行き渡る陰翳
次の更新(最終回)は07月31日23時00分に行う予定です。
19
体当たりに対して完璧なタイミングで「無常鍍金」を返された。
反射ダメージで吹っ飛ばされ、槍はもっと遠くに飛ばされた。
腰から橋に墜落したので滅茶苦茶痛かった。
その後、動けるようになってから上半身を起こし、今まで空を見ていたのだった。
勝者に向けて問いかける。
「すげえよ、アサ。どうやってあの一瞬のタイミングを合わせたんだ?」
少女は背中を向け、うつむきながら立っている。
山奥でさびしく鹿が鳴いたみたいな声が返ってきた。
「……これは槍の攻撃じゃないなと直前で見切ったんです。槍を握る手がちょっと緩んでましたから。変わったことをしようとする人間は必ず体のどこかに予備的な動作があらわれるものです……」
「なるほど。やっぱりあんたが上手だったよ。完敗だ」
ただしすっきりとした負けだ。
ひたすら勝負に集中して戦った結果だから納得できる。
夜風が汗を乾かしてくれて気持ちいい。
少女はコシガタナを握ったまま小さく震えつづけている。
「さて、アサは俺に勝った。もちろん試合前の約束は覚えてる。こっちが勝てばあんたは戦争に行かないと宣言して、それで結果はこうなった」
……。
…………、だけど。
「……本当に行きたいのか?」
諭すように告げるとアサの肩がピクッと反応する。
俺は試合の前にこう言った。
あんたは俺や姪たちのために旅立とうとしていると。
そういう行動は自分を押し殺しているように見える。
本当にそれでいいのか?
「ウキョウさん、買い被りですよ……。私は身勝手だから姉に逆らって……」
「まだ言ってるのか」
確かにケイは復讐を望まなかったが、それだけが本心とは限らない。
ボルに人生を滅茶苦茶にされ、殺したいくらい憎む気持ちもあったはずだ。
その無念を妹が晴らそうとした。
きっと天国で「ありがとう」って姉ちゃんは喜んでるよ。
「お、お姉ちゃんはそんな人じゃないっ」
「姉の全部を知ってるのか? 人の心は言われてみなきゃわからなくて察するのは限度がある。姉ちゃんの辛い過去をアサは言われるまで気づかなかったんだろ? それと同じだ」
「……!」
「でもあんたは想像したんだろ? 妹に話せず墓場まで持って行った恨みや苦しみがあったはずだって。そのためにアサは頑張ったんだ。ずっと人のためにやってきたんだよ。だからもう自分のために生きていいんだ」
「ウキョウさん、あなたが優しいからそんな風に言うんでしょう……? こんなつまらない女を励まして何になるんですか……」
「前から思ってたがあんたの悪い癖だな。自分を低くして他人を上げすぎてる」
「だ、だってあなたは………」
「『故郷を救おうとする立派な人間』ってか? 確かに俺はそうなろうとしてきた。絶対にそうしなきゃと思いすぎたから、こないだまで頭がおかしかったんだろう」
でも現在、それだけが自分ではない。
望んでいるものが他にもあると気づいている。
「俺は、アサの手を、握りたい」
なるべく自然な言い方をした。
「――え?」
「両手で握りしめたい。祭りであんたの手を見たときすごくきれいだった。どんな朴念仁でもドキッとしそうなくらい白く輝いてたぞ」
「な、何を言うんですかっ」
「しかも俺は成り上がったら、毎日うまいものを食うだろうし、豪邸を建てるだろうし、美女に貢ぐかもしれない。そんな妄想をしなかったといえばウソになる。村を救うって豪語してる人間でも実際はこんなに邪念だらけなんだ。――わかったか? 今のが俺のエゴだ。これでアサは俺のことがわかるし俺もアサがわかる。いつだったか、俺を『理解者』って言ってくれたよな。もうこれでお互いが理解者なんだよ」
「理解者……」
俺はゆっくり立ち上がる。
鎧が重いし体も痛いが苦痛ではない。
真摯に彼女を見つめて歩み寄っていく。
