15:水底のバロック
「第二公は、馬鹿よね」
「と申しますと? 」
「何よ使い魔、わからないの? 」
これで何度かの茶を啜り、私は彼を呆れ見る。
「私達に世界は狭く、人は小さく脆過ぎる。三下ならそうね、人間の一匹二匹で済むかも知れない。だけど私も彼も魔王よ? 例えどんなに心優しい悪魔でも、世界を滅ぼさずにはいられない」
抱き締めようとしたならば、そこには何も残らない。私達は求める者。諦めず執念深く、何億何万年だって耐え得る魂を持つ者。いつか滅ぶまで、望む者を求め続け貪り続けるだけの存在。第二領主カタストロフ。何もいらないような顔して、咽から手が出るほど欲しいものがある男。
「誰も愛さなかった彼が、もし人間を愛したらどうなると思う使い魔? ええ、そうよ。何も変わらない」
観客側からわざわざ舞台に上がるなんて酔狂ね。追体験よりも面倒臭いことをあなたはしようとしているの。
「愛しても駄目。愛さなくても駄目。バランスを崩せば全ては滅びる。最初から、そこにあってはならなかったの」
心や思いに意味など無い。同じ結果が広がるならば。
「苦しめている元凶が全部忘れてのうのうと、哀れんだりしてるのよ? 」
まだ悪意を隠さない私達の方が可愛らしいと思わない? 問われた男が言葉に詰まる。
「……お嬢様」
「自身の安寧のために惰眠を貪る彼も、やはり魔王でしかない。彼がそこに居る以上、全ては意味の無い茶番なのだわ。ねぇ使い魔。気持ち悪いと思わない? 」
第二公がやっていることは、第三公アムニシアと大差ない。起きているか寝ているかの違いくらいなものかしら。
あの女は永遠を作ろうとし、彼は美しいものを求める。そのためなら誰が傷付こうと泣こうとこれっぽっちも困らない。夢の最中の彼がどうかは知らないわ。それでも美しい夢を見たいって、他の世界に出かけたのだもの。醜悪な全ては、その何処かにあるかもしれない宝物をより美しく見せるために必要なこと。あの捻くれ男、お綺麗で美しいだけの世界に旅立ったって、美しいものなんか見つけられやしないのよ。だってあの男は、人間……他者、自身の心もまるでわかっちゃいないから。
「まったく、業深き生き物よ。我々悪魔というものは」
*
真っ暗な世界に、明かりが灯る。その光は影から人を切り離したが、同時に此方の姿も暴く。それは自ら的になる行為、それでも奇襲には十分な時間があった。
(それなのに……)
シュリーは何も言わない。唯じっと、黒衣の暗殺者を見つめている。
「かつて……フリューゲル様は二人居た。今はもう、一人だけ」
「……」
「“貴女”が“彼”を殺したんだ、クラヴィーアっ! 貴様は破滅の魔女だ! 憎むべき、教会の歌姫!! お前はいつか、あの人を……完全に滅ぼすことになるっ! 」
引き金に触れた指。今度は殺すと言ったその口で、シュリーは武器を構えない。代わりにシュリーが持ち出したのは、小さな唇……そこから放たれる弾丸だった。
「フォルテがあなたの神様なのね、リード。……だけどリード。それは……あなたの神が許さない」
その神の名を口にはせずに、シュリーはリードの中へと切り込んだ。
「どうしたの? 撃つなら撃ちなさい。私はバロック。教会の娘。私の殻はあなた如きに壊せない」
*
待つのは苦手。じっとしてるなんて嫌。何かしていないと気が済まない。
(待っているだけは、嫌。忘れられて、しまうから)
短い髪、男の服。この格好をしていても、女口調になる心。これはあの子が傍に居ないから。随分参っている証。嗚呼、男の格好は嫌いだ。どうも落ち着かない。私は何も変わらないのに、強くなった気がするから。それはおそらく、鎧に似ている。そして私は何も語らず閉じこもる。唯、強くあれば良いのだと。そう思い込むことで……私が守ろうとしているのは。
「おいっ! ウェルっ!! メイド野郎!! どういうことだこれはっ、返事をしろっ!! 」
