12:影のワルツ
俺は追いかける。手を伸ばす。だけど何も届かない。
ふわりと風に舞う髪は、亡霊の髪。幻影の姿。俺は誰かの名を叫ぶ。だけど、遠くから聞こえる波の音。それがすべてを飲み込んで、俺から答えを奪って消える。
かっと見開いた暗いねずみ色……その天井に、クロウは満足気な息を吐く。こんな古くさい牢屋で眠るハメになろうとも、なんの後悔もなかった。
牢屋に叩き込まれる前に、大乱闘があった。そこで人数差で負けてぼこぼこになったんだと思う。気絶から覚めてもまだ身体のあちこちが痛い。それでもまだ生きている。首謀者の俺が無事ならば、他の仲間も無事だろう。そう思えば安堵の息も出るさ。
現実という悪夢は戦えば良い。だけど夢はそうはいかない。
油断をすればこうしてすぐに、俺のことを悩ませる。目を瞑って見る夢にはうんざりだ。内容は思い出せないが、ろくでもない悪夢ばかりみてしまう。かろうじて思い出すのは金髪。それがキーワード。
自分の髪を染めたのは、もう夢に悩まされたくなかったからだ。幻影を、自分の姿で振り払うとしたのだ。だから今は思い出せない。覚えているのはその金髪と……息も出来なくなるような、水におぼれるような罪悪感だ。
だからだろうか。だからだろう。俺がじっとしていられない性格になってしまったのは。
考える先に動いてしまう。やっちまったとあとから思う。それでもやっぱり後悔だけはしないのだ。動いた俺はほっとする。なぜだかとても落ち着くのだ。
ああ、そうさ。受け身なだけでは何も変わらない。動かなければ世界も人も変えられないのだ。それは良くも悪くも。なりふり構わなきゃ賽は誰でも投げられる。唯良い目を出し続けられる人間はそうそういない。綿密なる計画策略、その他諸々。どんな手を使ってでもそれを出し続けられる人間が英雄と呼ばれる者だろう。
(いや、違う)
例え一しか出なくても。仲間とその状況を打開することが出来れば、それは六をも上回る。それを続けていくことで、そいつの名声は人々の知るところになる。例え歴史が嘘をついたって、人は彼を英雄として語り継ぐだろう。
(恐れるな。何も恐れるな。否定はするな、でも流されるな。正しいと思うことをしろ。そんな簡単なことじゃないか)
俺は別に偉くなりたいわけでもねぇし、英雄なんかなる気もねぇ。唯、じっとしていられないだけだ。見て見ぬ振りが出来ないだけだ。だから勝負に負けたら仕方ない。どうしようもないことはどうしようもないんだ。
多くの人は俺を馬鹿だと言うだろうし、俺だって俺が賢く生きているとは思えない。でも俺はそれで胸張って生きてんだ。誰にも文句は言わせねぇ。型にはめられて堪るか。俺を誰かにされて堪るか。
「何してんだ、お前」
「……」
カツカツと、一定のリズムで刻まれる。夜中に聞こえた妙な音。それが俺の意識をクリアにさせた。寝台から身を起こし、音の聞こえた方を見れば……同室の男が俺に背を向け何かをやっていた。何かだなんて考えなくても分かるだろう。
「おいおい、脱獄って映画のヒーロー気取りかよ。つまんねぇ、ちっともお前ロックじゃねーな」
「I'm ロック!」
「Really!?マジかよ」
叩き込まれた刑務所の、同室だった男がロックだ。同室って言うのは互いの監視のためなんだろうな。これまで俺が何度も話かけてもガン無視してた野郎が、最初に話したのが自分の名前っていうのもなんだかな。面白いっちゃ面白いぜ。
なんて笑っている暇も無い。奴の手が俺の首へと伸ばされたのだ。俺はその手を振り払い、ツッコミ代わり肩を叩いた。
「Fucking馬鹿野郎!俺殺したらお前ますます脱獄難しくなるだろ、阿呆!」
