悲愴
12
首都に住んでいる人の識字率は五十パーセントほどらしい。
だからアサの手紙が俺の下宿に来たことには驚かなかった。
ああ、読み書きできる側だったのか、ってだけだ。
『いつも遊んでいる子供たちのガキ大将が引っ越すことになりました。父親が銀鉱山の掘り手になることが決まり、彼も見習いとしてついていく、というわけです。つまり首都を出ます。ウキョウさん、どうやって彼を送り出せばいいか、一緒に考えてくれませんか。お会いして話せると嬉しいです。アサ』
筆跡は読みやすくて朴訥。
そして彼女がこういうことを言い出すのではという予感があった。
俺たちは絶縁しろと宣告された仲間だ。
向こうもきっと思うことがあり伝えたいことがある。
会う口実としてガキ大将の件はお互い好都合だった。
返事を書くまでもなく噴水広場を訪れる。
露店にアサはおらず、店主によれば配達に出ているという。
「仕事の合間に、食堂の裏手で」という伝言を預けた。
グレティーン王国の夏は暑くはないが首都周辺ではパッとしない天気が多い。
雲がこの日も低く立ち込めていた。
待ち合わせに彼女が現れる。
「えへへ……会ってくれるか心配でした。手紙読んでくれてありがとうございます」
やましい密会をしているみたいにぎこちない笑顔。
裏路地は暗かった。
二人並んで食堂の外壁に背を預ける。
案の定、話題はガキ大将のことではない。
「私たち、どうすればいいんでしょう……」
「…………」
「もちろん、破滅をもたらす元凶と何度も言われて納得できない気持ちはあります」
何度も言われて、か。
そういえばマーリンと面識がありそうな様子だった。
「ウキョウさんと会えなかったとき広場に占いのテントが出てたんでたまたま入ったんです。そしたらあの人が冷めた顔で私の事情をズバズバ言い当ててから、『ウキョウくんのために彼と絶縁しなさい』って……そのあと道で会うたびに同じことを言われました」
アサに対しては最初から冷たかったようだ。
恩師がキャラの使い分けをする理由が俺にはわからない。
「占いのプロの意見でも反論したくなります。だって……絶縁ですよ? 人間関係の、そんな大事なことを誰かに言われただけで決めちゃうなんて……そんなの、自分が無いじゃないですか」
おっしゃる通り。
「ねえウキョウさん……あの人は本当に信じられるんですか? あなたのためと言いながら別のことを考えてる可能性があると思うんです」
俺もその疑問がある。
悪い未来を言葉にすれば正夢が現実になるみたいに悪運が訪れると彼女は説明していた。
その理屈を使って心の中の真相を隠してはいないだろうか。
曖昧な破滅の宣告は実際には誰のためなんだ?
「ウキョウさんはあの人に恩があるそうですが、その恩を利用して自分のために予言をしたのかもと思うと、すごくもやもやします――」
……。
ところが少女は逆のことを言い出した。
「――でも元凶というのは図星です。私は元凶ですよ」
遠くにある噴水広場の鐘塔に弱々しい瞳を向けている。
あたかも過去を恋しがっているみたいに。
え……?
「以前言いましたよね、自分は悪い女だと。上京するとき無理な借金をしたのは本当ですし、ヒリーという偽名であなたのことも騙しましたし、そもそもこの人生は――」
何か語ろうとしたがゴクッと喉の奥に飲み込んで、
「――いえ、やめましょう。一方でウキョウさんは正直で優しくて夢がある。私なんかとつるんだら悪影響があるということです。予言はそれを見抜いたんじゃないでしょうか? あの人に言われたときからずっとそんな気もしてるんです、あなたと私は最悪の組み合わせじゃないかと……」
ずいぶん自己評価が低くて俺のことを買っている。
単に謙遜なのか、それとも根拠があるのか。
物憂げな表情から内心を読み取ることはできない。
「あと、祭りの夜にハッとしました。ウキョウさんを説得するあの人がすごく熱くて真剣だったので」
そ、そうだったか?
