乙女の表裏
今日から四日連続で投稿して結末まで描く予定です。
17
アサは決闘の前に口笛を吹く。
どこか物悲しいノスタルジックな響き。
奏でる曲はいつも同じ故郷の民謡だという。
キーファンハイデ橋の中央に来た俺にひととおりメロディを聴かせてから彼女が教えてくれた。
大好きな姉が機を織るときも毎晩の子守唄でもよく歌っていたらしい。
歌詞は、とある貴婦人との恋が実らなかった青年が幸せを諦め、「緑の野原を抜ける風になりたい」と願うものだとか。
どんな気持ちでケイが愛唱していたのか今や知ることはできない。
アサは決闘を始めた初心を忘れないようにこの曲を吹いてきた。
「これが最後の口笛になりますねー。いやはやー、もはや懐かしい気持ちになりますよー」
彼女は笑っている。
悲しみのあまり開き直るしかないということか。
人口が激減した首都は町の灯が目に見えて減っていた。
ヴィルトエンテ川の上は深い暗闇。
晩夏の夜風には寒さすら感じる。
「まず言っておくが、俺はな、決闘しに来たんじゃないんだ」
彼女の目を見て切り出した。
「おやおや? ウキョウさんは鎧を着てるじゃないですかー。しかも私と再び戦いたくてずっと悩んでいたんでしょう? 願ったりかなったりで鼻息を荒くしてここに来たんじゃないんですか?」
「当然やる気はあるけど決闘のやる気じゃない。あんたの馬鹿な考えを止めるのが目的だ」
「へえー。どうやって止めるんでしょう?」
「昔の人が言ってるだろ。『話せばわかる』って」
「ハハッ、説得ですか? 私より面白い冗談はやめてくださいよ。しかしお話ならしたいですねー。せっかく来てくれたので、ここでの楽しい会話を思い出の一ページに加えて戦場へ向かおうと思います。どんなジョークを聞かせてくれるんですか?」
「――まずはステータス・カードを見せ合おう」
「やっぱり決闘するんじゃないですかー」
書かれている両者の数値は前と変わらない。
左肩にある「屋根」や「二枚宝」のバッジも同じだ。
「あんた、春からランクアップしてないのか」
「同じ言葉をウキョウさんに返しましょう」
「確かに。それより、なんで行くんだ?」
「なんで、とは?」
「騎士派とヒューリグレイヴ家を追っかけるなんて理由が意味不明だと言ってるんだ」
「えっ? 手紙に書いたじゃないですかー。読んでないんですか?」
もちろん読んでいる。
読んだ上で、あんたの本心を推し量るために質問している。
「ははあー、あの文面でわからないならもっと簡単に言いましょう。私がこうなりたいからです。つまり私利私欲ですよー」
この世は地獄だと身にしみて感じた人のような儚い顔色だ。
「お姉ちゃんの五人の娘がかわいくないわけないでしょう? 私はその美少女たちに囲まれて過ごしたいんです。そういう終わり方って素敵じゃないですかー。世の中には酒浸りで死んでいく人がいますが、その人が大好きな酒を最期まで味わっていたなら、ある意味いい人生だったと言えますよね? 私もそのように好き勝手やりたいんです」
「よくねえよ。ヒューリグレイヴ家はもうすぐ――」
「ええ、滅びます」
「あんたも同じ運命になるぞ」
「それが望みです。だってお姉ちゃんの遺言に逆らったんですよ? 勝手にボルを恨んで最愛の家族を裏切ったなら最大の罰が要ります。この世は因果応報でなくちゃいけない。政治を欲しいままにした騎士派は滅びなきゃいけないし、わがままばかりだった私も同じでしょう? 私利私欲を貫いて最期に罰を受ける――これが自分らしい人生というわけです。一番重い罰でないと納得できませんねー」
罰だなんて。
あんたは家族を愛して無念を晴らそうとしたんだ。
それがそんなに悪いことなのか?