「……」
「安心しろよ。看守には言わねぇ。かと言ってそれでお前を脅すのも粋じゃねぇ。でもどうせなら、もっとクールでロックな格好いい脱獄計画立てようぜ!」
床を砕く感じのリズムが心地よかった。こいつはなかなかの音楽センスを持っている。
「クールな脱獄……?」
「ああ!俺たちで音楽やるんだよ!それで囚人を看守を味方に付ける!そして晴れて自由の身!」
そんな馬鹿みたいな話があるか。あいつは確かそう言った。だけどその脱獄に協力したところで、何も変わらない。今回の敗北で俺はそれをよく学んでいた。勝てば良いってもんじゃねぇ。情けなくても綺麗に勝たなきゃダメなんだ。
「でもそんな何年かかるか分からない地味な脱獄計画考えるより、話題性あるだろ?そういう面白いことやれば、何かしらのメディアは食いつく。お前そのうざったい前髪切れば俺よりよっぽど良い顔してるぜ?何?内気なんだって?内気な人間がいきなり俺の首絞めるかよ。やれるやれる!お前と俺ならやれるって!」
別におだててるわけじゃねぇ。本気でそう思うしそう言った。言葉にすればますますそう思う。俺がそんなに賢い男だとは思えなかっただろうロックは、俺の言葉を信じてくれた?どうだろう。それでも耳は傾けてくれたのだ。俺は俺の馬鹿さに感謝する。
唯正直であれば良い。俺が俺であれば良い。気が合う合わないはそれから考えたって良いだろう。合わなかろうが、どうでもいいな。俺がこいつを気に入ったのだ。
だってそうじゃねぇか。床や壁に穴開けたくらいで逃げられるわけがねぇ。そんな馬鹿げた脱走計画!今時誰もやりゃしねぇ。それでもそんな馬鹿をしていたこいつを俺が気に入った。誰にも頼らず自分の力で生き抜こうとする姿が気に入ったんだ。それは、周りを使う俺にはないものだ。だからこいつの歌を、主張を俺が聴いてみたくなったんだよ。
「よし!まずはこの鉄皿とスプーン使ってドラムにしよう!」
「格好悪い」
「んじゃ毛布叩くか」
「げほっごほっ!埃出すな!」
「お、今のツッコミ!!感じ良いじゃねぇか!いや音楽と関係ないけど、いいな!気に入ったよお前!」
妙な既視感を感じながらも俺は、金髪の相棒に手を差し出した。
「改めてよろしくな、ロック!俺はクロウ……って前にも言ったけど覚えてねーよなきっと」
握手も返さない連れない相棒。苦笑しながら、俺は肩をすくめてみせる。前髪の代わりにこんなのどうだい?奪われなかった荷物の中からサングラスを投げてやる。
「前に勝負で勝った相手に貰ったんだけどよ、俺全然似合わなくて困ってたんだ。お前の方が似合うんじゃねぇ?」
「人から貰った物を……」
「薄情だって?そう言うなよ。俺を認めた相手がくれた物を、俺が認めた相手に譲るんだ。お前は俺とそいつの分、誇って良い男なんだぜ?」
俺の言葉にロックは再び背を向ける。もう何も話さない。だけど代わりにさっきとは違う……一定のリズムで刻まれる。時計の秒針のように、正確で自然な音だ。
テンションで突っ走って暴走する俺とは、相性が良いのかもしれない。自分にないものを補って、支え合える。これが仲間ってもんだろう。
無駄なことなんて何も無い。俺があの最底辺に送り込まれたのだって、こいつという相棒を得るためだった。
*
(そう、それならば……)
今回の帰国は何の意味がある?考えていた矢先に、事件は起った。もうお前外出歩くな、出歩く度に殺人事件に遭遇する探偵レベルで迷惑だから一生引きこもれと言われても仕方ない。それでも俺がじっとしていたって、世界は回り続ける。それを人が見ない振りをしようとも、だ。だからじっとなんてしてられない。見て見ぬ振りなんか出来るか!
