残光
10
首都の道という道が暖色で照らされている。
素焼きのランタンが歩道の縁石に並べられ、街路樹のあいだに渡されたロープにもそれが吊るされていた。
山車が巡行してくるまで路上ではパフォーマンスがある。
大道芸、ダンス、コーラス、楽器演奏……仮面劇なんてのもあった。
観衆がそれぞれの場所で歓声をあげる。
露店の呼び込みの声も加わってなんと賑やかなことだろう。
木陰でアサはローストビーフサンドを頬張り、
「ふぁえふぁえー、はいおはあひあひょお?」
突然話しかけられて俺はビクッとなる。
飲み込んでから彼女が言い直した。
「さてさてー、何を話しましょう? ちょっと久しぶりにウキョウさんと会いましたからお聞かせしたいことが結構あるんですよー。各種ございますネタのジャンルのご希望はありますか? どんなホラでも吹いてさしあげます」
なんと答えていいかわからない。
アサとの接し方を見失っている最中だ。
顔をそむける以外にあるだろうか。
「なるほど、なんでも聞きたいんですね! さすがウキョウさん、器がデカい!」
そうはならねえだろ。
けれど……前に噴水広場で出くわしたときとは感覚が違う。
この場でどう振る舞うか、悪夢とどう向き合うかについて、悩みすぎていない。
心のどこかに「まあどうにかなるかも?」という気持ちがある。
マーリンが元気をくれたおかげだ。
「私は場の空気や聞かせる相手を見て、どんなことを話せば一番ウケるのかと常にプランニングしているんです。我ながらすごいサービス精神というか芸人魂というか、ともかく、この場ではどうしましょうかね? さっそくウキョウさんの今の状況を念入りに考えて――はい、決めました! 空気を読んでカブトムシの話をします!」
……すげえ冗談だな。
カブトムシの話をする空気はどこの世界にも存在しない。
「こないだなんですけど私、カブトムシものまね大会に出たんですが」
……。
ほほう、カブトムシものまね大会ですか……。
声には出さず「なんじゃそりゃ」と呟いた。
「文字通りカブトムシのまねを競いました。昆虫の脚の数と同じ六人の審査員が見ているステージで二人ずつ対戦して、誰が森の王者にふさわしいかトーナメントで決めるんです。たとえば私とウキョウさんが対戦するとしたら、お互い右手を頭の前に突き出して、ぶつけあって、樹液をめぐる弱肉強食の戦いを繰り広げる、というわけです。ほら、ウキョウさん! 今ここでやってください! 右手を頭の前に!」
やりません。
「そして私の一回戦は初心者どうしで、右手を何度出しても相手の目に当たっちゃって、ずっと『あ、すいません……』って言ってました。二回戦で負けて参加賞は腐葉土でしたね。というわけで、カブトムシの真っ赤なウソは以上です」
やはりウソだった。
場を和ませる優しいウソ。
これがメレアガンのアサの持ち味だ。
彼女には見せなかったが俺は少し笑顔になった。
寝不足で頭はクラクラするけどな。
ちなみに路上でやっていた仮面劇がユニークでおもしろかったので紹介しておく。
旅の修道僧がとある古戦場にさしかかり、地元の女に出会う。史跡の案内をしたいというので任せると、彼女は当時の戦いについて異常に詳しい。僧が怪しむと、実は亡霊なのだと女が答えて姿を消す。
その日の夜、修道僧の夢に現れた彼女は武装していた。同じ戦場にいた大事な人のために猛々しく戦ったのだと女は自慢する。だが大事な人はやがて討たれてしまった。力が及ばなかったことを悔やんだ彼女は古戦場をさまよう地縛霊になってしまう。
『私を憐れに思うなら、この執着から解放されるよう冥福を祈ってもらえませんか』
僧に告げて亡霊は夢から去っていった……おしまい。
アサは興味がなかったようだ。
周囲の拍手に気づいて「え、終わったの?」という表情。
その後は生き生きと話しかけてくる。
「あ、そうだ。ちょうちょ結びがたまにうまくほどけなくて変な結び目になるでしょう? こないだ、それを再現する方法を見つけたんですよー。名付けて、『ちょうちょ結びのほどくのミスったとき結び』! どうやるかといいますと――」
こっちはずーっと黙ってるんだがな。
きっと俺は悪いことしている。
考えてみりゃこれはデートだ。
男と女、初めての祭りなのに、そっけなく振る舞う駄目な野郎。
客観的に誰もがそう判断するだろう。
頬が熱くなり、次はこっちから何か言おうと思った。
「あ! 山車ですよ、山車!」
左の道を指さす少女。
輝く巨像が近づいてきた。
グレティーン王国の建国に尽くした有名な騎馬武者の像だ。
仮面劇団が撤収したあとの路上にそれがゆっくりと現れる。
見上げるほど大きく、そしてまぶしい。
一生の記憶になるんじゃないか。
さながら、逃れがたい悪夢の中で出会った希望の光のごとく。
運がそろそろ上向くかも……そんな気がする。
ただの勘だけど。
するとアサが俺の袖をつかんだ。
「ウキョウさん、場所を変えません?」
「……え?」
「静かなところへ行きましょう」
瞳が妙に凛としている。
「ど、どこだよ」
「目をつむっててください。着いてからのお楽しみ、サプライズというわけです」
オレンジ色の山車に照らされた二人。
周囲は混雑しているはずだが騒音が耳に入ってこない。
なんだこの雰囲気。
彼女が大きなハンカチを俺の両目に巻き、それは薔薇水の香りがした。
ずいぶん歩いている気がする。
どこへ向かってんだ?