しかもあんたの姉は「ボルを恨んじゃだめ。前向きに自分らしく生きてほしい」と遺言した。
そんな優しい人が妹の破滅を望むわけがない。
要するにあんたが犯したっていう罪はあんた以外誰も気にしてないんだ。
「ふぁああー……よくわかりませんなー……」
わざとらしいあくびが返ってきた。
「そんな説得が効くと思うならあなたはぶっちぎりでピュアな人間です。結局この女は家族よりも自分が大事なんです。これまでの恥ずかしい人生に耐えられないから破滅が救いになるんです。つまり、苦痛から逃げて逃げて逃げまくって自分勝手な終わり方をしたい、というわけです」
「……」
「なにもおかしくないでしょう? 私の論理はガチガチの魚の干物みたいに固まっています。これでもまだ『話せばわかる』とおっしゃいますか?」
橋の上でむなしく響く少女の声。
「ハハッ! もう無理ですよね!」
「――――いいや。余裕で説得できる」
「え?」
ぽかんと口を開けるアサ。
俺には彼女を止めるという大目標がある。
こんなちょっとのやりとりで引き下がるわけがない。
大体アサのように自分の思いをやたら強調する人間は不審だ。
そういうことをする事情は二つ考えられる。
一つは――どうしても相手の理解を得ないと大損してしまうとき。
もう一つは――知ってか知らずか、本当の自分を隠しつづけているとき。
彼女がどちらかなんて深く考えるまでもない。
自信のある俺の背中にはしっかりした芯が入っているような感覚がある。
槍のグリップエンドでゴッ! と踏み板を叩いた。
「今ならわかるぞ。あんたの本音は違う」
「――どういう意味です?」
「自分を勝手なやつと思ってるみたいだが実際は逆だ」
家族が不幸でも自分だけの幸せをつかむ人はたくさんいる。
その生き方を「家族を無視して薄情だ」と非難する道理はない。
全ての人間はまず自分のことを優先していいはずだ。
極論かもしれないが姉の悲惨な一生をすっかり忘れて生きることも可能だということだ。
でもアサは違う。
「姉の重荷を背負って仇討ちをしたかったんだろ? 自分らしい自由な人生を捨ててまで、全身全霊を家族のために懸けようとしたんだろ?」
彼女が自称するのとは真逆の性質が見えてくる。
あんたは私利私欲の人間じゃない。
むしろとびきりの博愛主義者。
すると騎士派の都落ちに従おうとする本当の理由も見えてくる。
「あんたは姉の子が心配なんだ! あの五人姉妹が死の恐怖におびえてると思って、そばにいてやりたいんだ! 本当にお人よしだな、会ったことない姪っ子を愛せるなんてすげえよ!」
槍を振って叫んだ。
「……!?」
アサが目を見開いてたじろぐ。
膝を震わせて後ずさりする。
まるで彼女自身も自分の正体を知らなかったみたいに。
「家族愛ってのは俺にはわからんけど、きっとあんたのそれは世間のやつらの何百倍も強いんだ」
「ま、待って! 私は姪のためなんて思ってない!」
「隠すなよ、もうバレてるぞ。しかも家族のためだけじゃないだろ。あんたは俺のことまで考えてる」
「ウキョウさんの……!?」
彼女の心拍音まで聞こえてくる気がする。
お人よしに向けて宣告した。
「あんたはずっと悩んできたんだ、マーリンの予言のことも。俺を不幸にする元凶と言われて、真に受けて、関係を断たなきゃと思ったんだ。だから自分の我儘ってことにして実際は他人を助けようとした。あんたは俺なんかのために行こうとしてるんだ! そうだろ!」
アサの素顔が暗闇でもわかるくらい紅潮した。
反論しようと口が動いているけど声が出ていない。
心を覆う壁が突き崩された瞬間だ。
以前から彼女はおどけたり隠し事をしたりで本心を明かしてこなかった。
そこで最初から俺はその「弱点」を狙って精神的な揺さぶりをかけようと決めていた。
全ては彼女の馬鹿な考えを止めるという目的のため。
戦争に水攻めや兵糧攻めがあるみたいに、律儀に決闘するだけではない多様な手段があるわけだ。
まあひとまずは目論見通りにワンポイント先取ってところだろう。
ただし浮かれはしない。
真の気持ちを見抜かれた少女は動揺するだけではない。
たとえば大体の人は事実無根の悪口よりも少し思い当たるところのある非難のほうが胸に刺さるものだ。
そこから深く落ち込んだり逆にイライラしたりする場合がある。
アサは後者だった。
かすかに聞こえる舌打ちをした。
表面的には再び笑顔を作ったが、据わった視線を俺に向ける。
「……やれやれー、荒唐無稽な想像ですねー。明後日の方向のパッパラパーな作り話をよくもまあ思いついたものです」
「素直に認めろよ」
「あなたは世の中の見え方が歪んでます。人類はわがままが基本なのに、『貧しい故郷を救いたい』なんていうスーパー超人的思いやりパーソンは、自分の同類がいると信じたいんでしょうか? いやはやー、功徳を積んだ善人の考えることは違いますねー」
「俺はそんな奴じゃない」
「なんにせよ、こんな冗談みたいな説得で私を止める気ですか?」
直後、上着のふところから短刀=コシガタナを抜いて、
「我々には決闘しかありませんよー。他のやり方は遠回りの道草です。そもそも男というのは百万語の語らいよりも一度のバトルのほうが興奮するんじゃないですか? 男の子ってそういう生き物でしょう? さっさと乙女の生き死にを賭けて、燃えるバトルをやりましょうよー」
見上げると星々がこの上なく輝いている。
「逃れがたい悪夢」を見ていたころは、負けず嫌いの執念をむき出しにした陰惨な再試合を想像していた。
それと比べると今日の気分はまったく悪くない。
試合前の揺さぶりを存分に済ませ、あとはもうひたすら戦うだけだろう。
ランスをくるくると回し、それからアサに向ける。
前回と同じで審判はいない。
互いに武器を構えて向かい合う。
決闘開始の合図など要らない。
どちらが先でもなく同時に突進。
刃がぶつかった高音が夜の空気を震わせた。
そこから俺は正攻法を選ぶ。
リズミカルにステップを刻んで刺突を繰り出し、相手よりも早く多く攻撃する。
手数とリーチは槍の本来の長所だ。
知っての通りアサには「見切り」の技術があり、こちらの動きを予測されて攻撃は命中しない。
それでも構わず圧力をかけていった。
「おやおや―、いきなり飛ばしてますねー」
アサからすると意外な積極策だろうが慌てた様子はない。
穂先をスイスイとかわしながら俺を観察している。
「前回、私に先制されてペースを握られた反省ですか?」
「まあその通りだ」
「悪くないですねー。同じ戦いじゃつまらないし、そういう行き当たりばったりのチャレンジャー精神を見るとこちらも燃えてきます」