「二人ともやりたいことが溢れていて、だから決闘をしてきたんだ。俺たちは慎ましくなんて生きられない。同じ強欲な決闘者なんだ」
アサの馬鹿な考えを止めたい。
そのエゴのために俺はここにいる。
再決闘での敗北はわりとどうでもいい。
「話せばわかる」「あんたを説得できる」と、戦う前に宣言したじゃないか。
とっくに覚悟が決まってるんだ、俺は。
彼女の目の前まで来た。
宝石のような瞳が間近にあって困惑の色を帯びている。
そして小さな体だなと今さらながら思う。
目の覚めるような戦闘能力と、色とりどりに変わっていく心の様相が、この体の中に詰まっているのだから本当にすごい。
こんな人間にはもう会えないだろう。
絶対に別れたくない――これが俺のエゴだ。
勢いで少女の手を掴み、引き寄せた。
細さの中に柔らかさがある。
冷え性だったはずだがこの日は体温を感じた。
「アサ、もう一度聞く。本当に行きたいのか? 俺を倒して今からすっきりした気分で戦場に行けるのか? 聞かせてくれ、この俺に、本音を!」
少女は――
――深くうなだれ、一筋の涙を流す。
そして俺の胸に飛び込んできた。
顔をうずめて、声を震わせて、
「い……行きたくないっ……! 死にたくないし、あなたと居たい……! でも、お姉ちゃんの子供が本当に心配で……心配で、助けてあげたい! 助けたくて、やっぱりどうしても、行かなきゃいけないんですっ……!!」
……初秋。
広大な平原が色づきかけている。
草むらでチチッ、ピイピイッと鳴き、季節の鳥が飛び立っていく。
未舗装の道を行くロバの足音と車輪の軋み。
俺たち二人はロバの荷車を乗り継いで十日目だった。
人でも物でも荷役業者は運んでくれるがあまり遠くには行きたがらない。
なのでいくつかの町ごとに業者の変更が必要だった。
戸板に車輪がついただけみたいな木の荷車の上で俺はあぐらをかいている。
悪路で揺れまくるのにはもう慣れた。
雲が空を覆いはじめ、ポツポツと小雨が降る。
「雨……ってことは、そろそろ着きそうです。長旅お疲れ様でした」
後ろに声をかける。
世の中の苦労を味わい尽くしたような暗い表情の女性。
「……村はウキョウくんにとって何年ぶり?」
「まだ八ヶ月です」
ローブの前をしっかり閉じた占い師が膝を崩している。
「……私は五年ぶりかしら」
「マーリンは一度旅した場所はもう行かないんでしたっけ」
「そうね……でもあなたを見届けるためにどこへでも行くわ。それがわたしの責任だもの……」
「――俺は今までの選択が失敗とは思いません。ずっとアサに関わりつづけて、それで破滅がやってくるなんて、もう信じないことにしました。『あいつとの約束』が大事ですからね。大体、マーリンの予言も外れることはあるんじゃないですか?」
「希望を持つのは自由よ。だけど……」
「絶対あいつを信じます」
さあ、もうすぐ前方に見えてくるだろう。
ボロ家、痩せた畑、荒れ地と森しかない辺境。
ずっと雨が降る灰色の村……故郷のナラデ集落。
こんな形で戻ってくるとは思わなかったが今はこれがきっと最善だった。
「助けたくて、やっぱりどうしても、行かなきゃいけないんですっ……!!」
夜のキーファンハイデ橋で泣き崩れたアサを俺はなだめつづけ、やがて次のように提案した。
「死にたくないけど行かなきゃ後悔するっていうなら、やれることは一つじゃないか」
「……?」
その場の思いつきだったが、これしかないだろうという解決策。
「生きて帰ってくればいいんだ」
即座に彼女がそんなこと不可能だという顔色になる。
「大丈夫だ、アサは強い。二度も戦った俺が保証する。姪っ子たちを守り抜いてまたこの町に戻ってくれ」
力を込めて伝えた。
「無理だと決めつけたら終わりだ。アサは自分の願いにもう気づいただろ。それを裏切ってどうするんだ。この方法しかないと本当はわかってるんじゃないか?」