何も聞こえない通信機に、フォルテの顔は青ざめる。あまりの事態にうまく呼吸が出来ない。
あいつを信用した俺が馬鹿だったって言うのか? そんな自責の念に駆られて口を押さえる。吐き出しそうな気持ち悪さはなんだろう。一瞬でも安堵して、あいつと一緒に過ごした空気? あの男に与えられ、大喜びで口にした食事? ううん、他にも。
(はじめからあいつがスパイで、このために……俺に近付いて来たのだったら)
なんて馬鹿なことをしたんだろう。隙を見せて、頼ったりしたんだろう。あんな得体の知らない……怪しすぎる奴なのに。
(どう、して……)
まだメディアには出回っていないという情報、その画像。差出人は聞いたことも無い組織。映っている人達は、信じたくない二人。
リードとウェルは、不仲……でもそれを装って此方に入り込んだ何者かなら、話は別だ。明らかに不審すぎて、どうして疑わなかったのか。余程自分は弱っていたのか。冷静になればなるほど、信じられない。信じられなくて冷えた頭が沸騰しそう。
「まだ、あの画像が真実だと決まったわけではありませんよ」
扉越しに、聞こえる男の声。冷静な声の響きにフォルテは胸をなで下ろす。
「シュトラーセ……そうだよな」
リードがこんなこと、するはずがない! 捏造写真だ。あの根暗男の工作に違いない! 早く二人の元へ行って、俺が二人を助けなければ。
「……フォルテ様」
「な、なんだよ」
「あれは決して、主であるあなたを裏切りません。そのように私が育てました。しかし、シュリー様は……あれの主ではありません」
「シュリーを害することが、俺のためだって!? リードは俺のことを解ってる! そんなことされて俺が喜ばないこと、誰より、お前より解ってる!! 」
シュリーに何かあったら、この男が俺の敵になることだって十分に起こり得る。移動手段の確保さえ、全て自分で行わなければならない。今この瞬間から、顔見知りであるこの男さえ、俺の敵なのだ。何処に行くかも告げぬまま、フォルテは装備を調える。窓から逃走を図るまで……懐かしい使用人が口にしたのは一言だった。
「ええ。私どもは知っています。ご主人様の知らないご主人様を。しかしそれは同様に。しかし然りとて逆もまた」
(リードも俺を知っている。俺が知らない俺のこと)
老執事の含み言葉に舌打ちし、フォルテは外へと身を投げる。
*
「……×××が手を組んだのが、この『RAnkabut』」
「ということは兄様、ここの首相は其方を選んだと言うことね」
協力者兄妹の声を、私は目を伏せ聞いている。私自身が思うこと、認めたくないことを丁寧に言葉に代えて教えてくれるありがたさ。
「彼らが何者か。此方の仲間か別物か、それを証明するために……このクーデターは水を差されることになる」
「嘘か本当か、いいえ嘘でも歌姫シュリーの死をでっちあげる。真偽を探るべくこの国は局内へ入らなければならない。そういう建前。バロック側と波風立てないために」
「彼女の無事を此方が発信すれば」
「それが録画だと言い出す輩も出るでしょう。バロックを盾に一時休戦を申し出、こちらに侵入。此方が仕掛けたと言って制圧。これでお終いです」
「どうするの、撫子? こうするってことは、あちらは貴方達が奪った物を取り戻せる、或いは破壊出来る術があるという事。まもなく武力戦になるわ……放送できる時間があと何分残っているか解らない」
抱え込んだ剣と盾が、火薬となった。身を守り身を砕く、最悪の事態。でも、“想定外”じゃない。まだ、最悪ではない。やりようはある。
「……外の様子は、どうなっていますか? 」
「姉さんからの連絡だと……」
「イリヤさん? 」
「……来ます、あの男が」
「え? 」
冷静だった少年の声が、震え出す。局前で何があったのか? 続く言葉に私も事態を飲み込む。
「この大事な時に守りを姉さんだけにするなんて何考えてるんだ!! 」
