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香らない山梔子  作者: 白石玲
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枯れないクリスマスローズ

   枯れないクリスマスローズ


 たとえあなたが私を愛さなくても


 クリスマスが近づいたある日、夫が持って帰ってきた鉢植えの地味な白い花は『クリスマスローズ』という名前らしい。花に詳しくもないし、興味もない彼がどうしてこんな目立たない花の名前を知っているのか、そこに何かを疑わなかったわけではないけれど、結婚してから誕生日もクリスマスもろくにプレゼントをくれなかった夫が差し出したそれに、サンタの絵が印刷された金色の小さなクリスマスカードが添えられているのを見た瞬間、思わず笑顔が出て、受け取ってしまった。

『いつもありがとう』

 1度見たら忘れないような線の細い癖字で添えられた言葉はそのたった一言だったけれど、私はそのカードを綺麗なファイルに仕舞って、そっと宝物にした。



『へえ、俺と同じだ』

 驚いたように言った彼は、本当に覚えていなかったのだろう。


 私が初めて夫に声をかけたのは中学2年生の時。ひとつ上の先輩だった彼を一目見たときから好きになって、どうしても彼と知り合いになりたくて、もっと言ってしまえば彼と付き合いたくて、彼が卒業する日に、思い切って声をかけた。

『卒業おめでとうございます』

 地味で目立たない私と、華やかで目立つ彼に共通点は当然なくて、彼は帰宅部だったから同じ部活になって近づくこともできず、委員会活動でさえ一緒にはなれなかった。だから私は花束を買って、卒業式にかこつけて、自分の携帯番号とアドレスを書いたカードを添えて渡すことにしたのだ。告白なんてとてもできないから、せめて、彼が目を留めて連絡をくれるように。

 でも、結果は玉砕だった。

 連絡がもらえなかったどころか、カードは彼の手に届かなかったのだ。

『おう、ありがとう』

 仲の良い友達と写真を撮っていた彼は花束を受け取ってくれたけれど、それはすぐに傍の植え込みの上に置かれ、私が最後に見たときは、別の人の手にわたっていた。

 普通に考えたら、なんてひどい人ってことになるのかもしれないけれど、彼の顔が心底好みだった私は、そんなことでは諦められなかった。

 彼がどこの高校に進学したのかを突き止め、同じ学校を受験した。私の成績では少しい厳しいレベルのところだったから、両親にも担任にも進路指導にも考えなおせと言われたけれど、頼み込んで塾へ毎日通い、遊ぶ時間も捨てて勉強して、やっと合格した。それなのに、高校で見かけた彼の隣には髪の長い可愛い女の子がいた。私が必死に受験勉強をしている間に、彼女ができてしまったのだ。

 それでも少しでも近づこうと、今度は同じ男子テニス部のマネージャーを入部希望の紙に書いた。でも、それは通らなかった。部長代理だという背の高い人が直接私の教室まできてにっこりと柔らかい笑顔でいった。

『部員自体が多くないから、マネージャーはひとりで充分なんだ。ごめんね』

 次にマネージャー募集をかけるのは今のマネージャーが引継ぎする来年になるんだよ。

 そんな、よくわからない理屈で私は彼から遠ざけられた。しかも、私が死ぬほどなりたかったマネージャーをしているのは、あの髪の長い女の子だった。悔しくて悔しくて何日も眠れなかった。

 私は彼に気づいてほしくて、近づきたくて、受験勉強もあんなに頑張って、マネージャーになっても役に立てるように興味のなかったテニスのルールも全部覚えた。それなのに、たった1年生まれるのが遅かっただけで、彼の隣どころか、近づくことさえできないなんて。

