第四話 バザール
クレセルイの研究ノートの続きです!
午前の陽が研究室の窓から差し込む中、クレセルイは帳簿を開いたまま硬い表情で黙り込んでいた。
数字の並ぶその紙には、食費・日用品費・魔石素材費・魔具修繕費……と、細かく分類された項目が記されている。
「うーん……研究費をこのままのペースで使っていくと……今月の後半、食費が削られる……」
「また難しい顔してるね、クーちゃん」
背後から声をかけたのは、エプロン姿のベルセリールだった。洗い終えた朝の食器を抱えている。
「もしかして、お金が足りないの?」
「正確には“研究素材費と生活費の両立が難しい”ってことかな。本家から支給される予算はあるけど、研究に必要な魔石の素材や機材を考えると、節約しなきゃいけない場面が増えてきた」
それを聞いたベルセリールが青ざめる。
「もしかして……私があの透明で綺麗な鉱石をたくさん破壊してる……から?」
それを聞いたクレセルイは微かに笑う
「ふふ……あれは石英って言ってね?鉱山とかで沢山取れる、言うならばゴミみたいな鉱石だから問題ないよ」
それを聞いたベルセリールは安心した。
「そっか……」
「うん、ただ……僕が実験に使う魔石はちゃんとした宝石クラスの鉱石になるから値が張るんだ……だから今までは食料は最低限栄養が取れる物だけにして、他を全部研究費に回してたんだけどー今はベールちゃんもいるし」
その話を聞いたベルセリールは彼女にしては珍しい呆れた表情になる。
「クーちゃん……人は頭を使う時にかなりのエネルギーを使うのを知ってる?」
突然のベルセリールの質問。
「僕が知らない訳ないでしょ?だから最低限の栄養は取ってるわけだし」
その瞬間、ベルセリールは右足で床を蹴るように踏みつける!
「うわぁ!?急に何!その行動はウサギが生物学的に感情を刺激した時にするアレ!?」
「クーちゃんが何を言ってるのかは分からないけど!なるほど……私が来る前の食生活は、ありえない食事だった事は理解できました」
ベルセリールは黒い笑みを浮かべる。
「ベールちゃん?」
「クーちゃん!この超市民姫の私が教えてあげるよ!最強の食材節約術を!」
ドヤ顔のベルセリールはそのまま話を続ける。
「クーちゃん知ってる?港エリアにある市場の事」
「市場……?もちろん知ってるけど?」
クレセルイは目をしばたたいた。
市場。それは庶民の集まり売り買いを行う別名をバザールと呼ばれる場所だ。
一般市民が行き交う場所であり、そのため貴族達が住むエリアに比べると治安が悪いエリアでもある。もちろんクレセルイは人生で一度も行った事のない場所だ。
「港の市場はね?魚介類の直売やまた、他国から船便で輸入された野菜とか扱っててねー普通の店には出回らないような見た目が悪い食材とかも売ってるの!」
「見た目が悪い野菜とかダメじゃ無いの?」
「クーちゃん、どうせ料理したら形なんて変わるんだよ?つまり、中身がちゃんとしてればちゃんとした食材なの!」
ベルセリールは早口で話を進める。
「でね!そう言う食材って普通の店だと形が悪いって理由で売れないから破棄されちゃうわけ!でもね、場所によっては破棄するくらいなら超安値で売ったりするの!」
「うぅ……言いたい事はなんとなくわかったけど、人も多くて騒がしいし……正直、僕には合わないと思うけど……」
「だったら私が案内してあげる!ルジエールに来てから勝手に港エリアとか散歩して来たからわりかし知ってるよ!」
ベルセリールは手をパッと上げ、キラキラとした瞳で言った。
「お買い得な野菜とか、おまけしてくれるおばちゃんとか、ちゃんと教えてあげる!」
「なんでそんなに僕よりこの街に詳しいの……他国の王女様が……って言うか!治安もここより悪い場所に一人で行ったりしてたわけ!危ないよ!」
「えへへ」
「えへへじゃないよ!」
