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空語

16

 夏の終わりごろには例年、王宮を市民に開放した音楽祭が行われたらしいが、戦争と恐怖政治のもとでそのような雰囲気は生まれず、音楽祭は中止になった。

 屋敷の中をぶらぶらするだけの俺はメイドさんたちや執事長がしきりに嘆くのを聞いた。

「この国はもう平和だと思っていたのに……」

 庶民でさえ気が沈むのだから王国に君臨されるお方の憂鬱は計り知れない。

 国王陛下が政情を心配するあまり持病を重くされ、ついに危篤になられたという。

 太陽のように華がおありな王妃陛下と比べると、王様は月のようだった。

 政治の実権こそなかったが人徳の深さと気配りで知られた。

 というのも、俺が上京してきた冬の頃、大雪の日があった。

 王宮も真っ白に雪化粧し、御前会議に集まった側近はその白銀の光景に興奮してたいへん盛り上がったそうだ。

 しかし陛下が一言。

「粗末な家に住む貧しい者はきっと凍えているだろうな……」

 全ての臣下が非常に恥じ入ったという。

 また去年の秋には「ポプラの事件」があった。

 首都の南東地区にポプラ並木で有名な大通りがある。

 秋になると黄色い落ち葉が風に舞って美しいらしい。

 ある貴族が噂を聞き、陛下をここにお連れすることにした。

 ところが当日来てみると道に落ち葉がまったくない。

 黄葉の美しさを知らなかった町の役人が「陛下がいらっしゃる!? 塵ひとつない道にしなくては!」と張り切って掃除してしまったのだ。

 当然、貴族は激怒。

「お前は国家の主人に無駄足を踏ませ、我々を愚弄した! 死に値する罪だぞ!」

 王様のほうは――そこでなんと微笑された。

「まあよい。よくある行き違いだ。さて、落ち葉を片づけたといっても、まだどこかに固めて置いてあるのではないか? それを宮殿の庭に持ち帰ろう」

「持ち帰る? 何をなさるのです」

「焚き火だよ。炎をゆったり眺めて秋の風情を楽しもうじゃないか」

 その優しさと機転に誰もが感服したという。

 陛下の病は重く、危篤から三日後、ついにお隠れになった。

 国を照らす月光が消え、俺も暗澹たる気持ちになった。

 窮地に立ったのはヒューリグレイヴ家。

 王妃陛下を嫁がせて「婿が国王」という最大の政治的アドバンテージを得ていたのに、それがなくなった。

 このままでは追放派が推す四歳の王子が即位する可能性すらある。

 焦った彼らは最悪の発表をした。

「じ、実は王妃陛下は身ごもっておられる。王位はつつがなく御子(みこ)に継承されるぞ!」

 まだ生まれてもいない王子を即位させるという。

 このご懐妊は実に嘘くさい。

 新王の外戚として政権に居座ろうとしたのだ。

 のちのち、どこかから攫ってきた赤ん坊に戴冠させるとか、どこかの男と王妃陛下の間に子を産ませるとかの、極めておぞましい計画を立てていたらしい。

 ボルが死んでからのヒューリグレイヴは邪悪で粗暴としか言いようがない。

 このあたりから王党派の様子が変わった。

 騎士派政権に従うふりをしつつ、のらりくらりと理由をつけ、戦争に協力しない。

「我々も敵を討ちたいのはやまやまですが、今は秋でしょう。収穫に人手が要るときにたくさんの人を動かすのは難しいことです。そしてこれは一般論ですが、国に王がいらっしゃらないなかで大事な決定をしてしまうのはどこか不吉な予感がして気が引けるのです」

