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愛はいらない、地位だけ寄越せ ~すべては薔薇咲く日々のため~

掲載日:2026/02/09

利害の為でなく愛する人と結ばれたいので婚約を解消したい男と、利の為だけに結んだ婚約なので絶対に解消などしたくない女の会話劇。

タイトル通りの物語です。

 うららかに晴れた午後。私は婚約者のラッセル様に呼び出され、彼の住まうアルドリッジ伯爵邸の丹誠に手入れされた庭園へと招かれていた。

 こちらの庭の見所は、何を置いてもあのカメリアを語らねば始まらない。海を隔てた異国より伝わったという、あの立木。大奥様の伝手でこの庭に移植されたそうだ。他の広葉樹が寒さで葉を枯らし恥ずかしそうに細い枝をさらす中、深々とした緑の葉を茂らせ美しい赤の花弁と愛らしい黄の花芯がその身を彩っている。花びらを解くことなく花の形のまま地面に落ちる姿すら見事なものだ。

 伯爵家の見目を楽しませるため、あえて落ちた花のすべてを取らずに数輪を残しているのだと教わった時には、なんと美意識の高い庭師が居るものだと羨ましく思ったものである。

 ああ、今日も良いものを見せていただいた。満足して、視線をゆったりと庭から目の前へと戻す。

 ガゼボのテーブル、その向かいに腰掛けている硬い表情をした婚約者へと。


「いつもながら美しいお庭ですね、ラッセル様」


 この席へと通されてから、初めて私は口を開いた。そのことに、彼はどこかほっとした表情を浮かべる。

 彼が言いにくい話をするために私を呼び出したことには気づいていたし、彼もまた私に気づかれていること、そしてだからこそ私が話を聞く素振りも見せずに花を眺めていることに緊張していたのだ。

 やっと会話をする許可がでた、と言いたげな顔をする彼に内心苦笑をする。身分であれば彼の方が上なのだ、そんな気遣わずに会話を始めたってかまわないのに。こういう礼儀正しさが好ましかった。好ましかった、そう、過去形だ。


「エラ……いや、エラ・ローパー嬢。婚約を解消してほしい」


 今はどうとも思わない。


「君が祖母のお気に入りであることも、両親の覚えがめでたい事も理解している。たとえ身分は低くても、この伯爵家に嫁ぐに相応しい能力を持っていることも」

「ありがとうございます。これも偏に大奥様と奥様のご教授の賜物ですわ」


 謙遜はしない。必死に努力をし、伝手を得て自分を売り込んで、歴史ある伯爵家の一員となる為の教育へも食らいついた。そうやって相応しい能力を得たからこそ与えられた地位だ、これは。

 なりふり構わず得た地位を、この婚約者は、捨てろと言っている。


「婚約の、解消ですか」

「ああ」

「お断りします。私に非もなく、利もないのに受け入れる理由がありません」


 これが伯爵家の総意としての婚約解消であれば、この人ではなく御当主か、あるいは大奥様から話をされるだろう。だからこれは、婚約解消をしたいという意向をまずは私に伝えるのが誠意であろうとこの人が思ったからに他ならない。もしくは、当事者同士は納得済みとして私からも話をすることで要望を通しやすくさせたいという下心もあるか。

 いずれにせよ私が解消に同意するわけないのに。


「……私には」

「はい」

「他に愛している人が居る。心を別に寄せておきながら君を娶るのは余りに不誠実だ」

「いいえ、お気になさらず。家の利害で結婚するのですから何の問題もありませんよ」


 だって私も愛していませんし。大奥様が私を婚約者として引き立ててくれたのも、目的の為に縁続きになりたいのでそれさえ叶えて下さるならこの家への労力を惜しみません、という『家のために便利に使える手駒』だからである。

 あら、この人ったらもしかしてそれを知らないのかしら? それもそうね、たかが一代男爵の娘を利用し利用されるために貴方は結婚するのよなんて、いくら大奥様でも言わないわよね。


「モートレー伯爵家の三女を知っているか?」

「ええ。奥様に連れて行っていただいたお茶会でご挨拶をしたことが。ニーナ様、だったかしら?」

「本当なら、彼女と連れ添うはずだったんだ。祖母が君を連れてさえこなければ」

「そうでしたか」


 モートレー伯爵領からは小麦の買い付けをしていたな、成程、昔から付き合いのある家から娶る予定だったのか。家格も伯爵位同士で釣り合いがとれるし、三女だし、年齢も……確か一歳違いだったか? 妥当な婚約候補だ。


