<プロローグ 新たなる飛翔 前編>
夏。大陸の中央よりもやや西側、ある小国の、あるレストランで。
「出ていってもらって結構! その辺で木の皮でもかじるのねッ!」
威勢のいい声が、店の外まで響いていた。古風な石造りの街に不似合いな――不要な、という方が正しいような――激しさで。
街道沿いの歩道でそれを聞きつけ、大陸の一大国家、サントクレセイダから遣わされた少女ヒーシャは、
「間違いない。この豪胆、大声、短期さ。噂通り。彼女ですね……本当にこんなところにいたなんて」
とうなずいた。そして、
「し、失礼しますっ!」
一礼しながらヒーシャがレストラン――『雪と黒縞亭』――の中に入ると、たった今の怒声を上げた本人だろう、わずかに赤みがかった金髪のウェイトレスが、肩をいからせながらもぽかんとした顔で訊いてきた。
「……どなた? この辺の子では、……じゃない、いらっしゃいませ」
「いえ、私、お客ではないんです。サントクレセイダ、第四空軍所属の、ヒーシャ=ジュオと申します」
それを聞いて、ウェイトレスは長い髪を揺らしてかぶりを振る。
「軍? あ、よく見れば確かに軍の簡易服じゃないか。帰れ、帰って。ろくな用事のわけないものね。しかも、こんな辺境の属国に」
しかしヒーシャは身を乗り出し、
「し、失礼ですが、隣国のワーズワース出身で戦闘機体パイロットをされていた、アーリアル=キングスさんは、あなたですか? そうですよね?」
「ええ!? 私のどこが、空飛ぶ人殺しに見えるって!?」
「ひえっ!? ち、違うんですか!?」
のけぞったヒーシャとウェイトレスの間に、もう一人の女性が割って入った。
「まあまあ」
そう穏やかな声を出して、深い紅茶色の髪を短くまとめた、柔和な顔の女がウェイトレスをたしなめる。
レストランはこぢんまりとしていて、今は他に客はいない。どうやらこの二人で店を回しているらしい、とヒーシャは見当をつけた。ということは、後から現れたおとなしそうな女の方が、我が尋ね人だろうか。
よく見ると、二人とも年の頃は同じくらいで、十代半ばから後半に見える。確か、十五歳で初陣を飾り、天才パイロットと称えられたアーリアル=キングスは、今十七歳のはずだから、年齢は二人とも該当する。
それにしても未成年二人で店を切り回しているのだろうか、とヒーシャが思った時。紅茶色の髪の方が、
「ヒーシャさん、でしたね。アーリアル・キングスに何のご用事?」とにこやかに訊いてきた。
「はい、ここに勤めていると伺って。あ、あの、あなたがキングスさんですか?」
「それは、ご用件をお伺いしてからお答えします」
「キングスさんでなければ、申し上げるわけには参りません。軍命ですから」
それを聞いて、金髪の方が、ふんと鼻を鳴らした。
「じゃあ帰りなよ。ぶしつけじゃない、ひどい話だ」
「で、ですから私は軍命で……」
ひるむヒーシャの後ろから、男の声が割って入る。
「何をしている、ヒーシャ!」
「キ、キーフォルス大尉っ。違うんです、これは、今まさに私は軍命を果たしている最中でしてっ」
「お前、人を探すのに、人相も確認しない、写真も見ておかないでは話にならんだろう」
そう言いながら店に足を踏み入れてきたのは、ぬうと背の高い、やや細身ながら筋肉質な男だった。軍の簡易服に身を包んでいるが、胸や腕は内側から硬く隆起している。見たところ、三十代半ばのようだった。
キーフォルスと呼ばれた男は、二人の店員をじっと見た。そして、ふっと表情を緩める。金髪の少女へ向かって、
「久しいな、アーリー」
そう呼びかけた。
ついヒーシャが、「ええっ!? こっち!? さっき、そう訊いたら怒られましたよ……?」とうめく。
金髪のウェイトレス――アーリアルは、ばつが悪そうに頭をかいた。
「お久し振りです、キーフォルスさん。大尉になられたんですね」
「上が少しばかり空いたのでな」とキーフォルスが半眼になる。
「アーリー。単刀直入に言う。私と共に来て、レグルスに乗ってくれ。一年前よりも、機体の性能はさらに上がった。飛びたくはないか?」
「……それは飛びたいですよ。空は好きです。でも……」
口をとがらせるアーリアルの横に、紅茶色の髪が進み出た。
「キーフォルス大尉さんとおっしゃいましたね。うちの店員をかどわかすようなことはやめていただけませんか?」
「マリィ……すっかり他人行儀になって」とキーフォルスがうめく。
「アーリー、私は、あなたが飛びたいなら止めはしないわ。あなたに空がよく似合うのは、今も変わらない。でもあなたが飛ぶということは、人を撃つということよ。それが嫌で、私のお店に来たんじゃないの?」
アーリアルが、すっかり威勢を失ってうつむいた。そこに、キーフォルスが口を挟む。
