの方が詳しいだろう。後で聞いてみな」
黒烏が適当な口ぶりで、僕へと面倒ごとを放り投げて来る。この国は、僕にとって苦い思い出が二つもあるというのに。
「この国のセキュリティは僕も破れない。……今なら少しは探れるかもしれないけど」
バックにBarockと969メイカーがいるのなら、怖い物はない。権力者の傍に居るなら、名前も住所も、僕のちっぽけな真実など意味をなさない。捨て身で探ってみたなら、情報の一つや二つは得られる気はする。だが、……どうだろう。敵も進化し続ける。
(“田中 畑男”)
田中あの野郎……なんて適当な偽名か。田んぼなのか畑なのかはっきりしたらどうなのか。嗚呼、あんな人を馬鹿にした奴に、僕は敗れた。あいつはX-Trionに。この七月王国に雇われたホワイトハッカー。いいや、白魔術師とでも言うべきか。
X-Trionに入れ込んだ父と、男歌手に惚れ込んだ母。どちらも七月王国出身の“歌姫”だ。歌姫にのめり込み、変わってしまった二人に“お前達の焦がれる存在も、所詮ただの人間なのだ”と思い知らせたかった。腹いせに奴らの醜聞を手に入れてばらまいてやろうと思った。そんな感情があったなんて、数年前の僕はまだ愛らしかったじゃないか。
(そうして僕は――……)
家族を壊す最後の一押しをしてしまった。恨みの記憶を持ち出せば、今すぐ島中に火を付けて回りたい位には憎んでいるが……僕自身の感情よりも、僕には優先すべき約束があった。
「当代の王の名前くらいなら前に調べた。彼は、――……」
以前入手した情報が、それ一つ。それ一つのために、僕の個人情報全てが彼方に握られた。それから僕は住み処も名前も変えることになる。
両親は名を変えた後も目は覚めず、再びファンクラブ入りした救いようのない存在。僕はと言えば……示談金を肩代わりした国への恩で、将来はお国のために働く白魔術師になることを義務付けられていた。
そんな僕が、国を逃げ出したなんて今更面白く思える。息が詰まっていたのは僕も同じだ。フォルテに出会った時、僕は救われたのだと思う。鳥籠の生から逃げ出す道連れを得られた幸福。
真実なんて何一つ持たない僕が、死の淵で出会った双子。フォルテと死にたいと思った。シュリーと生きたいと思った。生きるために、死ぬために。僕は二人を守りたい。こんな幸せ、僕はこれまで知りもしなかった。嫌いだった歌が、音楽が――……二人に触れてかけがえのない物へと変化する。歌う彼らの姿を、旋律を“美しい”と感じ始めた。それは彼ら以外の“歌姫”達も。
「“サブマリオン”」
とっておきの機密を聞いても、歌姫達は僕の力と安直な王の名に感心するだけだ。何も力をひけらかすために教えたのではない。信頼のつもりだったのに、彼らには上手く伝わっていない風である。
「へぇ、そのまんま“海底王”なんだな二代目は。――……結構な年だろうし、もうそろそろ代替わりしそうなもんだな。だが……全くと言って良い程情報が出て来ないのは流石の情報国家だぜ」
情報の重要性を知る七月王国は、秘密主義。即位後も二代目の名前もわからなかった。なんならいつ代替わりしたかさえ明かされず、王の家族構成だってはっきりしない。二代目が本当の子供なのかも定かではなく、二代目に何人の妻子がいるかも明かされていない。
それでもまもなく建国百周年。三代目が現れてもおかしくない時期。
情報で建国したのが初代国王、海の開発を行ったのが現在の二代目国王。ならば次の王は何を企む?