 それからも体育祭や文化祭、あらゆる行事で彼と関わるチャンスを必死で探したけれど、それはついに訪れなかった。片想いのまま2年が過ぎて、また彼の卒業式の日になった。

 私は懲りずに花束と、連絡先を書いたカードを用意した。

『卒業おめでとうございます』

 何とか渡すタイミングを見つけて近づいたけど、彼はテニス部仲間と固まっていて、その中には当然彼女の姿もあった。

『おう』

 私に答えかけた彼は後輩部員に呼ばれて引っ張っていかれてしまい、あろうことか彼女に叫んでいた。

『玲、代わりに受け取っといてくれ』

『絢斗宛じゃーん!』

 楽しそうに笑いながら言いあうふたりに、あまりにも悔しくて悲しくて、私は花を渡さずに逃げ帰った。彼女の手に渡るくらいなら、自分でどこかへ捨てたほうが良かった。



「明日から、1週間出張だ」

 予定はいつも直前に伝えられる。出張の決定が直前なのか、私への伝達が直前なのかはわからないけれど、大体いつも私がそれを知るのは何かが起きる前日の夜だった。

「どこに?」

「熊本」

「そっか、気を付けて」

「ああ」

 付き合い始めてから知ったけれど、彼はとても無口だった。何を考えているのかがよくわからなくて、楽しそうにしている姿を見ることは滅多にない。デートはいつも私の希望を訊き、どこでもいいといえば、適当に人の少ないデートスポットに連れていかれ、食事の希望もいつも聞かれたけれど、彼に嫌われたくない私は、いつも彼が食べたいもの、行きたい店に喜んでついていった。

 なんでも彼の言うことを聞いていれば嫌われない。嫌われないことばかり考えていたら、いつの間にか自分の意見が言えなくなって、ただ彼に従うだけになっていった。でもそれでよかったと思う。結果的に私は、彼と結婚することができた。

「くまモン買ってきて」

 夫の帰りを待っていた娘が飛びついて彼にお土産をねだる。

 私は彼に何かを買ってほしいと言ったことなんて、多分一度もない。

「おお、時間があったらな」

 彼はいつもはっきりとした約束をしない。『できたら』『多分』そんな曖昧な言葉で、返事をして、でも、娘の希望は大体叶えている。

「絵本読んでくれる?」

「1冊だけな」

「やったー!」

 娘が生まれてからはこうして帰ってきて絵本を読んだり、遊んだりしてくれはするけれど、娘を寝かせた後は、何も言わずにリビングからいなくなることが多い。

「はい、おしまい。もう寝ろ」

「パパいい夢見てね!」

「おう、いい夢見ろ」

 夫に懐いている娘は、彼が寝かしつけると、私の時より格段におとなしく眠ることが多い。

「えっと、何か必要なものはない?」

「もう全部そろえた」

 自分のことは自分でやる。結婚当初から寝室さえも別で自分の部屋を構えた夫は、自分のペースを崩されたくないのだろう。朝も朝食を抜くことが多く、いつの間にか出かけている日ばかりだ。

 そもそも夫は、私のことは好きではない。と言うよりも、いまもきっと、あの彼女のことが好きなのだろうと言う事を、私は結婚するずっと前から知っていた。知っていて結婚したのだから、我慢するしかない。それさえ我慢すれば、私は好きな人の妻で、その娘の母親でいられるのだから。

「明日は、早いの?」

「まあ、適当に出る」

 玄関で見送ることさえ約束できない。

「おやすみなさい」

「おおー、いい夢見ろ」

 義姉とのLINEが夜になると、彼女の最後の返信は必ず『いい夢見てね☆』で終わる。彼の実家では、寝る前のおやすみの挨拶の代わりに、みんながこんなことを言う。でも私はこの言葉を返せたことは一度もない。言おうとするけれど、なぜか気後れしてしまっていつも言えない。娘はためらいなく使っているのに。

 翌朝、玄関の鍵が閉まる音で私は目を覚ました。



 結局私は大学まで彼を追いかけたかったけれど、学力は追いつかず、仕方なく彼の通う大学のそばのファミレスでアルバイトを始めた。でも、半年間バイトをしてみたけれど、彼が店に来ることはなく、近くで偶然会うこともなかった。

