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灰街(はいがい)に咲く白き灯火  作者: 妙原奇天


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第10話 最深部の対峙

 灰街の地下地図には、だれも書き込まない広い空白がある。協会の回路図でも、都市計画の図面でもそこだけは薄い灰色のまま残され、注釈欄に短く「旧炉心」と記されている。魔術が科学に置き換えられたころ、最後まで火を供給し続けた心臓部。封印移行ののち、稼働は止められ、入口はコンクリートで封じられた——はずだった。


 その封印にせり上がるように、黒燿が新しい階段を穿った。鋼製の踏板は油で濡れ、踏むたびに微かな響きが裏骨を伝う。御影純は先を歩き、杖の先で梯子のように連なる影の継ぎ目を確かめる。晴は一歩遅れて、それでも視線だけは肩越しに前を射た。右目の闇が深く、左目の白が細い。祈りに変換する礼拝堂の縁はここにはない。契約灯火の負債は、彼自身の骨と朱音の温度に直結する。


「これより下層、炉心外縁。犬走りは狭い。落ちるな」


「落ちたら戻れないな」


「戻るのが得意なのは、お前の役目だ」


 階段の終わりに鉄扉が一枚。その中央、古い警告表示は塗りつぶされ、上から黒燿の印が四つ並ぶ。切断、解体、奪取、再編——専門用語の羅列が挑発のように光っている。純が杖の根元で印を軽く叩くと、扉は音もなく内へ引いた。


 広がったのは、巨大な円環の空間だった。外縁を巡る回廊と、中心へ伸びるいくつもの橋。落ちた先は見えないが、風が上へ吸い上げられている。最深部には、まるで石棺のような直方体が据えられていた。厚い鉄枠、内部に封蹄の銀。その表面に刻まれた文字は、いずれも剝げ落ち、唯一読めるのは上部の銘板だけ。


 祓魔師長 骸庫


 晴は短く息を吸った。黒燿のリーダー——正確には、彼らが崇める「最初の解体者」の残骸が、ここに眠る。彼はかつて協会にあって封印移行を主導し、その果てに離反したと記録にある。記録は曖昧で、彼自身が処理されたのか、みずから火を終わらせたのかも定かではない。ただ、その名が残り、骸が残り、思想だけが地下で増殖した。


「いるぞ」


 純が指先で示す。棺の手前、橋の基部に三つの影。黒燿の戦闘員。目隠しはせず、瞳の光をわざと鈍らせている。彼らの足元には紐状の黒が束ねられ、炉心の底から薄い煙のように上がってくる残留魔と結び目を作っていた。黒い線は橋の手前でいくつもの網を張り、侵入者を切り分けるための刃になっている。


「御影。灯火」


 一番前の男が言う。声は若く、礼儀だけが古い。「来たな。骸庫の前で選べ。守るか、壊すか」


「壊すのはお前たちの方だろ」


「古い火を、新しい火のために壊す。誓いのために火を喰う。——この街は燃え残りで温まっている」


 応じる余地はない。純は一歩踏み込み、杖の先から色のない刃を伸ばした。晴は左目の白を薄く広げ、足元の黒い網へ布の幕を走らせる。刃は結び目だけを切り、幕は網を滑らせて橋の縁へ寄せる。黒は人間の意思に弱い。だが、意思は燃料を要する。契約の火が骨を叩く。右目の闇が訴える。深く使えば、代償は直に落ちる——朱音の体温へ。


「進め」


 純の声に、晴は頷いた。橋の先、骸庫へ。目の端で、回廊の入口に影が揺れるのを見た。髪。スニーカーの白。息の上がり方。間違えようがない。


「朱音——」


 彼女は出てくるなと言われた。それでも来た。礼拝堂で縁を編んだ司書から預かった薄い紙符が彼女の手首に巻かれ、歩くたびに白く光る。司書は言った。「監視役は、見失わない場所にいるものだよ」。祈りの縁は礼拝堂ほど強くないが、朱音が晴の“返り道”になることだけは、ここでもできる。


