転落
11
俺はマーリンを信頼してきた。
決闘選手になろうと思えたのは彼女のおかげでしかない。
未来を切り開いてくれた最大の恩人だ。
それなのに。
「メレアガンのアサと絶縁しなさい。でないと、あなたは破滅します」
俺はすぐに聞き返した。
「破滅って何が起きるんです。アサと関わっていたらどうなるんですか」
鋭い視線が返ってくる。
「彼女と絶縁することで幸せの道を選べるのよ」
「どんな未来を予知したんです」
「ウキョウくん、占いの基礎を教えておきましょう。『悪運のほうが引力が強い』の」
「引力?」
そもそも予言は百パーセント確定した未来を教えてはいない、という。
個人の意思や行動によって、将来の時空はいくつものルートに分かれている。
その分岐の先を占い師は見抜く。
だから予言は必ず「あなたが○○をすれば(しなければ)、××が起きる」という形式だ。
五年前のナラデ村を思い出してほしい。
今後の出来事が全て決まっているなら、本を読ませたり武術を学ばせたりしなくても俺は戦士になれたはずだが、当然そうは思えない。
彼女は俺に「この分岐を選ばせた」のだ。
「そして、この世に叶わぬ恋のほうが多いように、人は悪い運命に至りやすい。小さな選択ミスが不幸を引き寄せる。たとえ五年かけて幸せを呼ぶ準備をしていても覆ってしまう。暗い運命を聞かされるだけでもマイナスになるわ」
「どういうことです」
「行く末を声に出すとそこへ引きつけられ、虫の知らせや正夢のごとく現実になりやすい。言霊と呼ばれる現象よ。だから未来は教えない。悪運を避ける絶縁という行動だけをあなたに教えます。信じなさい、メレアガンのアサは不幸をもたらす元凶だと」
「……」
要するに破滅の中身については明かしてくれなかった。
恩師のことは信じたいし占いの実力も知っている。
でもこんな説明のされ方では引き下がれない。
本当に俺のことを思って告げたのだろうか、あの破滅の予言は。
もし別の意図があるとすれば、それは何だ?
「なんとかなるかも」という幻想はすでに壊された。
マーリンを受け入れるか。
それとも突き放すか。
どうやって決めろっていうんだ。
祭りが終わったころからの政治の騒乱は、今でも何かの間違いや幻のように思え、信じることができない。
現実はたやすく変化していった。
風に吹かれる塵のごとく。
最近上京してきた俺は知らなかったのだがそもそも国王陛下はご病気だった。
公式行事に長らくお見えにならないので首都の住民はおのずと察していていわば周知の事実だったらしい。
王妃陛下が優秀新人賞を授けてくださったのは最高君主のご公務を代行されていたのだ。
そんな危うい状況のもとで事は起こる。
ご病床の国王陛下はある女官の看護を受けていらっしゃった。
二十歳を過ぎたばかりで、美しく淑やかで、ハープの演奏が得意だった。
柔らかい音色でご苦痛を癒してさしあげたという。
ところがヒューリグレイヴ家がこれを問題視する。
王妃陛下にまだ御子がいらっしゃらないので彼らは苛立っており、
『一族の娘が嫁いだのに……このままでは王統が他へ移り、騎士派の権力基盤に関わるぞ。国王が年上のハープ弾きに惚れているから王妃に子ができんのではないか? あの端女を引き剥がせ!』
彼女を拘束して修道院へ送ってしまった。
この強引なやり方は社会を驚かせた。
ボル・ヒューリグレイヴが反乱軍をも許したような今までの政治とは真逆だ。
しかもハープ弾きの女官は王党派に紹介されて宮廷に入ったという経緯があった。
王党派のメンツをつぶして遺恨になるのは避けられない。
なぜ悪手を選んだのか。
実はこのときボルは影響力を失いつつあった。
彼も重病だったのだ。
派内の驕った一部勢力が陛下や王党派を軽視し国を好きなようにしたがるのを、弱っていた棟梁は止められなかった。
このような事情は後年になって明かされている。
当時の何も知らない世間はヒューリグレイヴ家の豹変に納得できず、「ハープ弾きの女によほど問題があったのでは……?」と合理化を試みた。
彼女についての猥雑なゴシップが飛び交ったのを覚えている。
騎士派が正当性を主張する宣伝工作をしていたのかもしれない。
そしてこれとは別の流れも起きていた。
十数年前の戦争に敗れた貴族、追放派。
彼らが東から攻めてきた。
そもそも東の隣国へ追いやられる前から追放派は異質な集団だ。
貴族でありながら軍事力を重んじ、剣よりも殺傷性のある鉄の棍棒を愛用。
五人がかりで弦を張った強弓を引く者がいたりした。
しかも領地に野生動物や犯罪者が迷い込めばとりあえず矢の的にするという。
この戦闘集団が怨敵・騎士派を滅ぼすために帰ってきた。
『ヒューリグレイヴの悪党どもは力を用いて官職を奪い、財産を盗み、私刑を行い、人心を乱し、王族を無視する、史上最大の悪である。私はこれを追討したいが一人ではできない。よって全国民が協力するべきだ』
すでに紹介した兄殿下の声明が堂々と祖国を攻める大義名分になった。
兄殿下は薨去したが、その四歳の息子を擁立し、弔い合戦ということにすればいい。
荒くれ者たちが東部国境に侵入。
久しぶりの実戦で統率が取れず、初戦こそ敗れたらしいが、すぐに態勢を整えるだろう。
市民は追放派を悪魔のように恐れる。
聞き分けのない子供に「悪い子は追放派に攫われちゃうよ?」と脅してギャンギャン泣かせるくらいだ。
果たして平和は続くだろうか。
そんな空気が漂いはじめた。
逃れがたい悪夢。
首を絞められたような形相で俺は目を覚ます。
暗い天井が見える。
ベッドに染みた大量の汗には涙も含まれているかもしれない。
夜が明けていない自分の部屋だ。
何度苦しめばいいのだろう。
しかも最近、夢の内容が変質していた。
橋でアサと出会い、苦闘するまでは同じ。
やがて一天砕破を放って荷馬車がぶつかり合うような音がする。
その瞬間――場面は別物になった。
白い曇り空。
時間が止まったような無風。
一本の枯れ木。
まわりは深い雪で覆われている。
他の物体が存在しない、しんとした雪原だ。
俺は一人で立ち尽くしている。
膝が震えた。
ああ、再び直面するのだ。
いっそ忘れてしまいたい自分の境遇と、それを暗喩する光景に。
だが勝手に体が動いて木のほうへ歩いてしまう。
「出会ってずいぶん年月が経ちましたね」
枯れ木の後ろにアサがいた。
横顔が幹に隠れていて表情が読めない。
「二人でここに来たときのことが今でも恋しいです」
俺は袖にふりかかった結晶を払い落とし、
「違う。今は冬じゃないし首都にこんな景色はない」
「……」
「これは幻だ。もう何度も見てわかってるんだ」
しばらく黙った彼女がやがて背を向ける。
枯れ木を離れて雪を踏みしめていく。
「アサ!」
「私は悪い女です。どす黒い私利私欲で戦っている。いつか罰を受けるでしょう」
遠く小さくなってしまう。
「行くなアサ! 待ってくれ!」
金縛りで足が重くて追いかけられない。
「これが二人の運命です……さようなら」
夢の中だと理解しながら耐えられずに叫んだ。
「アサーッ!!」
粉雪の向こうに姿が消えていく。
会えない。
二度と……永遠に。




