猫、英雄誕生の席に居合わせる
英雄は、静かに作られるものではない。
むしろその逆で、大げさなほどに音を立て、光を浴び、拍手の中で形を与えられる。英雄とは、生き物ではなく役職なのだ。
レオンが目を覚ましたのは、白い天井の下だった。
消毒薬の匂い、柔らかすぎる寝台、静かすぎる空間。王都の医療施設である。地方の宿屋とは違い、ここでは痛みさえも管理されている。
「……生きてる、か」
彼はそう呟いた。
我輩は枕元に座っていた。いつの間にか、ここが定位置になっている。英雄のそばには、象徴が必要だからだ。剣、旗、忠誠心、あるいは――猫。
扉が開き、人が入ってきた。
ギルド上層部の男。王都で最初に会った、あの視線の男である。その後ろに、見慣れぬ文官たち。彼らは紙を持ち、すでに物語を用意している顔をしていた。
「目覚めたか。よくやった」
よくやった、とは便利な言葉だ。
何をやったのかは、言わない。
「君の働きは、王都でも高く評価されている」
評価、という言葉が出た瞬間、レオンの肩が強張った。人は褒められるとき、同時に縛られることを本能的に知っている。
「……仲間が死にました」
レオンは言った。
その言葉は、英雄誕生の場には不釣り合いだ。だが彼は言わずにはいられなかった。
男は一瞬だけ沈黙し、次にこう答えた。
「勇敢な犠牲だ」
勇敢、という形容詞は、死者を便利にする。
「彼らの死は、無駄にはならない」
無駄かどうかを決める権利は、生き残った者にはない。
文官の一人が、紙を読み上げ始めた。
「――王都近郊における魔物の脅威を排除し、市民の安全を確保した英雄的行為……」
文章は整っていた。血も、叫びも、恐怖も削ぎ落とされ、物語としてちょうど良い形に磨かれている。
我輩は、その紙を見ていた。
どこにも、猫の文字はない。
当然である。猫は記録に残らない。だが同時に、猫は記録から消えやすい存在でもある。
「公の場で、君を紹介する」
男は言った。
「民衆は、英雄を求めている」
民衆が求めているのは、安心だ。
だが安心には、顔が必要だ。
「……断ったら?」
レオンは、弱々しく聞いた。
男は微笑んだ。
「それは、選択肢ではない」
英雄は選ばれる存在ではない。
選ばされた存在だ。
そのとき、文官の一人が我輩を見た。
視線は、好奇心ではない。
測定だ。
「あの猫は?」
男が答えた。
「縁起物だそうだ。英雄と共に生還した」
縁起物。
便利な分類だ。
「では、物語に添えましょう。民はそういうものを好む」
添え物としての猫。
象徴としての猫。
我輩は理解した。
――見られている。
英雄の隣にいる存在として。
だが同時に、制御すべき存在として。
式典の日、王都の広場は人で埋まった。旗が振られ、声が上がり、英雄の名が叫ばれる。レオンは壇上に立ち、ぎこちなく手を振った。
我輩は、彼の足元にいた。
猫は低い場所にいるほど、多くのものが見える。
群衆の中に、泣いている者がいる。
笑っている者がいる。
無関心な者もいる。
そして――計算している者も。
英雄は完成した。
だがその完成は、彼自身のものではない。
拍手が鳴り止まぬ中、我輩は感じていた。
この瞬間から、レオンは「個人」ではなくなった。
代わりに、猫である我輩が、個人の記憶を背負うことになる。
英雄が前を向かされるほど、
猫は後ろを見る役目を負う。
我輩は猫である。
英雄誕生の場に居合わせた、
最も場違いで、最も危険な存在である。




