9:仮面と影絵のシルエット
民族音楽連合こと『folclore』。スペイン語のその名の通り、このグループのメインがそうかと言えばそうでもない。
このグループ名はラテンアメリカの音楽のことを意味するわけでもなく、そもそもはフォークロア。民俗的な伝承を表す言葉。よって音楽連合『folclore』は、世界各国に残る伝統文化……それに重きを置いたまとまりである。
例えば教会音楽集団『Barock』は、西の教会文化圏がまとまった集まりであり、守るべき文化や風習は宗教的な価値観だ。そこには宗教に染まる前の伝統や文化、そう言った物の取りこぼしはどうしても存在してしまう。
同じ国内にありながら三強に従わなかった勢力が、新たに『folclore』に加わる例も少なくない。そういう忘れられ掛けた音楽達を取り込んで、『folclore』は膨れ上がった。今となっては四番目の勢力と言っても過言ではない。
それでもここは烏合の衆。利用し合い、蹴落とし合うこの場所は、蜘蛛の糸に群がる地獄の亡者共のよう。
(……あの子は)
少女はそれをじっと見つめていた。
何も発さず、彼女はモニターを見つめていた。四角い箱の中には二人の人間。可憐な歌姫と黒服の青年。話には聞いていた。聞いたとおり、あの銀色の髪のその歌姫は自分とよく似た髪の色をしている。暗がりに隠すには少々目立つその色が、突然黒に覆われた。
何が起こったのだろう。少女が首を傾げる前に、室内の……少し離れた向こうから、わっと歓声が沸き上がる。別の角度に配置してあったモニターには、その一部始終が映されていたのだ。
「あはは!来た来た来たぁっ!とうとう尻尾を掴んだアル!」
けたけたと笑っているのは、二胡。チャイナドレスに身を包んだその格好からして、彼女の出身国は言わずとも知れたこと。彼女は美しい黒髪と、そのスリット入りのセクシーなドレスから覗く脚線美からか……この国ではかなりの人気を誇る。
「あのー……いいんですか?二胡さん」
「何がアルか?」
「えっと、幾ら私達folcloreが×××さんに味方したからって、仕掛けに行くのは早計じゃないでしょうか?」
「 小鈴は喧しいアルな」
恐る恐ると言った様子で発言した和服の少女を、二胡は面倒臭げに振り返る。
今発言したあれは神楽 鈴篠という娘。彼女も今回クーデターを起こした『大和と撫子』同様に、この国出身の歌姫だ。しかし二胡は小国の歌姫の発言など、全く聞く気がない様子。
「いいアルか?教会音楽集団の歌姫は、あの金髪の方がおっかないネ。なよなよした銀髪の方から狩るのが道理アル」
その後、後は数に物を言わせて金髪の歌姫を始末すれば良いと彼女は言った。しかしその言葉に、鈴篠はふぅと嘆息を返す。
「仮にそれが無理だとしても、この証拠は三強の一つを破るに十分すぎる証拠です。とは言え、あまり気乗りしない仕事ですね」
自国の文化を守るため、民族音楽連合入りした彼女としては、folcloreが×××の傘下に下るのは複雑な心境のよう。珍しくそれに同意し頷く二胡。
「そもそも×××なんて小国に顎で使われるのが気にくわないネ」
ああ、そういうことか。気位の高い彼女は、それが気にくわなかったのか。長き歴史と文化を守り続けたはずの彼女の故郷が、多くを失ったのは数世紀前まで遡る。
音楽が世界を救うと宣った、大馬鹿者が作り上げた世界平和。それが生み出した弊害。
(そうだ。音楽は世界を救ったりしない)
数世紀前、二胡の祖国とも×××の国はあることで争った。音楽戦争の前に生じたそれは、文化戦争とでも言えば良いだろうか。
その頃人類は、地球上から戦争という概念を葬り去った。世界平和を守るための世界法が生み出され、世界警察が世界平和を管理するシステムが出来上がった。勿論、行き過ぎた内政干渉は問題。自国の法律は世界法に違反しない程度に残され、風習や文化の保護もある程度は守られたのだ。この国風に言うなれば、世界が国で、国家が地方自治体。国法は地方条例のようなもの。
