11:銀色のワヤン
歌えない歌があった。歌ってはならないことを幼い私は知らなかった。私が歌ったがために、家族はみんな居なくなった。賠償金を支払うことに疲れて逃げてしまった。
私は一人になった。私はお師匠様に拾われた。だけど何も喋らなかった。影のようにぴったりとただあの人の後を着いていくだけ。
そんな私を救ってくれたのは、明るい少女の歌声だ。歌が怖いと声を出すことが怖いと震える私に、彼女は踊りを見せてくれた。とても綺麗だった。魅入れるよう、私の口から言葉が漏れた。「綺麗だ」と。
光と影。反発するよう、惹かれ合うよう……親しくなった友が居た。正反対。それでも傍にいると互いに落ち着く。
彼女は私に無い多くの物を持っていた。そんな彼女が大好きだった。
昼間の光は、私には眩しすぎて。魔物が出歩く夜にしか、私は自由に動けない。だけど彼女は待っていてくれる。だから私は会いに行く。夜中に彼女の窓を叩いて、彼女を浜まで連れ出した。彼女は目に見える光。私の目でも認識できる温かさ。
「……光は本当に、綺麗な黒髪だ」
「そう?」
彼女は嬉しそうに笑う。羨ましいという気持ち。でもそれよりも、誇らしいという気持ち。それが一番強かった。こんなに綺麗な歌姫と、私は友達なのだ。
「頑張って」
「うん、ありがとう」
チャハヤは声も綺麗だ。踊りも上手いし、きっと良い歌姫になる。音楽連合に入っても、十分通用するだろう。誰もがそう思っていた。私だけじゃない。島中の、国中の期待を背負った彼女の旅立ち。それはとても盛大な物。だけど私は見送れない。だからこうして夜の内、別れの挨拶をしに来たのだ。もしかしたらこれが一生の別れになるかも知れない。そう思ったら誇りよりも寂しさを感じてしまう。
「……もう、会えないのかな」
「何言ってるの!」
砂浜で見つめる夜の海。あの向こうに彼女は向かう。とても、とても遠い場所。
(寂しいな)
弱気になった私を彼女は笑い飛ばす。
「ねぇワヤン。貴方は王様?私は王様?」
「え?」
「王様とそうじゃない人は、友達になれない。でも私も貴方も王様じゃない。友達は、何があっても友達。どんなに離れても、何も変わらない」
ある叙事詩を例に出し、彼女は私を励ました。歌姫は王様ではない。彼女が選ばれたって、別の何かになるわけじゃない。笑う彼女の言葉は、私の中に明かりを灯す。それは希望だ。彼女はこんな風に、温かな希望の輪を世界に広げていくだろう。
「うん、そうだ。そうだね……友達だ」
「心配しなくてもすぐにまた会えるよ。だって私が音楽連合の一番になるんだから!」
「ふふ、そうか。うん……そうだな」
モニター越しでもまた会える。元気な彼女を応援出来る。私にも出来ることをしてあげたい。
「チャハヤ、足」
「……なんで、解ったの?」
「解るから」
「あはははは!ワヤンには敵わないや。お願いするね」
「うん、お願いされる」
彼女は努力家だ。踊りのし過ぎで足を痛めている。歌姫は歌えれば良いだけではない。独自性と付加価値で、自分を文化を世界に発信しなければならない。国の期待を背負った看板なのだ。明るく振る舞う彼女でも、内には不安を秘めている。気の流れが良くない。足に邪気が貯まっている。腰から剣を抜き、その刃で彼女に触れる。暫くそうしていると、チャハヤはふぅと息を吐き微笑んだ。
「はぁああ、効くなぁ!凄い!全然痛くなくなった!!流石は呪術師!」
「まだ見習い」
「え?でもワヤン人気あるんでしょ?本当は予約要るって。お金は?」
「要らない」
「でもさ」
「いいの」
「ええ、だって……」
「また会えるの、楽しみにしてる」
画面の中で頑張って。私がそう言い笑えば、彼女もようやく頷いた。
「うん、私頑張るっ!頑張って、守っていこう!大切な物、全部!」
「……Selamat |jalan」
「うん、……Selamat tinggal」
そう言い残し、彼女は去った。足音も次第に遠離り、完全に聞こえなくなる。それでも私はそこに残る。夜の風に髪を撫でられるままにして、海を見つめていた。