 このように言って王国軍に兵を貸さなくなった。

 十六(ゼヒツェーン)の陰謀に対する老獪な復讐だ。

 国軍は各貴族が領地を守る兵を一時供与するという形で構成されている。

 王党派がNOと言えばその傘下にいる大軍は全く集まらない。

 ヒューリグレイヴ家は二度目の粛清で従わせようと考えたが精鋭部隊を東の戦線に置いていたので不可能だった。

 当時、決闘選手にこんなビラが送付されている。

「王国に命を懸ける誓いをした闘士たちよ、今こそ集え。山猿どもを駆除するぞ」

 ひと月で年収を稼げるくらい報酬をくれるという。

 確かに決闘は強い勇者を登用するための競技とされているが、それは昔の名残りや建前のようなものだ。

 いきなり俺たちを雇って現代戦の一員として役に立つと思う人はいなかった。

 わかっていてそうしなきゃいけないほど、王党派に背かれた政権の兵隊不足は深刻だったらしい。

 このビラで五百人ほどが集まったという。

 国軍はやがて追放派と決戦した。

 クリカラパスの戦い。

 猛牛を突進させるという奇襲を食らってこれも大敗だった。

 決闘選手たちは全く活躍できなかった。

 一対一のチャンバラと補助魔法の練習しかしていないからだ。

 敵の矢の雨や大量破壊的な攻撃魔法に対して逃げ惑うばかりだったという。

 この敗北で鬼武者どもを止める手段はなくなった。

「あと一週間で首都まで来るぞ! 庶民は殺されるそうだ!」

 噂が広がってパニックが起きた。

 庶民と荷車が表通りを埋め尽くして我先にと首都を脱出しようとする。

 略奪や暴行が広がって昼も夜も怒声が絶えない。

 王党派は平然とこのように発表している。

「我々は十数年前から追放派の味方だ。城門を開けて歓迎しよう。市民はデマに惑わされず落ち着いて行動してください。首都は安全です」

 ヒューリグレイヴの一族は悪い夢を見ているような気分だろう。

 まさか都落ちをしなきゃいけないなんて。

 それは王女陛下をお連れして西へ逃げ、正統な政府を自称するという惨めな選択だった。



 夜半。

 屋敷の廊下を、俺はランスとフルアーマーの姿で進んでいく。

 ここの多くのメイドさんが首都の治安を危ぶんで地方へ疎開したので誰ともすれちがわずシンとしている。

 すると執事長がハンカチで手を吹きつつ洗い場のほうの曲がり角から歩いてきた。

 ケンレー卿の夕食を下げて皿を洗っていたらしい。

 俺の装束を見て目を丸くした。

「おや? こんな夜に、戒厳令もまた出ているのに、どちらへ?」

「すぐ戻ります」

 とだけ答えて廊下を突っ切る。

 世間がどうあれ、それでも行かなきゃいけない。

 左脇の中に入れた手紙の存在がずっしりと重かった。

 昼間に届いたアサからの手紙だ。

 彼女が破滅に向かうことが記されていた。

『こんな女、どうか忘れてくれ、と言っておきながらウキョウさんに手紙を差し上げてしまい、私は本当に自分勝手で、恥ずかしい限りです。しかし許してください、これを最後の手紙とするつもりなので。

 昨今の世の騒ぎは説明するまでもないでしょう。ヒューリグレイヴ家とその一団はこれから首都を捨てて敗走します。追放派は王党派と組んで追撃し、きっと西の果てで彼らを滅ぼすでしょう。戦力差は明らかで、栄華を誇った一族が亡き者になるのは疑いないことです。驕れる者は久しからず、というわけです。

 さて、私は彼らに、恨みや無常を感じることはあっても、同情することはないと思っていました。でも違う。

 姉は五人の娘を残しました。自分にとっては姪っ子で、お姉ちゃんの形見で、同じ血が流れていて、年齢的には妹のようなものです。父親が誰でも関係ありません。

 私は姉が亡くなり、ボルが死に、ウキョウさんや貧しい子どもたちと別れ、チーズの店も休業になりました。人生の全てを失ったように感じていた私は、まだ「五人の家族」が残されていると気づいたのです。