かっと見開いた先で、風に舞う金髪。それは自分の物でも相棒のそれでもない。柔らかく、明るく……儚いとさえ感じる、美しい少女の髪だ。どくんどくんと鳴る心臓は、いつかの夢を思わせる。嗚呼、だけど……
「廃人~回収ー請け負いますよーぉお♪ 社~会のゴミ世~界のゴミ始~末いたします~♪」
「……」
クロウは手にした鈍器もといギターを振り回すことも止め、蒼白の面持ちでそこにあった。そうさせているのは可憐な少女一人の力によるものなのだが、彼女は武器をさながらマイクにするよう歌い踊りその場を可憐に舞って支配する。
「ぅおおおおおおお!!!!新曲生ライブぅううううう!!!!」
「ローザたぁああああああああんんんん!!!」
「ラズィーちゃあああああんんん!!」
何この異空間……亜空間。なんて物騒な歌詞だ。意味が分からん。あんな曲で盛り上がる層が分からん。そして彼女が歌うと洒落にならん気がするのは何故だ。
(とんでもねぇ嬢ちゃんだ……)
目の前の光景に、クロウは絶句していた。
彼女は盾だ。恐ろしい盾だ。彼女に傷一つ付けようものなら、三強が一つであるТро́йкаを敵に回す。だから誰もが手を止める。
歌っている歌詞、良く聞かずともろくでもないのが丸わかりだってのに、ローザが歌えば暴動を起こしていた者達も、駆けつけた観客が彼女に魅せられていく。これを利用しない手は無かった。
「ちっ……やるぞロック!」
「やれやれんじゃね?」
「お前、その語尾はいい加減おかしいし意味が違ってきてるがやれそうなのは同意だ。やるぞ!」
「おk」
これまで武器に使っていた楽器を本来の意味で楽器として使う。クロウ様のギターはそんじょそこらの柔な楽器と違うぜ。弾いて良し、殴って良しの万能兵器!
「嬢ちゃん!行くぜ!」
「はい!クロウ様!!」
ローザの歌を盛り上げるため、即興で俺たちはその演奏を請け負った。民謡とロックというジャンルが謎融合起こしてるが気にするな!音楽は心だ魂だ!本気の思いをぶつけるだけだ!
俺でさえ見限った故郷に興った革命の火を、何が何でも守ってやるんだ。本気でそう思う。思っているのに、何故だろう。俺まで彼女を視線で追ってしまうのは。
(何考えてんだ、俺)
同じ場所に立ってんだ。だってのに、どうした俺は。歌う彼女の背中がやけに遠くに感じる……妙な居心地の悪さ。おいおい、そんなのおかしいだろ。
俺が歌いたいと思ったのは、それが何よりも自由だと思ったから。歌の力を偉大さを……俺はどこかで植え付けられた。妙な既視感を思い出す。
演奏の最中、俺の視線に気がついた?いや、彼女も俺を見ていたのか?彼女のとても悲しそうな目。細められた彼女の瞳が俺へと微笑んだ。
それが何を意味するのかは分からない。唯、その時俺に……あまりにも重い鼓動が刻まれた。恋とか愛とかそんなもんじゃねぇ。汗さえ噴き出る程の、気まずい気持ち。このキングオブポジティブたるこの俺に、激しい胃痛を覚えさせるとは、ますますあの子は何者だ。
俺が青ざめたのに気がついたローザは、ちょっと驚き、悪戯娘のような子供じみた笑顔で今度は笑う。そういう顔は文句なしに可愛い。
舌打ちしながら俺は目をそらし、演奏に集中する。今のは普通の意味で不覚ながらときめいた。
(ったく、調子狂うぜ)
彼女は別陣営の歌姫だ。共闘なんてこの場限りの物だろう。彼女の本国が、俺を消すために彼女にあんな顔をさせている可能性だって大いにあり得る。俺が彼女に籠絡されるわけにはいかないのだ。女は怖い生き物だ。うかつに信用してなるか。
そう自分に言い聞かせても、目の前の少女を見れば、疑う気まずさばかりが心に残る。嗚呼、ああ……嗚呼ああ……何なんだ。こんなの全然粋じゃねぇ。
(“嬢ちゃん"……か)
口から転がり出た言葉。何でだろうな。初対面の相手だろうと名前を知ったら名前で呼ぶし呼ばせる俺が、未だにあの子をそう呼んでいる。何でだろうな……俺があの子を名前で呼ぶ気が無いのは。
いつか敵になるのだとしても、名前で呼んでいけない理由など何も無い。彼女と仲良くして置いて、彼女の陣営とうちの陣営の橋渡しに……なんて無謀な計画を、俺なら立ててもおかしくないのにやる前から俺は何かを恐れている。怖い物なしのこのクロウ様が距離を置きたがる理由は何だ?
