猫、戦場の周縁で名もなき者たちを見る
戦場には、中心と周縁がある。
中心には旗が立ち、号令が響き、英雄が立つ。
周縁には、名前のない者たちが倒れ、逃げ、忘れられる。
我輩が歩いていたのは、常に後者だった。
森を抜けた先にあったのは、小さな村だった。地図には載らない。載せる価値がないと判断された場所だ。だが、人は生きている。
生きていた、と言うべきか。
家の半分が焼け、畑は踏み荒らされ、井戸は汚されていた。敵軍か、味方か、それとも盗賊か。違いは、もはや意味を持たない。
村の端で、一人の老人が座っていた。
動かない。
我輩が近づくと、彼はようやく顔を上げた。
「……猫か」
その声は、驚きもしなかった。
「兵士じゃないだけで、ありがたい」
老人の目は乾いている。泣き尽くした者の目だ。
「英雄は、来なかったよ」
誰に言うでもなく、彼は言った。
「助けを求めた。王都にも、ギルドにも」
返事はなかった。
英雄は忙しい。
「でも、戦争には間に合ったらしい」
老人は笑った。笑いは、喉の奥で引っかかる音だった。
我輩は、彼の足元に座った。猫は、逃げなかった証拠になる。
「英雄ってのはな」
老人は続けた。
「助けに来る奴じゃない。勝った後に来て、話をまとめる奴だ」
正確だ。
夜になると、村に生き残った者たちが集まった。女、子供、負傷者。誰も声を張らない。声を出す余力がない。
一人の少女が、我輩を抱き上げた。
「……あったかい」
それだけで、彼女は泣き出した。
人は、温もりに弱い。
翌日、兵が来た。
王都の紋章をつけている。味方だ。だが村人の顔は、変わらなかった。味方と敵の区別は、守られたかどうかで決まる。
「生存者は?」
兵士は事務的に聞いた。
「……このくらいだ」
老人が答えた。
兵士は紙に書き込み、頷いた。
「では、避難勧告を出します」
勧告。
命令ではない。責任を取らないための言葉だ。
「王都へは?」
誰かが聞いた。
兵士は首を振った。
「収容に限りがあります」
限りがあるのは、場所ではない。
価値判断だ。
兵士の一人が、我輩を見た。
「猫?」
まただ。
「……縁起物か?」
我輩は目を逸らした。
縁起物という言葉は、責任を切り離す免罪符だ。
兵たちは去った。村は、再び取り残された。
夜、少女が我輩に囁いた。
「英雄、来るよね?」
答えられない質問だ。
英雄は来る。
だが、間に合わない。
翌朝、村を離れる者たちがいた。森へ、山へ、行き先は適当だ。だが、留まるよりは良い。
我輩も歩き出した。
戦場の周縁を。
途中、死体を見た。兵士のものも、民のものも、見分けはつかない。装備を剥がされ、名前を失い、ただの物体になっている。
我輩は、その間を縫って進んだ。
猫は、踏まない場所を知っている。
遠くで、戦の音がした。剣、魔法、叫び。英雄は、あの中心にいるはずだ。
だが、この周縁で起きていることは、誰も歌わない。
記録されない死。
報告されない破壊。
評価されない耐え忍び。
我輩は、それらを見た。
覚えた。
それが、我輩の役目だと理解した。
英雄は、世界を救う象徴になる。
だが世界は、象徴だけでは救われない。
我輩は猫である。
戦場の周縁を歩き、
名もなき者たちの終わりを覚えている。
そして――
この周縁が、いずれ英雄を飲み込むことを、
我輩はもう知っている。




