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香らない山梔子  作者: 白石玲
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摘めないフジバカマ

   摘めないフジバカマ


 好きやで、見た目だけ


 高校時代、通学路の、誰の土地かわからない空き地一面に、細かい綺麗な花が咲いていた。何となしに毎日横目に見とったけど、ある日、仲良くなった玲と一緒にその道を通ると、その花が『フジバカマ』という名前だと教えてくれた。『よう知っとるね』と言うと、『従兄の影響だ』と答えた。

 毎日見ていると、不思議と手に取ってみたくなり、俺は一度だけ、その花を摘もうとしたことがある。だが、結局摘めなかった。なんだか、摘んでしまうと命が短くなりそうで、花が可哀想になった・・・なんて言うのはきっと言い訳で、本当は、花を摘んだことを誰かに知られて、咎められるのが怖かったのかもしれない。

 そして俺は、高校3年間、その花が枯れて咲いて、そしてまた枯れていくまで毎日眺めていた。最後まで、一輪も摘むことはなく、俺は卒業した。


「・・・何があったんやろ」

 梅雨入り前から・・・玲の誕生日を祝うLINEを送ってその後、玲からぷつりとLINEが途絶えた。グループLINEで俺たちがあれこれ話す中、いつもは必ず参戦してくる玲が、一言もないまま、いつもは無口な前田が、急にLINEの会話を強制終了させて、それからずっと沈黙が続いている。梅雨入りし、梅雨が明け、蝉が鳴きだして、その声が蜩に変わった今日も、誰も何も交わさない。

 気になるのなら、玲に個人LINEでも打てばいいのかもしれない。でも、俺はなぜだかそれができないでいる。いつもだったら、何の気負いもなく、『元気?』『ご飯でも行かん?』『遅なったけど、今年の誕生日プレゼントは、何がええ?』そんな、なんでもない事をぽんぽんと送ることができるのに、玲に何かがあって、それはきっと、俺が想像するか、それ以上に悪いことなのではないかという予感が、俺の指を止めていた。そして俺はただ、誕生日を祝ったことへの返事のお礼を伝える茶トラの猫のスタンプが楽し気に踊っている玲とのLINE画面を開いては眺めているだけなのだ。いつからこんな根暗で憶病になったのかと考えたけれど、きっと、俺はずっと前から憶病だった。あのフジバカマの花を摘むことができなかったころから、ずっと。

「・・・あいつらが知ったら爆笑やな」

 仁村と瀧と、後輩の前田。高校を卒業して十数年。未だにLINEで連絡を取り合う学生時代の友人は玲を含めて4人だけだ。それだって、玲がいるから繋がっているようなものなのかもしれない。事実俺は、玲以外の3人と個人LINEでやり取りすることは滅多になかった。会って、玲の誕生日プレゼントの相談くらい。


 玲は、俺と違ってとても明るくて、そして強い。

 就職して数年経ち、かつての同僚にストーカーされ、実家や交友関係までも調べ上げられて付きまとわれ、その上婚約していたという嘘まで吹聴され、何度も警察署へ訴えに行くはめになった時も、結婚してすぐ、ちょっと注意しただけで新人からパワハラを訴えられ、通勤徒歩50分、バスは2時間に1本、仕事はバリスタの手入れと洗濯、同僚は3人子持ちで『子供がいるからできない』が決まり文句で早出勤も残業も玲任せ。おまけに新しい上司は社内でも超有名なパワハラ男で、以前に玲の同期もそれが原因で数人退職したという最悪の左遷に遭った時も、その職場に通い始めて3カ月で、ストレスで左耳が全く聞こえなくなった時も、無理して通い続けて、本人が気づかない間に精神崩壊が始まり、通勤途中の橋から飛び降り自殺をしかけて偶然通りかかった高校生に助けられたときも、それからうつ病をはじめとする精神障害と診断され、休職することになった時も、玲は何一つ隠すことなく、俺らに連絡してくれた。

 もちろん、その都度俺らは心配し、ストーカー事件のときはかわるがわる会社まで迎えに行き、それでもいつも玲からのLINEは、こんな深刻な話題にもかかわらず、明るく、『免許の更新以外で警察署行ったのなんか初めてだよ!』『超迷惑なんだけど!』『婚約してたって言うなら婚約指輪でももってこい!迷惑料としてそれ売って現金にするから!』と怖がるどころか怒っていたり、『会社行かなくていいなんてすごくない?』『こんな長期休暇初めて』『新婚休暇だよ』なんて落ち込むどころか楽しげだったり・・・いつもそんなふうに何でも話して、どんな苦難も明るく楽しく乗り越えようとしてきた玲が、俺らとの連絡を絶って早3カ月。

