婚約者の代わりに書類を捌き続けた公爵令嬢
「こちらが本日中のもの、こちらが明日午前中までのものです。
お願いします」
王太子の執務机の上に、書類の山が2つ置かれた。
書類を持ってきた文官は、何の感情も表していない顔で丁寧かつ静かに置いて部屋を出て行った。
机の上は、うずたかく書類が積み上がり、壁のようになっている。
つい先ほどまでは斜め前方から長い金髪が覗いていたが、今はもう見えない。
長い金髪──その持ち主は、王太子ではなく、第1王子の婚約者であるトーア・マットレース公爵令嬢だ。
トーアは、王太子の執務机で、第1王子の代わりに王太子の仕事をしている。
本来、この王太子執務室で執務するのは、第1王子であるストンプ・グルールのはずだった。
いまだ王太子指名がなされないため、王位継承権1位であるストンプがその仕事を振られている。
王太子になるに当たっての実地訓練も兼ねていることは、衆目の一致するところだ。
だが、ストンプは、仕事をトーアに押しつけて遊び歩いていた。
最初のうちは、執務机はストンプが使い、トーアは別の机を入れてそこで補佐をしていた。
それがいつの間にかトーアが全て確認し、ストンプは署名するだけになり、やがてトーアがストンプの名代として全て賄うようになってしまった。
そして18歳の今ではストンプの全権委任状により、トーア自身の署名で完結するようになっている。
これは、トーア自身が王位継承権4位であることも関係している。
マットレース公爵家の当代には王姉が降嫁しており、トーアはストンプの従妹に当たる。
ちなみに、継承権2位は現在10歳の第2王子、3位は王弟で現ツガナーイ公爵と、ストンプのライバルにはなりそうにない面々だ。
ストンプが遊び歩いているのも、この現状と、優秀なトーアに執務を丸投げできることが理由となっている。
もっとも、遊び歩いているせいで未だに王太子の指名を受けられないでいるのだが。
なまじトーアが王太子の執務をこなせてしまうため、名代としてトーア自身が執務することが周囲にも受け入れられ、貴族院に王子名代として列席するようになったり、王妃の仕事の一部が回ってくるようになってきたりしていた。
お陰でトーアはほぼ一日中王城にいることになり、半年前からは王城に部屋と侍女を与えられて住み込んでいた。
公爵邸との往復に掛かる時間などがなくなるだけでも、かなりの時間短縮になっている。
食事もほぼ3食執務室で摂るような生活だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そんな多忙という言葉ではすまないほどの過酷な生活を続けて1年。
トーアは19歳になっていた。
この1年間でストンプの顔を見たのはたったの7回。
月に一度にも満たないし、正しく“顔を見た”だけで言葉を交わしたことは一度もない。
そろそろ婚約関係についても見直す時期になっている。
もっとも、その前にストンプの方で何か仕掛けてきそうではある。
報告では、1年ほど前から、ストンプはショーワル・ネトリー子爵令嬢と親しくしているらしい。
婚約の解消なり破棄なり言ってくる可能性が高いとのことだ。
トーアとしても、婚約がなくなることは諸手を挙げて歓迎するところだ。
トーアから申し出てもいいが、すがりつかれても面倒だ、ということで黙っている。
一応、平穏に婚約を解消する方向で動いており、近々開かれる夜会で王太子指名が行われるまでには終わっている見込みだ。
そんな頃、王が3日ほど王都を離れることになった。
「トーア・マットレース! 貴様との婚約は破棄だ!
我が物顔で王太子執務室を使いおって!
罰として侯爵家から除籍の上、国外追放してやる!」
ドカドカと足音が廊下から響いてきたかと思うと、ノックもなくドアが開かれ、ストンプが叫んだが、書類に向き合っていたトーアは顔も上げず無視した。
「トーア! 聞いているのか!」
更に叫ぶストンプに、トーアは一言告げた。
書類の壁の向こうから。
「少し待ってください。今、急ぎの書類をやっているので」
「ふざけるな! 王太子の俺に向かってなんだその態度は!」
「あなたは王太子ではありませんし、王子よりこの書類の方がずっと重要です。
あなたがいなくても誰も困りませんが、この書類を回さないと国政が滞るのです」
「なんだとお!」
机に近付こうとするストンプの前に、護衛が立ち塞がった。
「お止まりください。
机上の書類が崩れると、問題になります」
「貴様、俺を誰だと「陛下から厳命されております」
護衛ににべもなくあしらわれたストンプは、歯がみしながらトーアを──正確には、トーアがいるであろう机上にそびえる書類の山を──睨み付けていた。
やがて、サインを終えた書類を待っていた文官に渡したトーアは、ようやく机の前でストンプに対峙した。
頭も下げず挨拶もせず、腰に手を当てて正面からストンプを見ながらトーアは口を開く。
「さて、ストンプ様。
先ほど何か喚いていたようですが、何の用です?」
「だから! 婚約破棄して国外追放だと言っている!」
「国外追放とは、また随分と重い処分を」
「それくらいですませてやるんだ、喜べ!」
「では、そのようにしましょう。
ストンプ・グルール王子の希望により、ストンプ王子とショーワル・ネトリー子爵令嬢の婚約は破棄、ネトリー子爵令嬢は貴族籍剥奪の上、国外追放処分。
記録しなさい」
「何を言ってる!?
国外追放されるのはお前だ!」
いきり立つストンプにトーアは涼しい顔で答えた。
「ストンプ王子に私をどうこうする権限は与えられていません。
本来なら、貴族令嬢であるネトリー子爵令嬢に対してもなんら権限はありませんが、ご自分の婚約者の処遇なので意見を汲んだのです」
「貴様、王太子である俺に対して無礼だろう!」
トーアは、わざとらしく意味がわからないという顔をして
「王太子は私ですが」
と答えた。
「何を言ってる!? 次の夜会で俺が指名されるに決まってるだろうが!
継承権1位だぞ!」
「それこそ何を言っているのです?
夜会でいきなり決まるわけがないでしょう。
夜会は発表の場に過ぎません。
既に私が王太子として陛下に指名され、貴族院でも承認されています」
「そんなバカな話があるか!
4位の公爵令嬢ごときが!」
「実質的には2位でしたし、血の濃さで言えば私とあなたは同等。
なにより、私には、この3年間、実際に国政を動かしてきた実績があります」
そう、トーアは、ストンプが国政に関わっておらず全てトーアの名で書類が作られていること、貴族院でもトーアがその名において発言していること、王妃の執務の一部さえ肩代わりしていることなどをもって、王から王太子の指名を受けるに至ったのだ。
「貴様!」
つかみかかろうとしたストンプは、護衛に捕らえられた。
「王太子を害そうとした叛逆罪です。
北の塔に入れなさい。
せっかく私の王太子指名に伴ってネトリー子爵令嬢との婚約が認められたのに。
あなたは臣籍降下して伯爵になれたのですよ?
おとなしくしていれば、それなりに生きられたのに、愚かにも、自分で全て壊したのです。
愚かであることは、本当に罪ですね」
衛兵に引き渡されたストンプは、喚き続けた為に口枷をはめられ、引きずられていった。
「まったく。
実際に国政を動かせない者が実権を握れるわけがないでしょう」
トーアは、何事もなかったかのように執務を再開した。