時計屋、969メイカーが守りを外れた? 彼が味方に付いたのは想定外。故に彼が外れるのも想定外! 彼は自由の象徴だ。気を抜いていたわけではないが、彼らの存在により此方の負担が軽減していたのも事実。彼らの離脱で、クーデター本来の緊張感が甦る。革命の星である彼の力が無くなれば、烏合の盾は崩れ出す。表からなど簡単に……
「やっぱりあの男は信用できない! 僕が行きます!! 表が手薄になる! カチューシャはここで連絡待機を」
「駄目よ兄さん」
ふわりと翻る少女のスカート、その裾から僅かに“武器”が覗く。小柄で雪の妖精のような彼女、その身のこなしは踊るようであるのに……彼女は唯の、お飾り歌姫とは違う。
「踊るのは姉さん、歌うのは私、書くのは兄さん。私に兄さん以上の指揮は出来ない」
「カチューシャ……」
「大丈夫、ローザは死なせないわ」
彼女はそう言い残し、屋上へと駆けていく。降りるより、落ちる方が早いという勇ましさ。あれが三強の歌姫かと、小さな背に畏怖とほんの少しの羨望を知る。
「強い、妹さんですね」
パラシュートを使うのだとしても、高さはそれなり、下は大観衆。自身の刃で終ってしまうことだってあるだろうに。
「姉達があんなのだからよく……僕が気弱に思われて困ります」
「そんなことありませんわ。待つことが出来る人は、強い人ですよ」
目の前の人と誰かを重ねて、私は一度笑って……それを最後に笑みを殺して向き直る。
*
「し、死ぬかと思った」
数日前に飛び降りなんてしておいて、言って良いセリフでは無いけど。フォルテは胸をなで下ろす。組織の者を呼び空から現場に向かったは良いが、打ち落とされるとは思わなかった。
(『Тро́йка』もこっち側だとは知ってたが)
此方も味方になったはずなのに、打ち落とすとはどういうことだ。シュリーの事件で事情が変わった? そもそも……あれも奴らの仕業とか?
「良かったな、お仲間も無事だぜ。ヘリは近くの海に着水出来たそうだ」
「助かった……礼は言う。ペンライトでも何とかなるもんだな」
元々ここに集まったのは音楽信者。照明器具の一つや二つ持っていて当然か。不時着できそうな場所まで誘導がなければ死者が出ていた。パラシュートで先に下ろされた自分が無事に降りられたのも、その照明のお陰だ。
「聞いたぜ、バロック。礼を言うのはこっちもだ。味方になってくれたんだってな」
面と向かって話すのは、これが初対面のはず。しかし人慣れする笑みを浮かべた青年は、敵意も出さずに握手を求める。いや、これは噴水に落ちた俺を助け起こそうとしてか。
「フォルテ、フリューゲルだ」
「俺は水本黒烏。クロウでいいぜ」
「ウォーターブックブラッククロウな。どっちにしろクロウなんだな、凄いな」
「三強ってのはどいつもこいつも最初に精神攻撃でマウント奪いたい系なのか? 」
「ああ、この国で言う苦労って意味も入ってるのか」
「入ってねーよ!! 嫌だろそんな命名する親とか!! 」
はぁと重い息を吐き、クロウは焚き火へと俺を誘う。時間は勿体ないが、情報も無く闇雲に進むことは出来なかったため、渋々従う。
「お前が来たって事は……あの写真の真偽をめぐってって事だよな」
「もう一般に情報公開されたのか? 」
「こっちがメディア牛耳ってんだから普通に真相出せるだろ? 普通はそんなことしねぇ。つか、お前達が打ち落とされたのはこっちの……そこの嬢ちゃん陣営のミスだ。暗くて解らなかったんだとよ」
「ええ。空から近付くもの全て落とすようにと指示が出ていましたから」
焚き火でなにやら焼いて食べている歌姫。姿は可憐、かつ凜然。ついでに色気まで備わったパーフェクト美少女。滑らかに発せられた異国語は、彼女の陣営が彼女に叩き込んだ教育で武器。音楽戦争のために作られた歌姫であるのは間違いない。
「はじめまして? 歌姫フォルテ」
「歌姫ローザ……」
彼女がいることも、覚えてはいる。思惑の底は知れないが。
「……人の国でよくそんなやりたい放題やれるな。まだその段階まで進んでないだろ? 」