 玲、何があったんや?俺らにも言えんくらい、深刻で、きついことが玲の身に起こっとるんやったら、そんなときこそ、玲の力になりたいって俺は思っとるよ。

 そんなLINEを何度も何度も玲に送りかけて俺は結局何も送れない。俺と玲のトークは、『今年の夏は結季ちゃんを連れて水族館をはしごしよう』という、考えただけで暑くて混んでて疲れそうで、ものすごく楽しそうな計画をしているところで終わっている。それから俺らは、5人で会うことは1度もなく、水族館はもちろん、他のどこへもいかず、高2の頃から1度も欠かさず5人で、玲が賀井と付き合っていた頃は6人で、その後また5人で、結季ちゃんが生まれてまた6人で行っていた、毎年9月の最後の週末に行われる地元の祭りの打ち上げ花火の最後の1発が散り、夏は終わりを告げた。玲と出会って初めて、俺はあの祭りを覗きもしなかった。

「いらっしゃい」

 独身のひとり暮らしで尚且つ、恋人もなく、勤務体系が不規則な場合、毎晩家で自炊なんかほぼしない。俺だって、料理ができないわけではないし、付き合っている相手がいれば、手料理披露するくらいの腕はある。むしろたまに、『私より料理上手』とか言われて、振られることまであるレベル。だからって、自分一人のために料理をする気になどとてもなれない。今夜はまっすぐ帰る気がせず、駅の裏通りのバーへ足を向けた。高校時代の部活仲間の店で、職場を出るのが夜のときはここへ寄ることが多い。

「こんばんは」

「飯は?」

「軽く」

 基本無口な元級友はあまり話さないが、それが楽だと俺は思う。ぼんやりと料理をする友人を眺めながら思いだすのは、やはり玲のことだ。無意識にiPhoneをひらき、玲とのLINEを眺める。

「・・・・・・」

 しばらくして俺の好きな塩辛チャーハンが出されたころ、店のドア開いた。今日は金曜だから、店は混み合う。今はまだ開店して時間が経っていないからそうでもないが、いずれ混み始めるから、俺はひとりのときはいつもそうだが、カウンターの一番端に座っている。

「お?待ち合わせだったのか?」

 級友のその声に顔をあげれば、ドアを開けたのは瀧だった。

「あれ、押田」

「なんや久しぶりな気するな」

「これだけ会わないの珍しいからね」

 会社帰りらしいスーツ姿の瀧はいつも通り柔らかい笑みを浮かべて俺の隣に座った。

「瀧も食うか?」

「手間でなければ」

 iPhoneを仕舞い、瀧とポツリポツリとお互いにどうでもいいような近況報告をした。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 結局俺たちはひととおり近況報告が終われば、まあ、話すことがない。なぜなら、俺は瀧と共通点がないからだ。高2のときに1度だけ同じクラスになった。ただ、それだけ。