「私の、願い……」
「俺の願いも同じだ。アサが一番納得できる未来を選んでほしい。俺はマーリンに破滅の予言をされたけど、そんなものはたった今、信じないことにした。他人に従って自分を捻じ曲げたくないからな。だからアサもわがままになれ。そうしてくれれば俺も嬉しいんだよ」
いつしか東の夜空に青白い月が浮かんでいる。
春と変わらない鋭利なナイフのような光だ。
「自分勝手に動いて他人が喜ぶなんて、と思うだろ。俺も今まではそうだった。でもそういうこともこの世にはあるんじゃないか?」
「……」
斜め下を向く少女。
「行ってくれ! 俺とアサのために!」
彼女の手をもう一度深く握りしめた。
古いキーファンハイデ橋が少し風で揺れている。
やがて老朽化によって崩落したり解体されたりするのだろう。
それと似た滅びの運命を、俺は彼女に与えているのかもしれない……。
いいや、そんなことは考えたくない。
きっとこれが正しいはず。
大丈夫だと俺は信じる。
少女の返事を待つ。
「……………………………………………………ふふっ。しょうがないですね」
アサが切なく微笑した。
駄々っ子のおねだりに負けてしまったみたいに。
「約束しますよ。生きて帰れるとは思いませんが、あなたに免じて、できる限りのことをします。また会う日まで待っていてください」
「アサ……!」
「えへへっ……本当にしょうがなくですからね? 勘違いしないでくださいよ?」
そう嘯いて白い歯を見せたときの雰囲気は毎朝噴水広場でチーズ屋として会っていたときと似ていたかもしれない。
ただし完全に同じではなく、月に照らされた彼女の笑顔には深い陰翳が刻まれていた。
帰郷を決めた理由は単純に、首都でやることがないからだ。
アサとは再会の「約束」を済ませたが、他人との決闘試合は外出禁止の戒厳令のせいでままならない。
首都の治安も気になるのでケンレー卿の屋敷を一時去ることにした。
寝室に籠っている主人に別れの挨拶はできなかった。
たぶん彼は世の中の激変についていけなかったのだ。
ボルと良い関係を築いていた時期を遠い過去のように感じているのだろう。
俺が決闘選手として頑張っていれば元気づけられたかもしれないが……。
なんにせよ彼も悲運に翻弄された一人だった。
執事長に今までのお礼を伝えたら「平和になったらいつでも選手として戻ってきてください」と気づかってくれたのが印象に残っている。
俺が首都を去って数日後、入れ替わるように追放派が入城し、ひとまず様子見のように普通の政治を始めたというのは後で知ったことだ。
そうして帰ってきたナラデ村は……荒れ果てていた。
夏の終わりに大洪水があったという。
村民は廃材で作った小屋に身を寄せ、雨露をしのぎつつ、瓦礫の撤去を進めている。
畑も最悪の被害を受けていて、この故郷はもう一息で滅びてしまいそうだ。
俺はできることを片っ端から手伝って毎日汗水を垂らした。
マーリンのほうは疲弊した村人に回復魔法を使ったり炊き出しを用意したりとサポートに回ってくれている。
ただし、彼女の表情は、なんとか人前では愛想よくできるが、そうでないときは……いつ泣き出してもおかしくない沈んだものだった。
戦地から手紙が届くとは思わなかった。
俺が手配した村の復興資材を荷役業者が運んできたのだが、そのとき「こんなド田舎に字なんて読める奴いるのかよ」という顔をしながらそれを手渡してきたのだ。
牛小屋の陰で開封した。
読みやすく朴訥な筆跡を目で追っていく。
『私も手紙を出すことができるとはと驚いています。姉の子供たちが私のことを知って特別なツテを用意してくれたのです。ただし戦争では多くの交通が寸断されますし、とっくに騎士派の運命は八方塞がりですから、いつまで連絡できるか怪しいという点はご理解ください……。