何処かの国が問題を起こせば、世界法に則って人はその過ちを正す。絶対の正義として“世界法”を定めてしまった。しかしこれが問題だった。
世界の代表から選ばれる世界議会が、賄賂に屈してしまったのだ。いや、そもそも選ばれたメンバー……、それが都合の良い人間になるようにと、予め金で操られていたのか。今となってはその辺りは解らないことだが、世界法が金によって歪められてしまったのが問題だった。
世界議会は“権利法”なる物を制定。時に著作権を特許登録や商標登録が打ち負かしてしまうように、この権利登録という物が世界を混沌に導いた。権利登録、権利更新には莫大な金が必要。しかし、金さえあれば嘘さえ真になってしまう。それを肯定したのが権利法。
世界メディアを既に掌握していたその国は、ギリギリまでその制定を外に漏らさなかった。
人々がそれに気付いたときはもう、時既に遅し。法改正を願うには世界議会のメンバー入りをしなければならないのだが、そのような思想の持ち主は妨害によってまず選出は不可能。
世界各国に存在する文化。その中に内包される多種多様な分野の作品と権利。拝金主義が根付いた世の中、それにいち早く気付いた人間が、金での根回しを行って、根刮ぎ他国の歴史と文化を略奪し出した。早い者勝ちのその戦争は瞬く間に終わってしまい、自国の宝をわけのわからぬままに失った。それからと言う物、何をするにも略奪者に金を支払わなければならない日々。
歌えない歌がある。口ずさむことが罪になる。母国の言葉、耳と心によく馴染んだ歌詞だって……自由に歌うことは叶わない。悔しいだろう。誰だって、そんなことは嫌なはずだ。
しかし、戦争の消えた世界で……軍事力に物を言わせて自国の宝を取り返すことは出来ない。歪んだ法を持ちながら、絶対の正義に位置する世界警察が邪魔をする。もうどうすることも出来ないのか。人々が悲しみに暮れる中、何を血迷ったのかその連中、今度は音楽侵略なるものを展開させた。
軍事力を用いての戦争は御法度。それなら歌で音楽で侵略を行えばいい。アイドルを歌手を売り込んで、嘘の歌を歌って広める。歌の力が世界を飲み込んで、領土の主張まで始まった。歌姫を愛する者はその主張を肯定し、世界の均衡が揺らぎ出す。
音楽を用いた戦争。確かにそれは法の抜け穴。先の戦争で上手いことをやってのけたその国が、一つだけ愚かだったところは……そういうやり方があると言うことを全世界に教えてしまったことだろう。
その結果、今日の音楽戦争が始まった。ギリギリまで武力行使は避けながら、自国を守り……かつて手にしていた宝物を取り返すため、私達は立ち上がったのだ。
暗いモニター画面に映り込んだ、冷たい少女の瞳にも激情の色が浮かぶ。強い想いがそこにある。故に少女は思うのだ。
人は我々を負け犬連合などと呼ぶかも知れないが、生まれた国が異なれどfolcloreに属する歌姫達は、自国の文化を愛しているのだ。そのために衝突することも多いが、認め合える部分も多少なりとは存在する。
「でも、二胡さん。これも仕事ですよ。引き受けてしまった以上、今更どうにも出来ません」
「そーアルなー。お金貰ったしやらナイ駄目かー。お前はどうするネ?行くアル?行くナイ?」
「……」
二胡の質問に、私はじっと視線を返すのみ。それに彼女は呆れたのか、一人で画面の現場に向かうことにしたようだ。
「相変わらず無口な奴ネ」
「しっ!二胡さん駄目ですってば。彼女、日本語まだ喋れないんですよ」
「小鈴は行くアル?」
「事務所がそう言うので」
仕事着からもう一つの仕事着に着替え始める二胡の傍に、もう着替え終わったらしい鈴篠が現れる。
「それじゃ、影さん。モニター部屋の留守番お願いしますね」
彼女はぺこりと一礼し、二胡と共に姿を消した。
「……」
懐から取りだした仮面。名前はある。いや、あった。それさえ起源を奪われた。今は名もないその仮面。名を上げるためとはいえ、それを奪った者に仕えなければならないこの屈辱。
私は、ワヤン=パジェガンは考える。手にした仮面をじっと見つめて。
(婆様……)