その内に、風以外の音を私は感じ取るようになる。振り向けばそこには白髪の老人。仮面を纏ったその人は、私にとっては恩師のような存在だ。だからこそ、敬意を込めてこう呼ぼう。
「トペン婆様」
「ワヤン、何じゃそんな情けない顔をして」
「元々私は情けない」
「というか誰が婆じゃ」
「だって婆の仮面付けてる」
このご老人は、色々な顔を持つ。一つの顔は舞踊家、もう一つの顔は呪術師。他にも幾つもの顔がある。
この島から奪われた伝統や文化を蓄えた知の宝庫。歩く本棚、もしくはパーソナルコンピューター。
「海の向こうでは数世紀前に、男の娘なるものが流行っていたらしくてな」
「正直、婆様レベルの年になると爺なのか婆なのか見た目では解らない」
と言うのは私なりの冗談。半分くらいは。
残りの半分はと言えば……それは言葉通りの意味。この人は役者なのだ。仮面を変えるだけで、まるで別人のように彼は振る舞う。
「仮面一つで別人を演じる。それもまた守るべき事よ」
ほっほっほと彼は笑って、海の向こうを指し示す。
「ワヤン、何が見える?」
「夜が見える。昼は見えない」
「全く……お前にはまだ何も見えていないのか」
私の素直な感想に、お師匠様は呆れている様子。
「見えていない?」
「ならばそれで良い。だがあの海を見よ」
「見てる」
「……あの向こうに何がある」
「……光。まだ見えない。でも光」
「……そうか。ならば時を待つと良い。お前には見えていないが、見えている」
「爺様、どういうこと?」
「誰が爺じゃ!今の儂の顔をよく見よ!こんなに愛らしい爺がおるか!」
変なところで立腹し、消えていくお師匠様。
「……じゃあ婆様で合ってた」
仮面の付け替えで色々変わるご老人の相手は大変だ。気長だったり気難しかったり、役に入り込みすぎていて対応にも困る。
目に見えない物を見ろというのは難しい。だって段々辺りが明るくなっている。どんな仮面をお師匠様が付けていたか……見極めるのが大変なのだ。明るくなると、眩しくて。
嗚呼、夜が消えていく。その前に私は逃げなければ。影のある場所へ隠れなければ。
(こんな色、嫌いだ)
チャハヤみたいな真っ直ぐで綺麗な長い黒髪。私もああいう色が良い。銀髪なんか、私は嫌い。だってこの眼に光は眩しすぎて、私は太陽の下を歩けない。
誰かを癒せたって、私は癒されない。私を癒してくれるのは、チャハヤの歌と踊りだけ。早く見たい。まだだろうか?暗い室内、モニターの向こう……笑う彼女と再会できるのは。
私は待った。その日を待った。だけどその日は来なかった。
あの子が島を出て……しばらく経った頃、島にあの子が帰って来た。長くて綺麗な黒髪の舞歌姫……彼女の髪が哀れなほど短くなって帰って来た。
「チャハヤ、何があったの?」
夜の浜辺で再会した彼女は、顔を覆って泣いていた。私が近付くと、彼女は顔を上げ鬼の形相で私を睨む。驚いた。可愛い彼女が異形の仮面を纏ったかのように、恐ろしい顔で私を見ていた。
(違う……)
顔は可愛い。泣いていても可愛い。それでも彼女の纏っている空気。それが仮面のようになる。空気に表情が浮かぶ。見えない物が、見えて来る。
「私を嗤いに来たの!?」
「わらい……?何を、言ってるの?」
「ワヤンなんか大嫌いっ!!貴方は綺麗!貴方は特別!!貴方は王様だったのよ!!」
「チャハヤ!?」
泣きながら走り去っていく彼女。突然の拒絶の意味が分からず、私はその場に立ち尽くす。そこに現れたのは、やっぱりあの人。
「ワヤン、お前に手紙だ」
「師匠、誰から?」
「お偉いさんからだよ。お前がチャハヤの代わりの歌姫だ」
「なんで……」
「詳しい話は船でする。お前の荷物はまとめておいた。さぁ……チャハヤのためにもお前は来るんだ」
訳が分からないまま、私は船に乗せられた。そこで見せられた映像に、私は友の涙の理由を知った。
*