「いらっしゃい・・・今夜は珍しいな」

 再びドアの開く音で顔をあげれば、待ち合わせたのかと思うようなふたり。スーツ姿の仁村と普段着の前田だった。

「あれ?ふたりで会うのに誘ってくれなかったんだ?」

 俺と瀧が待ち合わせてここへいると思っているらしい仁村は迷わず瀧の隣に座り、前田はだるそうに仁村の隣に座った。

「4人ならボックス席でもいいぜ?」

 最初はひとりだからと思ってカウンターに座ったが、いつの間にか4人になった俺たちを見て、級友は笑った。

「移ったほうがいい?」

 4人いると、誰も何も言わなくても代表で話すのは仁村になる。一見中性的で頼りなさそうに見える仁村が、中身はとんでもなく男っぽく、はっきりしたリーダー格なのだ。

「どっちでもいいぜ、好きにしな」

「じゃあ、このままいようかな。チャーハン持って移動するの、面倒くさそうだしね。あ、俺にも同じのお願い」

 仁村は笑って言い、級友はまたフライパンを振りだした。

「ふたりで飲むなら誘ってくれたらよかったのに。なに?俺には言えない話?」

 こういうことを笑顔で言ってくるときの仁村は油断ならない。玲が陰で『大魔王』と呼ぶだけのことはある。

「別に約束したんじゃなくて、来たらたまたま押田がいたんだよ。そっちこそ、俺たちには言えない話でもしようとしてた?」

 瀧と仁村は似ている。中性的な見た目だけではなくて、持っている雰囲気や、割合毒舌なところもすごく似ている。

「こっちも駅前で仁村さんに捕まったんすよ」

 ものすごくだるそうに、久しぶりに会ったというのにこの上なくうんざりしたような顔でiPhoneをいじりながら答える前田の失礼この上ない態度に、普段の俺なら一言注意したかもしれないが、今日は言葉が出てこなかった。ただぞの姿に相変わらずだと、内心ほっとした。

「結季ちゃん、どないしたん?」

 仁村は4歳の娘とふたり暮らしのため、こんなふうに、金曜とはいえ平日の夜の大人の社交場で会うことはほとんどない。居酒屋やバーといった大人のための店へ、仁村は絶対に結季ちゃんを連れてこない。俺らも結季ちゃんが一緒の日は無難に子供もいけるレストランを選ぶ。子供を大人の都合で大人の世界へ引っ張り込むのも、他の大人が楽しんでいる空間へ子供を連れ込むこともしない。それが俺たちが暗黙の了解で決めている、結季ちゃんへの教育方針だと俺は勝手に思っている。

「玲のとこにお泊りにいってる」

「玲って、元村さんの?」

「お盆に本家に行くとき元村さんに懐いちゃってね」

 高校時代、何があったのかは知らないが、仁村はひとつ上の元村さんを嫌っていた。玲と付き合うことも、結婚もずいぶん反対した。その仁村が、愛娘を玲がいるとはいえ、元村さんに預けるとは・・・みんなこうやって少しずつ大人になっていくものなのかもしれない。

「ええことやん」

 思わず出てしまった俺の本音に、仁村は澄ましてグラスを傾けた。

「まぁね」

 結季ちゃんの中には好きな人ブームがある。一番初めは瀧だった。瀧が結季ちゃんの髪の毛をレースやリボンでお姫様みたいに編み込みにしたのがきっかけだった。そして次は前田。仕事のついでにデザインしたとかいう大人でも違和感なく使えそうなブレスレットを結季ちゃんにプレゼントしたのがきっかけだ。そして元村さんは・・・。

「元村さんの肩車の虜になってね」

「なるほどね」

 俺たちは誰一人として結季ちゃんに肩車をしてあげたことはない。だからこそ、効果絶大だったに違いない。その上、元村さんは俺らの誰よりも背が高い。

「前田振られそうやん」

「大丈夫っすよ」

 一見全くそうは見えない前田は結季ちゃんに懐かれてまんざらでもなさそうな顔をしていた。興味なさそうなふりをしているが、実は子供が好きだと俺は思っている。

「どっからくんねん、その自信は?」

「元村さん既婚者だし、俺のほうが若いし」

 細かく誕生日まで換算するなら、仁村が3月生まれのため、結季ちゃんの父親の仁村より若いのは学年がひとつ下の前田だけ。まあ、娘の彼氏が自分より歳くってたらさすがに嫌やんな。

「はい、お待ちどう」

 追加の塩辛チャーハンが仁村と前田の前に置かれた。

「俺、頼んでないんすけど」

 自身の前に置かれたチャーハンを迷惑そうに見つめてぼそぼそと言う。

「まあ、食えよ」

 無口な級友は言葉少なに言って、次のオーダーに取り掛かってしまう。まあ、一度出したものを下げることもないだろうから、出された皿はこちらで処理するしかない。前田と瀧はあまり食べないが、仁村はその細身な見た目から想像できない大食漢で、二人前くらいは軽く食うから、前田が食べなくても仁村の胃に収まるだろう。なんて、見ていたら、意外にも前だがナマケモノ並みののろさでスプーンを持ちあげた。

「はぁ・・・」

 お世辞にも健康的に見えない前田はもそもそとチャーハンを食べ始める。

「美味いっすね」

 前田の辞書にお世辞と言う言葉はないため、発せられる褒め言葉は誰よりも信じられる。

「ありがとよ」

 店が混み始め、級友はカウンターを離れた。

 そして俺たちはまたチャーハンを食べながらどうでもいい近況報告をする。そして、それが終わると、話題が尽きる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 玲抜きで、男4人で会うことなんて、高校卒業してからあっただろうか?

