贈りたかったポインセチア
贈りたかったポインセチア
誰よりも、君の幸せを願っているから
付き合い始めて最初の行事はクリスマスだった。せっかくだから、プレゼントには何がほしいかと彼女に訊くと、いつもふたりで遠回りをして帰るときにある花屋の店先で売っているポインセチアの鉢植えがほしいといわれた。歴代彼女にそんなものをねだられたことはなかったし、いつか枯れてしまう植物よりも、無くさぬ限り永遠に残るもののほうが、いつか俺たちが結婚した時、思い出話に花が咲くだろうという、先走りすぎた勝手な思い込みから、独断で小さなジルコニアの付いたペンダントを送った。だが、その後俺たちは別れて、俺も彼女も、別の相手と結婚した。そしてあの日贈ったペンダントは、鎖が切れたまま、今も俺の財布の中に入っている。振ったはずの俺がそんな女々しい事をしているだなんて、きっと彼女は、想像もしていないだろう。
「びっくりした」
こんなに寒い日なのに、まるで外が真夏であるかのように目の前で氷入りの檸檬スカッシュのグラスを涼しげな音を立てて光にかざした彼女は、昔と変わらずにきらきらして、あの頃はなかった瞼のラメや耳元の煌めきや、その他もろもろのごく控えめな装飾と歳を重ねた分が相まって、魅力的な大人の色香をのぞかせていた。そして、歳を重ねて多少なりとも体重の増えた自分とは反対に、高校生だった記憶の彼女よりだいぶ痩せ、あの頃はなかった儚げな暗い影を背負っているようにも見えた。
「俺もだ」
瀧に偶然呼び止められた夜から、ふた月ばかりが経っていた。クローゼットからコートを引っ張りだすほどに冷え込んできた外気と街を彩る赤と緑のイルミネーションは、目の前の彼女と最初に過ごした冬を思いださせた。
「仕事大丈夫?」
外回りの営業途中で次の行き先を調べながら歩いていたら、人にぶつかりかけ、お互いに譲ろうと2度ほど同じ方向へ避けてしまい、謝ろうと顔をあげたら、相手が玲だった。一瞬見間違いかと思った俺に、玲は迷わず俺の名を呼んだ。それも、苗字ではなく、名前のほうを。
「ああ、少しなら」
暇なわけではないし、次の約束もあるけれど、昼飯を食うための時間を彼女とのお茶に当てる分には、誰にも文句は言わせない。
「絢斗、変わらないね」
それは果たして良い意味なのか、悪い意味なのか。
良い意味で言えば、昔から老けて見られていたから、見た目はそれほど変化はない。悪い意味で言えば、中身は大して成長していない。玲と付き合っていたあの頃の俺と、何か変わっただろうか。あの頃の俺が思う大人は、こんな姿で良かっただろうか・・・俺は今の高校生の手本になれるような立派な大人ではないから、きっとだめだろう。
そんな俺に引き換え、玲はずいぶんいい女になった。中身はどうかわからないが、見た目はあの頃よりずっときれいで、魅力的だ。30過ぎてババアになった、なんて、そんなことは絶対に無い。
そう思ったのに、俺はそれを言えなかった。たとえ冗談めかしてでも、言える気がしなかった。言ってしまったら、後悔があふれ出そうだ。だからなのか、無意識のうちに代わりに出たのは、先ごろの瀧との邂逅のことだった。
「そういえば先々月くらいに、瀧と会った」
俺と瀧という組み合わせがよほど意外だったのか、ブラウンのマスカラをかけた長い睫毛に縁どられたその瞳は、猫のように真ん丸く見開かれた。
「え!瀧と仲良かったっけ?」
付き合っていた時、よく玲に手品を見せたり、悪戯をしたりして驚かせていたが、その目的は玲を楽しませる事ではなく、この猫のような真ん丸な瞳を見る事だった。この目をしているときの玲が、俺は堪らなく好きだった。そしてどうも、今でもそうらしいという確認が取れた。取っても仕方のない確認が。
「いや、駅前で偶然会ってな」
瀧はどうして、俺に声をかけてきたのか、それは今もわからないまま。高校時代の俺と瀧には、玲を通してしかつながりがなかったし、優等生で人当たりの良い瀧と問題児の俺では、合う話題すらない。
「瀧元気だった?」