結成当初、民族音楽連合『folclore』は黒髪歌姫ばかりの音楽集団だった。故に他の派閥から漏れた国、民族は……美しい少女を歌姫として音楽連合に送り込んだ。結果、美しい黒髪の歌姫ばかりが世界中から集まった。しかしこれに待ったをかけた者が居る。
「ちょっと待つアル。センターは当然我として……」
中華娘・二胡の発言に、文句を言える者は居ない。何故なら彼女のバックが強すぎる。まず人口が多ければ、その分ファンも当然多い。ファンが多ければ資金力も膨れあがり、権力も当然強まる。『folclore』のリーダーは彼女だと、各国代表歌姫達は認めなければならなかった。
「みんな黒髪じゃ、個性に欠けるアル。数世紀前のデータを見てみるネ」
彼女がスクリーンに映し出した、過去の世界のアイドル達。清純イメージのため黒髪を義務づけられた彼女たち……それを前に二胡は言う。
「ぶっちゃけ你们共はこいつら見分けられるナイ?」
みんな似た衣装で黒髪。確かにどの少女も同じように見える。違う所なんて、精々髪型くらい。髪型が被るとメンバー内で殺伐とするという話もある。二胡が問題視しているのもこの点だろう。
「二胡さん、事務所が言うにはその共の使い方違うと思います」
「小鈴は黙るアル」
「解りました、事務所が次回までに検討しておきます」
図太く謙虚、どこまで天然か計算か解らない和服歌姫・神楽 鈴篠が、二胡を流して涼やかに笑う。
「……你の一人称は事務所アル?つまり我が言いたいのは、あれアル。我以外黒髪ロングはいらナイ。そういうことネというわけで、くじ引きアル!引いた籤の色に髪を染めると良いネ!」
「それはとっても良い考えだと思いますが、あんまりにも色物集団になったら折角の民族衣装がコスプレ臭半端ねぇ、三次元ねぇわって感じでファンが減ると思います」
ピンクとか青やら蛍光緑やら、どぎつい色の籤を箱に入れた二胡を見て、鈴篠が慌ててそれを制止する。
「むぅ……なら小鈴はどう思うアル?」
「ええとですね、事務所が言うに……髪型変えられるところで対応できる数はそれで。センターの二胡さんが黒髪ロング。これは仕方ないとして、その周り数人はセミロングやショート、ウェーブ等で対応しましょう。これが当たり籤。違和感がない程度の茶髪に少し髪を明るくするのも仕方ないかも知れません。あんまりやりすぎるとビッチ死ねとファンが減るので程ほどに」
敵は元々金髪とかプラチナブロンドとかの連中なのだ。民族の誇りを守るはずの音楽連合。それが染色で元々の持ち味を殺すは如何なものか。此方が相手に戦わずして敗北を認めるような物。
「そもそも……相手側に謙り、敵国で人気が出そうなキャラを売るのではなく……元々私達の国が持っている文化を知って貰って好きになって貰おう!それが私達フォルクローレの目的のはず!」
「それで勝てりゃ世話ないアル。もう我一人黒髪で你们は丸刈りにするネ。二胡と丸刈り坊主ダンサーズとかそういうので良いアル」
流石にこれにはブーイングが出た。国の未来を背負った歌姫達は、ここで謙ることなど出来ない。
「いい加減にして!!」
「誰がお前をリーダーだなんて認めるか!」
「皆さん、内部分裂してる場合じゃないですよ!正直私の事務所もあのクソアマぶん殴りてぇとか思っていそうですけど皆さん落ち着いてください!」
「あーもう面倒ネ!籤に外れた奴は丸刈りっ!それが嫌ならさっさと国に帰るアル!文句アルなら黒髪以外の歌姫加入させるアル!」
*
「……何、これ」
「というわけで、銀髪のお前が歌姫になった。仕方ないじゃろう。お前しかいなかったんだから」
大国の我が儘で、彼女は歌姫の座を降ろされたのか。籤に外れて文句を言ったところ、自慢の髪を切られてしまった。そんな状態で歌姫として頑張ったところで……実力は発揮できない。可哀想に。そう思う。
でも、何か変だ。彼女の受けた屈辱と悲しみは解るが、なんだろう……この、事の発端の程度の低さは。こんなことのために、私はチャハヤに嫌われたのだろうか?
