背中にナイフが刺さった男の話
この物語はフィクションです。
短いですが、少しでも楽しんでいただけたらです。
河川敷沿いの道を歩いていると、何カ月も洗濯していないような服を着た男性を見かけた。
いつもならスルーするけど、この日は違った。
男性は背中をこちらに向けている。
その背中にはナイフが刺さっていた。
痛くないのだろうか、何かあったのだろうか。
そんなことが頭に浮かんでは消え、一つにまとまる。
答えは一つ。とりあえず救急車を呼ぶべきだ。
免許を取るときに救護義務の授業で、先ず声を掛けて意識を確認するとあったことを思い出す。
僕は男性に近寄り声を掛けた。
「あの!大丈夫ですか?」
男性はボーっとしていた。
失血がひどいのだろうか。
服に少し滲んでいるが、大量に出血している様子は見て取れない。
今度は肩に手を置きながら、相手の顔を覗き込むように声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
男性は今気がついたように反応する。
「は?なんだ!俺に声を掛けていたのか!驚かすな!え?それどうなってんだ?」
「急に声を掛けたことはすみません。でも、そんな状態で大丈夫かなと。」
「お前が大丈夫なのか心配だわ!ってか、俺が哀れに見えるってのか。偽善者め。」
「偽善者って、ひどいな。僕は心配して…」
「それが偽善だってんだ。自分が哀れに思っているのを解消したいだけだろう?ほっとけよ!」
「放っておけないでしょう!」
男性は腕を振るって僕を払う仕草をした。
「あの、とりあえず救急車を呼びますね!」
「なんでだよ!必要ない!俺に必要なのは時間だ!自分で分かっている!お前にこそ必要なんじゃないか?」
時間がかかると命に関わるかもしれないのに、何を言っているんだ?
ここは説得するしかないか。
「あの、なんでこうなったんでしょうか?」
「なんでって、落ちぶれたからだよ。」
落ちぶれたからってナイフが刺さることある?
見た目が悪いから若いやんちゃな奴らからいたずらされたってことかな。
「良かったら、話を聞かせてもらえますか?」
「なんだい。話し相手になってくれるのかよ。まあ、時間だけはあるからな。」
いや、その時間がないから説得するんだけど。
「俺が小学生のころ…」
「小学生!え?小学生に戻るんですか!」
「ダメなのかよ!」
「ダメっていうか、早く聞きたいんです!」
「なんだってんだ!バカにしてんのか?」
「あ、いえ、すみません。分かりました。続けてください…。」
男性はため息をついて話を続けた。
「俺が小学生のころな、いじめられてたんだ。」
いじめから背中にナイフを刺されたのか?だとしたら、相当長く刺さった状態ってことだが。
「俺も学力が低くて、いじめられるのも今となっちゃわかるよ。でもさ、暴力は良くないよな?」
「はい。暴力は良くないですね。ましてや、ナイフなんか持ちだしたら殺人未遂ですよ。」
「ナイフ?あいつらは…ああ、カッターナイフは出しやがったな。」
カッターか…。そっちじゃないんだよなー。
「んで、あいつらと話すのも会うのも嫌だったから、家に引きこもったんだ。俺の両親も心配してよ。何とか学校に行かせようとするんだけど、俺は行きたくなかった。」
それは学校に行けば暴力を振るわれるわけだし、行けないよなー。
「学校としては"いじめはない"ってことにしたかったんだろう、保健室でいいから学校に来いっていうんだ。でも、靴箱の状態で学校にいるってばれるから、どうしたって呼び出されちまうんだよな。」
「なるほど、靴箱の状態でばれるんですね…。小学生だったらフェイクとかできませんよね。」
「そうなんだよ。靴を置かなきゃいいのに、置いちまうんだよ。それにさ。今思えば、呼び出されたときになんでついて行っちまうんだろうなー。行かなきゃいいのにな。」
「確かにそうですね。今ならってことありますよね。」
「ああ。今なら分かるんだよ。親ももう死んじまった今だから分かる。親から"言うことを聞きなさい"って教えられているから、そいつらにも従っちまうんだ。従わないと怒鳴られて怖い思いするからな。親の躾は親の呪いなんだ。」
そこまで…。すごく悲しい話だ。
僕は胸が痛くなった。
…そういえばこの人、背中は痛くないんだろうか?
「あの、すみません。もう少し先の話をしていただけると…。」
「先の話?ああ、この話は重かったか。悪いな、重い話を聞かせてしまってよ。」
「いえ。すみません。でも、まだ生きているし、治療も間に合うかもしれません!」
「治療か。そうだな。俺には治療が必要なのかもな。」
ええ、背中のナイフは抜く必要があると思う。
ただ、素人が抜いたら血が出て大変なことになるから、医者の治療が必要だ。
「その先の話だったな。俺は保健室登校を終えて中学に行くわけだが、中学に行ったら思春期だろ?荒れるよなー。」
ようやくナイフが出てきそうな話になったか。
なるほど、やんちゃした結果、背中にナイフが刺さるのか?