「玲がいないと変な感じだね」

 誰もが彼女を思い浮かべながら、あえてその名前を口にしなかった中、ついに瀧がその名前を口にした。それも、なんでもないことのように、とても、穏やかに。

「いつも玲が中心で喋ってるからね」

「なんやろ、ものたりひんっちゅーか」

 学年の違う前田はともかく、高校時代から玲がいることが当たり前だった俺たちにとって、玲の不在は静かに、でも確実に重くのしかかっていた。

「俺、思ったんすけど、俺たちって、玲さん無しじゃ繋がんないっすね」

「ああ、そういえばそうだね」

「俺は玲の従兄だから人生の最初からつながってるけど」

 こんな小さなことでさえ、勝ったように言う仁村は、意外と子供。

「ほな、瀧と玲の馴れ初めは?」

「階段から落ちそうになった玲を助けたこと」

 瀧の衝撃発言にみんなが酒を吹き出しかけた。

「そんなんある?」

「まるで少女漫画っすね」

「俺は知ってたけどね」

 聞けば玲と瀧の馴れ初めは、入学して最初の全校集会へ向かう途中の階段で玲が足を踏み外して、それを瀧が助けたことらしい。こんな少女漫画張りの展開にもかかわらず、瀧は一度も玲と付き合ったことがない。瀧だけではなく、俺たち4人とも、玲と付き合ったことはない。

「前田はパソコン教えてたんだよね」

「玲さんなんもできないですからね。ひところ毎週やってました」

「前田が言うとなんか違うことやってたみたいに聞こえるね」

 穏やかで優し気な見た目からは想像できない脳内変換をした仁村はからから笑った。

「やれればやりたかったっすけどね」

 高校時代は玲をババア呼ばわりしていた前田は玲が結婚してしまった今、その好意をあまり隠さなくなった。

「仁村が許さんやろ」

「そんなことあったら前田、いま俺の目の前にいられないよ」

 はっきりと真っ黒いオーラを一瞬で纏った仁村に前田は一気に無表情になった。

「・・・つーか、ずっと思ってたんすけど、押田さんってなに繋がりなんすか?」

 仁村と前田が俺を見る。

「俺、押田と同じクラスになったこと1度もない。部活も押田だけ違うよね」

 仁村と玲はテニス部の選手とマネージャー、瀧と前田はバレー部で、俺はバスケ部だった。

「玲の見た目のせいじゃない?」

 俺たちの話を全く聞いていないようでしっかり聞いている。学生時代から瀧はこうだった。何か別のことをやりながら、周囲に器用に気を配っている。自分のテリトリーに入れたごく少数の人にしか毒を吐かない瀧は、クラスみんなに好かれていた。高校3年間、俺は、瀧のことを悪く言うやつに出会ったことがない。

「見た目?」

「うん、俺、2年のとき押田と同じクラスでさ、玲を紹介してくれって言うのが、初めて押田に話しかけられたときに言われたことだったと思う」

 俺ももちろん覚えている。高校2年になったばかりのある日、クラスにすごい美人がいるといわれ、楽しみだったのもつかの間、噂の美人は男だったとすぐに知れた。名前順のため真ん中の最後尾に座っていた小柄な男、それが“美人”と噂の瀧だった。そしてそんな美人だと名高い瀧を時折訪ねてくる2組の女の子、それが玲。知ってはいたが、瀧の彼女だという噂であったし、俺は遠目にしか見たことがなかったし、人のものに興味はなかった。そんな俺が玲に興味を持ったのは、玲の誰にでも気軽に話しかける性格と、命あるものを大切にする精神あってこそだ・・・たとえその命が、たった1センチの尺取虫であっても。


『あの、ちょといい?』

 その言葉に答える間もなく手首を掴まれ、髪の毛をなでられたのは、2年にあがって数カ月経ったころだった。

『なにすんねん?』

 基本女の子には優しくしていたが、急な接触についついきつい言葉が出れば、相手は指に小さな何かをつまんでいた。

『しゃくとりむし』

『なに?』

 顔を近づけるとそれは、1センチほどの茶色い生き物で、彼女の指につままれてくねくねしていた。

『髪についてた』

 そう言って彼女は尺取虫を窓から外へ出した。

『・・・おおきに』

『どういたしまして』

 お互いに頭を下げて、そして顔をあげて、俺は初めて相手の顔をはっきりと見た。そして、心臓が止まったと思った。それはもう、びっくりするほど、この先俺の寿命が1万年くらいあって、世界中の女に出会えたとしても絶対にこれ以上は見つからんくらい、それくらい目の前の彼女は俺のどストライクの相手だった。きれいに整えられた少し太めの眉、マスカラも何もついていないのに長く生えそろった睫毛、ぱちりとした目の中に収まる青っぽい白目と茶色の瞳孔、腰まであるゆるくウェーブのかかった髪の毛、俺を見上げたその身長差さえも丁度いい。