「レディ・マリィ、そちらの事情もあるだろうが、こちらも折れるわけにはいかない。我々サントクレセイダと敵国シヴァとの二大国間戦争は、休戦期間も含めれば既に七十年近く続いている。だが、近々――」
キーフォルスの言葉をさえぎるように、爆音――それでも、通常の戦闘機のものよりはいくぶん穏やかな――が響いた。
マリィが耳を押さえながら、「何です!?」と叫ぶが、マリィ以外は全員が気付いていた。アーリアルが、
「戦闘機体が飛ぶ音……でも――」
と茫然と呟く。
「――でもなんで……。 この辺境国はサントクレセイダに属しているのに、あれはシヴァのエンジン音じゃないの!? 確かにシヴァの属国群と、国境は近いけど……」
キーフォルスが答える。
「恐らく、偵察機だろう。分かってくれたか、状況は逼迫しつつある。今君が起たなければ、マリィも含めて、この大陸の半分の人間が不幸になる。サントクレセイダが征服され、周辺諸国もシヴァに隷属させられてな」
「私一人が兵器に乗って、何が変わるんです!」
「逆だ。君のような人間が一人でも多く必要なのだ。とりわけ、君がだ。我々にも失いたくない家族がおり、守るべき国家がある。どうか、基地にだけでも来てくれんか」
■
車幅の広い軍用ジープは、ヒーシャの運転で、舗装されていない赤土の上を駆けていく。
「三十分もかからんからな」
後部座席で隣に座り、なだめるように言うキーフォルスに、アーリアルはむくれる。子供扱いが気に入らないのだが、それを言うのも子供じみた気がして、できないでいる。
エプロンを店で脱ぎ置き、貴重品の入ったバッグだけを引っかけてきたアーリアルは、マリィの心配そうな顔を思い出した。
一年前、戦闘機体から降りたアーリアルを、マリィは叔父の家を改装したてのレストランで、一言の小言もなく雇ってくれた。
このベアトリクスに来た時は、アーリアルはよく一人で泣いた。そして、マリィにいつも慰められた。
だが自分はもう、このまま、レストランに戻ることはできないだろう。そんな気配がする。
また始まるのだ、戦いの日々が。『雪と黒縞亭』の代わりの店員はすぐに見つかるだろうか。
心細さを隠すため、アーリアルの口調は自然、棘を帯びた。
「大尉。さっきの、ゆうゆうと飛んできたシヴァの機体は、本当にただの偵察だったんですね。もう影も形もないですものね」
「そうだな。だが、偵察の後に来るのは実弾だ。明日かもしれんし、一月後かもしれんが」
「サントクレセイダの軍は何をやっているんです」
「全体としては、一進一退を繰り返してきた我々とシヴァだが。ここのところ、我が軍の負けが込んでいる」
「パイロットの質が落ちているんでしょう。私に、出戻り頼みだなんて」
すると、運転手のヒーシャが振り向いた。
「そんなことありません! 敵の新兵器が、我が軍の機体をスペックで上回っているんです!」
「ヒーシャ。前を向け」とキーフォルス。
「は、はい。申し訳ありません……」
しかししゅんとするヒーシャに、「そうだぞヒーシャ。前を向くんだ」とアーリアルが混ぜ返す。また何か言おうとヒーシャが息を吸った時、前方に大規模な建造物が見えた。
全高はせいぜい三階建てのビル程度だが、左右に敷地が大きく広がっているようで、鉄の塀で囲われている。
アーリアルがため息混じりに言った。
「……また飛ぶんですね、私。空さえ飛べればいい人間だと、軍に思われてるんだ」
「違う。我々がいかに君を頼りにしているか、あの基地の中で分かるはず――」
その時、空をつんざくような爆音が轟いた。
キーフォルスが舌打ちして叫ぶ。
「くそ、シヴァの先兵だ! 今度は偵察機じゃない、制圧用の戦闘機体だ! まさかこんなに早く、さっきの今で! 急げ、ヒーシャ! 迎撃しなくてはならん! 幸いパイロットは確保できた!」
「はいっ!」
アーリアルがキーフォルスの襟首を掴んだ。
「ちょっと!? 私を飛ばす気じゃないでしょう!?」
「アーリー、心配しなくても、君のパーソナルデータはあの基地の格納庫内の機体に既に打ち込んである。この一年間での成長変化も加味して入力してあるから、文字通りすぐにでも飛べる!」
「私はもう――まだ、軍属じゃないッ!」
「一つ、君は一年前に脱走はしたが、除名されたわけではない。二つ、君の所属に関わらず、かの機体に乗れるのはこの国に君しかいない。三つ、君は、守れるものを守らない人間ではない。以上三点から、君の出撃には何の問題もない! 脱走はしたが、ライセンスまで失ったわけではないしな」
アーリアルが空を仰ぐ。
「勝手だ……! 地面の上から、空を見ているだけの人間の……!」
だが、それを背中で聞いていたヒーシャは、勝手なことを言い合う二人の間に、えもいわれぬ親近感があるのを感じていた。