その言葉に、俺は違和感を覚えた。玲は瀧とすごく仲が良かったし、俺と別れた後も、瀧とは変わらずだったはずだ。まあ、とはいえ、高校を卒業して早十数年。その間に何かがあって連絡が途絶えていても、何ら不思議はないし、俺自身の周りに関して言えば、そんな奴、腐るほどいる、むしろ、あの頃から繋がっている相手なんて、ひとりとして見当たらない。人付き合いが面倒で、連絡にマメでもなくフェイスブックにツイッター、インスタとかいう流行りのSNSにも疎い俺は大学時代の友人すら残っていない。そもそもそんなものを覗いて級友の今を知ったところで、いったい俺の何になるというのだ。時間の無駄になるだけだ。どう頑張ったって生きている時間は限られているのだから、そんなことに費やしている時間など、俺にはない。
「連絡とったりしないのか?」
付き合うまでも、付き合っていた頃も、学校で毎日会っているにもかかわらず、玲はよく俺にメールをくれた。部活の連絡事項から、通学途中に見た猫の写真や、放課後の瀧や仁村や押田の写真、大事なことからくだらないことまで、その内容は多岐にわたり、俺はたいしてマメに返事をしはしなかったけれど、玲の取りとめもないそのメールを密かに楽しみにしていた。そんなふうにそっけない俺のような人にさえ積極的に関わろうとする玲だからこそ、あれほど仲の良かった瀧とのつながりが途切れているのは、違和感でしかない。
「ここ半年くらい、ないかな」
いつからかを、指折り数えて考える玲。そのスタートには、いったい何があった?
「そうか」
「実はこうやってね、家族と職場の人以外と話すの、ちょっと久しぶりなの。だから、なんか楽しい」
そうやって笑う顔だけ見たら、普通に幸せそうに見えるはずなのに、彼女から幸せを上手く感じ取れないのは、俺自身が、その幸せという感覚を、上手く味わいきれていないが故なのだろうか。
「忙しいのか?」
社交的でいつも人の中心にいる。高校時代の玲は、そんな女で、一方社交性がないわけではないが、群れる事が苦手な俺は、そんな彼女をいつも遠巻きに眺めていた。付き合う前も、付き合ってからも、そして別れた後も。
だから、友達に長らく会っていないという玲が意外で、でも、部活でもバイトでも働き者だったことを思いだして、そう訊いた。左手の薬指の煌めきは俺と同じく玲が結婚している事を物語っているが、平日のこんな時間にひとりで買い物をしているということは、おそらく子供はいないのだろう。だとしたら、働き者の玲のことだ。専業主婦になりました。なんてことは、ないような気がした。
「ううん。むしろ暇」
自嘲気味に笑った彼女に、何か踏み込んではいけないことのような違和感を確かに感じとったのに、不注意な俺は反射的にその言葉を疑問符をつけて返してしまった。
「暇?」
「うん、今年の夏前に、ちょっと病気になっちゃってさ、入院とか、検査が多くて、ついでに言うと、具合悪い日も多くてさ、会社、あんま行ってないの。病気になる前は休日出勤とかバリバリにあって、休みのほうが少なかったのにね」
久しぶりに見た彼女の笑顔は、昔の魅力を失った、作られたものになっていた。笑顔以外は輝いているように見えるなんて、おかしな話だ。
「こんなふうに外出てて大丈夫なのか?」
昨日今日と急に冷え込んだ外に目を向ける。
病名は何か、どんな症状なのか、どうして病気になったのか、どれほど重い状態なのか・・・命に、かかわるものなのか。
なぜか俺は何も、訊けなかった・・・というよりは、訊く気にならなかった。玲を蝕む病がどんなものであれ、いまの俺にしてやれることは何もないと、誰よりも俺自身がよくわかっているから。いま玲の目の前にいて、その瞳に映っているのは俺だけだが、それは今この瞬間だけの事。玲の人生の表舞台から、すでに俺は降りてしまっていて、今はただ一時、舞台袖からちょこっと顔を出しただけの役者なのだから。
「夏からずっと病院と家とか医者の往復だけだから、たまには息抜きしなきゃ、息がつまって死んじゃいそう」
そう言って玲はまた、笑顔を作った。こうして無理に笑えば笑うほど、彼女が幸せから遠ざかっているように見えるのは何故か。
幸せそうじゃないな。
別れたあの日以来の再会で、俺は真っ先にそう思った。
なんで、おまえがそんなに不幸そうなんだ。
それじゃあ、俺が報われないじゃないか。