「……お互い、ずっとそのつもりだったんだ」

「それならば何故さっさと婚約を取りまとめなかったんですか?」

「モートレー伯爵が欲を出したからさ。ニーナは美しいから」


 惚れた欲目とは言うまい。確かにニーナ様は可愛らしかった。すべらかなホワイトゴールドの髪、ぱっちりとしたハシバミ色の目、まろやかな頬は薄紅に染まり、この庭に咲くカメリアのような赤い唇をそっと開けば柔らかな声音が発せられる。華奢な肢体も相まって、人形に命が吹き込まれたか、はたまた人に化けきれていない妖精か、といった様相だった。

 可愛らしさだけで渡り切れる世間ではないが、それでも物語のように格上に見初められて嫁がせることも出来ようと欲を持ってしまうのも分かる。私自身は、見目だけで見初められた先で本当に幸せになれるのかは甚だ疑問だけれど。そんな親の思惑のせいで私なんぞに掻っ攫われるだなんてニーナ様もお可哀そうに。

 もしかしてお茶会で挨拶した時ずいぶんと奥様は私を持ち上げてくれていたけれど、それってニーナ様へ諦めなさいと言外に伝えていたんだろうか。ニーナ様についても、儚げなわりに目だけは力強いお嬢さんだとも思ったけど、それももしや……あら、まぁ。


「それで、ニーナ様に思いを持ったままでは……と仰るのは良いとして、それは一方的なものではないと考えてもよろしいのでしょうか」

「勿論だ」

「さようでございますか」

「君が献身的に勤めてくれていることも分かっている、慰謝料だろうとも事業の補償だろうとも、私にできることは何だって生涯をかけて償う。頼む! どうか、どうか婚約の解消を認めてほしい!」

「もう一度お伝えいたしますね。お断りいたします」

「何故!」

「ですから先ほどお伝えしたではありませんか。ラッセル様こそ、どうして今更になってそのお話を? 結婚式まであと三月程ですよ? 私との婚約が取りまとめられた時すぐにでも言えばよかったではないですか。大奥様が私を連れてきた時のことをお忘れで? 一代男爵の娘など平民同様、なればこそ最低でも二年は教育のために結婚はさせないと。時間も付け入る隙もあったでしょうに」

「その頃はニーナにも縁談が来ていたんだ! それも侯爵家とだ! 私だって諦めるしかなかった、最初は難色を示していた母ですらすぐに君を認めたし、エラとこの家の為に生きるつもりだった!」

「そのお覚悟が翻る事態が起きた、と」

「……破談になった。ニーナでは侯爵家の嫁として足りない、などと言ったらしい。忌々しい、バートの奴め、どうせニーナがいつまで経っても自分を見ないから疎ましくなっただけのくせに」


 そりゃ疎ましくもなるでしょうとも。ずっと別の男を思い続ける女なんて、可愛さ余って憎さ百倍というやつだろう。むしろ思いを成就させてやるものかと手放さず閉じ込めたりしないだけマシなんじゃないかしら。

 実際のところがどうなのかはわからないが、能力が足りないという理由で破談になるというのは次の縁談に差しさわりがある。いくら美しかろうと適齢期のいい男もそう残ってはいないだろうし、逆に美しさ目当てのどうしようもない男(同年代以外の後妻や愛人目当ても含む)からは手を出しやすくなってしまった、というところだろうか。


「申し出が今になった状況は理解できました。ラッセル様」

「……なんだろうか」

「急いでいるの、それだけが理由ですか? 本当に、他に取られてしまう前に、だけですか?」


 私は生粋のお嬢様ではない。功績が認められて一代男爵を賜っただけの商人、その末娘だというだけだ。だから、それなりに耳年増だし男女に関する下世話な想像だって出来ちゃう。一度は引き離された想い合う幼馴染、それが手を取り合える可能性が出てきて、けれどまた離されてしまうのは時間の問題。そんな焼け木杭に火が付いたなら?