 どうしたらこの子を落とせるのかを頭の中で計算し始めた瞬間に俺は彼女の名前を知った。

『玲、何やってるの?』

 彼女の名前を呼んだのは、他でもない瀧で、彼女は噂の瀧の恋人だと知った・・・実際には恋人ではなかったが。恋をした瞬間に失恋をするという恋愛ドラマもびっくりな展開だった。

 そんなのが俺と玲の始まりだ。

 その後俺は瀧と玲が付き合っていないことを確認し、瀧経由で玲に近づいた。だが、俺にとって超どストライクだったのは玲の見た目だけで、玲の中身は従兄の仁村顔負けの男前なものだったため、付き合うには至らなかった。俺の理想としてはもっと、女の子らしくて可愛い性格の子が好きで、なんかあった時に全面的に俺に頼ってくれて、結婚したら他の男と遊びに行くなんてもってのほかで、っちゅーか、男友達はいないほうがいい。ついでに言えば、怒った瞬間に玲が普段の彼女の身体能力からは想像を絶する回し蹴りを繰り出すあたり、絶対付き合いたいタイプではない。


「見た目はいまも最高の女やと思うねんけどな・・・あの中身があかんねん」

「俺は好きですけどね」

 チャーハンを食べ終わって再びなにがしかのiPhone操作に戻った前田は顔をあげずに言った。

 前田が何気なく言う玲に対しての『好き』が本気だと知っているから、俺はいたたまれなくなる。別の男と結婚した女を本気で好きでい続けんのは、どんだけ辛い?このまま玲のこと想い続けても報われんで?でも、自分の意志では諦められんのやろうな。やりきれんような、切ない目で玲を見つめる前田を見て、毎度心の中で語りかけるが、前田にこの声が、届いたことはきっと一度もない。

「付き合いやすいよね。変に女の子らしいところがないから」

 3人の姉に囲まれて育ってきている瀧は、きっと玲のその男っぽさが逆に好きなのだろう。付き合ってはいなかったけれど、瀧だって、玲に本気になった瞬間があるのだろうと、俺は知っている。

「ちっちゃいころからああだから、いまさら変えられないよ」

 従妹同士の関係に悩んだ仁村のことも、俺は気づいている。気づきたくないのに、俺はなぜか、気づいてしまう。そして誰にも言えない。

 玲がいなくても、玲はこうして俺たちを繋いでくれている。玲、早う戻ってきて。玲がおらんと、俺らどこへもいかれんから。話も続かへんし・・・玲のことで続いとるけど。

「あーあ、玲がいないと、俺たちつまらないね」

 塩辛チャーハンにワインというよくわからない組み合わせの食事を終えた瀧が席を立って鞄を持った。

「俺そろそろ帰るね」

「俺も帰ります。暇じゃないんで」

 帰るきっかけを探していたような前田も財布から金を出す。

「ほな、俺も帰ろかな」

 俺以外は土日休みだが、俺は明日も出勤だから、まあ、この辺で帰って寝るのが賢明だろう。

「はやいなぁ・・・久しぶりにひとりの夜で何していいかわかんないのに」

 とは言いつつ、仁村も上着を肩にかけて立ち上がった。

「勘定置いとくで」

 忙しそうな級友に声をかけると、一瞬こちらを振り返ってにこりと手をあげた。いつも釣り銭はもらわない。向こうもいつもサービスしてくる。いつからなのかわからないけれど、俺はこの店ではいつもこうだ。そしてほかの3人も、それに倣っているらしい。誰も細かく釣り銭を考えないのは、全員が独身だからなのかもしれない。これだから、俺たちは誰も、結婚しないのか、なんて、くだらない考えがふと頭をかすめた。ちがう、結婚しないのは、結婚する前に玲と出会ってしまったからだ。

「陽が落ちると大分過ごしやすくなったね」

 とはいえ、まだ昼間の熱気の名残りがそこかしこに散っているような駅までの道を瀧と仁村、俺と前田で並んで歩く。いつもだったら、まるで蝶が舞うように、前に後ろにと玲が跳ねてきて俺らみんなにまんべんなく次から次へとくだらない話題を巻いていくのに、今夜はそれがないから、その上、結季ちゃんもいないから、ただただつまらない帰り路だ。

「とか言ってる間に、あっという間に寒くなって、今年も終わっちゃうんだろうね」

 肩にかけた上着を少し抱き込むようなしぐさを見せながら、仁村が空を見上げた。にぎわう駅前のネオンのもとからでは、星は見えない。

 寒くなるころには、玲に会えるだろうか。

 玲、いま何しとる?

