災禍
13
十六の陰謀。
歴史的にそう呼ばれることになる事件の幕開けはきわめて唐突だった。
朝、異様な騒ぎで俺は目覚める。
ザッザッザッ……という大勢の揃った靴音。
窓から見える上空は今にも豪雨になりそうな暗雲が満ちている。
起きて外の様子を見下ろすとそこに庶民はいない。
表の通りを埋め尽くして行進する、フード型の鎖帷子を被った歩兵たち。
多くが剣を抜いて右肩に乗せている。
あるいはヒューリグレイヴ家の赤旗をちぎれんばかりに振り回す。
何千人いるのだろうか、道の端まで軍勢が途切れない。
板金の鎧を着た騎兵たちが彼らを指揮している。
そのうちの一人が俺たちの住むケンレー邸を指さした。
数十人の兵が向きを変え、こちらの玄関に殺到して戸をぶち破り、
「きゃあああーっ!」
階下でメイドさんが悲鳴を上げる。
俺の頭は真っ白になった。
部屋にある槍をほぼ無意識につかんで廊下に飛び出す。
自分の身を守るためか、ケンレー卿が危ないと察したからか。
ともかくとんでもない事態が起きていると感じた。
一階に駆け下りたら軍団と鉢合わせた。
廊下にひしめきながら一斉に俺を見つけてニヤつく。
「へえ、俺たちとやるかい?」
いつでも急所を切り裂いてやるという意識が伝わってくる。
決闘とは違う本物の殺気だ。
俺は絶句し、槍を構えられない。
そして廊下の奥では後ろ手に縛られてケンレー卿が連行されようとしている。
行く末を悟ったみたいにうつむいていた屋敷の主人は俺の姿に気づくと目が覚めたように叫んだ。
「ウキョウくん、歯向かうな! きみも捕まるぞ」
「な、何ですか、これは」
「騎士派はかつての騎士派じゃない。権力固めの粛清を始めたのだ。私は無実だが国家転覆の容疑者になったらしい」
「無実? ハハッ! それはこちらが決めることだ」
背後からの声。
二十歳ほどの青年が赤いマントと黒い長髪を靡かせる。
肩で風を切りながら廊下の反対側から歩いてきた。
お前らなど人に非ずというようなこの驕った態度は見覚えがある。
ボルの年の離れた弟の一人だ。
慰霊式典で黙祷せずに他の兄弟とベラベラしゃべっていた。
「おい下賤。槍一本でどうする気だ? 大人しく見ておけ!」
嘲笑する青年。
「俺たちは『反乱分子』を取り調べる。騎士派を滅ぼそうとする貴族が宴会を装って夜毎に密談し、陰謀を計画していたのだ。これから逆賊の運命は尽き、ヒューリグレイヴの王国は千年続くであろう!」
表通りの大軍は他の容疑者を捕まえに行くということか。
たまらず俺は問いかける。
「ボル閣下は……? あの人がこんなこと許すのか……!?」
青年は幼児をあしらうみたいに、
「古い太陽は沈んでいき、次の太陽は我々だ。この言い方で下賤にも伝わるかい?」
ボルの病気のことを言っていたが当時は理解できなかった。
「さて、お前の主人はどうしようかな? すでに死罪と決めている逆賊は一人で、あとは尋問でいくつ増えるかだ。そこの下賤、どうしてほしい?」
横では鎖帷子の連中が野蛮な笑みを浮かべている。
彼らは遊びのように人を殺すだろう。
俺はボルの弟をキッと睨んだが汗が噴き出して止まらない。
「くくくっ! 愉快だ! そうして震えろ、我らの力に! アッハッハッハッハ!!」
繁栄を謳歌する青年の高笑いが響いた。
首都に戒厳令が敷かれ、外出が禁じられた。
降りしきる雨の中、騎士派の騎兵だけが目を光らせて闊歩する。
主人を連れていかれた屋敷はガランとしてしまった。
俺やメイドさんや執事長はケンレー卿の無事を祈っていたが、もし帰ってこなかったら俺たちはどうなるのか。
そしてどうしてこんなことが起きたのか全くわからなかった。