「待ってるだけは、いや」


 朱音は短く言い、回廊の陰に身を寄せる。「近づかない。見てる。戻ったら怒る」


 晴は返事を飲み込んだ。いま一歩、足を出さないと、敵の網がこちらより先に地形を変えてしまう。彼は白を集め、橋の中央へ。純は刃を横一文字に振り、三人のうちの二人の足元を払った。倒れた影の背から黒い線が飛ぶ。晴は布で受け、床へ縫いつける。


 残った一人が骸庫の側面に両掌を押し当てた。銀の封蹄が鈍く鳴り、黒い亀裂が走る。内部から漏れるのは熱ではない。冷たい「逆温」。吸い上げる冷え。祓魔師長の骸が持つ、封印のもう片側の性質だ。


「骸は鍵だ。街の外への」


 男が笑った。眼の色は落ち着いている。狂信の熱ではない。職人の冷たさだ。「裏口は家にも協会にもない。ここにある。心臓の下、夏でも凍る場所」


「鍵を壊すのは簡単だ」と純。「壊した先に何が溢れるかが問題だ」


「なら、見ていけ」


 骸庫の銀が一枚、剝がれた。隙間から、黒曜石のような何かが覗く。その表面に、細い、骨のような縁取り。人間の形を模した器。心臓の部屋で、人間の形が眠っている。


 晴は左手で白を広げ、右手を胸へ当てた。契約灯火の印が熱を持たないまま、強く光る。骨の内側で火の精の囁きが短く早口になる。焼け、と言っている。浄めろ、と言っている。だが、焼くだけでは足りない。ここで彼が全力で白を立てれば、朱音の祈りの縁は追い付かず、その体温は落ちる。


「晴。行けるか」


「行く」


 橋が軋む。黒燿の男が足を引き、骸庫に片膝で凭れる。彼の影から黒い兵が三体、立ち上がった。顔がない。指もない。輪郭だけが硬い。晴は一歩踏み込み、白を刃ではなく布のまま肩へ掛けた。突進——兵の腹に白が巻き付き、内側からほぐす。黒の結び目だけを抜き取る。兵は崩れ、床に戻って残留魔の粉になる。


 純の刃が二体目の膝を切る。滑るような動きに引き付けられた瞬間、三体目の影が横から晴の首を狙った。右目の闇が早く反応する。闇は速い。左目の白より先に、右が捉え、首を傾けさせる。刃が頬を掠め、熱も冷たさもない傷が一筋走る。晴はその刃ごと影の手首を布で包み、捻って床へ叩きつけた。鈍い音。影は煙のように散り、骸庫の隙間へ吸い込まれる。


 骸庫の中で、骨の縁が一段階深く沈んだ。まるで、眠っていたものが寝返りを打ったような動き。空気の層が波打つ。回廊の影まで薄く揺れ、朱音の髪が一度だけ浮いた。


「榊の線の子」


 声ではない。金属の摩擦のような音の配置。骸庫の内側から、それが朱音に届いた。朱音は肩を強くこわばらせ、それでも姿勢を崩さない。


「降りてくるな」


 晴が言う。彼は橋の半ばで立ち止まり、白を練り直した。祈りの縁がない場所で、朱音に流れを寄せないように白を使うのは、理屈では可能だ。実地では難しい。白は優先的に一番強い“縫合”に沿って流れる。榊と灯火の縫合は、彼の胸の最も深いところに結ばれている。ほどかない限り、どんな綺麗な術式も、最後にその一番深い結び目へ戻る。


「無茶はするな」


 純の声。刃が骸庫の縁を叩く。硬い音。銀ははがれ、黒曜はむしろ喜んでいるように光を増やす。祓魔師長の残骸は、誰の味方もしない。ただ「外」を向いている。外へ向かうために、こちら側の熱や祈りや怒りを使う。