*
「ウェルさん、あと、どのくらいですか?」
「もうそうろそろだよ」
僕と彼女の距離は…互いの手を伸ばした程度。それもそのはず。僕が彼女の手を離さずにいるから当然だ。本当はシュリーを抱えて走れれば良いんだけど……またスキャンダルにされても困るし、そもそも僕自身忘れかけていたが、両足痛めてたんだ。如何にシュリーが軽くても、多くの武器を携帯した完全武装のシュリーを背負い続けるのはきつい。
口調こそいつも通り。それでもこんな調子の狂った自分に気づき、どうしたものかと多少は悩む。
他人の顔色なんて気にせず生きてきた僕が。こんな年下の子供相手におっかな吃驚ぎくしゃくしている。本当、馬鹿みたいだ。さっきの仕打ちはやり過ぎたかもしれない。だけど手を抜いて、この先どうにかなるとも思えない。第一シュリー、君はどうして僕なんかを連れてきたんだ。自分でも悪運だけはあると思うけど、足手まといなのは事実だろう?
(僕さえ居なければ、さっきのことだって……)
いいや、今は止そう。これからはあんなことがないように、しっかりした意思を保たなければ。
「ウェルさん」
「え?」
シュリーに名前を呼ばれる。振り返り彼女の顔を僕は見る。でも長くは見られない。さりげなく視線をそらす。ずっとシュリーを見ていると、あのことを思い出してまた、余計なことをしてしまうかもしれない。
シュリーの信頼を裏切るような真似は出来ない。フォルテとの約束もある。というかあのことを知られたら、フォルテに追い出される……以前に殺されそうだ。最悪の場合ボスとやらが刺客を送ってきて僕は暗殺されるとか……フォルテに撲殺されるとか死に方のパターンを今から覚悟を決めて想像しておいた方が良いだろう。
「ウェルさん……行き止まりです」
「ご、ごめん。こっちだった」
いけない。そもそも生きて帰れるかすら怪しいのだ。シュリーは僕を守ると言ってくれたけど、僕だってシュリーを守らなければ。気を引き締めろ!余計なことは考えるな。彼女の手を強く引き、僕は正しい道へと引き返す。強く引きすぎた?足を速めたからだろうか?その頃から僅かに、シュリーの手が熱くなった気がした。考えて見れば、あの二人を撃退してからずっとこうだ。僕がシュリーと……暗がりを二人で進んで、どのくらい経っただろう。時間としてはそんなに長くは無い。
いや、熱いだけじゃない。汗も出てきた。強ばっても居る。彼女から伝わってくるのは、僕のような見当違いの気持ちではなく、純粋な焦りと不安?落ち着け、シュリーを不安がらせてどうするんだ。僕がしっかりしないと。僕は携帯に視線を落とし、情報の確認を繰り返す。
「この向こうの区画にある梯子。そこを登れば部屋がある。向こうから進入できそうだ。元々撮影のために保存した区画もいくつかある。そこまで行けば、局内への道も見つかるはずだ」
通過した部屋から拾った地図データは古い物だが、そう違ってもいない。ネットで拾ったものとほぼ一致している。唯、folcloreが仕掛けてきたことから考えて、ここは奴らに占拠されているとみて間違いない。追っ手が来る前に局内へと入り、通路を封鎖したいところだが……。