今から書く事件の真相はあとから知ったことだ。
ボルの弟たちは今の政治に不満だった。
元は敵だった王党派となあなあの関係を築き、自分たちの取り分であるべき国の富を彼らに奪われていると感じていたからだ。
そこで「王党派はヒューリグレイヴ家を滅ぼす計画をしている」とでっちあげた。
深夜に大軍を集め、夜明け前に出撃。
政敵の館を襲って数十人を捕らえた。
その日のうちにとある重鎮を処刑している。
血はさらに流れた。
翌日、三名。
翌々日、八名。
それからも断続的に増え、合わせて十六名。
死罪を免れても島流しになったり地位を奪われたりした。
病に倒れていたボルはこの動きを止める力がない。
庶民は恐怖し、王党派は善後策を考えるようになった。
暴虐の集団が転がり落ちていく準備はここで整ったと言えるだろう。
「十六の陰謀」という名は事件の直後につけられた。
極刑の数と戒厳令の日数がともに十六だったことによる。
ケンレー卿が無罪だった理由は定かでない。
釈放され屋敷に戻ってきた俺のパトロンは、元から痩せているのにさらに痩せ、服を脱いで拷問の鞭の痕を見せてくれた以外は何も語らず、寝室に籠ってしまった。
「すでに破滅が始まったようね」
マーリンが窓の下の歩道から冷静な視線を向けている。
ぴったり閉じたマントの襟は誠実なようにも真意を隠しているようにも見えた。
戒厳令が解かれて外出が可能になってからも息が詰まるような空気が満ちていて道に歩行者はほとんどいない。
連日の雨は止んだが濃い色の雲が空を覆っている。
ケンレー卿がどこにも行かないので自分の部屋で何もせずにいたら「ウキョウくん」と呼ぶ声が聞こえて俺は恩師の来訪に気づいたのだった。
「鉱山の事故も政治の動乱もあなたに大きな傷を残したはず。知り合いの少年は手紙を返してこないし屋敷の主人は口をつぐんでしまった。これらは前触れよ。さらに致命的な破滅がやってくることを知らせているの」
なぜマーリンがガキ大将のことを知っている。
占いで見抜いたのか、それとも人から聞いたのを占いの結果だと見せかけているのか。
もはやこの人の実像は黒い霧の向こうにあった。
「メレアガンのアサと早く絶縁しなさい。これ以上辛い思いをしたくないでしょう」
確かに近頃のふたつの出来事は俺に大きな爪痕を残している。
だがマーリンに従えばいいという保証はない。
大きな疑問も残っている。
「そもそも、なんでアサが元凶なんです。考えてみればただのチーズ屋の決闘選手じゃないですか。そいつが最近の事件よりも大きな不幸を呼ぶとは想像できません。アサは元凶と言われて『自分は悪い女』とかで心当たりがありそうでしたけど……やっぱりわかりませんよ。あいつに不幸を呼ぶような悪いところがあるんですか。教えてください」
マーリンが腕組みし、石畳を踵でカッ……カッ……と鳴らす。
この場で話すべきことを一つずつカウントして整理するみたいに。
しばらく考えてからフフッと微笑し、
「言ったでしょう、暗い未来に関わることは口にするだけで言霊となって悪運を引き寄せると。だから詳しい説明はできない」
「それじゃいつまでも納得できません」
「その点は申し訳なく思っています。うまくあなたをごまかす話術を身につけておけばよかったのかしら。我ながら情けないわ」
と言いつつ彼女は微笑を崩さない。
マントに隠れた胸の奥で何を思っているのだろう。
「まあとにかく絶縁しなさい」
空に丸を描くように杖を回しながら、
「ところでウキョウくん。不幸を呼ぶ存在はもう一人いる。それはボル・ヒューリグレイヴ。最大の悪、最初の元凶はあの権力者よ。人の皮を被った化け物というべきね」
は?
ええ?
