夕景
8
宗教者の祈りの声が終わった。
飾り気のない礼拝堂。
黙祷を始める貴族たち。
昼下がりからケンレー卿が出かけて俺が同行したのは戦没者の慰霊式典だ。
十数年前、戦いがあった。
騎士派と追放派の全面衝突。
片方は政権を取り、片方は宮殿から消えた。
死者数千人。
ボル・ヒューリグレイヴは犠牲者を悼むこの行事を毎年主催している。
血染めの栄光を手にした騎士派のトップとして当然やるべきことなんだろう。
もちろん穿った見方もできる。
追放派は東の国へ逃げたが、まだ残党がこのグレティーン王国に潜んでいると噂される。
彼らを刺激してテロや暗殺を起こされてはいけない。
いわば安全のために騎士派は「謙虚っぽいパフォーマンス」をする必要があった。
ただ、なんとなく俺からすると、ボルの真摯な性格があらわれているだけと思うのだが。
式典のあとに彼が出した声明文はやはり謙虚だった。
「一族が驕り高ぶらず王国に仕え、永遠に栄えるよう望む。それが叶わぬなら、神々よ、いっそ我が命を縮めたまえ。私は悪行が多かった。その罰として受け入れよう」
護衛を終えて屋敷に帰還。
自分の部屋で鎧兜を脱いでいく。
するとケンレー卿に仕えて二十年になる執事長がドアを叩いて現れ、伝言があると言った。
「『日暮れの頃、噴水広場にて待つ』、だそうです」
え、それだけですか。
「それだけでございます」
誰が待ってるんだという感想に当然なる。
執事長によるとその人物は自らの素性を一切俺に明かさないでほしいと強く頼んだという。
伝言の主の正体を推理しなきゃいけない。
まず第一にアサの顔が浮かぶ。
イタズラめいた呼び出し方をいかにもやりそうだ。
昼間の続きで俺に気を使い、夕食に誘って「前みたいに元気出してくださいよー」とか言ってきそうに思える。
しかし再決闘についてまだ決断できない段階でそういう話をされたら、俺はどんな顔をしていいかわからない。
第二の推理は、意外だろうが、ボル・ヒューリグレイヴ。
慰霊式典でケンレー卿のところに来て次のように話していた。
『久しぶりだね』
『おや、ボル閣下、お痩せになりましたか』
『痩せて見えるかね』
『騎士派の棟梁はさぞ悩みが多いでしょう、血気盛んな者が多いですから。それとも地方に行かれたお嬢さまのことですかな?』
地方に行かれたお嬢さまというのはボルの娘のことだ。
俺が屋敷を訪ねたときに音楽で出迎えてくれた四人とは別に、実はもう一人女子がいて、十二歳の彼女だけは生まれつき粗暴な性格でトラブルが多く、ついにとある貴公子をブン殴ってしまったため、首都を離れて謹慎するようボルが命じている。
五姉妹の落ちこぼれ。
大貴族にも家庭の悩みがあるようだ。
しかし俺に関わるのはこの話題ではない。
ボルは痩せた理由を答えずにこう告げた。
『ところでウキョウ君の新人賞をまた祝っていないのではないか』
『! ええ、彼がちょっと……風邪だったもので……』
『私も祝福の機会があればと思うのだが悩み事が多くてね。どう祝うべきか思案するべきだったな』
『左様ですな……私も考えておきましょう』
というわけで早速ボル閣下がサプライズパーティーをしてくれるかもしれない。
またはケンレー卿が伝言の主で祝賀の主催者だという第三の推理もできる。
いずれにせよ二人に会うのは気が引けた。
橋で負けたあと逃れがたい悪夢を見つづけ公式戦を一度もしていない身だからだ。
また最近のケンレー卿は顔を合わせてもぎこちなく笑うばかりで会話がない。