 まっすぐにラッセル様の目を見る。アンバー色の素敵な瞳。それがきょろきょろと動いている。琥珀には虫が閉じ込められているものがあると聞いたことがあるけれど、それが動き回ったらこんな感じなのかしら。どうでもいいことを考えながら、いつ目が合うかとじっと待つ。結局視線は絡まらないまま、ラッセル様は両手で顔を覆ってうつむいた。


「ニーナに……子ができたかもしれない、と……」

「気を悪くせず聞いてください、念のためです。ラッセル様との子で間違いはないのですか?」

「バートなんぞへそう簡単に肌を許す娘じゃない!」

「ですから念のためと言いましたでしょうに」


 そんなことだろうと思ったけれど、そうか。そうか、子が……


「これで跡継ぎは安泰ですね」

「……、は?」

「早いところ動かないとお腹が目立ってしまうわ。そうですね……ニーナ様は静養の為にどこか田舎へ引っ込んだ、という態で姿を眩ませてもらってこっそり来ていただきましょうか。どこかしら伯爵家で空いてる別宅の類、ありますでしょう? 生まれて三年くらい経ったら、私に子が出来ないから養子をとったとして引き取りましょう。その時に乳母としてニーナ様を家へお迎えすればこの家で一緒に暮らせますね、表向きは別人としてになるでしょうが」


 ああ、でも女の子だったらどうしよう? 跡継ぎとして、という理由が難しくなるか。まぁその時はその時だ、身寄りのない母子を憐れんで引き取ったとか適当な美談をでっちあげて引き取ればいい。

 それよりもモートレー伯爵家にはどう言えば良いんだろう。補償の相場ってどのくらいかしら、場合によってはうちの援助も必要になるかもしれない。御当主様と奥様へ要相談だな、これは。段取りを考えていたら、ラッセル様が呆けた声を上げた。


「何を言っている?」

「何を、とは」

「ニーナを日陰者にしろと言っているのか⁉ 君が身を引いてくれればいいだけだろう⁉」

「いいえ。いいえ、ラッセル様。引きません。アルドリッジ伯爵家の嫡子の婚約者……いえ、配偶者の地位を私は手放したりは致しませんよ」

「地位……地位だと? なら君は格上の家に嫁いで成り上がることだけが目的だと言うのか、エラ!」

「格上の家に嫁ぐ、ではなくアルドリッジ伯爵家に嫁ぐ……もっと言えば、大奥様と縁続きになるためですわ。ラッセル様」

「お祖母様と……?」


 少しアルドリッジ家と大奥様について話そう。

 アルドリッジ家は爵位こそ伯爵位ではあるが、その歴史は古い。この国の王朝の黎明期から存在する家だ。同じ伯爵位の中で序列は最上位にあると言っていい。家系図を辿れば王族が降嫁したこともある家柄である。

 そして大奥様、先代アルドリッジ伯爵の妻であるビヴァリー夫人は公爵家よりこの家へ嫁がれた方だ。先の王の従妹にも当たり、当代王妃とも交流がある。私のような身分の低い娘が婚約者に選ばれたのも、公爵家と繋がりがある今のアルドリッジ家にあまり力が集中しないように、という他家へ配慮としてちょうど良かったという理由もあるのだろう。なんて運の良い事!

 どうして私がこの結婚に固執するのか。それは私の望みを叶えるためのかすかな、それでいて一番現実的な方法が『ビヴァリー夫人と縁続きになる』ことだからだ。


「ラッセル様。私の好きなものをご存じですか?」

「……君は庭が、ああ、いや、花が好きなのだとは聞いている」

「ええ」

「特に薔薇が好きだ、と祖母からは。そして、だからこそ贈るなら薔薇以外を贈るように、とも」

「うれしい! さすが大奥様だわ! ラッセル様もその言葉の通りにしてくださったからいつも様々な素敵な花を贈ってくださっていたのですね!」

「ああ、まあ……そういえば、なぜ薔薇以外なんだ?」


 私の喜びようにラッセル様がばつの悪そうな顔をする。でしょうね。深く理由を考えず、言われた通りに薔薇以外にしていただけでしょうから。


「だって満足できませんもの。適当な薔薇をもらったって」


 手にしたいのは、自分の目で見て厳選に厳選を重ねた薔薇。それ以外を無闇に摘むだなんてとんでもない。

 私は薔薇を愛している。それはもう心から。薔薇を愛でるために生きているといって過言ではない。この世には色、形、幾多もの薔薇がある。それらすべてを手にすることは出来ない、どんどん品種改良されて新たな薔薇が生まれているのだから。この世の中で美しく咲き誇る薔薇があまたあること、それらが誰かに慈しまれていること、そんな愛によってより美しい薔薇が新たに生み出されていること、それを想像するだけで幸せだ。私自身も実家付近に薔薇園を持ち、そこで品種改良を行っている。大奥様と目通りが叶ったのだって、私が支援して生み出した薔薇の美しさ物珍しさが発端だ。