俺の手を引いて足音だけしていた彼女が突然切り出した。
「私、知ってますよ。ウキョウさんの隠し事」
「隠し事?」
「また私と決闘しようか迷ってるでしょう?」
「!?」
「見るからにそういう様子でしたからね」
ま……まさか。
誰にも明かさなかた葛藤が……バレてたなんて。
(ただし後から思うとバレていて当然だった。決闘で負けたときに俺は『もう一度……決闘だ』と口走り、それ以降アサに会うたび悩みがありそうな暗い態度を取っている。内心を推理する証拠をかなり与えてしまったらしい。とはいえ祭りの夜にはそこまで考えられず、とにかく恥部を見透かされた衝撃にひるんだのだった)
「さぞ苦しまれただろうと心中お察しします」
つづけて彼女は自信ありげな声で、
「ところがどっこい、その解決は非常に簡単なんです」
「な、何言ってんだ!?」
目隠しされた視界の前方に叫んだ。
「俺の事情がわかるなら、そんなこと言えるかよっ」
「冷静さを欠いている当事者よりも傍観者のほうが真理を見つけたりするものでしょう? 昔の人が言い伝えていますよ、『傍目八目』だと」
「じゃあどう解決するんだっ」
しかし一方で不思議な予感もあった。
本当に画期的な手段を教えてくれるんじゃないかと。
俺はマーリンのおかげで「まあどうにかなるかも」という自分を持つことができた。
そして「どうにかなる」瞬間がまさか訪れるのでは?
足元が上向きの傾斜になる。
靴音がドッ、ドッと、フローリングのような鳴り方に変わった。
他に通行人はいないらしく静かだ。
この場所は……?
目隠しをずらしたくなった矢先、彼女の声。
「いいじゃないですか、再決闘すれば」
えっ。
「何度でも、百回、二百回くらいやりましょうよ」
再決闘を……何度でも……?
「あなたとわたしは互角です。ウキョウさんがおっしゃっていたように、無常鍍金のタイミングが少しでもズレていれば結果は逆転したでしょう」
流れるように語っていく。
「だから、ライバルになれるんです、互いを高め合う関係に。楽しく仲良く過ごしながら一方で戦うときは本気で何百回もやりあいましょう。ともに成り上がりましょうよ」
おい待て。
同じ相手と再戦するタブーを忘れてないか。
「ふふっ。それを公式戦でやれば恥さらしですが……私たちだけの練習としてやるなら、誰が文句をつけるんです?」
――!?
た、確かに。
勝敗を国に申告しなければどんな決闘も非公式記録だ。
人目につかない戦いにタブーなんてものは関係ない。
つまり練習試合ならできる。
言われてみれば単純な、すぐ思いつきそうな抜け道を、俺は見逃していた。
傍目八目を意図せずに証明してしまったらしい。
「で、でも、あんたは何度戦っても楽しくないだろ。迷惑になる」
「いいえ、私のほうがたぶん楽しいでしょう」
「なんでそうなる」
歩くスピードが上がっていた。
「ご存じないでしょうが私はあなたが大事です。わけあって素性を明かせなかった私は孤独な決闘者でした。そんなときにあなたと毎朝話せたことは唯一の安らぎだったんです。戦ったあと会えなかった時間がどれだけ苦しかったことか。あなたは『メレアガンのアサ』の理解者です。一緒にたくさん過ごしたいんですよ。いけませんか?」
さっきから予期せぬことばかり告げられて理解が追いつかない。
俺があんたの理解者で、一緒に過ごしたい?
彼氏と彼女みたいなセリフだ。
さすがに冗談がきついんじゃないか。
「ウキョウさん、星を見ましょう」
「星?」
二人は足を止めた。
目隠しのハンカチが解かれる。
静かでやさしい風が吹く。
そこはキーファンハイデ橋の中央だった。
両岸のミーティング・デイの灯火や喧噪からはずいぶん遠い。
頭上の夜空はいつのまにか晴れて星々が輝いていた。
祭りの灯火よりも清く澄んだ感じがする、心が浄化されるような景色。
惨敗を喫した場所なのにそのことについて意識が向かない。
彼女が欄干に両手を置く。
その手の甲は純白に見える。
「あなたも私も星空に感動するのは同じです。立場が違っても理解し合えるという証拠じゃないですか」
「俺と……あんたが……?」
「成り上がるのは孤独な勝負だと私もわかります。だから苦労も喜びも分け合って、高め合えばいいんです」
双眸がこちらを見つめた。
前例のないまっすぐな真剣味を帯びている。
「何百回も戦う関係になりましょう。ウキョウさん」
本音を語っているようだ、おそらく。
俺は逃れがたい悪夢のせいで、再び戦うか、あるいは恥をさらさないよう耐えるかという暗闇をさまよってきた。
しかし練習試合を重ねれば、いくつか白星を記録して気分を晴らせるだろうし、公式戦じゃないので再戦のタブーを破ることもない。
決闘のトップランカーとやりあう未来を考えれば俺はまだまだ鍛錬を積みたい。
その練習相手としてアサは申し分ない実力者じゃないか。
もしかして……画期的?