「案外、もう三代目が暗躍してるのかもな。“さしずめ“音楽王”か?」
「……そうかもしれません。音楽戦争始めたのが彼らなのだから。僕なら“戦争王”と名付けたいですが」
「はっ。そんな奴……“侵略者”で十分だ」
フォルテとシュリーの命名に、窶れた表情の大和が便乗をする。血気盛んな彼女も敵の潜伏地を前に危機感を感じていたが、瞳に宿った憎しみは……ゆらゆら炎のように広がっていた。
「あんまり騒ぐなよ、タケ子……前回みてーに大暴れしたなら海の藻屑だ」
「誰が竹子だ!」
黒烏から命名された偽名に大和は険しい顔になる。
「パスポートはミコトになってるんだからそっちで呼べよ」
大和と黒烏のじゃれ合いに、フォルテが大人びた態度で仲裁を図った。タケ子もミコトも同じ英雄に由来する。歌姫として名の知られている彼らは、入国のため一手間掛け、全員が偽名を用意していた。
「……ここ、だな」
リードに指定されたのは、海沿いに面したホテル。本館は国内最大の観光地である九月島にあり、此方は比較的安価な別館。海中通路で本館へ向かうことも可能。賓客をもてなしながら、仕事を行う部下達の宿泊施設と言ったところか。
この別館は地上部分は不思議と低く、フロント横のエレベーターは地下へ地下へと続いている。
僕らは偽の身分証で変装していた。シュリーの目立つ髪色はウィッグで隠したし、歌姫である双子はどちらも男装させている。常に男装の大和だけが女の姿故のタケ子もといミコトである。
後日明るみに出ても一番傷が浅く済むようにということで、何故か黒烏と僕がカップル、大和が僕の妹、フォルテ達が僕らの養子という設定だ。各方面への配慮、敵対を回避するため黒烏が提案した話。まず自分が身を切り、自身を生贄に出来る男だから周りは付いてくるのだなと理解した。納得は出来ないが。
「楽しみだな、ハニー? 海中ホテルだろうと、お前の瞳を見ていると……俺の海底火山は噴火寸前だ」
「その火山、標高低くありません?」
「触ってみるか? 是非今晩その目でたっぷり確かめてくれ」
フロントの人間が顔を引きつらせ、笑いを堪えている。耐えるとは実にプロだな。
僕と彼がカップルというのは無理がある気がするが、僕や黒烏が女装するより現実的ではあるのだろう。黒烏の堂々とした態度のおかげで、受付にも怪しまれずに済みそうだ。
「兄さん達……最っ低」
「もう! パパ達こんな昼間から盛るなよ!!」
「折角の旅行なのに、五月蠅かったら困るし二部屋取ってよ」
「ははは! 無茶言うなよ。他の島より安かったから何とか部屋が取れたんだ。明日は海底道路で観光に行こう!」
とまぁ、このように。プロ意識の高いホテルマンは、複雑な家庭事情とプライバシーの保護に努めてくれるはず。
「むぅ……どーせあれでしょ! そういう場なんでしょここ! 俺知ってるんだから! ハッテンバって言うんだろ!? パパ達、そういう筋の人から聞いて来たんだろ!」
「こ、こら! すみませんうちの子供が」
「い、いえ! ……」
ここで笑いを取っていても利点はない。余計に印象に残れば、如何にプロでも同僚に口が滑らせる。今だって十分怪しい。フロントマンはそろそろ顔の筋肉が辛そうだ。仕方ない。僕は黒烏の手に指を絡ませ、……ギリギリフロントマンに聞こえるくらいの声で囁く。聴力の低下した彼へも聞こえるように、その耳元に唇を近づけながら。
「……そろそろ、部屋に行きたいな」
調子に乗っていた癖に、思いの他初心なのか。黒烏が真っ赤になって狼狽える。……少しは“らしく”演出出来ただろうか?
「あ、あ、……ああ! そ、そそそうだな!」
「あーあ、これは今日はパパがパパにやられるバターンだね」
「どっちのパパ?」
「こ、コラお前達! ひ、人前だぞ!!」
「パパだってさっき、俺の股間がヴォルケーノとか言ってましたー! ね? 言ってたよな?」
「うん、言ってた言ってた!」
「お客様方、あまり通路で騒がれませんように。お部屋は此方になります」
ごくごく自然な流れで現れたのは、従業員に扮したメイド姿のリードである。こうしていると、彼は本当に性別不明に見える。……というより、声や顔……雰囲気までが全くの別人だ。部屋で正体を明かされるまで、フォルテ以外の誰も気付かなかった。
「本当に仕事が出来るんだな、あんた。ここに一朝一夕で潜り込めるなんて」
「容易ですよ、元々いた方にその場を譲って頂いただけですからね」
本物を殺したか何処かに監禁しているのか。本物の情報を調べ上げ、成り代わる。万が一ボロが出た場合のため、口裏を合わせるため数名仲間を潜り込ませているそうだ。
「やっぱりウェルと大和がやった方が良かったんじゃないのか……」
片手で顔を覆った黒烏が心底疲れた顔で僕らに言った。
「馬鹿言うな。あんたが言い出したんだろう。大体その時は黒烏は何になるんだよ?」
「何だろうな、消えちまいてぇよ俺は」
「そんな泣かなくても」
「お前は何でそんなに平然としてやがるんですかねぇ!?」
「責任取ってやれよ、ウェル」
したり顔で頷くフォルテと大和。シュリーだけが僕と黒烏を交互に見比べ慌てていた。
「だ、駄目です! そ、そんなっ――……主がお許しになりません!」
顔を真っ赤にして泣き出すシュリーに、誰もが思う。「いや、異性装の歌姫だって世が世なら大罪なのでは」と。
「まぁ、前時代的だけど。シュリーの所属してる側は、そういう所未だに厳しいんだ。あんまり刺激が強い交流は控えろよクロウ、ウェル」
