猫、王都という名の舞台に足を踏み入れる
王都へ向かう道は、驚くほど整っていた。
石畳は割れ目なく敷かれ、道標は新しく、衛兵の姿も多い。だがそれは安心の証ではない。戦争が近づくとき、まず整備されるのは「通るための道」である。逃げるためではなく、運ぶための道だ。兵を、物資を、死体を。
我輩はレオンの荷袋の上で揺られながら、そのことを考えていた。猫という生き物は、揺れに強い。人間の不安定な未来と違って、物理的な揺れには慣れている。
門が見えた。
巨大な城壁。その前に広がる人の流れ。商人、兵士、冒険者、農民。誰もが自分の用事だけを考え、他人の存在を景色として処理している。都市とは、他人を無視する技術の集合体である。
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
匂いだ。
香料、油、金属、排泄物、そして――恐怖。地方都市にも人の欲はあったが、ここにはそれが圧縮され、混ざり合い、逃げ場を失っている。王都は大きな箱であり、中身は人間である。
「……すげえな」
レオンが呟いた。声が少し上ずっている。地方出身者特有の、圧倒され方だ。
人は大きな建物を見ると、自分も大きくなった気がするらしい。だが実際には、ただ小さくなっているだけだ。王都は人を飲み込み、均してしまう。
通りには露店が並び、笑顔が溢れていた。音楽、笑い声、客引き。まるで祭りのようだ。だが我輩は知っている。これは「日常を演じる」という行為である。人は恐怖に直面すると、平常を過剰に装う。
ふと、通りの端で子どもたちが遊んでいるのが見えた。
だが、目が合った瞬間、彼らは黙った。
大人の視線を気にしているのではない。兵の視線だ。子どもは、大人よりも早く空気を読む。危険が近いとき、彼らは声を失う。
我輩は彼らに近づき、わざと欠伸をした。
子どもたちは一瞬きょとんとし、次の瞬間、くすっと笑った。その笑いは小さく、すぐに消えたが、確かにそこにあった。
猫の役目は、時にこういうものだ。世界を変えなくても、ほんの一瞬、歪みを和らげることはできる。
レオンは王都の冒険者ギルドへ向かった。建物は地方のそれより大きく、装飾も豪華だが、内部の構造は同じである。人間は、どれほど立派な箱を作っても、中身は変えられないらしい。
受付にいたのは、若い男だった。目が忙しなく動き、声は丁寧だが薄い。
「地方からの登録ですね。現在、王都では特別任務が増えておりまして――」
説明の言葉が、やけに滑らかだ。準備された言葉である。つまり、繰り返しているのだ。何度も、何度も。
我輩はカウンターの下に座り、周囲を見回した。
ここでは、誰も未来の話をしない。成功も、夢も、冒険も。語られるのは報酬と期間と条件だけだ。人は危機が近づくと、未来を数字に変換する。
そのとき、二階から足音がした。
階段を降りてきたのは、年配の男だった。高価な服、だが着慣れていない。権力を「役職」として持っている人間の姿だ。
彼はレオンを一瞥し、次に我輩を見た。
ほんの一瞬、眉が動いた。
――見えるのか。
我輩はその視線を受け止め、逃げなかった。猫は、自分が見られていると知ったとき、動かぬことで逆に相手を試す。
「……面白い猫だ」
男はそう言った。褒め言葉ではない。計算の言葉だ。
レオンは緊張した様子で背筋を伸ばした。
「特別任務の前に、少し話をしよう」
男はそう言って、二階を指した。
戦争が近づくと、選別が始まる。
使える者と、使い捨てる者の。
我輩は、レオンの後を追って階段を上った。
この王都には、嘘が多い。
だが同時に、真実も集まっている。
それらは必ず、どこかで交差する。
猫は高いところに登るのが得意だ。
だが今は、低い場所から見上げる方が、よほど面白い。
我輩は猫である。
そしてこの王都は、舞台である。
幕は、静かに上がったばかりだ。