むしろ氷のように冷たく見えたぞ。
「あの気迫は人間らしく血が通っていて嘘っぽくなかったんです。少なくとも私はそう感じました……」
悲しみを思い出すみたいにアサがうつむく。
「家族……そう、あれは家族に向ける目です」
カゾクと言うとき声が強まる。
「ウキョウさんへの家族みたいに熱い態度を見てしまったから、あの人が善か悪かわからなくなって、破滅の予言はもしかして本当かな、絶縁しなきゃいけないのかなと思えて……でも絶縁というのは一生のお別れですから、簡単に決められないし、もやもやしたものがまだ残っているし……だから、ウキョウさん、私……私……」
言葉をつまらせ、しばらく間がある。
そして両目を俺に向けた。
追い詰められたように潤んだまなざし。
俺の両手を握って訴えた。
「私……どうすればいいですか……!?」
白く細い指が震えている。
冷え性を自称するだけあって伝わってくる温度は凍えているかのよう。
だがなぜそんなにうろたえるのかわからない。
しかもこんな男を頼ってどうなるんだ。
救いを求めているのはむしろこっちなのに。
冷たく包み込んでくる手の甲をうなだれながら見続けていた。
「………………あっ、ごめんなさい!」
アサが急に腕を引っ込める。
真っ赤になって顔をそむけたので意図はわかった。
女が男にボディタッチしてしまったということ。
それから俺も鼓動が乱れ、彼女を正視できなくなる。
「す、すまん、悪かった……」
「そんな、私も……」
「…………」
「…………」
哀れな時間だった。
何をやっているんだろう。
問題は少しも解決していない。
優秀新人と新人王はすっかり弱くなっていた。
建物の隙間から見上げる路地裏の空は灰色のまま変わらない。
無言のうちに彼女もこちらの心理を察したらしい。
それからの会話はただ場を取り繕うだけの空虚な響きだった。
「……ガキ大将をどう見送るかって話だけど」
「あ……それを決めなきゃいけませんね」
「あいつは読み書きできるのか?」
「私がちょっと教えました」
「じゃあ『向こうでも元気で』って手紙をあげたらどうだ」
「なるほど。ウキョウさんも一筆書いてくれませんか?」
「一、二度会ったきりだけど……まあいい。ああいうやんちゃな子供は意外とほっとけないんだ」
「そうですか……ありがとうございます」
「……」
「……」
ガキ大将とその親を見送った日は霧雨が降っていた。
この父子家庭との別れを惜しむのは子供連中と俺とアサだけだ。
少年の表情は明るく、最後の話し相手になぜか俺を選んで、
「兄貴、ヒリーの姉貴とお幸せに! 悔しいですが自分より兄貴のほうが伴侶にふさわしいです」
「バカ言うな。お前気をつけろよ? 鉱山は危ないぞ」
「追放派が鉱山に攻めてくるんですか?」
「そうじゃなくて落盤とか、地下水が噴き出したりとかがあるだろ」
「ご心配なく! 自分は鬼ごっこで鍛えたので俊足であります。落盤からも地下水からも一瞬で逃げてさしあげます」
「ならいいんだが」
「お手紙ありがとうございました。向こうで働きだしたら返事を書くんで待っててください。では、お元気で!」
首都はレンガの城壁に囲まれている。
その城壁の北門がすでに開いていた。
ロバの荷車に乗る金もない彼らはリュックを背負って長距離を歩いていく。
外へ踏み出したガキ大将。
どんどん進みながら何度もふりかえって手を振る。
街道が丘を越えるあたりで大きく両手を振って、やがて旅立っていく。
俺は一度もアサの目を見ずにこの送別を終えた。
たぶん彼女はずっと物悲しくうつむいていたはずだ。
何を話していいか、どう向き合うべきか、お互い見当がつかなかったから。
無言のままその場で解散した。
後日。
鉱山で爆発があったと首都で噂になった。
少年の手紙はまだ来ていない。
振り返ってみれば鉱山の事故はヒューリグレイヴ家の横暴を決定的にした。
彼らの豊かさを支えていた銀の採掘が途絶えたのだ。
ここで心の余裕を失ったらしい。
富と権力を維持するために躍起になり、彼らは他の貴族の富を奪うという強硬路線を走りだす。
かえって墓穴となるのだが。
つまりこの瞬間が騎士派没落の分かれ目だった。