 ファミレスではだめだと思った私は大学の近所の店をいくつかはしごして、やっと彼のバイト先の居酒屋を突き止めた。

 そこで初日に会った彼に自分の出身校の話をして、彼は驚いたように言った。

『へえ、俺と同じだ』

 まるっきり、私のことは覚えていなかったというか、きっと最初に声をかけたあの中学の卒業式の時から、気づきもしていなかったようだった。

『偶然ですね』

 本当はこんなキャラじゃないけれど、彼の好みはあの髪の長くて明るく楽しい女の子だからなるべくハキハキ、明るく楽しくふるまうように心がけた。

『大学までくると同じ高校のやつには滅多に会わんしな』

 出身校が同じというだけで、私たちの距離は急速に縮まった気がした。彼と同じ日の同じ時間のシフトに入り、一緒に仕事をし、一緒に賄いを食べて、店のイベントを一緒に企画して、バイトを始めてから1年が過ぎたころには、バイト以外のなんてことないことでも連絡を取り合えるくらい、すっかり仲良くなった私は、ついに彼に告白した。

『じゃあ、まあ、試しに』

 そんな適当な返事だったけれど、私は舞い上がるほどうれしかった。中学に入学して初めて彼を見た日から、7年もの間同じ人を好きでいて、やっと報われた日だった。

 それからお付き合いは順調で、彼は就活のためにバイトをやめ、私も彼と会う時間を作る為に融通の利く別のバイトに変え、就職の決まった彼は、無事に大学を卒業した。

『じゃあ、ひとり暮らしするんだ』

『まあ、実家からじゃちょい遠いしな』

 ここらへんじゃ都内まで通勤時間2時間以上かけて通っている人だって珍しくはなかったけれど、人一倍めんどくさがりでものぐさな彼は、通勤時間を最低限まで短縮しようと考えて、就職を機に実家を出た。

 電車で2時間の距離といえど、地元にひとりおいて行かれた私は焦っていた。このままでは、終わってしまう。彼は私のことが好きではない。仕事が忙しい中、片道2時間もかけて無理をしてまで会いに来ようと思うほど、私に執着なんかしていない。だから私が毎回会いに行った。週末のバイトは辞め、金曜の夜から月曜の朝までは彼の家に泊まりに行って、洗濯、掃除、食事の支度、ありとあらゆる家事を彼のためにやった。私が泊りに行っても、彼は休日出勤だからといない日も多くあったけど、それでも、彼をつなぎとめるためにできることは全部やっておきたかった。デートらしいデートなんてしない。家事を全部完璧にこなして、彼が快適に過ごせるようにするためなら、外出のデートなんて必要なかった。

『別に毎週来なくてもいい』

 そんな生活を続けて半年。それは私に突き付けられた、別れの言葉のようにも思えた。

『え、でも、ずっとカップ麺とか身体に悪そうだし、洗濯物もたまっちゃうでしょ』

 自炊をしない彼の平日はほぼ毎食カップ麺かコンビニ弁当。月曜の燃えるゴミの日は、その残骸を出してから帰るのが私の役目だった。洗濯も、1週間分のワイシャツと下着は洗濯機に溜まったまま、土曜の朝にそれをすべて洗濯するのも私の役目。

『まあ、食べることに執着無いから』

 その一言に、愕然とした。

 男の人を捕まえるには胃袋から♡

 なんて言う安っぽい宣伝文句が書かれた料理本を何十冊も買い集めて、彼に喜んでもらえるように時間があればその分全部料理の研究に費やしてきたのに、そんなことを言われるなんて。

 確かに、振り返ってみれば『美味しい』なんて、言われたことはなかったかもしれない。でも、それでも何か彼をつなぎとめる方法がほしかった。

『洗濯も、まとめてコインランドリーでも行くし』

 どうしてアパートから徒歩5分の場所にコインランドリーなんかあるんだろう。そんなどうしようもないことさえムカついた。

『でも、ほら、ゴミだって、わけるのも大変だし、それに・・・』

 ゴミの分別すら面倒くさいらしい彼が雑多に捨てているものを分別して捨てる曜日ごとにメモを書いて貼るのも私の役目。

『それに?』

『それに・・・』

 何か他に、何か他に、私が彼にとってなくてはならない何かになれるような理由はない?料理でも洗濯でもごみ捨てでもない、何か・・・。

『まあ、大変じゃないなら、別にいい』

 最終的にそう言われた時、私は心底ほっとした。

 それからまた2年ばかり、そんな生活が続いて、私の周りの友達から結婚を意識した話が出始めた。私はどうしても友達の中で1番に結婚したかった。美人でも可愛くも社交的でもない、頭も良くない、得意な教科もない、趣味もない、何もない私が、唯一1番になれるはずの事。それが結婚だと思った。1番に結婚しなきゃ。誰にも先を越されないように早く。早く早く早く。誰かに言われたわけでもないのに、その言葉は呪いのように、私を黒く埋め尽くしていった。

