輝く未来
2
次の日は土砂降りだった。
二度も翻弄されたがめげずにマーリンの姿がないときに丘を登りはじめた。
誰も見たことがないテントの中に秘密が隠されていると思ったのだ。
そしてまわりに注意して丘の八合目まで進んでいたのに真横から声。
「あなたが来るとわかっていたわ。ウキョウくん」
「!?」
「占いは全て教えてくれる。さあ、おいで」
え、ええ?
「いいからいらっしゃい」
わけもわからず手を引かれる。
テントの入り口まで来ると中へ突き飛ばされた。
そこは甘いお香が漂う。
黒紫で統一された空間。
テントの内側にリアルな星空が描かれている。
床の絨毯には魔法陣が描かれてろうそくが並んでいる。
天井から吊るされた太い鎖はキラキラとした真鍮製。
鍋、着替え、布団などの生活用品が見当たらず、全てに黒紫のヴェールをかぶせて隠しているようだ。
雨音は不思議と聞こえてこない。
柔らかい黒革の座布団に座らされた。
帽子を脱ぎ、俺を見つめるマーリン。
スパークリングワインをすすめてきて、お断りした。
腰を下ろしたマーリンは「しょうがないわね」と、自分の分だけ瓶からワイングラスに注いで……飲まない。
中央に置かれた一つのグラス。
炭酸の音がシュワシュワと響く。
「今までしてきた話はただの御膳立てよ。伝えたいことのいまだに半分、おしりの右側、白子の片方、オオイヌノフグリの一つの花びらに過ぎないわ」
たぶん下ネタなんだろう。
だが真剣な顔に変わった。
「あなたの人生の大事なことを言います。ウキョウくんはここで過ごしていちゃいけない。王国の首都に出るべきよ」
「……はい?」
「ウキョウくんが村を思う気持ち、よくわかります。首都に出て成り上がって権力を得れば、あなたの大好きな人たちを救えるわ」
首都に出る?
「待ってください。首都なんて俺には想像できないところです。一生に一度も行くわけないですよ」
「いいえ、行きなさい。この村に来る直前、水晶玉が光って心の声が聞こえ、あなたの名前と年齢、村を救う運命を教えてくれたのよ」
「うさんくさいよ」
俺はまだ彼女の人柄を信頼していなかった。
「大体、村を救うって、何がどうなることですか」
ワイングラスをつまんで揺らすマーリン。
「たとえば貧困も災害もなくなるでしょうね」
「信じられません! 麦を育てたり洪水を止めたりできますか!」
「ウキョウくんならできるのよ」
「あんたの言うこと、全然具体的じゃないよ!」
「じゃあ具体的に教えましょう。政治家として成り上がってしまえば、麦以外のもので税を納められるように租税法を変えればいいし、大規模な治水工事をやらせて洪水を防いで、それまで水びたしだった氾濫原を農地に改良することができる。イメージが難しいかしら?」
チスイコウジとかハンランゲンとか言われてもわけがわからない。
「まあとにかく成り上がりなさい」
「でもどうやって」
ニヤリとして占い師は語った。
「俺を出世させる方法」は計算し尽くされていた。
まず、マーリンが俺と過ごせる時間は少ない。
一ヶ月でナラデを離れると約束していたし、傷心旅行を始めたころから一ヶ所にそれ以上とどまらず、離れたら二度と訪れないと決めていたのだった。
その残りの二十日あまりで彼女は俺に読み書きを一から仕込むという。
文字さえ覚えれば、マーリンがいなくなっても、都会で必要な知識の自学自習ができる。
ただしそれでも本を読まなければ知識はつかない。
村には本が一冊もなかった。
そこで「通信教育」だ。
マーリンは村を離れたら人づてにたくさんの書物を送ると約束した。
作法、経済、歴史、数学、博物誌など。
送った書物をひととおり五年かけて習得しろと言った。
「五年!」
「全部を学べばあなたは必ず成り上がれる人間に成長していると断言します」
「そんなに頑張れる気がしません」
「占いが『できる』と言ってるわ」
「もしそうだとして、首都に出てからがわかりません。俺みたいな田舎の子供を受け入れてくれるんですか。村の税を取りに来る人がよく言ってますよ、『お前らと俺は血筋が違う。卑しい血は近づくな!』って」
十歳の俺にはそれが都会の冷酷さとして刻み込まれていた。
上京なんて、怖い。
「ウキョウくん、差別をするのは一握りのバカだけよ。自分の立場がみじめなのを八つ当たりしてるだけだから。そしてこの国は本当に開放的なの。貴族と平民という区分があるなかでも、首都に出れば、出世のひとつのルートが平民にも開かれているの」
「出世のひとつのルート?」
マーリンがグラスに口をつけた。
「これこそが伝えたいことよ。それは――」
――決闘。
ただしトラブルの果ての殺し合いとは違う。
武芸を重んじるこのグレティーン王国は、強い戦士を身分にこだわらず登用することにしていた。
