第五話 夢と月光の今
——夜。夢の中。
冷たい石の床に、星の光が落ちている。静かな大聖堂の礼拝堂。ひざまずいた青髪の少女が、小さく震えていた。
「……もう、やだ……自由になりたい……」
その涙声を、クレセルイは今も覚えていた。
静かに手を差し伸べた。彼女の小さな手は、震えながらも力強く握り返してきた――あのときの感触が、夢の中でも鮮やかに蘇ってくる。
そして——夢は、そこで終わった。
※※※
寝室のカーテンから差し込む月の光が、目元をやさしく撫でるように射し込んだ。
クレセルイは、カーテンから差し込む月の光に導かれるようにカーテンを開いて窓を開けた。
「……クーちゃん?どうしたの?」
隣のベッドで身じろぎするベルセリール。柔らかなピンクの髪が広がり、耳がぴくりと動いた。
「あっ、ごめん……起こしちゃったね?」
クレセルイはベルセリールの方を向いて微笑みを向ける。しかしベルセリールには、その微笑みには何処か寂しさが感じられた。
「嫌な夢でもみたの?」
「なんで……そう思ったの?」
「ん?普通にわかるよ?元気なさそうだし」
ベルセリールは微笑みをこぼすと立ち上がり自分が横になっていたベッドに座った。そして何故か自分の膝をぽんぽんっと何かを合図するかのように叩いた。
「ふふ、ここにおいで!」
少し悪戯な笑みを浮かべながらも、彼女のその青い瞳は月明かりを受けて、空に浮かぶ星のようにクレセルイの目には映った。
「……ベールちゃん、その仕草から言いたい事はわかるのだけど……」
「何?夫婦なんだから恥ずかしくないってーほらおいで!」
「ど?落ち着いた?」
クレセルイはベルセリールの膝を枕にしながらベットで横になっていた。
そして、クレセルイはポツリと呟きを吐く。
「……ちょっと、変な夢を見たんだ……」
月明かりが照明となっている空間、月明かりに照らされて見える彼女の目蓋を閉じながらも優しそうにクレセルイの言葉に耳を傾けてくれているようだった。
「もし、話す事でクーちゃんが楽になれるなら話して?でも、話す事でクーちゃんが嫌な事や他人に知られたくない情報なら、話さないでいいからね」
昔、辛い事があった時に母に同じような事をしてもらった事があった事をクレセルイは思い出せた。
そして、話す気になれた。
「……昔、僕の幼馴染で……ルジエール公爵家の次女。ティルシャ・クシュル・ルジエールっていう子がいた」
「うん」
「……ティルシャは、特別な“魔力体質”だった。身体の中に流れるファリアが、とても純粋で強い。だから星竜セラファリカ教会の大聖堂に呼ばれて、“聖女”に選ばれたんだ」
「……凄いね、すごく名誉のある事だね、でもきっとそう言う事じゃないんだよね?」
たった一言、それだけだったのに彼女はその一言で全てを悟ってくている事にクレセルイは驚きながらも、彼女の膝に身を任せて目蓋をそっと閉じる。
「そうだね……名誉、だけど……あの子は喜んでなかった。むしろ、すごく寂しそうだった」
月の光が、静かに寝室を満たしていく。
「昔は一緒に野山を駆け回って、図書室で本を読んで、……馬鹿なことで笑ってた。けど、大聖堂で会うたびに、ティルシャの表情はどんどん消えていったんだ」
あの夢の中の風景が、また脳裏に浮かぶ。
「“清らかな心”を保つために、修練を強いられて。笑うことも、怒ることも、泣くことも、許されない。貴族以上の礼節を求められて、ずっと星空に祈りを捧げるだけの日々だって……」
「……自由の引き換え……」
「うん……ある日……彼女は泣いて言った。“もうやだ、自由になりたい”って。僕は……」
言葉に詰まる。
「……だから連れ出しちゃったんだね?」
「えっ?」
クレセルイは息を呑んだ。まだ言葉にしていないはずなのに、どうして彼女はわかってしまうのだろう——。
「まだ、先を言ってないのに何でわかったの?」
「さー?なんでだろーね?」
彼女はクレセルイのひたいを優しく撫でてくれていた。
そんな彼女になら、なんでも話せる気がしてしまう。
「……ティルシャの手を握って、大聖堂を抜け出した。何も考えずに。数日間、今は使われてない古い教会に隠れてた。でも、見つかって……彼女は連れ戻されて、僕は、“聖女誘拐”の罪に問われたんだ」
「そっかぁ」
ベルセリールは、そう呟くとふっと微笑んだ。
「そっか、それで今に至るか」
「うん、……でも、迷惑をかけたんだ。彼女にも、家にも、国にも……」
「……じゃあ聞くけど、クーちゃんは後悔してるの?」
「……それは……」
短い沈黙の中で、胸の奥で問い直す。けれど答えは一つしかなかった。
迷った末に、首を横に振った。
「ティルシャの笑顔が戻った瞬間、あったんだ。ほんの少しの時間だったけど」
「ふふ、それなら、それでいいんじゃないかな」
ベルセリールは、にっこりと笑った。どこまでも明るく、軽やかに。
「……ベールちゃんは、変わってるよね。普通、引くところだよ」
「私、普通の王女じゃありませんから」
そう言って、胸を張る姿に、思わず笑ってしまう。
「はは、そうだったね問題児姫様だったね」
「そうよ?それに……なんとなくだけど、ティルシャちゃんの気持ち、わかる気がするよ」
「え?」
「ほら、王家ってだけで大切にされる訳だけど、自由に外出になんて出してもらえないんだ?だから外に凄い憧れを抱いてた」
閉じていた瞼を開き、どこか寂しそうに話し始めた。
「……だから、自由ってなんだろう?って問いかけたくて、城を抜け出してみたの!そしたら私の知らない世界がたくさんあって!」
「そうして脱走癖がついちゃったわけ?」
「ふふ、クーちゃん正解!満点答案あげちゃうよ!」
その言葉を聞いたクレセルイが笑った。
「満点答案もらってしまったね!僕はすごいな」
「クーちゃんはすごいぞ?」
ベルセリールはそのまま話を続けた。
「まー知らない事を知りたくて、国民の生活とか、だから働いたりしたんだ。途中から普通にバレてて王女がこんなことを、って言われたけど、気にしないでさ」
その目は、どこか懐かしいものを思い出しているようだった。
「自由ってなんだろう?幸せってなんだろう?それを探してみたくて自分の意志で歩ける場所を……。だから、この屋敷に来たこと、全然後悔してないよ?」
「……ベールちゃん」
「だから、クーちゃんが罪を背負ってでも守りたかった気持ち、きっとそれは本物だったと思うな」
その言葉に、胸の奥が静かに熱を帯びた。
「ありがとう。……ベールちゃん」
「どういたしまして!」
気がついたら、月明かりから太陽の光へと空の光は変わろうとしていた。窓から差し込む新しい光はふたりの寝室を優しく照らしていた。
過去は過去として存在し続ける。けれど、今この瞬間——新たな光が、差し込み始めた……クレセルイはそう感じながら静かに眠りに落ちた。