玲がどこかで誰か、俺じゃない男とであっても、もしくはひとりであっても、幸せでいてくれたなら・・・なんて、俺にはそれを願う資格すらないのかもしれないが。
「そういえば、結婚したんだね」
「ああ」
左手の薬指に注がれた視線に、ゆっくりうなずく。本当は結婚指輪など、面倒で邪魔だし、付けたくないと思っていたが取引先や仕事関係で会食が多いこの仕事で、結婚指輪というのは案外、あれこれと声をかけられる前に牽制できるとわかってからは、ずっと外さずにいる。結婚していれば無意味に女にすり寄られることもないし、見合い話を持ち掛けられることもない。あらゆる意味で男女ともによけられて便利だ。
「奥さん、どんな人?」
「大人しくて目立たん女。料理が上手い」
「うわ!私とは正反対の大和撫子タイプだね」
大和撫子。よく言えば、そうなのかもしれない。自分の意見はあまり言わず、俺の決定におとなしく従い、怒ることもないから、夫婦げんかもない。毎日黙って家事をこなし、趣味らしい趣味も持たず、ただ懸命に娘を育ててくれている。俺はそんな妻に本当なら、感謝しなければならないのだろう。それなのに俺は彼女に『ありがとう』という言葉を最後にかけた時の記憶すらない。
「お料理上手とか良いな。そんなお嫁さん欲しい。美味しいもの毎日お腹いっぱい食べたい」
そう言った玲に、ああ、食欲はあるんだな。とちょっと安心した。
「玲は料理しないのか?」
付き合っているときはよく弁当を作ってくれたし、部活の大会のときなんかは差し入れに菓子を作ってきたりもしていた。部活仲間で新年会をしたときだって、女子は玲ひとりだからというのもあっただろうが、座る間もなく料理をしていた。飛び切り美味かったという印象はないが、不味かった記憶もない。
「するけど、夫のほうが料理上手かな」
「そうか」
「元村先輩なの」
「は?」
玲はよく話の脈絡が迷子になるタイプだ。だが、いまのタイミングのこれは、迷子なわけではないとしたら。
「私、元村さんと結婚したんだ」
知らなかった。
ひとつ年上のその人は、俺と同じようにサボり魔で、問題児というようなくくりにいた気がする。ただその性格や人間性は俺とは全く違っていて、おおらかで、穏やかで、気さくで、初対面の相手校選手とですら一瞬で打ち解けて仲良くなってしまうような天性の人たらしだった。そんな人だから、多少問題行動があったとしても、教師陣からも多めに見られていて、俺は性格の良さで優遇されることがあるのを肌で感じていた。
「ああいうのが好みだったか」
俺とは正反対な。その言葉は飲み込んだ。
「なんだろう。好みっていうか・・・なんだろうね」
結局、俺と玲は相手と全く反対のタイプと結ばれたということらしい。それが良いか悪いかは、別にして。俺が一人で絡ませまくっていたこの恋は、そんな何とも皮肉な結末だったようだ。
「すまん、そろそろ戻る」
手元の時計を見ると、30分以上が経過していた。本当は、こんな運命的な再会は二度とないだろうから、今ここで別れたら、今度こそ俺は、玲に会うことがないかもしれないから、もう少しだけ話していたかったが、話していたからと言って、俺たちの間の何かが変わるわけでもないという、冷静な俺もいたりして、まあ、良い引き時だともいえたから俺はあっさりと席を立った。
「あ、ごめん、仕事中だもんね」
まだグラスに半分以上のアイスティーが残っているのに、玲も席を立った。
「玲はゆっくりしてけ」
財布から1000円札を出すと、玲は首を振った。
「まだ買い物途中だし、ひとりでカフェなんかいることないから落ち着かないし、表まで一緒に行く」
少しでも、一緒にいたいから。
そんな都合のいい彼女の心の声を、俺は拾った気がした。
「そうか」
断る玲に、たった数百円のお茶代だからと強引に金を払い、木枯らしの吹き付ける外へ出た。
「急に寒くなったよね」
「そうだな」
鮮やかな赤いマフラーに彼女の体格にとっては少し重ためのベージュのロングコート。そしてその襟元にきらきらと光る鹿だかトナカイだかの金色のブローチが、クリスマスが大好きな玲にとても似合っていると思った。俺の中で彼女は、夏よりも冬のほうが華やかで似合う女で、あれから何年も経った今も、それは変わらないらしかった。