そこで戦士の格付け(ランキング)制度として、決闘をスポーツ化していた。
出世したい腕自慢は上京し、自らを「選手登録」する。
対戦相手を自由に探し、好きなところでタイマン勝負。
剣、槍などを地面に落としたほうが負け。
武器は刃を鈍らせて殺傷能力をなくしておく。
魔法は攻撃力アップ、シールドなど、補助的なものに限る。
強さだけでなく戦士のマナーが求められた。
審判によって成績が集計され、勝ちを重ねてランクアップをめざす。
最高位に到達すれば名誉はもちろん、王からの下賜金も計り知れない。
しかも国会=元老院のメンバーに自動で選ばれ、権力は絶大。
国の大宰相に駆け上がることも不可能じゃない。
いわば王国の最高の夢舞台。
数万人が選手登録し、成り上がろうとしている。
――俺の知らない世界をこうしてマーリンは語ってくれた。
「武術と魔法の本も送るから五年間勉強しなさい。これで絶対に出世できます」
天井から吊るされた鎖がジャラッと揺れる。
返事がなかなか喉から出てこない。
「お、お……おとぎ話を聞いた気分です」
「本当の話よ」
「俺より強い村の大人じゃダメなんですか」
「ウキョウくんだけが勝ち上がるわ。占いはあなたの伸びしろしか認めていない」
「なんで俺なんです。どういう理屈ですか」
テントの外に連れ出された。
雨が止んでいる。
抜けるような青空。
高いところを右から左へ白鳥が飛んでいく。
爽やかな風が吹いた。
「運命に選ばれたことを喜びなさい。数十年に一人の逸材よ」
それだけを告げて彼女は空を見上げる。
目を細め、唇の端がおだやかに緩んでいた。
「ここまでの話、信じてくれる?」
「難しいです……」
「徐々に信じてくれればいいわ」
「ところでマーリン、なんで俺を出世させたいんです? こんな田舎者に関わることないじゃないですか」
「今はこう答えましょう。失恋すると感情が歪んで『男を育てたい』って思うのよ」
「はい?」
ほの暗くニヤけた表情になり、
「恋愛を諦めると年下の子が気になって『わたしをフッたやつを超える男にしたい』ってなるのよ。人間って不思議よねえ、恋をしたい本能がこんなにおかしくなっちゃうんだもの。ウフフフ!」
「なんで笑うんですか怖いです」
「すでにあなたが貴公子に成長した姿をはっきりイメージできるわ。村を救うだけじゃ終わらず、女を最高に幸せにする男になって、水が流れるようにすいすいと口説き、決して『一人しか愛せない』なんてケチなことは言わず、抱いて抱いて抱きまくり! ドバーッとまき散らすのよ!」
「抱く? まき散らす? どういうこと?」
顔をギューンと近づけてきた。
「今は知らなくて結構! いいかしらウキョウくん、人生の先輩が正しいアドバイスをします。女の数だけ愛がある男になりなさい。女は泣かせちゃダメよ、ヒイヒイ言わせなさい! それだけが男の幸せです!!」
「?????」
ひどい下ネタだと気づいたのはずっと後のことだ。
マーリンはダメな十四歳だった。
失恋をこじらせちゃいけないことがよくわかる。
次の日から丘のテントに通い、初めてペンを握った。
ただし大人たちから「文字を習えるなんてうらやましい! みんなの分まで勉強してくれ!」と応援されたので彼らの顔を立てるためにやっていた。
読み書きの効果を知ったのはマーリンと別れてからのこと。
約束の一ヶ月が過ぎて彼女は去った。
さよならも言わず、テントとともに、あとかたもなく。
翌日、ロバの荷車が村に来た。
俺の自学自習のための書物を満載している。
届いた「マーリン文庫」を読みはじめて――俺は電撃に打たれた。
世界が未知にあふれていることを知った。
見たことのない動植物や、わくわくする魔法、銀を掘る坑道の図解、ピラミッド型の政治機構、貴族の豊かな生活などを、書物は次々と紹介する。
決闘についてもマーリン文庫に書かれていた。
「本当に決闘なんてものがあるんですか?」
村に来た徴税役人に聞くと、「常識も知らねえのか田吾作は。卑しすぎて同情するよ」と冷笑された。
ああ、常識ってことは、実在するんだ。
マーリンは嘘つきじゃなかった。
蛙だった俺は井戸の外に飛び出した。
灰色の空を見上げ、その先の太陽を思うようになった。
いつか白鳥のように飛びたい。
日々読書した。
男衆に相手をしてもらって武芸と魔法を磨く。
筋トレ、ランニングなどの身体づくりも欠かさない。
そしてとりわけ古い魔導書に記されていた秘法、「一天砕破」。
農具のフォークを地面に刺して棒高跳びの鍛錬をする。
ナラデ村は相変わらず悲惨なことがよく起きたが挫けなかった。
めきめき成長していると自分でわかった。
書物をおおよそ暗唱できるようになった。
俺に太刀打ちできる大人は次第にいなくなった。
――そして五年後、優秀新人に。
同時にメレアガンのアサという名を初めて知ったのだった。




