英雄候補
英雄候補というものは、
最初から英雄の顔をしていない。
むしろ逆だ。
少しだけ優しすぎ、
少しだけ不安げで、
少しだけ――期待に応えようとする。
我輩がそれを見たのは、
街道沿いの小さな町だった。
人が集まり、
声が重なり、
何かを決めようとしている空気。
「彼しかいないだろう」
「だって、あいつは立ち向かった」
「英雄は、ああいうやつだ」
我輩は、屋根の端に座り、
その中心を見下ろしていた。
一人の若者が、
人々の前に立っている。
剣を持っている。
だが、その持ち方が慣れていない。
背筋は伸びているが、
肩に力が入りすぎている。
――向いていない。
それが、
我輩の最初の感想だった。
若者は、
断ろうとしていた。
「俺は……」
「英雄なんて……」
だが人は、
断ろうとする声を聞かない。
「大丈夫だ」
「皆で支える」
「前の英雄だって、最初は普通だった」
普通。
その言葉ほど、
残酷な期待はない。
我輩は、
その若者の足元を見た。
以前の英雄と同じだ。
同じ高さ。
同じ位置。
ただ一つ違うのは――
我輩が、そこにいないことだ。
若者は、
ついに頷いた。
小さく、
だが確かに。
歓声が上がる。
人々は安心する。
これで、
物語は続く。
我輩は、
その光景を、
ただ見ていた。
介入しない。
否定しない。
救わない。
英雄候補は、
期待を背負うことで、
もう半分、壊れている。
夜、
若者は一人で剣を振っていた。
誰にも見られていない場所で。
震える腕。
乱れる呼吸。
それでも、
彼は止めない。
なぜなら、
明日からは
見られてしまうからだ。
我輩は、
木の上からその姿を眺める。
前の英雄も、
同じ夜を過ごしていた。
同じ孤独。
同じ沈黙。
だが一つだけ、
決定的な違いがある。
この若者は、
すでに
「失敗の理由」を与えられている。
人に裏切られる。
期待に潰される。
英雄は人間だから。
そう説明されている。
だから彼が壊れたとき、
世界は驚かない。
我輩は、
その未来を、
容易に想像できた。
それでも、
動かない。
猫は、
未来を知っていても、
必ずしも止めない。
なぜなら――
止めるという行為もまた、
物語になるからだ。
我輩は猫である。
英雄候補を見た。
だが、
まだ選ばない。
世界が、
同じ過ちを
自分の足で踏むかどうか。
それを見るのも、
悪くないと思った。