ベルセリールはただ笑顔で笑っていた。
この時のクレセルイには、まだ知らなかった。ベルセリールがかつて、城を抜け出して庶民の中で自由気ままに過ごしていた“問題児王女”だったということを。
「じゃあ決まり! 午後から出かけよ!」
クレセルイは少しだけため息をついた。
「仕方ない……一人で行かれて何かあったら……だし、じゃあ、財布は僕が持つから、使いすぎないようにね?」
「まっかせて!」
その笑顔は、まるで遠足にでも出かけるかのようだった。
※※※
アルベルム学園都市の南区に広がる港区の市場。クレセルイの住むエリアからかなり遠い訳ではないが、徒歩一時間はかかる場所だ。
そこは小さな屋台が並び、野菜、肉、魚、香辛料から日用品、魔石素材まで、多種多様な商品が所狭しと並べられていた。
「わぁーっ! 今日もにぎやか!」
ベルセリールは腕を組んだまま、屋台を見渡す。
一方のクレセルイは、人波にやや押され気味だった。
「……やっぱり騒がしいな。僕、目立ってないかな」
「大丈夫大丈夫。そんなことより、あそこの八百屋さん見て! 今日のニンジン、いつもより一本多くおまけしてくれるんだよ」
「そういうの、よく覚えてるね……」
ベルセリールは屋台に駆け寄り、「こんにちはー!」と元気よく挨拶をすると、早速値段交渉を始めた。
「うん、今日のは土付きで新鮮だね。これと、玉ねぎと……じゃがいもはちょっと小ぶりだけど、煮込みにはちょうどいいかも、こっちは形が悪いから半額以下でいいよー」
手慣れた様子で野菜を選ぶベルセリールを、クレセルイは不思議そうに見つめていた。
「本当に、王女だったの……?」
「うん、たぶんね!」
「“たぶん”って何さ……」
そんな軽口を交わしながら、二人は肉屋、パン屋、香草屋とまわっていく。
クレセルイも、素材の品質や数値の判断になると目を輝かせ、食材に触れていた。
「このハーブ、乾燥が不十分だ。ファリアの封入実験には向かないかも」
「じゃあ、こっちのは? 香りが強くて、料理にも使えそうだけど」
「……それ、良いね。保存もしやすそうだ」
次第に、二人は小さなチームのように息を合わせながら、買い物を進めていった。
※※※
夕方。
屋敷に戻ったベルセリールは、袋を広げながら楽しそうに笑った。
「沢山買っちゃった……節約計画のはずなのにごめんね」
ベルセリールは申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べたのだが
「……凄い、以前の半分以下の金額しか使ってないのにこんなに買えるなんて!」
帳簿を開いて確認したクレセルイは、かなり感心して頷いた。
「ベールちゃんの言う通りだった。港区の市場はコストパフォーマンスが高い。確かに、研究との両立が少し現実的になってきたかも」
「でしょ? あとは料理の腕でどうにかしてみせるから!」
そう言って、ベルセリールはエプロンをつけ直す。
「今日は市場で買った野菜で、煮込みスープを作るね。あっ、ちゃんと“おかわり”してくれるの、忘れないでよ?」
「……やっぱりそれ前提なんだね」
ふっと笑いながら、クレセルイは彼女の背中を見つめた。
この同居生活が始まって、まだわずか数日。
けれど、こうして肩を並べて過ごしている時間は、思ったよりも穏やかで、心地よくて。
もしかしたら、彼女がいたからこそ、研究と生活が一つに重なっていくのかもしれない。
「ありがとう、ベールちゃん」
「ん? どうしたの、急に?」
「……いや。なんでもないよ」
夕陽に染まるキッチンに、トントンという包丁の音が響く。
――それは、少しだけ贅沢で、少しだけ温かい、未来の研究者たちの午後だった。
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