猫、冒険者ギルドに居座る
人間という生き物は、なぜこうも集まりたがるのだろうか。
我輩が最初にそれを強く感じたのは、男――名をレオンというらしい――に拾われ、彼の拠点へと連れて行かれたときであった。拠点と言っても城ではない。石造りの建物で、扉の上に木製の看板が掲げられている。剣と盾の意匠。文字は読めぬが、意味は察せた。
冒険者ギルドである。
中に入るや否や、空気が変わった。酒の匂い、汗の匂い、金属の匂い。人間の欲望が煮詰められ、湯気を立てている場所であった。人々は集まり、語り、笑い、時に怒鳴る。誰もが己の存在を、声と態度で誇示している。
我輩はレオンの肩から飛び降り、床に座った。
この姿勢が実に良い。低い位置から人間を見上げると、彼らの滑稽さがよく分かる。胸を張る者ほど不安を抱え、声の大きい者ほど中身が空虚である。人間だった頃、我輩はこれを文章にして飯を食っていたが、今はただ尻尾を揺らすだけで済む。なんと気楽な身分であろうか。
「おい、猫がいるぞ」
「誰のだ?」
「レオンか。相変わらず妙なもん拾ってくるな」
言葉が飛び交う。誰も我輩を警戒しない。それは当然である。猫とは、弱く、役に立たず、可愛いだけの存在と相場が決まっている。だがそれは、人間の都合で作られた認識にすぎぬ。
我輩は見ていた。
掲示板に貼られた依頼書。魔物討伐、護衛、行方不明者の捜索。いずれも金で命を動かす契約である。人はいつから、自分の命に値札を付けるようになったのか。否、太古からそうであったのだろう。ただ、それを制度として整えたのが、こうした場所なのだ。
レオンは受付に向かい、報告を済ませていた。彼は若いが、どこか影がある。腕はあるが、運がない。英雄譚の主役になるには、少々地味すぎる男である。
――だからこそ、長生きする。
我輩はそう判断した。
そのとき、床が震えた。
大柄な男が立ち上がり、テーブルを叩いたのである。顔には傷、声には酒。典型的な荒くれ者だ。
「また王都からの依頼かよ! 戦争だ、徴兵だって話じゃねえか!」
周囲がざわめいた。
戦争。
この二文字が出た瞬間、人間の表情は露骨に変わる。興奮する者、怯える者、計算を始める者。だが共通しているのは、誰も「止めよう」とは言わぬ点である。戦争とは、個人が選ばぬうちに始まり、選ばぬうちに飲み込まれるものだからだ。
「関係ねえだろ。冒険者は傭兵みたいなもんだ」
「だが猫までいるギルドで、戦争とはな」
笑いが起こった。
我輩は、静かにその場を観察していた。誰が嘘をつき、誰が本音を隠し、誰が死ぬ顔をしているか。人間は言葉で騙すが、身体は正直である。猫の目は、それを見逃さない。
ふと、視線を感じた。
受付の奥、書類の山の向こうから、一人の女が我輩を見ていた。銀髪で、眼差しは冷静。年若いが、感情を表に出さぬ職業人の顔である。
「……その猫、ただ者じゃないわね」
独り言のように呟いた声が、我輩の耳に届いた。
ただ者ではない。
それは誉め言葉ではない。警戒である。
我輩はゆっくりと瞬きをし、彼女から視線を外した。目立つのは好ましくない。猫は常に、半歩引いた場所にいるべきである。
そのとき、レオンが我輩を呼んだ。
「なあ、お前……ついてくるか?」
愚問である。行くも行かぬも、我輩の自由だ。だが――
この世界は、観察に値する。
戦争が始まり、英雄が生まれ、死体が積み上がり、歴史が語られる。そのすべてを、誰よりも低い場所から眺める存在がいても、悪くはあるまい。
我輩は立ち上がり、レオンの足元へと歩み寄った。
彼は笑った。
何も知らぬ人間の、実に無防備な笑顔である。
――さて、この世界は、どこまで愚かで、どこまで面白いのだろうか。
我輩は猫である。
英雄になるつもりは、まだない。