俺がいつまでも思い詰めているのを心配しつつ、でも安直なアドバイスで傷つけることになってはいかんと考え、何も言えないんだろうか。
優しすぎるのだ、あの人は。
最後の第四の可能性はまったく知らない人物。
優秀新人賞を獲るとそれなりに顔が売れ、簡単に言えばファンができる。
差し入れやファンレターが来たりするものだ。
そしてファンの一部は先鋭化しかねない。
有名選手のストーカー被害をいくつか知っている。
会ってしまったら最後、親密になったと誤解され、町じゅうでつきまとわれる。
――第一から第四までどの推理もありえそうだった。
誰が広場で待っていても俺は行きたくない。
だがボル閣下やケンレー卿を無礼に無視してしまうリスクがある。
仕方なく外出の支度をした。
この日の夕焼けは不思議な色をしていた。
溶けた鉄のように真っ赤な空の下で、街路樹の枝葉が深い影を落とす。
道行く人はうつむき加減に家路を急ぎ、逆光のせいで表情がわからない。
西へ飛んでいく鳥の群れはもう帰ってこないんじゃないかと思える。
噴水広場にやってきた。
バザーの時間を過ぎて露店の片付けがほとんど済んでいる。
風は無く、鳩の姿もまばら。
俺を待つ人の姿はすぐわかった。
腰に手を当てて噴水の縁石の上で仁王立ちしている。
長い木の杖を持ち、魔術師っぽく見えた。
三角帽子をかぶり、黒いローブを纏う女性。
ついでにいうとローブの胸元は大きくはだけている。
彼女の微笑は懐かしそうだった。
「あらあら? この世にいたんだって顔をするのね」
俺は絶句し、それから犬のように叫んだ。
「――マーリン!!」
「おいで。ウキョウくん」
「マーリン! マーリン! もう会えないと思ってた!」
生き別れの母を訪ねた人みたいに駆け寄る。
ピョンっと縁石から降りた彼女の手を握った。
わずかに俺のほうが背を抜かしている。
昔は見上げていた顔が間近の正面にあった。
アイライン、頬紅、口紅が濃くなった以外に何が変わったのだろう。
元から大人っぽかったので十八~十九歳という年齢のほうが追いついてきたらしい。
おっ、胸の谷間からみぞおちまで見えそう。
絶対に本物のマーリンだ。
「あら~? どこ見てるの?」
余裕たっぷりに俺の頬をつまんでくる。
「ハハッ。五年前から変わってねえなと感慨を覚えてたんです」
「変わってるわよ~、サイズも背丈も少しだけ」
何がとは言わないが昔は見上げていてすごくデカく感じたので現在の大きさとの比較は難しい。
ぷりぷりと彼女は唇を尖らせた。
「そうだウキョウくん! あなた言いつけ守ってないじゃない!」
「言いつけ?」
「女の数だけ愛がある男になって水が流れるようにスイスイ口説いてヒイヒイ言わせてドバーッとまき散らせって言ったのに、どうしてやってないの! 男の子でしょ!」
変態占い師の本性を現したな!
おかえり!
「やるわけないでしょう」
「なんでよ! メモにも書いたのに!」
メモというのは村に届いた通信教育に付随していたものだ。
五年前、建設工学の本の小難しいページにしれっと挟まっていて次のように書かれていた。
『首都には男をメロメロにする美女がたくさんいるわ。だから逆にこっちから弄ぶような心技体のテクニック(特に寝技)を身につけて、ほどよくエロエロハーレムを作って、溜まるものをスッキリさせながら楽しく成り上がりなさい。あなたも美女たちもこれでウィンウィン! お姉さんからの最大のアドバイスよ!』
意味がわかる歳になったとき俺は叫んだ。
アホか!!