(folcloreの言動にも……ムラがある)
×××にこの廃線のことを教えていない。共闘関係にあっても協力関係では無い。いつかは敵になるのだから渡したくない情報は手元に残しておきたい。つまり、ここを保存した下請けは……folclore関係者。その時に×××の持つテレビ局への進入経路をいくつか確立させていたのだ。
「……」
その隙を突けばどうにか出来るだろうが、油断は出来ない。僕らは何時背後から撃たれるかも分からないのだ。リードはシュリーに下水道を通らせなかった。もっともらしい言い分だが、folcloreの居城に追いやったとも言える。
(シュリーに、フォルテに何て言うべきか)
僕の考えはまとまった。あの女が裏切り者で間違いない。
「ウェルさん、……あの」
「……」
掴んだ手を離さずに、歩き続ける僕を前に、シュリーは幾度となく口ごもる。彼女も気付いて居るのだろうか。いや、認めたくないだけか。
この先彼女が何かを仕掛け、動揺するのは避けたい。時間の消費は覚悟で言っておくべきだろう。足を止め、僕は彼女の方を向く。意を決し、口を開いた僕を見て、シュリーの大きな瞳が見開いた。
「シュリー……、リードは」
「ウェルさん!前っ!!」
正確にはシュリーが見ていたのは僕の後ろ。小柄な身体……唯の子供だと馬鹿にしていた。そんな彼女は僕の身体を使って前へ飛び、身を翻し小さな背で僕を庇った。
「……っ、新手……ですね?」
楽器ケースを放り投げ、移動中のシュリーがスカート下から取り出したのはナイフ。重火器で派手な騒ぎを起こし、増援を増やしたくは無いという判断からか。僕は手早く携帯の明りを切り、息を潜める。
(まぁ、そう簡単にはいかないか)
もう少しで進入できたのだが、そうも言っては居られない。梯子下に立ちはだかるあの影が、あそこから来たというのならこの道は使えない。この場を凌ぎ、別の道を模索しなければならないだろう。
「っ!?」
突如、頭上から降り注ぐ閃光!スポットライトに目を焼かれ、暗闇になれた僕らの視界が奪われる。
自分の姿を隠す気がないのだろうか?それとも、一瞬で仕留める自信があるとでも?
「くっ!!」
僕がとっさに手に取ったのは、リードから渡された銃。その引き金を引きかけて、これは本当に信頼できる武器なのだろうかという疑念に襲われる。その隙を相手は見逃さず、僕の手を蹴り得物を飛ばす。
目が焼かれたシュリーも僕を庇う暇が無い。銃に続いて僕が蹴り飛ばされた音を聞き、僕を呼ぶだけ。
「ウェルさんっ!」
「……銀髪の歌姫。その目は紛い物だろう」
見えるはずが無いと言う、刺客の声は男とも女とも言えぬ中性的な低さ。刺客は荒々しい男の面で素顔を隠し、年齢、性別も分からない。folcloreのメンバーならば、女なのだろうが……フォルテとシュリーの件もある。性別詐称と言うことはいくらでもあるだろう。現に僕を蹴り飛ばしたあの力強さ!男と考えた方が無理が無い!