『来週ね、親戚の結婚式だから、来るの日曜日だけになるかも』

 金曜の夜に食器を洗いながら言うと、彼は興味なさそうに一言『そうか』と言ったきり、テレビのチャンネルをぱちぱちと意味なく回していた。

『結婚式って楽しいよね』

『そうか?』

『可愛いドレス着られるし、花嫁さんきれいだし、料理も美味しいし』

 結婚しなきゃ。

 結婚しなきゃ。

 結婚しなきゃ。

 その呪いのおかげで、私は結婚式の楽しさを彼に力説したけれど、彼は何の興味も持たなかった。このままじゃだめだ。結婚してもらえない。どうしたら彼に結婚してもらえるの?

 どうしたら?

 どうしたら?

 どうしたら?

 高卒でアルバイトしかしていない私は、結婚したら当然専業主婦になるつもりだ。稼いだお金は料理の本や料理教室、服や美容院やアクセサリーやメイク道具、それに彼に会いに来るための交通費で1円も残らないから当然貯金なんかゼロだ。働くのは疲れるし、人と関わるのも嫌いだ。それに私は女なんだから、働く必要なんかない。養ってもらって当たり前だ。家事は完璧にこなせるんだから、私は女として、最高の価値がある。それに彼の給料なら、やっていけるはず。正確な額は知らないけれど、勤め先はそこそこの有名企業だから、多分大丈夫だ。

 早く結婚して、早く子供を産んで・・・そこまで考えてはっとした。

 妊娠すればいい。

 子供ができたらきっと、彼も結婚してくれる。

 それから私はありとあらゆる手段を講じて、半年かけて、妊娠することに成功した。

『・・・わかった』

 妊娠したことを告げると、彼はそれだけ言った。

 『嬉しい』『よかった』『結婚しよう』『幸せにする』『ありがとう』私が期待したその度の言葉も彼の口からは出なかった。ただ、私が妊娠した事実だけを受け入れた。それだけ。

 それでも、今日まで別れずに付き合っているのは、多少なりとも彼の中に私の需要があるからだと信じて疑わなかった私は、結婚式も新婚旅行もしたくないからしなくていいかという彼にふたつ返事で了承して、ただ市役所で書類を提出して、彼の妻になった。

 妊娠しているからという理由でバイトもすぐに辞めて、彼のひとり暮らしのアパートは手狭だからと子供が多い集合住宅へ引っ越して、彼は自分の部屋を持ち、休日や夜はそこへこもるようになった。

 それでも私は満足だった。

 目標は達成した。

 好きな人と結婚して、その人の子供を妊娠して、専業主婦になった。誰から見ても完璧に幸せな私の人生の出来上がりだ。


 それから6年。娘は5歳になった。

 私の毎日の日課は有名子供ブランドの服で可愛く着飾った娘や、毎日娘の幼稚園用に作る可愛いキャラ弁、夫のために作る完璧な夕食、サロンで毎週違うテイストに塗り替えてもらうネイル、流行りの有名店の宝石みたいな洋菓子。そんなきらきらした誰もが羨むものを1日に何枚も写真にとってインスタにあげる事。フォロワーもどんどん増えて、みんなが私を羨んで、会えばいつも私に職場や家族の愚痴を言う。私はそのたびに『働いてるって大変だね』『旦那さんもうちょっと理解してくれればいいのにね』なんて、笑って答えてあげる。みんながあくせくなりふり構わず働いている間、私は自分の人生が完璧になるように一生懸命頑張っているんだから、褒められて、羨ましがられて当然だ。それはラッキーなんかじゃなくて、私の努力で作られているんだから。