それでも何年刺さっているんだろう?
「中学の頃は体も鍛え始めてよ。殴り合いの喧嘩もしょっちゅうやったんだ。特に強かったわけじゃないけど。もしかしたら怪我した俺を心配そうに見る両親に、ざまあみろって言いたかったんだろうな。」
「心配させることで復讐のつもりだったと?」
「ああ、両親が夜な夜な泣くんだ。それを見て胸を撫で下ろすんだが、ベッドの中では俺も泣いていたんだ。今思えば、あれは自傷行為だったのかもな。考える時間があるってのは、嫌なもんだ。」
この人は、相当考え込んでいたんだな。
辛かったんじゃない。今も辛いんだ。
「喧嘩してても高校には行けるもんでよ。底辺の高校だったが、高校を中退することになったんだ。結局、喧嘩をやめなかったんだな。警察の厄介にもなったし、あの時はそれが楽しいと思い込んでいたんだ。バカだよな。」
「バカですね。」
「なんだと!」
「なんで怒るんですか…?」
「…そうだよな。まだ俺は俺が可愛いのか。こんなボロを纏ってまで…。」
「すみません。言葉が過ぎました。あと、相槌を間違えました。」
いや、そうは言ったけど、背中にナイフを刺したまんま病院に行ってないのってどうなの?
なんか腹立ってきた。
「それでな?18の頃に遊んでいたら金がなくなってよ。仕方ないから働くことにしたんだ。親は俺のことを諦めていたし、住み込みで働けるところを探して、力仕事をしたんだ。そこには同じ奴らが集まっていてよ。喧嘩をしつつ、悪くない関係が続いたんだ。」
そのいざこざの中でナイフを刺されるのかな?
「その関係も長くは続かなくてよ。俺たちは金が欲しいから働いていたんだが、親方から給料を減らすって話が出て、何人かが辞めてった。辞めた奴らに"恩は無いのか!"って怒鳴るやつもいてよ。そいつとやめる組で喧嘩になったんだ。その時…」
「その時?」
「怒鳴ったやつがナイフを出しやがったんだ。」
「おお!ついに!」
「ついにってなんだよ。なんでテンション上げてんだよ。」
「あ、すみません。盛り上がるとこかなと。」
「…とにかく!ナイフを出したやつがナイフを刺しやがったんだ。」
「それであなたが刺されたと。」
「俺じゃねぇよ!他のやつだよ。刺されたやつが死んで、刺したやつは刑務所に行ったんだよ。」
「もしかして、その人が出所して…?」
「良く気付いたな。ちゃんと話を聞いてんだな。そいつから逃げるためには無職になる方が安全なんだ。それでこうなったんだ。」
「その人には会ったんですか?」
「いや、俺を探すことはできないだろう。そこまで恨まれることもしてないけどな。臆病なんだよ俺は。」
会ってない?じゃあ、なんで背中にナイフが刺さっているんだろう。
僕は思い切って聞くことにした。
「だとしたら、なんで背中にナイフが刺さっているんですか?」
「?何言ってんだ?」
「え?だから、なんであなたの背中にナイフが刺さっているのかなって。」
男性は怪訝な顔で背中に手を回す。
ナイフを確認し、急にうろたえ始めた。
「え?え?何これ?どうなってんの?背中にナイフ刺さってんの?俺!ほんとに何か刺さってる!俺、死ぬのか?嫌だ!死にたくない!…救急車!救急車を呼んでくれ!早く!」
えー?気付いてなかったの?
「あ、自分で抜かないでください!栓をしている状態なので、今抜いたらヤバいかもです!」
僕は携帯で救急車を呼んだ。
救急車が到着し、救急隊が男性と話す。
男性を救急車に乗せるようだ。
「兄ちゃん!ありがとな!おかげで少しスッキリしたよ。兄ちゃんも大丈夫だといいけどよ。」
「僕は大丈夫ですよ。少しでも力になれたならよかったです。」
「兄ちゃんも早く病院に行くんだぞ?」
「だから、大丈夫ですって。」
「いや、その頭の矢は大丈夫じゃないだろう。」
「頭の矢?何言ってるんですか?ははは…。」
僕はおもむろに手を頭に当てた。
頭から何か生えている?
棒状の何かが、頭の右と左に。
携帯をカメラモードにし、自撮りモードにする。
そこに映ったのは、見慣れた自分の顔と、頭を貫通した矢だった。
「え?え?何これ?どうなってんの?僕に矢が刺さってる!本当に矢が刺さってる!なんだこれ!痛くないけど、え?どうしよう!まだ死にたくないよ!救急隊さん!僕も、僕も乗せてください!!」
こうして、男性と僕は一緒に病院へ行ったのだった。
ご読破ありがとうございました。
この後、私は病院に行かなきゃいけないかもしれません。
ケツに何か刺さっているので。
あ、変な物じゃないですよ。
では。