トラウマ
彼女を見たとき…
俺は一抹の不安を抱えていた。だが、そこに俺は気づいていなかった。いや、気づかないフリをしていたのだ。
物事を先送りにしても意味がないと分かりつつ、俺はそこから目を逸らしていた。
気付いてしまえば、もうおわりだ。
俺は、俺が一番恐れていたものに、追いつかれてしまう。
奴の足音が、聞こえてくる…
◇
「麗…」
思わず声が漏れた。
その表情が…その瞳が…語っていた。
ああ…彼女は…
「俺の敵になるつもりか?」
俺はそう口にしていた。
心配はあった。疑問もあった。
だが、俺は結局一番大事な質問を最初に尋ねた。
「変わらないね、冬君は。昔からストレートに話すから、いつも苦労してた…」
くすりと、悲しそうに笑う麗。
「あいにくと、のんびり判断を先延ばしにしたり、談笑を楽しめるゆとりを許されて来なかったもので」
「そういう皮肉みたいな言い訳、やっぱり冬君なんだなって思うわ。そんな感じだから、白ちゃんや銀君、それにレナ…ううん、なんでもない」
麗は言ってしまってから後悔するように口を紡ぐ。
歯噛みする想いだ。
レナ…あのカス女は未だにイラだたしい。
真黒の口車に乗せられて、助けを請われた麗の居場所を真黒に教えたせいで、あんなことに…!
許すつもりはない。
生き返ってたらもう一度ブチ殺していたところだ。
「デガラシのスクラップ共と同類扱いされちゃ、俺もそろそろおしまいだな」
そう言うと、困ったように彼女は微笑む。
そういうところは、あの頃から変わらない。
いいや、いい方向に変わっていったはずの彼女を、引き戻してしまった結果か…
「姿形は変わっても、あの頃のまま…まるで、時間が止まってるみたいに」
「……」
その言葉は決して褒め言葉ではなかった。
互いに積み重ねた時間が異なることを、表していた。
「15年…眠っていたようなものだからな」
「15年…もう、そんなに経つんだよね。あの頃から…あっという間だったなぁ…特に凛が産まれてからは…最初の年は大変だった。…でもいろんなことを頑張って、みんなで支え合って建て直してきた。私なんかは記憶もあやふやだったから特にね。白夜統主様がよくしてくれたから、何とかなったけど」
今までを思い出すように、彼女は言葉を紡ぐ。
「それからあの人と出会って、初めて人を好きになって…そして、凛が生まれた。あの娘が産まれる前に彼は死んじゃったけど…サルベージャーになるって言って…遺跡に向かって、帰って来なかった…優しくて真面目で、でも…普通の人だった。」
彼女の幸福な時間と、そして…
彼女の悔恨が込められていた。
もっと強くとめていればよかったと。
「凛があなたを連れてきたときは、びっくりしちゃった。あの娘も、もうそういう歳なのかって…時間の流れを意識しちゃった。まだ子供だと思ってたのにね。それもまさか君、なんてね。」
俺の瞳はいつしか爛々と輝く虹色の光を宿していた。
「質問に…」
答えろ、と俺は言うつもりだった。なのに続きが出てこなかった。こんなことは初めてだった。
「昔から…強くて、恐ろしい…こちらの全てを見透かすようなその眼が…ずっと苦手だった」
麗は、薄く、悲しそうに笑ってそう口にした。
「驚かないんだね」
麗はそう言った。
「何年も、一緒にいたからな…」
「そっか…そうだよね」
長く一緒にいすぎると、嫌でも相手の気持ちなんてのは見えてくるものだ。
「冬君…ううん」
そうこうしてるうちに、麗は話し始める。そして…
「冬終君」
ビクリと俺の肩が震えた。
その名を…
彼女は口にした。
「真白 冬終。それが、あなたの本当の名前。」
「なぜ?」
それはなんのための問いだったのだろうか…
「覚悟を決めるため、かな?」
「わかってんのか?俺を、敵に回すってことの意味が!」