「そういえば、あのペンダントね、無くしちゃったの。ごめんね」
「は?」
急に振られた話に、俺は絶句した。
「ほら、絢斗が最初のクリスマスプレゼントにくれた、ちっちゃいキラキラのジルコニアが付いたペンダント、覚えてない?」
覚えてないも何も、それは今だって、俺の手元に、もっと言えば、この財布の中に入っている。
「あ、ああ」
「あれ、すごく気に入ってたから、大事にしてたつもりだったのに、別れた後気づいたら、無くしちゃってて」
違う、無くしたんじゃない。
俺が玲から取り上げたのだ。
贈ったその日から、校則違反で怒られようが、仁村に嫌味を言われようが、先輩に目をつけられようが、肌身離さず制服のブラウスの下に身に付けていたそれを、別れを切り出だしたあの日、俺は玲から取り上げた。
『どうして?私、何かしちゃった?』
俺からすれば、ずっと前から考えていた別れの日は、玲からすれば、青天の霹靂で、何がなんだか、わからなかったのだろうと思う。別れるその日まで、俺たちの間には、ケンカのひとつもなかったのだから。
『飽きた』
『飽きた』そんな心ない一言で2年も続いた関係をあっさりと終わらせようとした俺は、なんて非情な男なのだろうと、自分でも思うほどだ。でも、あの頃の俺は、玲と付き合い続けるのが、ただ怖くて、怖くてたまらなかった。人に興味がなくて、薄情で、ずるくて、不真面目で、教師からは問題児のレッテルを張られ、お世辞にも親しみやすくないこの容姿でクラスメイトからは畏れられて遠巻きに見られている自分が、きらきらと輝いて楽しそうにしている玲のそばにいる事で、何か彼女に、不利益をもたらしてしまうのではないかと、その想像は日に日に膨らみ、ついに耐えきれなくなっての別れだったのだ。
そんなことを恐れるのなら、真面目な優等生に改心したらいい。そう思われるかもしれないが、高校生活の大半を前述通りに過ごしてしまった俺が今更急に改心したところで、俺への評価など、そう変わりはしないことを、誰より俺自身がわかっていた。
一度持たれた印象を変えるのは、簡単なようで、ほぼ変えることができないほど、難しい。第一印象はとても大切なのだ。数えきれないほど不採用通知を受け取った仕事の面接で、それは痛いほど実感した。
人からどう思われてもかまわない。自分のやりたいように、自分に嘘を吐かないように、そんなふりをして俺は、何もかも嘘塗れだった。ペテン師のように、周りも自分も、一番大切な玲にさえも本心は隠したまま他人の光が無ければ動けない儚い影絵のような俺を演じて過ごしていたのだから。
『少し、距離を置くとかは?』
『ない』
そんなんじゃだめだ。
ちょっとやそっと距離を置いたって、玲とまだつながっているとわかっていたら、俺は甘えてしまう。このままの俺で、玲が傍にいてくれると甘えて、いつか玲を、ダメにしてしまう気がしてならなかった。
『どうしても、ダメ?』
『悪いな』
あの日も、玲はあのペンダントを首に巻いていた。俺からの別れ話の間、きらきら光るその光を封じ込めるかのように小さなペンダントヘッドを右手で握りしめていた。
ああ、あれを取り上げないと。
あれが手元にある限り、玲は俺を忘れないかもしれない。
そんな傲慢な思考の俺は、いよいよ玲と別れる時、彼女の後ろにそっと回り、ペンダントを首から外した。昔から意味なく手先が起用だった。それはもう、異常なまでに。子供の頃の趣味は手品で、裁縫の時の家庭科や実技の技術は常にトップの成績だった。絡まって団子のようになったペンダントの鎖を解くのだってお手のもので、姉は年がら年中俺のところへそれを持ってきては俺に解かせていた。だから、玲に気づかれずに首のペンダントの金具をはずすことなんて、朝飯前だった。
『じゃあな』
別れ話が終わり、何度も来たカフェの前で玲と別れる時、玲は初めて、別れ際に俺の顔を見なかった。いつもの別れとは違うのだから当たり前か。『またな』ではなくて、『じゃあな』と言った俺の顔を。
『うん、今まで、ありがとう』
それでも最後に俺に向けられたのは、彼女らしい感謝の言葉だった。
一方的に、何の予告もなく、残酷な言葉で別れを切り出した今日の俺を責める言葉ではなく、今までの俺に対する感謝の言葉。