以降、路肩のアリの死骸みたいにメモを無視したのは言うまでもない。
「俺は気づいたんです。あなたが狂っちゃってることに」
くだらない犯罪をした旧友と面会するような声で伝えた。
「言うわねウキョウくん。確かにわたしは色狂いです」
「豪語したぞこの人」
「人生の先輩として良かれと思って助言したんだけどなあ」
「マーリンにはすごくお世話になりました。武芸・教養・魔法を教わらなかったら人生の目標さえもつかめず、今ごろ村で飢えているか洪水で流されていたでしょう。本当に素晴らしい恩師です――しかしッ! あんたの欲求不満の相手はしてられない! エロ妄想を実現するために俺を利用するなッ!」
「あら、バレちゃった?」
「田舎の十歳児を色欲魔人に育てようとするのは何かの犯罪だと思います!」
「そうなればあなたも楽しかったのに。エロは人間に必要なものだから恥ずかしいことじゃないわよ?」
「一度マジでお伝えするべきしょうか? そこらの男みたいに遊んでられない俺は、誠に残念だとは全く思いませんが、あなたの妄言には従えないのだと!」
「だからハーレム作らないの?」
当然!
「彼女もいらない?」
はい!
「一人くらい付き合ってみたくない?」
ない!
「………………ふぅ~ん? そうなんだぁ~?」
なんだそのふざけた間とニヤケ顔は!!
でも許せる!!
やっと再会できたという実感が増すばかりだ。
上京したころ、俺は決闘や仕事の合間にずっとマーリンを探していた。
もともと首都に住んでいたらしいことを五年前に話していたのでそろそろ旅を終えて戻っているのではと思ったのだ。
職場や食堂で聞き込みをした。
手がかりは名前、年齢、職業と、失恋をしたらしいこと。
彼女を知る人はわりといた。
ところが得られた情報がおかしい。
ある貴族に仕えるおばさんの証言を紹介する。
『ああ、マーリン? あの子は有名だったねえ、頭脳明晰、冷静沈着、狩人みたいにクールな目つきで、欽定占術学校の首席どころか創立以来の天才だとか、女で初めての神祇大臣になりそうとか言われてたね。占いについて大人と討論して、淡々としながらまるで打ち寄せる波のようにしゃべりつづけて言い負かしちまうから、あれは一種のエンターテインメントだったよ。みんな聞きに行ったものさ。無愛想な顔もよく見たら美形だから人気があって氷の天才だなんて呼ばれてたよ』
狩人みたいにクールな目つき?
無愛想な氷の天才?
『けど、いきなりいなくなっちまったね。貴族に嫁いだとか、外国に引き抜かれたとか噂されたけど、本人が何も言わずに失踪したもんだから確かめようがない。騒ぎになって、それが下火になったら、みんな話題にしなくなって忘れちまった。あたしもあんたに聞かれるまで彼女のことは忘れてたよ。悲しいけど過去の人だね』
失恋について聞くと、
『その噂はなかったねえ。氷の天才が恋をするとは誰も思わないよ。たまに寄り付く男はみんな「誰?」とか「暇じゃないです」って即座にフラれてたみたいだし』
『下ネタを言ったりとかは?』
『想像もできないね。性欲がなさそうなくらい勉強一筋の子だったよ。黒いローブを首元でぴったり閉じて、肌の露出も全然なかったもんさ』
『……』
『知ってることはこれだけだ。もし彼女が首都に戻ってても、あたしは会いたくないね。氷の天才も時間が経てば落ちぶれて、ただの人かもしれない。時間は誰にとっても残酷なもの。思い出はそのままにするべきだよ』
他の人から聞いたことも大体同じだった。
俺の知るマーリンはいない。
記憶のなかの旅の占い師は果たして実在していたのか、子供のころに見た夢の登場人物じゃないのかという気分になる。
「時間は誰にとっても残酷なもの」
おばさんの言葉が耳にこびりつく。
思い出の人のことが今となっては幻のように影も形もつかめない。
糸口が消え、それっきり恩師を探さなくなってしまったが――
なんだ、実在してたじゃないか!