「いいえ、進みました。いえ、進ませようとする者がいます。だからあなたがここへ来たのでしょう? 」
差し出された手を返さぬ俺に手を下げ、歌姫ローザは小さく笑った。その時だ。
「うわっ! 」
「っ!? 」
「喧嘩は後だぜ嬢ちゃん、坊主! 」
「俺も歌姫だぞ、坊主言うなウォーターブック! 」
「その内嫌って程やることになるんだ。我慢しろ」
なんて空気の読めない男だ。俺“も”と指摘されて返した時に奴は気付いた。やってからしまったみたいな顔するな。男仲間にそうするように手を俺とローザの肩において引き寄せたクロウは、一人が女で一人が性別不明と気付いて渋い顔。俺は兎も角、歌姫ローザの反応は異常だ。一瞬驚愕、直後に殺気。そこで相手に気付いて硬直し、……みるみる顔が赤くなる。こんなん撮影されたらスキャンダルだぞ。コラ画像で後ろに繁華街の安宿とか貼られるんだろ。
(お前、すぐに放さないとセクハラで今度はお前が打ち落とされるぞ)
(落とされるってここ地上だろ? どこに!? )
(地獄に)
俺とのヒソヒソ話のうちにクロウはばっと手と離しローザから後ずさる。
「す、すまねぇな嬢ちゃん! 俺んとこ男所帯とか、男勝りな女ばっかでつい、いつものノリが出ちまった」
「いい加減、俺の方も放せ」
クロウの腕を叩いて外させ、俺も自由に。今の出来事でローザは混乱している。立て直すまで余計な茶々入れはしないはず。
「お前、良い仕事するじゃん」
「は? ああ、これのことか? 日中に用意させといたんだよ。雲行き怪しくなってきやがったが、昼間は晴れで何よりだ」
別の意味にも気がつかず、辺りの装備を見回しクロウが笑う。そして機嫌良く鳴らした楽器は闇を切り裂き広がった。
「すげーロックだろ? 」
「ロックかどうかは解らないが、いかしてる」
アンプ内蔵のエレキギターか。いや、どうもそれだけではない。電気供給の無い場所でもライブが行えるような技術をこの連中は持っている?
「闇討ちで怖いのは同士討ちだからな。演奏したり振り回したりで蓄電するよう細工がしてある。ファンのライトにも同じもんが組み込まれてる。少々重いのが難点だが鈍器にもなるし、武器としては上出来。ついでに太陽電池も搭載で二倍安心ってわけだ」
大陸で大暴れしたってのも嘘ではないか。この連中だけなら数ヶ月はこの場で生き延びられそう。それでも内側の歌姫達は違う。それはクロウも解っている風。数本寄越されたライトを、フォルテはありがたく受け取った。中で必要になるだろう。
「まぁ、保険だよ。ここは設備だけなら良い。予備電源くらい外にも中にもある。問題は、俺達じゃ無くて受信する側が出来なくなったことなんだ。幾らメディアをハックされようが、電気を落とされちゃ敵わねぇ。復旧できないってことはクーデター側には発電所は破れねぇって言ってるようなもんだ」
「……ウィザードの正体は、首相のミスか? 」
「恐らくは。そこまでのクラッカーがいないんだろ。娘の前で油断したってことさ」
そう。もうすぐ放送局……というところで、街の明かりが消えたのだ。放送局は自家発電装置がある。しかし視聴者側は違う。クーデター側がメディアを押さえても、電気がなければ誰もその情報を受け取ることが出来なくなる。
都会の空なんてこんなものだと思うが、そこに雲が広がり始めた今の夜空は星も見えない。
「この国が、攻め込めると思うか? 」
「もうその手の者が入り込んだからこの状況なんだろ? 」
「確かに、こっちに電気を落とす利点はないか」
軽いが意見に反し、この男……先を見通す力は備わっている。歌姫なんて柄ではないが、信者が付くのも頷ける。
「どうするんだ、バロック。お前は仲間を探しに来たんだろ? 教会の盾を翳して牽制。堂々と正面から入ることも出来るだろうな」
「むしろそれを望んでる連中が居る。俺に便乗して、賓客であるうちの歌姫の保護を理由に制圧チームが暴れる展開は困る。出来ればこっそり入りたい」