俺は叫んだ。胸の内にある言葉にならない想いを、デタラメでもいいから形にしないといけないほどに。
それは、今まで積み上げてきたものが、崩れ去るかのようだった。
「うん…わかってるよ。ずっと見てきたもの。あなたが、どういう人か…」
「……」
「知ってた?私ね、あなたのことがずっと…」
「嫌いだった」
麗の言葉に、俺は驚かなかった。
「ううん…そんな単純な気持ちじゃない。憎んでた。」
麗はひたひたと歩き始める。言葉を紡ぐために。
「あなたは、私にできないことをやり遂げる人。私は見てただけ。惨めだった。あなたは存在してるだけで、周りを傷つける、凶器」
「冗談だろ。お前がいなければ…俺は論文すらまともにまとめられやしなかった」
自分の頭の中を言語化するのは、ひどく難しい。
抽象的なもののほとんどは、彼女がいたから何とか形になっていただけだ。
「ふふっ。それこそ冗談だよ、そんなの。」
麗は一つ一つ、今までの鬱積をこぼすように諳んじる。
「あなたは私がいなくても、結局最後は結果でみんなを黙らせた。私は、その後押しをしただけ。私の価値なんて…それこそ補助輪みたいなものでしかなかったもの」
その瞳には諦観と確かな確信があった。
真白 冬終という人間への絶対的な信頼が
「その怪物を、敵に回すつもりかって聞いたんだよ!」
「もう…決めたの」
その瞳には確かな意思が宿っていた。かつての彼女にはなかったはずのものをが…
「…凛の、ため…か」
俺は拳を握りしめた。血なんて出ない。それでも…何かが流れ出ていくように、感じていた。
「……」
麗は肯定も否定も口にはしなかった。だが…
キッと、こちらを睨むその瞳が、何より雄弁に語っていた。彼女の真意を…
「あなたの名前を思い出した時点で、理解したわ…もう、私達にはあまり時間がないって…それも、わかってるんでしょう?」
なじるように、麗はこちらをみていた。
俺の口から、答えを聞きたいというように
だが…俺は答えられなかった。答えたくなかった。
「少し…変わったね。真白君は」
麗は、俺の名前を呼ばなかった。
それは彼女なりのケジメなのか。
「つまり儂等は、争うしかないということじゃ」
後ろから男が出てくる。
淡青に発光する銀髪の老父。年老いてなお、その勲は衰えていないかのような姿で、こちらをみていた。
「白銀…白夜」
「カッカッカ!」
白夜さんは何が面白いのか、盛大に笑う。
「何がおかしんだ?クソジジイ」
「姿形は変わって、歳もずいぶん若くなっておる。にもかかわらず、あの日のおぬしを見ておる気分じゃ。不思議じゃな…まったく似ても似つかん姿なのに…お前は真白冬終なのじゃと…そう確信が持てたよ。久しいな、真白よ」
その表情は憎しみの対象に向けるそれではなかった。
むしろ…
俺はそらすように目を瞑った。
その姿に、光景に、俺は少しだけ、目が眩んでしまったのか?
「真白君…無理だとわかってはいるけど、一度だけいうね?あなたには虚無化してもらうわ」
「…聞けない話だ」
「…うん。分かってた。」
麗は、その言葉を聞いても驚かなかった。
そういう人だと、わかっていたから。
「白銀と相まみえた以上、わかっておろうな?」
「…ああ、わかってるさ」
あの日から、今日この日まで、振り上げた拳の下ろしどころを見つけられなかった。
だがな…あの日の決意を、怒りを、憎しみを、絶望を!
忘れたことなど一度としてない。それでも…!
「今度こそ、決着をつけてやる。」
「この名を忘れたというのなら、もう一度貴様らの心底に刻み込んでやるよ。」
「真白に、してやる」
あの日の選択を後悔した日も、一度としてない!
もう、引けない…
引くわけにはいかない。
守りたかったはずのもの、救いたかったはずのものさえ敵に回して…俺は…!
己の中の矛盾すら飲み込んで…俺は前に進む。
俺が、俺であるために!