「鍵を開けて、何を呼ぶ」


「呼ぶんじゃない。出す」


 黒燿の男が歯を見せた。笑っていないのに、見えるのは笑みの形。「街の外に、君たちの白を。外には秩序がない。秩序は、こちらから持っていく」


「秩序を外に押し出すために、街の内側を壊すのか」


「内側は燃え残りだ」


 晴は男の言葉を切り捨て、骸庫へ白の布を伸ばした。布は黒曜の縁に触れ、わずかに焦げる。焦げの臭いはない。静電気が指の間で小さく跳ねるような感触が走る。契約の火が骨を叩く。右目の闇がざわめく。白に黒を混ぜる誘惑。混ぜれば速い。混ぜれば簡単。——決して混ぜるな。


「晴」


 名前を呼ぶ声が、空間の揺れを断ち切った。朱音だ。回廊の陰から、片手を胸に当て、彼女はまっすぐ彼を見た。祈りの紙符が彼女の手首で緩く光り、二人の間に一枚の細い見えない幕を作る。監視役の幕。帰り道のしるし。


「戻る場所、ここにある」


「ある」


 短く返して、晴は骸庫の隙間に白の芯を差し込んだ。外側の黒に引っ張られる前に、内側へ。祓魔師長の骸は形だけ人間で、中身は空だ。空は、何でも入る。だからこそ危険だ。その空の中心へ、白の芯で印を打つ。焼かない。焼くのは最後の合図。


 黒燿の男が低く呟き、足元の線を引いた。橋の下から新しい黒の帯がせり上がる。帯は太い。街の恥や怒りの集積ではない。長い間ここで吸い上げられた「外」の冷たさだ。冷たさは白に強い。白は温度だ。温度に逆流がかかる。朱音の手首の紙符が一瞬だけ暗くなり、彼女の肩が小さく震えた。


「やめろ!」


 晴が叫ぶ。叫びは遅い。冷たさは彼の白を吸い、白は自然と一番強い縫合へ流れ、彼の胸から、細い糸で朱音へ戻る。朱音の体温がほんのわずか落ちる。司書の祈りの設計は礼拝堂にある。ここでは紙符が代わりだが、強さが足りない。晴は紙符の光に自分の灯りを被せるように、白を極限まで薄く引き伸ばした。


「近づくな!」


 純が橋の端から叫ぶ。彼の刃は黒燿の男の足元を切り、線を断つ。断たれた冷たさは空間に溶け、骸庫の隙間へ吸い込まれていく。骸庫の中で何かが笑った気がした。笑い声は音にならず、空気の温度差だけが残る。


「鍵を閉めろ!」


 晴は白の芯を捻り、骸庫の内側に印を重ねた。閉じるための印ではない。道をずらすための印だ。開く方向を「外」から一度外し、骸そのものを「内」へ反転させる。そんな器用がこの場でどれほど可能か、理屈では疑わしい。だが彼は選ぶ。選ばずに戻ることは、あとでできない。


 そのときだった。足元に残っていた細い黒い舌が、回廊へ伸びた。目標は朱音。黒は、帰り道を嫌う。帰り道のしるしを嫌う。紙符の光が一度弱った瞬間に、狙ってきた。


「朱音!」


 晴は橋から身を翻し、白の布で舌を掴む。引く。引けば、黒は戻る。戻りたくない黒は、反射で晴の方へ逆に巻き付いた。布の上から、冷たさが腕へ上がる。右目の闇が一瞬、黒の味を褒める。早い。鋭い。効率がいい。——黙れ。


「近寄るな!」


 純が朱音の前に刃を走らせ、舌を縦に裂いた。裂かれた舌の一部が晴の腕に残り、皮膚の下に冷たい傷を作る。朱音は一歩下がらず、紙符をもう一枚、胸元から取り出して腕に重ねた。司書は二枚持たせていたのだ。紙符がふたたび白く光り、晴の白と重なって薄い縁になる。


「晴。怒っていい。でも、急がないで」


 声は届く。届くこと自体が救いだ。晴は頷き、骸庫へ視線を戻した。黒燿の男が、骸の側面へ両手を深く差し入れている。銀の封蹄はほとんど剝がれ、黒曜の縁が空気の水分を奪い、回廊の木枠が乾いた音を立てる。