「オーケー。つまり今、俺達は大ピンチってわけだ。そこで、だ。ヘイ、ロック!! 」
「…………殺してくれ、じゃね? 」
「いいや、この上なく今のお前はロックだぜ! 」
「そっちの本物、笑ったんじゃね? 」
「わ、わわわらってない! 」
有能らしい奴の相棒は、あろう事かこの俺……フォルテ様のコスプレをさせられている。髪自体は同じ金髪。ひょろい成りでも相手の方が背も高いし何より似合っていない。
「せめてグラサン外せよ! 一発でばれるだろうが! 」
奴らの考えは察したが、笑いを堪えるのは辛い。逆ギレをかましながらフォルテは思いきり、男のサングラスを奪い取る。直後固まった此方に気付き、クロウは朗らかに笑い飛ばした。
「ロックは性格に難はあるが顔は悪くないんだ。化粧はさっきうちの特殊メイク屋にしてもらったし、その場凌ぎにはなるだろう」
「お前は脳と全てに難があるんじゃね……? そもそも男衣装で良かったんじゃね? 」
ロックとかいう名の男。陰鬱を浮かべた表情が陰りになっているものの、外見だけなら相方の数ランク上。
「仕方ない。体型を隠すにはボリュームのある女物の方が無理が利く。膝を折り気味で猫背にすれば身長も幾らか誤魔化せるだろう。嬢ちゃんには危ねー仕事させられねーし、そもそじゃ用意した服、色々入らなかったからな……胸とか」
「あらクロウ様、ウエストなら余りましてよ? 」
落ち着きを取り戻し、会話に戻って来た歌姫ローザ。彼女の身体と自身を見比べて、フォルテは苦笑い。
「歌姫ローザ、それは俺に喧嘩売ってるのか? 」
「だから、喧嘩は後でだろ? そんな状況じゃ無いはずだぞお互いに。お前等の仲間、どっちもあの中にいるんだろ? こっちへ来い。ラジオカーと電源車を確保してある。災害時でもラジオなら使えるだろ? お前等俺が放送切るまで黙ってくれよ! 」
*
『“あー、此方969メイカー! バロック陣営の歌姫を保護した。しかし歌姫フォルテ墜落で重傷を負っている。すぐに医者を連れて来てくれ!! 中立機関か教会陣営のな! ”』
受信した放送は、喧しい男の声。その情報が嘘でも本当でも……政府はバロックの片割れを盾に正面突破は出来なくなった。内側で大怪我でもしてくれれば良いものを。同じ立場の歌姫二人が重傷ならば、意見は割れる。歌姫シュリーを出汁に突入する計画の、出鼻をくじかれた。
(黒鳥め、流石は現代の英雄。修羅場のエスコートは心得ているようだ)
粗暴な振る舞いからは考えにくいが、彼自身、自分が他人からどのように映るかを正しく理解しているのだろう。
(ならば次の手を打つか)
送られてきた情報に、“男ははぁと息を吐く。
「足りないな、リード」
『足りない、とは……? 』
「画像なんて人は納得しない。映像だって怪しいけどね。まだ情報量の多い映像の方が説得力があるんだよ」
通信機の先で、哀れな楽器が僕を呼ぶ。何故信じて下さらないのかと、そんな悲しみさえ宿す。
「僕は信じてあげたいけど、生憎そんなに気楽な中身をしていないんだ。信用は、結果でしか買えないよリード。君には出来ると信じている」
『しかし、情報量が多すぎれば……敵に侵入される恐れがあります。バロックにも×××にも優秀な技術者が居ます』
技術が進歩した世界において、嘘と真はその境界を透明にする。本当を人は嘘と信じて、嘘を真実だと思い込む。
「そうだね。だけど仮に僕らが本当の情報を発信したところで、世界はそれを信じない。あちら側でもそう。彼らは自分達にとって都合の良いようにしか見ることが出来ないんだ。側面を知らず、平面しか知らない」
民衆が求めるのは娯楽だ。対岸の火事だ。要は面白ければ良い。画面越しの世界に倫理などはない。触れられない世界は総じてフィクションなんだ、彼らには。だから信じさせるのは容易なんだよ本当は。彼らにとって、それが愉悦か快楽であれば良い。彼らは面白い方を信じるよ。だって、その方が面白いから!