「立て。加減はして置いた」
僕を護衛と思ってか、相手はそんなことを言ってくる。これにはつい笑ってしまった。そんな僕を見て、仮面の上にも刺客は戸惑いを覗かせる。
「……何が、おかしい?」
「生憎、私の目は本物です」
刺客の背後に立ち上がったシュリー。ナイフではなく今度はその手に銃を持っている。楽器ケースは囮。スカートなら色々隠せるとの言葉通り、彼女はそこから今度は銃を取り出したのだ。
「見えないのは……まぶしいのは、貴女の方じゃありませんか?folcloreの舞姫、ワヤンさん!」
「……ワヤン?」
「ええ。私を銀髪と見て、アルビノと考えた。その考えは、貴女がそうだから。そしてfolcloreで銀髪の者と言えば、貴女しかいない」
この刺客に心当たりがあったのか。シュリーの言葉は自信に満ちている。
「……」
刺客は両手を挙げ降参。そして素顔を晒さんと仮面に手を付けた。しかしその下から現れたのは……今度は娘の面だ。白く美しい高貴な少女の面だ。
「っ!」
今度は突然明りが消えた。この女が壊したのだ!
かすかに見えた影は、先ほどよりもずっと早い!先の攻撃のような力強さは無いが、早さと手数でシュリーを翻弄している。まるで纏う仮面によって、身体能力が変わっていくみたいだ。時折視界を過ぎる暗闇を舞う影の動きは、優雅で見惚れるほど。
(見惚れている場合かっ!)
刺客は僕が護衛では無いことを悟り、もう相手にもしない。二人がぶつかる一攻防の内にも、シュリーの戦いにも僕を庇う様子が見て取れた。シュリーがこの場で銃を使えない、あれがはったりだと言うことにも彼女は気付いて居る。
(歌姫、……舞姫ワヤン!?)
くそっ、こんなことならもっと音楽に音楽集団達に興味を持っていれば良かった。とっさに開いた携帯で情報を漁るが、ろくな情報は無い。仮面を外した素顔が神秘的な感じの美人だとか、意外と胸があるとか、新規加入の銀髪の歌姫だということくらい。
「フフフ、無駄なことをするのですね」
(く、口調どころか、声まで変わった!)
攻防の合間に、僕の浅はかさを知り彼女は笑う。暗闇で携帯を使うなど……自分の場所を教えるようなものなのに。彼女にその気があれば、僕はもう最低二度は殺されている。
(……そうしないのは、何故だ?)
僕を庇って戦うシュリーを負かすことだって彼女には出来る。最初のように僕を狙えば良い。そうすればシュリーに隙が出来る。
(試されているのか?だけど、どうして……?)
この刺客は僕らに何をさせたいのだろう。仮面の裏の表情はまるで読めない。
まるで別人。シャーマニズム的な何かで別人を自分に宿らせていると言われても、誰もが信じてしまいそう。
(……そうだ!)
彼女のこの演技力……。それがある種の洗脳……というかトランスだと仮定するなら。その鍵となっているあの仮面。あれを壊せば無力化できるかもしれない!
……などと僕が考え込む間にも、二人の戦いは進んでいた。
シュリーがフォルテほど接近戦が得意では無いとは聞いていたのを思い出す。フォルテのように足技を使えないシュリーは、小柄な身体を活かしたしなやかな動きで攻撃をかわし、隙をうかがい仕掛けるタイプ。女面を付けたワヤンはシュリーのそれを軽く上回っていた。さっきの小娘二人なんかとは格が違う。戦う相手が悪すぎる。何とかシュリーを助け、この場から逃れなければ。僕は銃が飛ばされた方向に急いで、何とかそれを手に取った。
(だけど……)
あんな怪しげな女から貰った銃しか武器が無い。大騒ぎはしたくない。でもシュリーが!