「昔に読んだのですけれどもね。王城には、歴代の王妃様が管理される花園があるそうです。ごくプライベートなお庭で、入ることが出来るのは王族と管理者である王妃様がお招きになる方だけの」

「ああ、その話は聞いたこと、が……えっ、まさか、君」

「その花園には、初代女王アンジェリーナ様のご即位を記念して品種改良をされ贈られた薔薇があるのですって。市井には出回らず、今でも女王が自らの子孫を見守るごとくに咲き誇るという幻の薔薇。なんでもアンジェリーナ様の美しい御髪を讃えるに相応しい黒い薔薇だとか」

「嘘だろう……エラ、君、たったそれだけの為にアルドリッジ伯爵家と縁付こうというのか⁉ 祖母の付き添いとして庭に入るためだけに!」

「たったそれだけ? 私が一身を賭すのにこれ以上の理由はございませんよ」


 例えば私自身が父同様に成り上がったとしても、その花園へ招かれることはないだろう。もしかしたら褒美を望まれた時に願い出れば叶うかもしれない、けれど王家にとってアンジェリーナ様の黒薔薇は重要な意味を持つ。受け取り方によっては不敬と思われる可能性もあるのだ。後ろ盾もない状態で申し出ることは出来ない。何より私は父ほどには目端の利く人間ではないから、成り上がるのは難しい。

 もうひとつ考えた。庭師だ。その王家の庭は黒薔薇を捧げた庭師の家が専属で働き整えているのだという。


「それならいっそ庭師にでも嫁げばよかったんじゃないか?」


 ラッセル様も知っていたのだろう。とげとげしい口調でそう言い放つ。本当に、それが出来たならどんなに良かったことか。


「真っ先に考えましたし調べました。今の庭師一家、子が姉妹しか居なかったんですよ」

「ああ……それは、その」

「ご姉妹とも腕の良い婿を迎えられたそうです、めでたい事ですね」

「そ、そうか」

「ええ。なので私にとって現実的で可能性があったのは、招かれる立場の人間と縁付いて相伴にあずかること。なんとか叶えたのが、この現状です」


 下手に目的を隠して王族への謀反等を疑われてはいけないから、私自身と我が商家のメリットを語るときに大奥様へはお話をしている。大奥様は私の目的を聞き、呆気にとられた後に大きくお笑いになった。あの気品あふれる大奥様が!


『こんな割のいい取引があっていいのかしら。貴女、金でも名誉でもなく、ただ一輪の薔薇と引き換えに己を捨て滅私奉公をすると言うの?』

『いいえ、アルドリッジ前伯爵夫人。一輪すらいりません、麗しの黒薔薇を手折るだなんてとんでもない。ただ一目、咲き誇る姿を目にしたいのです。そうして今もなお薔薇咲く日々が続いていると間近に知ることさえ出来たなら、私はそれだけで満たされるのです』

『ああ、エラ・ローパー嬢。貴女、実によく学んでいらっしゃるのね』


 これも書物に書いてあった。ある目的以外で黒薔薇を摘むことは禁じられている。剪定で花を落としたとしても、それらはすぐに焼却される。黒薔薇が摘まれる意味。それは王族が身罷られたということ。その時に咲く黒薔薇の中で最も美しい一輪を摘み、棺の中に入れるのだ。天の国に住むアンジェリーナ様はその薔薇を目印に、己の一族をお迎えに来られる……ということらしい。そのために小さな温室で時期をずらし必ず花の咲く株があるように生育されているそうだ。

 由来から物語から、何もかもが美しい薔薇ではないか! こんなにも愛され続ける薔薇がこの世にあるだなんて! 存在を知ってしまった時から、私は黒薔薇の虜なのだ。

 大奥様はお約束くださった。アルドリッジ家に相応しい嫁だと伯爵と伯爵夫人に認められたならば、結婚後一年以内に花園へ招かれるように手筈を整えて下さると。そして結婚式が近づいてきた今、温室で守られる薔薇ではなく、地植えされ今日まで守られ続けた原初の薔薇が咲き誇る時期にお招きくださるそうよ、と。大奥様はお告げになったのだ。

 夢見た瞬間がまさに手の届く範囲までやってきた。誰がそれを目前にして投げ捨てるというのだ!