 彼女たちは西へ逃げ、そこで滅ぶでしょう。お姉ちゃんの子供だからきっと賢くて、悲惨な捕虜になる選択はしないはずです。

 私は騎士派の軍に参加します。

 家族に寄り添い、最期まで一緒にいるために。

 実はもう連絡をつけ、「戦力は一人でも多いほうがいい。女子供を護衛する役をしてくれ」とOKをもらいました。

 罪と不幸の多い人生でしたが良い終わり方ができそうで嬉しいです。

 というわけで今夜、最後の決闘をしましょう。

 あなたと過ごした思い出の最後を飾りたいのです。

 場所はもちろん、私たちのキーファンハイデ橋で。

 来てもらえるか不安なので交換条件をつけます。この決闘でウキョウさんが勝てば、私は姪っ子たちを追いかけず、首都に残ります。約束します。

 もし来てくれなかったら……?

 まあそのときは、あなたを恨む亡霊にでもなりましょうか(笑)。

 それでは今夜、全力勝負を期待しています』

 屋敷の玄関から真っ暗な外へ出る。

 晩夏の涼しい夜風が吹く。

 首都は市民が避難して人口が十分の一になったという。

 演劇の作り物の背景みたいにその町並みは味気ない。

 歩いていると鎧の音だけがカチャカチャと響く。

 町で暴れていた犯罪者たちもさすがに追放派の襲来を恐れて逃げ出したのだろうか。

 月が出ておらず野良猫さえも見かけない。

「俺は今まで……何してきたんだろうな……」

 つぶやいて過去を思った。

 アサの悲しみに俺はずっと前から触れていた。

 最初の決闘が終わったとき「私は悪い女です」という言葉をすでに聞いている。

 朝の市場で俺に会えなくなってひどく落ち込んでいたとチーズ屋の店主も言っていた。

 それからマーリンに破滅の宣告をされ、世の中が激変し、彼女はみるみる転落した。

 その様子を俺は見てきた。

 なのに……向き合わなかった。

 心の叫びを受け止め、癒そうとしなかった。

 結果、一人の少女が破滅しようとしている。

 俺のせいじゃないか。

「クソッ……俺はクソ野郎だ!」

 拳で自分の太ももを殴る。

「何が『村を救いたい』だ! アサを救ってこなかったくせに! 何が『逃れがたい悪夢』だ! 自分が辛いからってあいつと向き合わない理由になるかよ!」

 何度も、何度も、殴る。

 痛みで自分を目覚めさせるみたいに。

 アサに対してまた煮え切らない態度を取れば今度こそ終わりだ。

 取り返しのつかない結末を与えることになる。

 全部、全部、ここにいる馬鹿のせいでこうなった。


 そうだ……俺はクソ野郎だ。

 他人より自分の都合を考えてきた。

 でも、だからこそ、これ以上のクソになりたくない。あいつを死なせることになったら自分で自分を許せない! もう「何も言ってあげられなかった……」なんて後悔したくない!


 これは我欲(エゴ)だ。

 自分の尊厳のために他人を助けたがるなんて。

 でもそれでいいじゃないか。

 誰がこのやり方で困るっていうんだ!

 居直ったように胸を張った。

 悪党みたいに歯を剥いて笑った。

 今日こそあいつを救ってみせる。

 生まれ変わった気分だ。

 キーファンハイデ橋の手前まで来て足を止めた。

「メンテナンス中 夜間通行禁止」

 その立て看板の後ろから――魔術師のシルエットが現れる。

 胸元をしっかり閉じた黒いローブと、三角帽子。

 杖の先に、頭くらいのサイズの、青白い光の球体が生成されていた。

「……久しぶりに見る魔法です。五年前、テントを張った丘の上で鳥やウサギを狩るときに使ってましたっけ」

「ウキョウくん、ここは行かせないわ」

 切羽詰まりながらも冷静さを保とうとするような、少し震えたマーリンの声だ。

反故弾(ホウグノタマ)という技でしたっけ。俺の魔法知識では人に向けるものではないですね」

「よく知ってるわね。わたしの通信教育のおかげかしら? 言わずもがな、殺傷能力があるわ。自慢じゃないけど占術学校の首席だったわたしが使えば膨大な魔力があなたを襲います」