「止める」


 晴は白を芯にまとめた。混ぜない。削らない。押し込まない。内側にひとつ、見えない蝶番を作る。蝶番は祈りだ。形式だ。契約の火がそれを憶え、彼の骨と骸の縁の間に小さな音を立てる。蝶番は動かない。動かないから、意味がある。動かないものが一つあるから、周囲が回る。


 黒燿の男が首を傾けた。「それは、閉じる火か」


「違う。——回す火だ」


 晴が答えた刹那、骸庫の黒曜がわずかに沈み、内側から白い微光が滲んだ。外へ向かっていた冷たさが、ほんの一瞬だけ内へ折り返す。祓魔師長の残骸が人間だったころ、最後に見たであろう「火の方向」を、白が思い出させたのだ。


「いま!」


 純が駆ける。刃が横一文字に走り、黒燿の男の手首を切り飛ばす。彼は悲鳴を上げない。手首は黒の煙に変わって骸の隙間へ消え、男は一歩二歩と後ろへ退く。晴は白を押し出すのではなく、引いた。引いて、骸の内側へ流れ込んでいた黒の帯をほどき、結び目だけを摘まんで外へ出す。出た黒は、橋の受け皿へ落として薄くする。


 その瞬間——骸庫が鳴った。低く、長く。空間の骨が共鳴する音。回廊の手すりが震え、天井の古い配管が一斉に泣く。魔術炉心が、眠りから目をこじ開けられる寸前の声。黒燿の男は笑い、橋の縁を蹴って跳んだ。骸の上へ。


「開け!」


 彼の叫びに応じて、骸の中で「外」の冷たさが逆流する。蝶番は小さい。小さいが、まだ折れない。折れる前に、決定がいる。


「晴」


 朱音の声。回廊から伸びる彼女の視線は、まるで細い鉤のように晴の胸に引っかかる。戻れ、と言っているわけではない。戻る道を、ここに置いた、と言っている。


「俺が選ぶ」


 晴は囁き、白の芯をさらに細く絞った。契約の火が骨で鳴る。右目の闇が温度の配置を示す。黒を焼く炎は、彼の内側にある。焼けば速い。焼けば確実。——その代わりに、朱音の体温は下がる。


「もうやめて、あなたが燃え尽きちゃう!」


 朱音が叫んだ。声は恐怖で高くならない。怒りで低くならない。彼女の声は彼女の高さでまっすぐに来る。晴は一瞬だけ笑い、橋から回廊へ身を返した。彼女は、もう駆け寄っていた。紙符の光が強い。彼女は腕を伸ばし、晴の胸に触れる。触れた瞬間、白が流れる。最短で、最深へ。


「離れろ!」


 純の叱咤。遅い。骸の中で、蝶番が悲鳴を上げる。黒燿の男が上から押す。「外」を開ける重量がかかる。白はその全部を受けている。朱音の紙符が焼ける匂い。薄い紙がふっと消える光。朱音の指先が冷える。


 晴は彼女を抱きしめない。抱きしめたい衝動を、刃で切るみたいに断ち切る。彼は肩で朱音の腕を押し、細い身体を自分の背から離して——突き飛ばした。回廊の手すりに朱音の背が当たり、司書のもう一枚の紙符がまるで待っていたように光り、彼女を受け止める。彼女の目が驚きのまま晴を映し、晴の白はその映像を最後に、完全に骸の中へ落ちた。


「晴!」


 純の叫びが遠くで弾けた。骸が開く。蝶番は折れていない。折れていないが、もはや役に立たない。方向が一瞬で複数に裂け、外と内と街と祈りと怒りが一つの穴に落ちる。穴の中から、色のない光が噴き上がる。爆音は出ない。音より先に光が来る。光は白ではない。灰色だ。白と黒の混色ではなく、最初から灰色としてそこにあった光。名前のない明るさ。