「先ほど、私と家の為に生きるつもりだったとそうお話しされていましたけれども。ラッセル様、貴方それならばもっと私を知ろうとすべきでしたわ」

「なっ」

「知っていれば、この婚約がただただ『伯爵家の嫁』という仕事にうってつけの使用人紛いを餌で釣って家に招く為のものと理解していたでしょうし、そうであれば私と貴方はいわば共同経営者のような関係だと割り切って交流できたというのに」


 そうであれば、貴方もこんな苦しそうな顔で私をにらみつけることしかできないなんて思いを抱くこともなかったろうに。可哀そうな方。


「私が嫁ぐことを拒絶することも出来ないから、なおざりに花ばかりを贈って、顔を合わせれば親しげに、やさしさと礼儀を持って接しはしても決して自己開示はなさらない。それで私と生きるつもりだったなどと取り繕うことをおっしゃらずとも良いのですよ、ラッセル様。その態度から私、最初から愛も情もない結婚だと思っておりましたし、それで何も問題ないと受け入れていたのですから。ですからね、貴方に最愛が居ると告白されたとて、ああそうですかとしか思わないし、それは婚約解消の理由になどならないんです」


 貴方がもっと自己中心的でなりふりも構わずに、私など愛さない、お前はお飾りの妻だ、最愛の相手は別に居る……なんて物語のように言うのであれば、どうぞどうぞご随意にと認めて愛人としてニーナ様を家へ招いたことだろう。愛し合う二人の隣で私は肩書だけの本妻となって任された仕事を粛々とこなしてみせよう。

 あるいは貴方がもっと誠実で、状況が変わってすぐにでも、ニーナ様へ手を出す前に私へ申し出てくれていたならば、私だって目的のあとに身を引く算段を整えただろう。アルドリッジ伯爵家に入るための準備をニーナ様がしている間は私が妻として働き、問題なく引き継げる頃合いになったら離縁すればいい。薔薇の恩義に報いるためならば、その後こっそりと補佐として使用人にだってなろうとも。

 けれどそのどちらもラッセル様は出来なかったから、とるべき段取りを間違えてしまったから、愛するニーナ様を日陰者として得るしかなくなってしまったのだ。


「ニーナ様を囲うのであればお好きにどうぞ? 私とは名ばかりの結婚で構いませんわ。何を言われようとも私と私の家はこの期に及んでの婚約解消など受け入れませんし、伯爵家の皆様にも私の意向はお伝えします。これだけ手をかけて教育した人材を今更手放そうとは奥様もお思いにはならないでしょうけれども」

「そんな……」

「ラッセル様が私に女王の名を冠するあの黒薔薇を見せることが出来るというのならば婚約解消も構いませんわ。けれど、王家の花園に咲く門外不出の薔薇を見せるのは貴方には不可能でしょう? ああ、何年かかってもきっと見せるから、なんて事はおっしゃらないでね。大奥様は結婚後一年以内には見せて下さるとお約束くださっているの、それより不確かでしかも時間がかかるなら私に利はないわ」


 どうぞ愛はたっぷりとニーナ様へ注がれたら良いのです。私へは一滴も注がずとも結構。

 愛はいらない、地位だけ寄越せ。どうせ私たちはたった今、信頼すらも築けそうにない間柄になったのだから。

 ああ、こんな私を娶るしかないだなんて、ラッセル様。


「ご愁傷様」


 心からそう告げる。琥珀色の瞳から、ぽろりと涙が転がった。

園芸に心血注ぐ人間って一定数居ますよね、という話。

女王に捧げられたバラのイメージはブラックバッカラという赤黒い品種で、エラが支援して品種改良を進めたバラのイメージはルイ14世という暗い赤紫の品種。花園の黒薔薇を妄想してひたすら暗い色を出すことに執着した結果の代物。品評会に並んだその異質な色合いがビヴァリー夫人の目に留まった、という発端でした。

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― 新着の感想 ―
ただ一度憧れのバラを見るために、自分の人生全てを捧げようとする主人公の姿がとても良かったです。
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