婆様は見極めろと言った。私にそう言った。
今日は一人欠けているが、モニターの中の少女とあの青年。二人がそれに値する人物なのかを。
*
キスくらい、したことはある。フォルテのほっぺたにとか。
それでもあんなに深いキス。私はまだ知らなかった。
(リュール……ごめん)
フォルテはこの人に好意を持っている。私までこの人をそういう風に感じては駄目。それなのに、この数日間の彼の言葉がぐるぐると、頭の中を駆けめぐる。彼は私を、僕を可愛いという。優しい顔で、優しい声で懐かしむよう慈しむ。組織の中の派閥争い。信頼できる味方の少ない場所で、ほっと安心できる人を見つけた。
それは私にとっても懐かしくて、昔に戻ったみたいに思う。家族みんなで暮らしていた頃のようだと。それでも、あの頃になかったものがある。
(どうして、こんなにドキドキしてるんだろう)
クラヴィーア=シュリュッセルは戸惑っていた。こんな風に取り乱すこと、自分はこれまであっただろうか?いや、多分無い。
私には大事な仕事がある。それなのにこんなに取り乱して、どうしてしまったというんだろう。この人は一般人。少し変わっていても普通の人。多分私より弱い。
(でも、私を守るって……)
あんな真剣な顔で、私にキスをした。そう、約束の後にもう一度……私はされたのだ。勘違いとして処理しようとした気持ち。それを逃げないでと……逃がさないと言われた気がする。今だってこうして、強く手を握られている。
「シュリー?」
歩みが送れている私に、先を急ごうとウェルさんが言う。
「は、はい」
「道はこっち?」
「え?はい、そうです」
頷いたところで私は闇に煌めく物を見る。
「……っ!下がってウェルさん!」
彼の腕を引き、私が前に出る。襲い来る飛び道具には、楽器ケースで打ち払う。それを見てヒューと口笛を吹く少女。
「やはり来ましたねフォルクローレ」
襲撃者には予想が付いた。昨日私を襲った相手。
「良いんですか二胡さん?センターの人気歌姫がこんな所に現れて」
目星を付けた相手の名を告げれば、仮面の少女が仮面を外す。気の強そうな、それでも気丈な雰囲気を感じさせる釣り目の少女。長い三つ編みは闇に溶け込むような美しい黒。芸能活動時は髪を解いて一部をお団子にしているが、そのままでは暗殺には向かないだろう。
「……何故、解った?」
「貴女は昨日、営業で使っているアル口調を使わなかった。それでも独特なイントネーションのズレには気付きます」
グループのリーダー格から現れるなんて問題外だが、相手は烏合の衆。そう考えれば理由も付く。
「仕方ないネ、それじゃお前二つに一つアル」
片手に武器を構えたfolcloreの二胡は、唇を吊り上げにやりと妖しく笑う。そしてもう片手の指をパチンと鳴らした。
「ここで私に殺されるか、見逃されるだけの誠意を見せるかネ」
指の音に合わせてその場に駆け寄るのは喪服着物を着た少女。彼女の顔にも見覚えがある。確かfolcloreの一員だ。着ている物からして出身地はこの国か?
「あの、ごめんなさい。こういうの私はあんまり良くないかなって思うんですよ、それで有給使おうと思ったんですけど駄目って言われて。でもこれだってお給料出てますし、事務所もそうしろって言うので」
人の顔色を窺うようにもごもごと、騙る少女の手には携帯電話。
「今のお二人のキスシーン、写真と録画とか録音とかもろもろしちゃいました」
歌姫が男とキスなんて、とんでもないスキャンダルですよねと……彼女は恐ろしいことを口にした。揉み消すためには金。この場をどうにかするにも金。金を払えないのなら社会的にも肉体的にもここで死ねと彼女たちは私達に、そう告げた。
新キャラ登場。民族音楽連合の歌姫達の一部。
大体の仕組みは大体握手券とかの某アイドルグループのノリをイメージ。私はその辺全く詳しくないので、そこに詳しい友人に聞いてきます。
数回前のことが記憶に引っかかり、伏線として消化しようと思ったら、ワヤンちゃんが生まれました。何処出身かは大体名前でわかりそうね。