「おっさんすね」

 相変わらず、iPhoneから視線をはずさない前田。歩きスマホはあかんって、いつも言うてるのに・・・とはいえ、前田がそれで誰かにぶつかったのなんか見たことないし、逆になぜか、俺らの誰も気づかんかった落とし物拾ったり、迷子見つけたりはようする。こいつどこに目付いてんのやろ。

「ひとつしか違わないじゃない」

「でも若いんで」

「うわぁ、ムカつく」

 そんなくだらないやり取りしながらなんとなく駅まで歩く。仁村と瀧は電車に乗る。

「ねえ、瀧、もう一軒付き合ってよ」

「それはちょっとめんどくさいけど、良かったら家くる?」

 瀧は実家暮らしだが、やたら広い家に離れがあり、学生時代はよく泊めてもらった。離れとはいえ、男4人が布団を敷いて寝ることができる広さがあった。

「いいの?久しぶりにそれ楽しいかも」

「じゃあおいで。前田と押田は?」

 改札近くで瀧が俺たちを振り返る。実は俺の家はあの店を出ると駅とは反対だが、なんとなくみんなを送りつつここまで来た。

「俺、明日も仕事やから」

 休みだったら、俺も久しぶりに、瀧の家に行ってみたかった。これがもし学生で、明日も学校、というのだったら間違いなくいったのに。大人になると時間の自由は格段に少なくなる、なんて、こんなところで実感した。

「仁村さんと瀧さんの組み合わせが面倒なんで遠慮しときます」

 無表情で言う前田に仁村と瀧が笑った。

「じゃあ、またね」

「お疲れさまでした」

「ほな、気付けて帰りや」

「ふたりもね・・・押田ありがと、送ってくれて」

 俺が反対方向なのを思いだしていう瀧のこういうところを、玲はいつも褒めるのだ。女からすれば、こういう男がいいのかもしれない。細やかな気遣いと、感謝を忘れない男。

 改札の中に消えるスーツのふたりを見送って、俺と前田も帰路につく。

「ほな、また」

「どうも」

 駅からは反対方向のため、俺たちはここで別れた。


 そして、ひとり家の玄関にたどり着き、鍵を差し込んだとき、iPhoneが鳴った。

「・・・!」

 久しぶりに表示された玲の名前に俺は連絡が取れた安堵や嬉しさよりも、なんだか、怖いような、嫌な予感がした。玲の身に、何か悪いことが起こっているような、そんな感じ。そしてその予感は確かに当たっていた。


 胞状奇胎


 玲から送られてきた、産婦人科医でもなければ聞き慣れないだろうその病名を、俺はすぐさまiPhoneの検索にかけ、引っかかるサイトやブログを読み漁った。そうしている間に眠らずに夜が明け、久しぶりに俺は、徹夜で出勤した。なんや、大人になっても徹夜って案外できるやんか。これなら仁村と一緒に瀧の家行ったらよかったな。なんて、どうしようもない後悔までした。

 それにしても。

 ああ、こんなにも俺は玲のこと大切で好きなんやな。見た目だけやなく、きっと玲のすべてが。

 普段は軽く何でも冗談で受け流せるけど、案外用心深くて憶病な俺は、傷つくのが怖くて、真剣にならないように、好きにならないように・・・。見た目にしか興味がないと、そう言っていただけなのかもしれない。摘みたかったけれど、摘めなかったフジバカマの花をふと思い出した。


 いつでも明るく楽しく美しい玲へ


 一晩考えたLINEの返事の書き出しは、玲が俺のいつもの冗談だと受け取るような出だしやけど、これ、本心やで?

 そして俺はやっと、LINEの送信ボタンをタップした。



「・・・好きやで、見た目だけ」



 フジバカマの花言葉・用心深い


 用心深い俺のこの恋は、一生実らんでええわ。


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