希望が見えてきた。
アサが差し出してくれた右手。
迷宮の出口へ導いてくれる長い糸のようだ。
今すぐそれを掴もうじゃないか。
どうにかなる時が来たのだ。
「――誘いに乗っちゃ駄目よ」
別の声が空気を切り裂く。
ハッとなって俺たちは対岸を見る。
神妙な靴音が聞こえ、やがて橋を上がってくる一人の影。
魔術師みたいな三角帽子のシルエットが闇に浮かぶ。
影絵のように無機質な雰囲気を帯びている。
人間味のない眼光がこちら側を突き刺した。
黒いローブを羽織っているが前をきっちり閉じていて胸元を露わにすることはない。
その女性がやや離れたところで歩みを止め、
「メレアガンのアサはわたしの言いつけを守りなさい。彼を不幸にする行いはやめろと占ったでしょう」
木の杖の頭を向けて宣告する。
「あなたはウキョウくんの元凶よ。美しい心の少年を穢さないでちょうだい。彼を助けるようで自分が助かりたいのでしょう」
非情な声色だ。
知っている声だけどこんなのは知らない。
俺の恩人のマーリンが、見たことのない様子でそこにいた。
ただし話を聞いたことはある。
狩人みたいに冷たい視線。
無愛想な氷の天才。
信じられなかった過去の噂が目の前で具現化されていた。
「なぜここにいるの? メレアガンのアサ」
アサは図星みたいに顔をそむけて小さく唇を震わせる。
「だって……納得できるわけ……」
「他人を裏切ってきたのに反対する資格があるの?」
「い、言わないでくださいっ」
「いいえ、言わせてもらうわ」
俺は頭がついていかない。
彼女たちは面識があるのか?
「占いは全て教えてくれる。下級貴族のメレアガン卿は金に困り、どんな田舎者でもお代を払えば身元の保証を得て上京できるというビジネスを始めた。あなたはその貴族を頼るとき、返せもしない借金をかき集めて故郷から逃げたのでしょう?」
「それは……」
「メレアガンのアサは初めから汚れている。清らかな理想を持ち、それゆえに悩んでいるウキョウくんとは大違いよ。ただでさえ男女の差があるのに理解者を気取るなんて片腹痛いわ」
「……わかってます。でも『はい、言う通りにします』とは普通言えません」
「そりゃ選ぶべき道を教えたのにこんなお祭りデートをするのは聞く耳がないということでしょうね」
「ならあなたはなぜ来たんです……」
「ウキョウくんを変えるためよ」
刃物のような瞳が今度は俺を捉えた。
「戸惑っているようね。真剣な話だから本来の姿で来ました」
これが素の彼女だというのか。
「空と町を見なさい」
綺麗だった無数の星をにわかに雲が覆い隠す。
山車の巡行が終わったらしく両岸の町の灯が次々に消える。
「あなたに出世を告げてから五年ぶりの予言をするときが来たのよ」
待ってくれ、全然わからない。
どうしてアサと敵対し、誘いに乗るなとか言うんだ。
「あなたがぶつかる『心の壁』は本来、時間をかければ自然と治る。人間だれしもそういう挫折を抱えてじっくりと乗り越えるものだわ。でもメレアガンのアサはそれを阻んで一生の不幸にしてしまう元凶です。これは毅然として伝えるべきことよ」
説明が足りなくて乱暴な感じがするぞ。
「そうね、再会したときも喜びを隠してこのように冷たくするべきだった。運命を決定的に変えられたかもしれない」
いつもの明るいマーリンに戻ってくれ。
首都で「幸せを達成する」と言ってたじゃないか。
「わたしの幸せじゃないわ。あなたの幸せを達成するのが唯一絶対の目標よ」
何を言ってるんだ。
まわりを吹き抜ける夜風は寒々としている。
彼女は杖を振りかざし、
「なりふり構ってられないの」
なぜ。
「わたしは十歳の少年の人生を変えた責任がある。だからあなたは不幸にさせない。何をしてでも未来は変える。再び上京したときから全てはあなたのためと思っています」
わからない。
アサの提案によって俺は悪夢から逃れるチャンスを得ていた。
迷宮の出口は近かったはずだ。
なのにマーリンが全てを無情に覆そうとしている。
俺を大事に思うならどうしてそれをするんだ。
「さあウキョウくん、予言を聞きなさい」
ズカズカと接近してきた恩師が――俺の襟を掴む。
片手で胸倉を締め上げる。
眉間に皺を寄せ、静かに宣告した。
「メレアガンのアサと絶縁しなさい。でないと、あなたは破滅します」