「歌姫は偶像だ。偶像の崇拝だよ。それは良くない、良くないことだ」
そんな、他者に無関心であったこの国にも歌姫は入り込んだ。平面が、立体へと変わる。そうして始まるのは、信仰だ。目から耳から侵略していく。そうして脳を冒すんだ。笑顔と甘い声で、血など流さず国を落とす戦争兵器。気付いた時には全てを失っていることにも知らないで、人は容易く故郷を売り渡す。
(歌が、音楽が世界を救うって? 自分の頭で考えることを止めただけだろ)
馬鹿げている。数世紀前の人間を笑ってやりたい。貴方達が信じた結果が、この世界。音楽は人を堕落させる。歌とは麻薬。それを知らずに居られればそれで良かったのに、一度与えられたらそれを絶てない。あとは売人の言いなりになってお終い。要約した音楽戦争ってそういうこと。
「まるで女神のように崇められているだろう? ただの人間風情が。僕もそれはどうかと思う。君もおかしいと思うだろう? 彼女達をよく知る君ならば尚更」
『は、い……』
「もしも歌姫が唯の女であるのなら、君はそれを暴かなければならない」
嗚呼、知っている。「だからその前に、殺してしまいたかった。肉片一つ残さぬまで、砕いてしまいたかった」それか、「だから逃がしたかった」……か?
「僕は君を評価しているんだよ、リード。任務のためならどんな事もする。君は自身のプライドもアイデンティティも捨ててしまえる人間だ。本当に立派だよ。君のような人は、救われるべきだ」
なんて褒めてみたって、歯切れは悪い。リードから反論が来る。僕はもっと話術を磨かなければならないようだ。
『歌姫シュリーを暴くと言うことは、歌姫フォルテを暴くこと。二人は表裏一体。どちらかが露見すればまたどちらかの正体が明かされます。私はそれが、耐えられません』
「異性装で人を死へ突き落としたような奴らが、今日はそんな者を救世主として掲げているから質が悪いよ。奴らはそういう連中なのさ、リード。また時代が変われば、奴らは君の大事な人を簡単に死なせるよ? 」
『……』
「君は選んだはずだ、歌姫フォルテを。そのために僕らの仲間になった」
なんなら逆でも良いんだよ。ちょっと脅してやれば、ほらまた忠誠を口にする。手綱はしっかり握らないとね。
『はい……ハディード=ガーディ』
「リード、そんなに畏まらないで」
『解りました、すみませんハディード』
「それで良い」
一方的に切った通信。突き放すようにすれば、迷いも消えていくだろう。
「帰る場所なんて無いんだよ、リード」
*
とても、悲しいことがあった。だけど何かが解らない。
私は誰? 私は何? 解らない。思い出せない。でも、いつからだろう。物心がついた時、いやそれ以前から。あの子を見ていると……愛しく、懐かしい気持ちになった。
「シュリー……寝てるの? 」
用件はなんだっけ。たぶんあってないようなこと。唯、会いたかったんだ。
「……いなく、ならないでね」
両親が喧嘩をしている。離れ離れになるかも知れない。そんな空気を感じ取り、私は不安で堪らなかった。だからあの子の部屋に入り込み、ついでに寝台へと転がり込んでみて。あの子の寝顔を見ていると、安らかな気持ちとか愛しさとか……それとは違う気持ちがふっと湧いてきて、何故だかもっと不安になった。
(約束……。一緒に居られる、約束)
不意に思い出すのは結婚式。あの人達は、あれで永遠を約束する。キスは魔法なんだ。両親もきっと大丈夫。式の写真、見たことあるんだ。二人もそうしたはずだから。
こんな風にね……最初にキスをしてしまったのは、そうすればずっと一緒に居られるような気がして。でも今思うとあれ、獣と同じ。マーキングみたいなものだったのかも。この子は私の物。誰にも渡さないっていう、独占欲。何処かに噛み付いても良かったんだけど、痛みで起こしてしまったら困るな。そう考えて……私は愚かに罪を犯した。