「やらねーからっ!! 俺は刑務所でも尻を守護しきった鉄壁要塞だぞ!?」
「攻撃は最大の防御ってことか……やるなお前」
「ああもう! 俺をからかって楽しいのか!!」
黒烏が絡むとフォルテはやけに活き活きとする。僕の前でもあんな風に、悪ガキのように笑ったりしないのに。前に感じたものと同じ、奇妙な寂しさが胸に生じる。自身の変化を興味深いなと楽しみながら僕は二人を見守っていたが――……毛布を被ってクローゼットに籠城を決め込んだシュリーに気付き、其方へ向かった。
「シュリー、作戦会議が始まるから出ておいで」
「あと、五分……待ってください」
「あれは誤解だし、僕は気にしていないから」
非力だな。こんな子が銃を扱っていたのか。こじ開けたクローゼットの内側には、涙と汗で顔を真っ赤にしたシュリー。茹で蛸のように赤く可愛らしい。これ以上赤くなったりするのかな。あの時のように近付いたなら、シュリーはどんな顔をする? どんな“味”が――……。
「何やってんだウェル」
「痛い」
シュリーを引きずり出すでもなく、その細い手首を掴んだまま固まる僕を、背後からフォルテが蹴飛ばした。皆の方を振り向くと、リードからも鋭い視線を向けられていた。
「あまり猶予はありません。早く此方へどうぞ」
*
「七月王国で、一度大規模なテロ事件がありました」
「僕が仕事で入国した時ですね」
「はい。私の妹はその時に死んだはずでした」
リードとシュリーが不仲となった原因の事件。死亡したはずのバレルは、RAnkabutに救われ生き延びていた。
「RAnkabutはあの場で、ベゼルの頭部を回収しました。他国の最新技術が狙いでしょう」
「RAnkabutが七月王国と協力関係にあるのは事実か?」
「……はい」
RAnkabutに属していたリードの口から肯定される真実。リードの言葉は信用しつつも、フォルテは納得できない様子。
「そうか。だがRAnkabutは音楽を……歌姫を憎んでいる。X-Trionを使い音楽戦争を始めた七月王国と手を結ぶなんてあり得るのか?」
「そうですね、私も深いところまでは教えられていませんが……互いに利用し合っている関係でしょう。全てが終われば、彼ら同士が真の勝者を決める戦いを始めるのかと」
RAnkabutは七月王に忠誠を誓ってはいない。最も勝者に近い存在だから手を貸しているだけなのか。
「見た感じだとこの国に信仰なんてなさそうだ。世界を手中に収めれば、音楽なんて歌姫なんて捨てちまうかもな」
X-Trionはそこまで解って踊っているのかと、敵の心配を始める黒烏。解っていませんよと返すのは意外にもシュリー。
「頂点を取った歌姫は。真の偶像は、先のことなど知りません。今が全てなんですよ、輝かしいこの時が――……永遠に続くと思ってる。いいえ、幸せだからいつ死んでも良いと思っている。転落して惨めな姿になる前に、美しいまま死にたいと」
Barockの頂点に立つまでに、そんな惨めな歌姫を大勢見たとシュリーが嘆く。愛らしく美しい歌姫に、未来などない。
勝ち続け世界を時代を進ませて。向かう未来に自分の居場所が命がなくなってしまっても。歌い続けることを止められない。数多の人に愛される幸福を手放せない、忘れられないのだ。
「クラヴィーア、あんた歌姫なのに歌が嫌いなんだな。愛されることを嫌悪している?」
「僕にとっての歌は祈りですから。僕が背負うは信仰。信仰による守護です」
「歌は呼吸で会話だと思うけどな、俺は。人って生き物は生きてりゃ嘘を抱え込む。言えないことも歌に乗せれば伝えられることもある。……最初から対話を拒むのはなんか、あんまりロックじゃないと思うぜ」
愛されるべきは歌姫ではなく、歌姫を通じて天を崇める。バロックの歌姫はそのための装置なのだとシュリーは解釈していた。
対する黒烏は、歌はごく当たり前のことだと指摘する。歌は与える物でも与えられる物でもない。互いに伝え語らうものであるのだと。
「共闘に際し相互理解も結構だが、時間がないんだろ。さっさと話を進めてくれ。打つ手なしだってのなら……俺の命はBarockに預けた。死んで道を開けって言うなら俺はやる」
「大和さん……そんなこと、言わないでください」
大和は死にたがっている。撫子を誰かに渡すくらいなら、そんな思いに囚われて自爆特攻も辞さない勢い。救出と脱出の難しさを思い知り、救うことが目的でなくなっている。愛する人と共に死にたいと、暗い願いを抱え始めた。シュリーの慈愛も彼女に届きはしていない。
「リード、何か方法はないか」
フォルテの言葉にリードが頷く。勿論用意しておりますと。
「彼らがベゼルの解析をはじめた時が、最初で最後の好機です。彼は七月諸島をハックするウイルスとなるつもりです。彼は自壊の前に、私に今後の作戦を知らせてくれました」
狙撃箇所から敵を撃たず、息を潜め続けた理由。それはベゼルからの遺言……いいや、伝言だった。
「ウェルメイド、これが鍵だ。奴が乗っ取った後、お前が鍵でアクセスし……島を乗っ取れ」
「…………解った」
リードが僕へと突きつけた携帯端末……画面に浮かぶパスワードを自身の端末に保存する。
「よし。それじゃ、リベンジと行こうぜ!」
その場をまとめた黒烏の声に、僕らはみんな……頷いた。
伏線ちょっとばらまきながら他のネタで誤魔化した回。主人公の過去が少し出て来ました。
そんなからっぽの主人公ですがフォルテとクロウの仲に嫉妬したり、シュリーにデレデレしたり、情緒が芽生えてきました。やったね。