くそっ!この女は情報が足りなすぎて、弱点も分からない。唯一光が苦手らしいと言うことが分かっても、明りは既に破壊されている。爆発物を使おうにも動きを止めることは出来ないだろう。とっておきは先ほど使ってしまったし、残りの在庫は目くらましくらいなものだ。僕の近くにあるものは……シュリーが残した楽器ケースくらいなもの。
「くぅっ!」
「シュリー!!」
全てのナイフを奪われて、壁際まで追い詰められた。ワヤンはシュリーを拘束したままナイフを突きつけ僕へと迫る。
「どうして」
「は!?」
「貴方も、貴女も弱い。弱いのに何故、ここへ来た?これから向かう?それは何故?」
「僕を……」
ワヤンの疑問に答えたのは僕ではなかった。フルフルと身体を震わせたのは、怯えではなく怒りから。
「僕は弱くないっ!!」
叫ぶと同時にシュリーは勢いよくジャンプ!ワヤンの顎に頭突きを食らわせる。
ナイフを首筋に当てられているのに、無謀な行動。怒りを買えば殺されるかもしれないのに。いつものシュリーらしくない、短絡的な行動だった。
シュリーの声が、震えている。それは泣いているような声。自分のプライドを傷つけられて怒り狂っている声だ。あんなに脆そうに見えて、なんと気高い。何故かシュリーに触れた僕の唇が、得もしれぬ歓喜に震え出す。
そうだ演技なら、シュリーも負けていない。使い分けられるのが男か女かくらいだから、この仮面舞姫のようなバリエーションは出せないが、女の格好のままシュリーは男の言葉遣いになった。幅が狭いということは、それだけ深く極められるということ。どんなに可愛くても今のシュリーは男だ。女扱いするな。守られるだけのお荷物なんかじゃ無いと言う、彼女の悲痛な叫び……いいや、強い意志をそこに感じる。
突然の攻撃に驚き、拘束が緩んだのを見逃さず、シュリーは身を沈め転がりその場を脱する。
「僕を、弱いと言うな!僕は、僕が、強くならなきゃ!」
それ以上シュリーは言わない。それでも僕には分かる。この子は本当に……フォルテを守りたいんだ。
フォルテを死の淵から救えなかったことを悔やんでいるし苦しんでいる。フォルテに庇われ守られて、フォルテの悩みや苦しみを共有させてもらえないことに傷ついている。だから強くなりたい。フォルテに頼ってもらえるようになりたい。
あのままだったらかつて失った従者のように、自分の半身を失うところだったのだ。その事実が現実が、シュリーをここまで追い詰める。
これまでどんな光にも動じなかった仮面の娘が、シュリーの言葉に一歩後ずさる。この暗闇の中で、いきなり光を目にしたように。
「シュリー!」
次の武器が必要だろう。何が入っているか分からないが僕は楽器ケースをシュリーに向かってぶん投げる。しかしそれはワヤンを我に返らせることになった。素早く飛んで空中で仮面を付け替えた彼女は、勇ましい将軍のよう力強い太刀筋で楽器ケースに斬りかかる!
しかし随分頑丈な作りだ。ケースを破壊することは出来ず、金具を壊し床へと落とす。その中から散らばるのは……今日ばかりは中にヴァイオリンが入っているわけもなく、納められていた重火器、暗器の類。その中に、おかしな物が混ざっていた。
「あ」
「……あ」
置いてくるのを忘れたのだろうか。しまっていてそのままだったのだろうか。あの音楽仙人から買ったお面もケースから転がり落ちた。それを目にして、今度こそワヤンの動きが止まる。
「……それ」
お面を指差しワヤンが尋ねる。それがなんだというのか。だが初めてこの刺客が対話を試みた。戦闘以外の何かをこちらに求めた。なんと答えるべきだろう。僕が軽く息を吸う……その刹那、シュリーは刺客を背に庇い、全てを忘れたかのように大声で叫んでしまう。
「ダメだっ!リードっ!!」
(え?)
どうしてここで、あの女の名前が出る?僕が目を瞬かせた時、光が彼女を貫いた。
久々のカタストロフ。
海神と決着付けつつ進めて行きたいと思います、お待たせしてごめんなさい。