 晴は、最後の瞬間だけ彼女を見た。朱音の口が動く。言葉は聞こえない。読める。戻ってきて。——戻る。晴は頷いたつもりだった。頷きは光に食われる。契約の火が骨から外れ、右目の闇が音もなく閉ざされる。


 爆光。

 魔術炉心は崩れた。


 橋の縁が折れ、骸庫の銀が粉になり、黒燿の男のシルエットが灰にほどける。御影純は床に刃を叩きつけ、回廊を支える柱だけを残して他を切り落とした。切り落とされた床は光に飲まれ、音のない奔流が空間を洗う。朱音は紙符の光に抱き止められ、手すりにしがみつきながら、目を固く閉じた。閉じた瞼の裏を、灰色の光が通り抜ける。


 ——光が引いた。


 残ったのは、灰色の光と、沈黙だけ。

 灰色は、灯りではない。暗闇でもない。視界の奥に薄く残って、物の輪郭を柔らかくしてしまう色。沈黙は耳鳴りではなく、ほんとうの沈黙。機械の唸りも、人の息も、しばらくは戻らない。


 朱音はゆっくりと瞼を開けた。目の前に御影純がいた。彼もまた、目を細めて周囲を測っている。回廊は半分ほど残り、橋は根元から折れて落ちていた。骸庫は消え、床の中央に黒い輪郭だけが焦げ跡のように残っている。


「晴は」


 朱音の声はかすれていた。純は答えない。答えられない。彼は回廊の縁に膝をつき、崩落の際に掴んだと思われる細い布きれを拾い上げた。白い。手触りは粉のようで、確かに布のようでもある。灯火の布。晴がいつも肩から滑らせ、黒を包むのに使っていたものと同じ質感。


 布は、温かくない。冷たくもない。灰色の光の中で、色をほとんど持たない。純はそれを朱音の手に乗せた。彼女は震える指で布を握りしめ、頬に当てる。温度は戻らない。それでも、涙が一筋だけ落ちた。涙の音はしない。沈黙が、涙の落ちる場所を吸い込む。


「戻るって、言った」


 朱音は自分に言い聞かせるように呟いた。「戻るって、何度でもって」


 純は頷いた。灰色の光は、少しずつ薄れていく。沈黙の外から、遠い機械音が戻り始める。崩れた床の下から、遅れて瓦礫の落ちる音がくぐもって届く。彼は立ち上がり、朱音の肩に触れようとして、触れないで引っ込めた。代わりに言葉を置く。


「戻ってくる。あいつは、戻るために火を選んだ」


 朱音は布を胸に抱き、うなずいた。祈りの紙符は焼け落ち、白い灰が指先に付いている。灰を払わず、彼女は歩幅の小さな足取りで回廊の端まで行き、崩れた橋の先を見下ろした。最深部は、光の残り滓でまだ霞んでいる。そこに人の影はない。あるのは、ただ、灰色の光と、沈黙だけ。


 沈黙の中で、朱音はそっと目を閉じた。胸の奥で灯りが揺れる。彼女の灯りではない。晴が残した白い粉の、ごく小さな残り火。彼は戻る。戻るために、彼は灰へ沈んだ。戻るために、彼女はここで待つ。待って怒る。怒って笑う。選んで、支える。


 上層からようやく駆けつけた警報の音が遠くに満ちたころ、朱音は目を開け、御影純と横に並んだ。二人の影が、灰色の光に薄く溶ける。炉心の跡地に吹いた風は冷たいが、痛くはなかった。


 祓魔師長の骸は消え、鍵は壊れ、裏口は一瞬だけ開き、すぐにわからない場所へ閉じた。外は笑わない。けれど、ここには笑う準備がある。待つ準備がある。怒る準備がある。


 灰色の光が消えきって、ふたたび闇が闇として戻ったとき、沈黙はもう沈黙ではなくなっていた。音は戻り、人の息も戻った。


 晴は——いなかった。

 いないことだけが、確かだった。

 けれど、誰も「終わり」とは言わなかった。

 戻る、という言葉が、礼拝堂の白のように、ここにも薄く漂っていたから。

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