額とか、頬くらいなら問題ないのに、私が執着したのは唇だ。あの子が眠って居る隙に、こっそりキスをするのが私の楽しみになる。精神安定かな。馬鹿だな、何も知らないで……一方的な約束を送り続けた。
(あの子は薬。だから同じじゃ、効かない。慣れたらもっと、欲しくなる)
口付けの時間が長くなる。その間あの子の呼吸が止まる。起きるかもしれない。いいえ、“もう、起きていた”のだとしたら? その可能性に、ある日気付いた。気付いてからはわざと執拗に仕掛けてみる。あの子は逃げない。拒まない。何も見ない振り。目を瞑っていてくれる。それを愛だと言うのなら、自分があの子に誰より愛されている自覚もあった。そう気付いた瞬間に、私の中で何かのスイッチが入った。私であって、私じゃない。だけどそれは紛う事なき私であって。そんな私の危うさに、あの人は気付いて居たのかも。
(母さんは、シュリーが大事)
私のことは、どうでもいい。私にはシュリーほどの才能がないから。
(母さんは、“私”を置いていく)
それは良い。だけど、あの子は連れて行かないで。そうだ、それなら……シュリーを連れて行く理由が、なくなってしまえば良いんだ。歌姫は偶像。理想化されたお人形。私も人形だから傍に居られた。でも俺が人形でなくなれば……それは歌姫シュリーにとって、致命的な話に変わる。
「どうしたの、フォルテ」
「知ってたんだろ、シュリー」
「え? 」
あの子の目を片手で覆い、もう一方で引き寄せる。
「教会の、歌姫になるんだって? 」
(約束したのに、離れていくの? あなたも“あの人”と同じように!! )
頭の中で警笛が鳴る。駄目だ駄目だと泣き叫ぶ私の声が聞こえる。それでも“俺”は止まらない。
「そんな歌姫に相応しくなくなれば……シュリーはずっと、“俺”のシュリーだ! 」
塞いだ目に濡れた感触。あの子が流した涙だろう。その意味もあの子は語らないまま、されるがままでそこにいる。大騒ぎでシュリーの部屋へ来た。狼狽えた俺の姿は使用人が見ている。母や父の耳にも届いたはず。誰が追ってくるかも解らないのに。
「“……逃げないの? ”」
「リュールは、何がそんなに怖いの? 」
それはどちらの意味? 解らなくて私は恐れる。こんなこの子は知らない。あの人はこんな事言わない。狼狽えて、いつものように口付けを。それで呼吸を整えようとするみたいに、馬鹿な真似を。
「この、悪魔っ!! 」
最後のキスは今までで、一番短いものだった。宝物を壊されたみたいに、シュリーを抱き締め泣き叫ぶ母さん。私はそれを離れて見ている。口からは血の味がする。私の呼吸を彼女は咎め、思いきり打ったのだ。
(シュリーは大事なのに、“私”はどうでもいいの……? )
私のことは、どうでもいいの?
私も歌えるよ? 私もなれるよ、歌姫に。シュリーが辛い思いをするなら、私が頑張って歌姫になるよ。でも、“私”じゃ駄目なの?
何を言っても何も届かず、私は私の無力さを知る。満足な弁明も出来ぬまま、母とあの子はいなくなる。
シュリーが居なくなって、私はスカートを着ることが増えた。……髪を結うことも。私に付き従うリードもそう。“男”の格好は、しなくなった。歌姫である私に、男の影なんて良くないと、悪い噂が立たないように……彼は自身を偽った。
(私は、“俺”を殺さなきゃ駄目)
“俺”がまだ私の中に生きているというのなら、全ては罰だったんだ。死にたいなんて、馬鹿げてる。私は死ねない、あの子より先には逃げられない。
私はなるんだ、歌姫に。あの子を傷付けたりしない、あの子を守る歌姫に。だから私は、“俺”を私の檻に封じなければ。封じなければ、ずっとずっと……いつか、死ぬまで。もう二度と……
もう少し引っ張るか悩んだけど色々表に出した回。海神の歌姫との関連性、伏線回。因縁の人物達が、そうとは知らずに再会しつつありますね。