「私、明るいの嫌」
「文明の機器、日焼け止めとコンタクトレンズとやらで何とかせい」
「やだ」
「褐色銀髪は正義らしいぞ」
「正義と悪は表裏一体。どちらもあって、どちらだけはあり得ない」
「ワヤンよ。お前にとってチャハヤは何だ」
「友達。家族も同然」
「そうか。なら彼女が受けた屈辱は何だ」
「私の屈辱」
「ならばお前は音楽連合を許せるか?」
「許せない」
「よし、それじゃお前が歌姫だ。今日から頑張るんじゃぞ」
(何だろう。この……乗せられてしまった感は)
それは勿論、チャハヤの敵は私の敵だ。音楽連合の中でのし上がり、いつか二胡に目に物を見せてやる。最初はそんな気持ちもあった。だけどそれも航海の間に徐々に薄れた。
もしチャハヤと喧嘩をしないまま、敵討ちを請われたのなら私は怨み、地の底まで二胡を追いかけただろう。けれど私は彼女に嫌われて、もう話も出来ないくらい遠い場所にいる。
此方に着いて解ったよ。
モニターの中に映る私を見て、彼女が何を思うか。彼女は私を恨んでいるだろう。あんなに綺麗な光だったのに……彼女は憎しみの心を抱え込んでしまった。
仲直りをするならば、昔一緒に歌った歌が良い。彼女が私に教えてくれた歌だ。大切な歌だ。それを歌えば彼女にきっと、私の心は届くはず。そう思うのに、もうあの歌の権利さえ、今は私の故郷にはない。
チャハヤが得意とする歌も踊りも、彼女は使うことが出来なかった。使う度に権利料の請求が来る。民族音楽連合としても、権利所持の曲数の少ない彼女を使い続けるのは無理があった。
(あ!)
目を見開いた私に、仮面の師匠が頷き寄った。
「籤は……あらかじめ細工されていたの?」
「……ふむ、なかなか見えてきたのぅワヤン」
「私達の情報や知識は表に流さない。形がないから権利にもなっていない。それを使って新しい歌を作らせるつもりか」
「そこまで解れば上出来じゃ」
私はお師匠様を睨む。音楽連合に加入する意味がまるで分からなかったから。
「嫌だ!私、歌姫なんかならない!ここでチャハヤの仇は取れない!歌も踊りも取り戻せない!こいつらは私達からまた奪う気だ!!」
「良いかワヤン。よくこれを見よ」
「……明るくて見えない」
「……ごほん、これにはな……音楽連合に入り、協力者を得よとある」
「協力者?そんなの価値観が違う。解り合えない。音楽連合内だって、足並みは揃わない」
私の言葉に師匠は頷く。そして続ける。
「早まるなワヤン。何から何まで解り合えない者などいない。逆に解り合える者も居ない。何処から何処まで解り合え、何処から何処までを解り合えないか。それを知るのがお前の役目」
「難しい……」
「完全を求めるな。簡単に言うなれば、それは神よ」
「神?」
「創造のためのには、破壊を行う者が必要なのだ。或いは慈悲ある魔女でも構わない。その上で同じ方向を向いている者を探すのだ」
音楽連合は所詮足場よ。様々な派閥に出会うための浮島だと師匠は言う。
「お前の目は人が見える物を見ることは困難。されぞ人が見るに困難は、いと易し。故にお前が選ばれた」
「……」
「ワヤン。歌とは何ぞ?」
「……歌は、光」
「ならば光を探すが良い。何色の光かは知らぬが、お前の目には見えるだろう」
ワヤン回。
ワヤンちゃんはアルビノ…って設定にしようと思ったけど、褐色銀髪萌えの誘惑には勝てなかったorz
理論上は髪だけとか目だけのアルビノもあるそうですね。それじゃ彼女は髪と目だけそうなんでしょう(投げやり)。
ワヤンちゃんの掘り下げソング。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21366626