 それをみんなは『綾乃はラッキーだね』なんて、まるで私が何の努力もなしにこの生活を手に入れたみたいに言うから、腹が立つ。何の努力もしてないみんなが私みたいに完璧な幸せを手に入れられないのなんて当たり前でしょ。

 でも、まだまだ足りない。

 完璧に幸せな家庭のために子供は3人欲しいのに、結婚してから1度も、彼は私に触れてこない。早く次の子供を産まないといけないのに。あとから結婚した友達はもう3人産んでる子だっているのに。私が1番に結婚したのに。

 焦る気持ちは、いつになっても消えない。

 子供をあと2人産まなきゃ。

 庭付きの広いマイホームを買わなきゃ。

 もっとお金が必要だから、早く出世してもっと稼いでもらわなきゃ。

 完璧に幸せな私の人生に必要なものは、まだまだある。

 それなのに夫は、子供を作ることにも協力してくれないし、家を建てることにも積極的になってくれない。早くしなきゃ、後から結婚した子たちにどんどん追い抜かれちゃうから、何もかも、急がなきゃいけないのに。

「お花、綺麗だね」

 ベランダに置いたクリスマスローズの鉢は、たいした世話もしていないのに彼が持って帰ってきた日と同じように花を咲かせている。白くて、儚げな、花屋さんにあったら、見落としてしまいそうな花。なんでこんな地味な花を買ってきたのだろう。それとも、何かのもらい物なのか。

 あのカードはインスタにあげて、夫の優しさアピールをしたら、みんなが羨ましがった。花はこんな地味なのじゃなくて、別で買ったポインセチアにした。夫はインスタなんか見てないし、私がやっているのも知らないから、気づかれることは絶対ない。

「パパ、何時に帰ってくるの?」

「夜だと思うよ」

 何時に帰る、なんて、そんな連絡が来たことなんて1度もない。ただ彼が何時に帰っても良いように、完璧に家事をこなして、完璧な夕食を用意しておく。

「くまモン買ってきてくれるかな?」

「どうだろうね」

 話し続ける娘の隣で、今日3度目の投稿。それからみんなのインスタをチェックして回ると、あの地味な白い花をあげている人がいた。


 今年もクリスマスローズが咲きました!

 白くて可憐でとっても可愛い花で、私は大好きです。


 こんな地味な花が大好きなんて、よっぽどきれいなものを見慣れてない人なんだな。

 でも、次の1行で、私は驚いた。


 クリスマスローズの花言葉は『大切な人』


「・・・・・・」

 果たしてあの花をくれた夫は、その花ことばを知っているのだろうか。いや、きっと何も知らないで、ただなんとなく、もらった高かっただかわからないけれど手に入れた花を私に持ってきただけだ。だって彼の『大切な人』は、今でもあの髪の長い彼女なのだから。

「あ、パパ!」

 窓の外を眺めていた娘が気づき、玄関へ走った。それから少しして、玄関の鍵が開いて、夫はいつもの疲れたような顔で帰ってきた。

「お帰りパパ!」

「おー、いい子にしてたか?」

「うん!」

 娘はぴょんぴょん飛び跳ねて夫に抱き付いている。

「じゃあ、約束通りお土産だ」

 熊本空港のショッピングバックに入ったくまモンのぬいぐるみを、娘はぎゅっと抱きしめて喜んだ。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 娘の時とは打って変わってそっけない挨拶と共に手渡された袋を受け取ると、中には地味な菓子折りが入っていた。

「えっと・・・」

「朝鮮飴」

「え?」

 確かに好きだった。でも、どうせなら、こんな地味なものじゃなくて、もっと華やかでインスタ映えするものを買ってきてくれたら、自慢できたのに。

「好きだろ」

 たった一言そう言って、夫は自室に消えた。

「・・・覚えてたんだ」

 彼が私の好物を覚えていた。

 それだけで、私は幸せだと思った。



「たとえあなたが私を愛さなくても」



 クリスマスローズの花言葉:大切な人


 私にとってあなたはいつでも1番大切な人。




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