第二話 クレセルイ・クアトルム
この話が
飛ばされてしまっていた本来の第二話です。
申し訳ありません……
あげ直させていただきました。
朝食を終えてからも、ベルセリールの笑顔は変わらなかった。
木漏れ日が窓から差し込むキッチンで、彼女は手際よく食器を洗い、布巾で丁寧に拭いていく。磨かれた銀のスプーンに映る自分の顔をのぞき込んでは、「ふふ、今日の私、ちょっとだけ良い顔してるかも」などと呟きながら笑っていた。
「ねえ、クーちゃん。このお皿、ちょっと深めでいい形してるね。スープ入れやすかったし、洗いやすいし、こういうの好き!」
「……普通の白磁の食器だけどね」
「ううん、形がいいって! そういうのって、大事なんだよ?」
クレセルイはその言葉に小さく頷いた。彼にとって、食器はただの道具でしかなかった。だがベルセリールは、それすらも楽しそうに語る。
まるで、ここでの生活すべてを味わっているかのように。
――本当に、楽しそうだな。
クレセルイは思わずそんな感想を漏らしていた。
城で“王女”として育ったはずの少女が、使用人のいない質素な屋敷で、台所仕事を嬉々としてこなしている。その姿が、彼には不思議で仕方なかった。だが同時に、それがどこか眩しく感じられた。
「さてと! お片づけも終わったし……」
ベルセリールは水気を拭き取った手を軽く広げ、ぱっと振り向いた。
「ねえ、クーちゃん。“研究室”って、どこにあるの?」
「……忘れてるかと思ったよ、その話」
「忘れるわけないでしょ! さっきのごはんのときに話してたじゃない、クーちゃんの大事な場所って! 私、そういうの、絶対に見たいと思ってたんだから!」
言葉に熱がこもっていた。
「君は、初対面の僕にどうして?そこまで興味を持ってるわけ?」
クレセルイの質問は当然だった。まださっき初めて顔を合わせたばっかり、しかし彼女はそんなクレセルイに不思議なくらい興味を持っているのが不思議でならない。
「?そりゃー夫に興味を持つの普通じゃない?」
「姫様なら結婚式やりたいでしょ?僕は問題児だからそう言う式典すら無しに同居生活なんだよ?嫌じゃないの!?」
クレセルイの話を聞いたベルセリールは微笑みながらクレセルイの質問に答えた。
「私、別に結婚式とか華やかな舞台すきじゃないんだーそれにー」
ベルセリールは笑顔をクレセルイに向ける。
「式典をやらないのって私も問題児だーかーらだし?そこは立場同じだからクーちゃんは気にしない、気にしないー」
どうしてこの子は、ここまで真っ直ぐなのだろう――クレセルイはふと、そんなことを考えていた。
「研究室……じゃあ、案内するよ。ついてきて」
「やったー!」
ベルセリールはしばらく子うさぎのようにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
屋敷の廊下を進んでいく。奥まった一番静かな部屋。その扉の前で立ち止まり、クレセルイは一瞬だけ躊躇した。
自分の聖域とも呼べる場所。過去も、失敗も、苦悩も詰まった空間。
だが、ベルセリールはそんな彼の背中を、明るく押すように微笑んでいた。
「大丈夫、私は変なこと言わないよ。クーちゃんが大事にしてるもの、ちゃんと大切にするから」
「……じゃあ、入って」
扉を開けた瞬間、微かに錆びた金属の匂いと、書物の古い紙の香りが混じった空気が流れ出す。
部屋の中には、大小さまざまな装置と工具、魔石のかけら、手書きの研究ノート、そして壁に立てかけられた分厚い魔術書たちが整然と並んでいた。
「……うわ、すごっ!」
ベルセリールの目が一気に輝く。
「これ、全部クーちゃんが……? まるで研究員さんの秘密基地みたい!」
「秘密にしてるつもりはないけどね」
クレセルイは微かに笑いながら部屋の中央にある作業机へと歩いた。そこには、ガラスの小さな筒に封入された不思議な輝きを放つ石が置かれていた。
「何?この綺麗な石みたいな物は?」
「これは、“ファリア結晶”ファリアを、鉱石に詰めた物で、別名を魔石だよ」
「魔石?ファリア……? それって、魔力?」
「そう。ファリアはこの世界に存在する魔力エネルギーの名前。空気中にも流れてるし、地中や水中、動植物の体内にも満ちてる。でも、そのままだと使いにくい。だから僕たちは、こうして“魔石”に封入して、制御する」
クレセルイは棚から別の瓶を取り出した。中には紫色に淡く輝く結晶がひとつ、静かに浮かんでいた。
「これは“基礎魔石”。簡単な光や熱、音の魔法を使うためのもの。素材の鉱石にファリアを流し込み、魔術式で封印してあるんだ」
「へええ……そんな仕組みになってるんだ。てっきり、石を振れば光るとか、そういう感じかと思ってた!」
「それは昔の冒険物語の話だね。本当はもっと地味で繊細な作業だよ。ファリアの量を間違えれば石が砕けるし、逆に過剰に詰めすぎると暴発する。魔石職人っていうのは、それを調整する技術者なんだ」
「クーちゃんって、その職人さんなの?」
「……職人というより、研究者だよ。僕は、新しい魔石の構造や性質を調べてる。未発見のファリア反応を見つけるのが、今の目標」
ベルセリールは、ゆっくりと机の上に腰を下ろし、目の前の小瓶を両手で包み込んだ。
そこには、少年の情熱と孤独が詰まっていた。彼がひとりで積み上げてきた努力が、そこに静かに眠っているようだった。
「ねえ、クーちゃん。私、思ったんだけど――」
「うん?」
「私も、魔石作ってみたいな。……作れるようになったら、きっと楽しいと思う!」
「……え?」
「だって、クーちゃんが話してるとき、すっごく楽しそうだったから! ファリアって言葉も、響きが綺麗で、なんだか好きになっちゃった!」
「……君、変わってるよ。本当に、ちょっと変わってる」
「うふふ。よく言われる!」
ベルセリールは、いたずらっぽく笑った。
だがその笑顔の裏に、真剣な想いがあることを、クレセルイは感じ取っていた。
「わかった。じゃあまずは、“光る魔石”からやってみようか。ほんの少しのファリアで、光を灯すだけの初歩的な魔石。成功すれば、夜のランプ代わりになる」
「ほんと? やった! クーちゃん、先生みたい!」
その言葉に、クレセルイの手が一瞬止まった。
――先生。
かつて、彼がその言葉で呼ばれたのは、聖女誘拐事件により失われた日々の中だった。
失敗と後悔。過去に向き合う勇気。そのなかで忘れようとしていた幼馴染であった聖女ティルシャの姿がよぎり少し暗くなる。
だが――。
今、彼の前には、未来を見つめて笑う少女がいる。
その瞳の奥にある、澄んだ青が、まるで彼を肯定するように輝いていた。
「……じゃあ、始めようか」
「はいっ、先生!」
クレセルイは小さな工具箱を手に取り、魔石加工の材料を並べはじめた。ベルセリールは目を輝かせながら、それをじっと見つめている。
不思議だった。
まだ始まったばかりの生活。出会って間もないはずなのに、彼女の存在は、まるでずっと前から隣にいたように感じられた。
――この時間が、ずっと続けばいい。
そんな想いが、ふと胸をよぎった。
そして、この瞬間から、ふたりの日々が、静かに、だが確かにノートに書かれ始めていた「クレセルイの研究ノート」と呼ばれる一冊の研究日誌に刻まれてゆく。
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