「なるほど。しかしそれを人に向けたことがあるんですか」

「…………旅をしていたとき悪党を何度も倒したわ」

「そうは見えませんが」

 杖を握る手が震えている。

 初陣で敵の命を奪うことをためらう新兵のように。

「うるさい! わたしはあなたを殺してでも止める!」

「マーリン……」

 本当に「殺してでも止め」たいならこんな風に堂々とは対面せず、不意打ちで俺を仕留めるだろう。

 決闘選手や兵士が放つある種の雰囲気がまったくない彼女は、見るからに戦いを知らない。

 なのに力で立ち塞がろうとしている。

 もう他に手段がないということか。

「あなたに届いた手紙の中身は占いでわかっている。その先にあるのは破滅よ! あなたの行く末が決まってしまうわ!」

 叫び声。

 彼女の本心を感じた。

 ずっと俺のためを思ってくれていたと初めて気づいた。

 そこにあるのは愛か、責任か。

 マーリンがまるで母や姉のように見えてくる。

 しかし今、俺の破滅なんてどうでもいい。

「わたしの言うことは聞けないという顔ね。一人の女のために自分がどうなってもいいの?」

 男や女じゃありません。

 もっと複雑な理由で、俺はアサを止めなきゃ気が済まない。

 要するに自分のためですよ。

「……立派になったわねウキョウくん。どうしても行くつもり?」

 当たり前です。

「わたしとあの子……どっちを選ぶの、と聞いたら?」

 はっきり答えた。

「俺は行きます」

「――!!」

 マーリンが目を見開いて身震いする。

 怒りのようにも嘆きのようにも見えた。

 自棄(やけ)になって攻撃してくるかもと思い、俺はランスを構える。

 もし戦闘になったらどう決着をつければいいのだろう。

 魔法弾を避ける自信はあるが、倒せというのか、戦闘能力ゼロと思われるこの恩人を。

 それでも槍を前に向けた。

 ぶつかることになってもいい。

 アサを救うためなら。

「――何してるんですか!」

 突然の声だった。

 振り向くと、息を切らした執事長が道路に立っている。

 ランタンを持って俺を追いかけてくれたらしい。

 首都の治安が危うい中で心配だったのだろうが今はその優しさを利用させてもらう。

 俺はマーリンに掴みかかる。

「!? きゃっ!」

 いとも簡単に体勢を入れ替えた。

 道路のほうへ突き飛ばし、

「執事長! その人を捕まえて!」

 彼は「あっ、はい!」とマーリンを後ろ手にして締め上げてくれた。

 マーリンが痛がって杖を落とす。

 反故弾(ホウグノタマ)の光が消える。

 護身術の達人である執事長からは逃げられないだろう。

「ウキョウさん、この女性は?」

「大事な人です。屋敷に連れてってください」

「あなたのほうは?」

「すぐ戻ります」

 状況はつかめないがひとまず了承したという表情になる執事長。

 マーリンはすごく暴れた。

 このあと自分の死が待っているのかというくらいに。

 泣き叫び、汚い言葉で喚き、執事長に咬みついていた。

 だがやはり腕をほどくことはできない。

 体力が尽きて抵抗をやめた。

 この世の終わりのようにうなだれ、

「もう何もできない……あなたの破滅は決まってしまった……」

「……」

「行きなさい……どんな結末でも一緒に見届けてあげるから……」

「……わかりました」

 俺は一礼した。

 謝罪かもしれないし感謝かもしれない。

 マーリンへの多くの思いがよぎる。


 しかしそれからアサの顔を思い出した。

 決然として振り返る。

 木造橋がゆるやかな弧を描いていた。

 最後の舞台がその先にある。


執筆の遅れにより、以後の「第五幕」の掲載を延期いたします。

連載再開は7月28日0時00分を予定しております。

読者の皆様をお待たせすることになり、申し訳ございません。

どうかご理解いただけますよう、宜しくお願い申し上げます。

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