彼らに過去、何があったのかは知らない。しかし、確かに二人は気を許し合っている。確かにサントクレセイダは追い詰められかけているとはいえ、キーフォルスはもともと、こんな無茶を敢行する人間ではない。彼らにしか分からない、何かがある。過去だとか、信頼だとか、そういったものが。
「何とでも言え! ほら、門を突っ切るぞ!」
数分後。
基地の中にいても、上空から降り注ぐ降伏勧告のサイン音は聞こえてきていた。
アーリアルは、格納庫の発進レーンに置かれた純白の戦闘機の、コックピットに滑り込んだ。サントクレセイダの機体は、翼があるので当然ではあるのだが、多くの場合どこか鳥類を思わせるデザインをしている。アーリアルには、今も昔もレグルスは鷲に見えた。
慌ただしく、整備員が機体から離れていく。基地が、戦闘機体発進の準備に入った。
「……これが、新しいエース用機体? 相変わらず、こうしていると、ちょっと高性能の飛行機にしか見えないね」
キーフォルスがうなずく。
「正確には、レグルスサードカスタムだ。それなりに版を重ねている」
戦闘機体レグルスの操作系は、一年前、最後にアーリアルが乗った時と大きく変わってはいない。これなら、キーフォルスに強引に乗らされるだけあって、感覚的にある程度の操縦はできそうだった。
店を出たままの服装なので、エプロンの下に来ていたワンピースの裾が邪魔で、アーリアルは傍らにいた整備兵からピンを借りて止めた。
ベルトを締め、二本のレバーをそれぞれ左右の手で握る。レバーの上端には半球状のハンドカバーがついており、その中に手首から先を入れると、レバー操作と指の動きのセンサー感知で機体を操縦できる。
また、コックピット内の機器が、アーリアルの脳波と無線で接続を始めた。お帰り、とささやくように。
やがてコンピュータの電子音が響きだした。
「本当に私、このまま乗れちゃうじゃないか。……浮遊エンジン始動、システム開放」
音声信号により、エンジンに火が入る。計器が灯り、細かな、しかし力強い振動が機体に走り出した。
「アーリー、そこの前方の壁が開いて滑走路が現れるから、一度発信してからUターンして、基地に張りついてくれ」
「悠長なんじゃないんですか。それじゃ、敵にやってくださいって言ってるようなものになる」
「しかし、変形機構のコントロールはさすがにぶっつけというわけにはいくまい」
「それをやるんでしょ! もう火が入ってるのに! もともと、戦闘機体に滑走路なんていらないんだから」
「いや、だからブランクがだな。アーリー!」
アーリアルが、レバーを握った両手を独特のひねり方で内側に曲げ込んだ。
変形機構が発動する。細やかな指の動きに合わせ、戦闘機形態だったレグルスは、みるみるうちに人型に変わっていく。
全長十三メートルの純白の巨人が、格納庫内で直立した。アーリアルが乗るコックピットは、巨大な人型ロボットの胸の辺りに配置されている。
「前、開けて! アーリアル・キングス、レグルス、出ます!」
キーフォルスが、半ば呆れながら、コントロール室に合図を送り、「開けろ!」と叫んだ。
レグルスの前面にあった壁が引きこまれるように地中に沈み、屋外の光が四角く切り取られながら眼前に広がる。
レグルスの足裏と、バックパックのブースターが火を吹いた。一気に外へ出ると、巨人は伸び上がるように地面を蹴り、浮遊エンジンの機能を開放して、真上に上昇した。
上空には、既に敵機がいた。四機の戦闘機と、人型をした一機の戦闘機体が舞っている。
「五個いる。あれで全部? 全部戦闘機体ですよね、飛行機も?」
そこへ、キーフォルスから通信が入る。
「そうだ。レーダーにはその五機しか映っていない。一対五だ、無理をせずにやれ。増援は不可変戦闘機を間もなく出す」
「私より遅い人たちは上げなくていいよ。しかも戦闘機体とはいえ、それ変形しない飛行機でしょう」
「癇癪を起こすな。敵の腕も知れんのだぞ。いいな、慎重にやれ。オーバー」
そこで一旦通信が止んだ。
アーリアルが、口の中でぼそぼそと呟く。
「このレグルス、火器は、ライフル型のBBシューター、マイクロミサイルが4発、リストマシンガンが二門か。……どれも強くなってるんだろうな、昔より」
人型に変形したレグルスは、右手にライフル型の銃器、BBシューターを持っている。直方体をして角ばった銃身は、先端の銃口が縦に二口並んでおり、ビームと実弾を切り替えて使う。
ビームモードになっていることを確認して、アーリアルは機体の指をトリガーに掛けさせた。
そして、百メートルほど先の機影に向かって音声を送る。
「そこの五機! ベアトリクス基地はお前らには屈しない、帰れ!」
すると五機のうち、人型の機体と戦闘機二機が、火器の銃口をアーリアルのレグルスに向けた。
残りの二機の戦闘機が、浮遊エンジンを利用したホバリング状態のまま、機首を下方に向ける。そして、バルカン砲を基地に向けて撃ちだした。