予期しなかった名前を聞いて俺の声は裏返る。
「あの人が悪や化け物って、どこがっ」
表面しか見ていないわね、とマーリンは言う。
「いや、だって、話し合いを大事にしてるし……」
それは誰のため?
騎士派と一族が永久に権力を握るためよ。
政敵に付け入る隙を与えない策略にすぎないわ。
「五人の娘さんを大事に育てて、厳しく接するときもあるし……」
出来の悪い子を地方へ追いやったこと?
あれはツラ汚しだから勘当したのよ。
娘なんて所有物だと彼は思っているわ。
屋敷と同じように美しくメンテナンスして人に自慢し、それができなければ捨ててしまう程度のモノってことね。
「慰霊式典でも謙虚だったし……」
演技です。
「陛下の兄殿下が反乱したときもすごく寛大で……」
あれで騙されてしまうのね。
兄殿下を「流れ矢」で殺しているのにどこが寛大なのかしら?
反乱に加わって修道院に入ることで許された貴族たちも政治生命は死んだようなものよ。
騎士派に歯向かう逆賊は結局潰されている。
十六の陰謀と変わらないわ。
外面を取り繕う知恵がボルにはあって他の一族にはないだけね。
「そ、そんな、そんなはず……」
天地が逆だと言われたみたいに俺は信じることができず動悸がする。
ボル閣下が、悪?
俺の知っているあの人はいつでも思慮深くてかっこよかった。
マーリンの悪意ある作り話じゃないだろうか。
しかし彼女は恩人だ。
五年前に人生を変えてくれたことを俺は忘れない。
これは一種の贔屓だ。
だから意見を切り捨てられずに困難が増えてしまう。
別人のごとく冷徹になったマーリンは真実を告げているのか。
アサの話をしていたのになぜ急にボルを非難したのか。
考えているといつもの悪夢を見ているような気分になる。
俺の置かれた状況は前よりもひどくなっていた。
迷宮が……未来を隠していく。
★★★
ウキョウにマーリンの内心を察することはできない。彼女は少年の幸せの達成を考え、破滅を避けるためのわずかな可能性を探っている。
絶縁という選択肢は示したくなかった。人間関係が切れることの苦しみ、痛みは五年前の失恋で思い知っている。世界が涙で覆われ、太陽を失い、心も体も無意味に思えるあの感覚を、他でもないウキョウに与えてしまうのだと彼女は知っており、当然平気ではない。しかし目的のために優しさを捨て、身を切る思いで破滅の予言をしたのだった。
「全てわたしの責任だ」
この一念を胸に刻み、占い以外の能力もフル活用して運命に挑んできた。だから女医を兼業する。ある人物を治療できれば因果が変わってウキョウを救えるかもしれなかった。今となっては快癒の見込みはなく、この試みは徒労だったのだが。
最悪の末路がすぐそこに迫っている。
できることは少ないが逃げ出すつもりはない。
それは嵐の海に小舟で出てしまったときに似ている。波風が襲いかかって舟をへし折ろうとし、陸地に戻れそうにもないとき、あなたは諦めて梶を捨てるだろうか? 否、嵐が過ぎるまでどうにか耐えられないかと一縷の希望を持ち、梶を漕ぎつづけるはずだ。巨大な渦潮に引き込まれても必死に海流と戦うだろう。
悪運は引力が強い。破滅のいくつかの原因は打ち消せない場合がある。
アサに対する気持ちをウキョウ本人が自覚していない、これが問題だ。悪夢と思っているようだが、同じ女性を毎晩のように夢に見ることがどのような心理を表わすのか、普通は明白なことだろう。ところが彼はその考えに至れない。周囲の期待に応えて出世しなければというプレッシャーを過度に抱えているから楽観的な見方を無意識に拒んでしまう。自分の本心が義務感とは別のところにあるという想像ができない。この一連の精神状態が「嵐の海」となって少年を沈めようとしている。
いつ彼は本心に気づくのか。
マーリンには推測できる。
メレアガンのアサが死ぬときだ。