そんな言葉が、とても玲らしいと思った。
その帰り道、俺は玲のペンダントを捨てようと駅のゴミ箱の前に立ったが、手から離しかけたそれが、俺の指に絡まって止まり、そこから離れることはなかった。そして俺はその鎖を切って指から解き、財布に仕舞って、以来今日まで、財布をいくつかかえはしたが、相変わらずずっと、小銭と共にそのか細い金属音を鳴らし続けている。決して心地よい恋の音ではなくて、それは間違いなく、耳障りな失恋の不協和音なのだが。
「似たの探したんだけど、あのデザインなかなかなくて、あれ、どこで買ったの?」
別れた男から送られた物、しかも相手の男は自分を振ったどうしようもなくひどい男なのに、その贈り物を『気に入っていた』という理由だけで使い続けようとしていた玲は、やはり特別な女だと思った。変わっている、と言ってしまえば、それだけなのかもしれないが、玲は何か、人を引き付ける不思議な煌きを纏っている。ずっと昔から、いまも、そしてきっと未来も。
「玲」
「うん?」
「もうちょい付き合えんか?」
「私は平気。無職だし」
笑いながら玲は、俺が目指す駅前の花屋に一緒についてきた。季節柄だろうが、目的のものは店先に所狭しと並んでいる。あの日買わなかったことをずっと後悔していた。そしてこれを買うときは、いまを置いて他にないと俺にははっきりわかっている。
「奥さんにプレゼント?」
そういえばあいつに、花を送ったことなんて一度もない。
「あー・・・」
「選んであげようか?おすすめはね、あ、あのクリスマスローズ!」
頼んでもないのに地味な気の抜けたような白い花の鉢植えをすすめてくる。確かに、派手な玲とは違って、あんな地味で見落としそうな雰囲気の女だ、妻は。それにしても、こういう場合は普通花束を贈るのではないだろうか。だから、選んでくれようとするのなら、店先の鉢植えよりも、店の奥の桐花から選ぶのではないのだろうか。
でも、鉢植えを選ぶのが、なんだか玲らしかった。変わらんな、いまも、昔も。自分に素直で、嘘がない。今でも玲は、俺の対極だ。
「ちょっと待っててくれ」
「いいよ」
玲の死角となるように、その小さな鉢植えをレジへ運び、店員に手早くプレゼント用のラッピングをもらう。手際よく施されたそれに、かかった時間はほんの2分ばかり。何と手際のよいことか。
「メッセージカードはお付けしますか?」
レジ横に積まれた小さなクリスマスカード。プレゼントに花屋で花を買ったことなどないからよくわからないが、贈り物にはこんなふうに、カードを添えるものなのだろう。でも、今の俺が玲に何かを書いて送るなんて、許されるのだろうか。それに、伝えたいことはありすぎて、でも伝えるのははばかられて、書くことは何も思い浮かばない。
「いえ・・・結構です」
小さなサンタの絵が印刷された金色のそれを断り、鉢を受け取って俺は玲の待つ店の前へ戻った。
「玲、待たせたな」
「可愛いの買えた?」
あくまで妻へのプレゼントだと思っているらしい彼女に、手にした鉢を差し出した。
もしもあの最初のクリスマスに、俺がこうしていたならば、今の俺たちは違う関係になれていたのだろうか。
「ちっと早いが、クリスマスプレゼント」
綺麗に包装されたのは小さなポインセチアの鉢。
「え?私に?」
驚きでまた猫のようにまん丸くなった瞳。この瞳ももう、見納めだ。
「ああ」
「なんで、急に?」
「気分で」
話を聞くこと以外、何もしてやれないけれど、それでも、話してくれたことが、すごく嬉しかったから。話すことで少しでも、何かが軽くなるのなら、たとえ間接的にでも、ほんの少しでも、その苦しみや辛さを俺が背負うことができたのなら。たった一時でも、君の人生に関わった俺に今でもできることがあるのなら。
「・・・ありがとう」
「どういたしまして」
本当は今隣に立って、君を抱きしめることができたらよかった。その涙をぬぐうことができたらよかった。苦しみも辛さも、共に背負うことができたらよかった。
でも、今の俺には、もう、そうすることはできないから。
だからせめて。
「誰よりも、君の幸せを願っているから」
ポインセチアの花言葉・祝福
あの日贈れなかった祝福を、いま君に贈る。