第二話 物語はボロアパートから
一人暮らしを始めるにしたがい、なんとなく買っておいたプラスチック製の包丁——。
買ったは良いが料理など人生においてしたことがない彼にとって、それはただの飾りでしかない。
毎日のようにカップ麺にお湯を注ぎ入れるとき、その初心者でも扱いやすいように作られた柔らかなカーブを描く刃先が彼にそっと微笑みかけるような視線を送り、彼はその慈愛に応えることができない苛立ちを含んだ、安らかな冷たい視線を返す。
そして、一生使われることがない不憫で哀れな包丁に敬意を表して一礼。
そんな料理の心得の一つもない奴が持っても安全に作られた包丁。
彼はいつしか、その包丁に心を寄せていた——。
緩やかで滑らかなフォルム。それは強さと美しさを兼ね備えた芸術であり、そうなるとこの評価しようもない低級な我が屋敷、メテオハウスは博物館なのである。
メテオハウスとは。それは彼が現在住んでいる救いようがないほどに欠点だらけなボロアパート(通称くずれ荘)の二〇四号室のことである。
これは、どこからともなく流れてきた風の噂なのだが。
前に住んでいた人が自殺したとか、しなかったとか、
麻薬密売グループが潜伏していたとか、していなかったとか、
国家の裏組織が拠点にしていたとか、していなかったとか。
まさに噂が集団で全力疾走したレベルである——。
だか実際のところ、テレビの中から長い黒髪の幼女が出てきたり、押し入れの奥に得体の知れない粉があったり、冷蔵庫の中に平仮名で『きみつじょうほう』と書かれた大学ノートがあったり——、
していたような、気も、していた。
それはともかく。
そんな事故物件ぽいアパートの一室で、彼はその事故の一部となったのである。
平穏な彼の日常は突然奪われる——。
突如現れた衝撃に驚愕。視界が狭まり世界が揺る。
何が起きたのか理解できないまま、彼はそのインパクトに潰され争うように崩れ落ち、もがくように息をしていた。
そして、徐々に熱に犯されていき、口から血が溢れ、溺れる。
——痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い……
熱と共にどんどん薄れていく意識の中で原因を探し求めると、腹に取っ手が生えていることに気がつくと。
すると、唸るような熱も痛みもすっと消えていき、ただ呆然と体の一部となったものを迎え入れる。
「……ご、ごめん、ももこ。もっと、、大切に——」
彼は短く狭く浅い人生を振り返り、最後の言葉を噛み締めるように言った。
最後の力を使い、そっと温めるように優しく握る。
いかにも切れ味が悪そうな包丁が、これほどまでに殺傷能力の高い兵器だったのかと、彼——須藤裕太は腹に深く突き刺さる包丁を見据え、その深さの如く感服して逝った。
——須藤裕太(十七歳)、くずれ荘二〇四号室において何者かに包丁で刺され、死亡。
と、いうことで。この物語を書いたは良いものの主人公があっけなく死んでしまったので、もう話すことがないなぁと思い。過去の栄光でも語り出すか、いや、そんな大した生き方はしていなかったと自分の人生を呪っていた瞬間のことである。
「お願い、死なないで——」
ふっ、と遠くから意識が戻され、ユウタはゆっくりと目を開ける。
ぼんやりとした視界に淡い光が滲んでいき、だんだんと霧が晴れていくように明るく鮮明に映し出していく。
——ロリはやっぱり全裸が一番だ
汚れのない、まるで天使のような姿。ユウタの前には仁王立ちで腕を組んだ金髪ロリ美少女がいた。
「別にあんたのために生き返らせたんじゃないんだからね‼︎」
——ここに来てツンデレ気質⁉︎
下から見上げた絶景に思わず瞬き。
突然誰かに刺されて死んだかと思ったら、目の前に全裸の幼女がいるという、意味のわからないとんでも展開に全く理解が追いつかないまま、目の前に突如現れた、正体不明の幼女を見つめる。
見た目は小柄な小学生だか、キリッとした目にある桃色の瞳、透き通るような白い肌、腰まである美しい金色の髪。
そして、凛とした風に髪が揺れて滑らかに舞い、キラキラと踊る。その神々しさに思わず放心。
「ねぇ! 何黙ってんのよ! 早くしないと次は全身をバラバラにされて串刺しにされて焼かれて死ぬわよ‼︎」
可憐な中に見せた可愛らしい声に似合わない物騒極まりない言葉の嵐。
「……あの、ちょっと良くわかん——」
「あーもーうるさい!」
理不尽な切り返しに意気消沈。
「これもぜーんぶ、あんたが悪いんだからね!」
「……え?」
「え、じゃないわよ! あんたがお姉ちゃんを監禁陵辱しようとしたのが原因でしょ! このロリコン鬼畜変態やろうが!」
「……ん? ロリコン?」
「あぁーもーー‼︎ うざいうざいうざいうざいうざいうざい! もう一回死んでろーー‼︎」
天高くから落とされた全裸幼女の足がユウタの顔面に直撃。
——須藤裕太、くずれ荘二〇四号室において金髪全裸幼女に蹴られ、興奮して人生二度目の死亡。
そして、ここで一度過去に戻る。話はユウタが寂しがりやな幽霊と出会ってしまったときのことだ。