《五》奸慮背反(わるだくみ)-3-
山西郡・元栄にある揚鉄玉の屋敷では、折しも彼の昇進を祝う盛大な宴が催されていた。
例の延将軍を始めとする宣朝の重臣、貴族たちが顔を揃える中、その末席には何と、世凰の叔父・崔王秀の姿があった。
宣朝に対し、決して阿ることをしなかった兄・貞徳の態度に、以前からひとかたならぬ反感を抱いていた崔は、密かに、宣の新興勢力の旗頭たる揚鉄玉に接近したのである。
言うまでもなく、あわよくば立身出世を、と願う心積もりも多少あったにせよ、それよりももっと大それた野望を、この男は哺んでいた。
〈何としても、鳳家の実権を、我が手に摑み取りたい‼〉
彼は虎視眈々と機会を窺い続け、そのための強力な後楯となってくれそうな存在として、揚に白羽の矢を立てたのだった。
崔王秀は、鳳貞徳の弟ということにはなっているが、実は同い年である。
妾腹で生を受けたばっかりに、彼は貞徳を兄として奉り、自分は弟の地位に甘んじなければならなかった。
その屈辱は、生来人一倍に権勢欲の強い崔の人格を、著しく歪めてしまったのである。
貞徳に対し、表向きは弟としての礼を尽くすと見せて、その実、彼は常に呪いの言葉を投げつけ、唾を吐きかけていたのだった。
〈今に見ておれよ!〉
そして、貞徳が宣朝に快く思われていないのを幸い、有ること無いこと揚に吹き込み、あれやこれやで、極度に鳳家を憎悪している揚を煽り立てる一方、ことさら彼に諂い、その走狗ともなって尽くして来た。
かくなる努力の甲斐あってか、ここ最近、事態は漸く彼の望む方向へと動き始めたようである。
崔から貞徳に関するありとあらゆる罵詈雑言を吹き込まれ続けた揚鉄玉は、いやが上にも鳳家に対する憎しみを増幅させ、さらにとんでもない話を自分ででっち上げて、延将軍への注進に及んだ。
延将軍ともなるとさすがに、揚のヒステリックな私怨による事実の歪曲を見抜いていたが、常日頃からの不遜とも思える鳳家の姿勢自体、宣朝にとって、大いに許し難いものであることは事実だった。
しかし、ただ姿勢云々との理由だけで鳳家に手出しをする愚行などは、断じて慎まねばならぬ。
下手にそんなことでもすれば、忽ち広東周辺の広い範囲に渡って反宣の気運が高まり、数多の豪族及び民衆どもが、挙って決起するだろう。
それが、ひいては天下大乱の火種となり、ややもすれば、宣王家そのものの足許までをも揺るがすことになりかねない。
鳳家という唯ならぬ名門は、それほどまでに、隠然たる力を秘めていたのだ。
とはいえ、鳳家をこのままに放置しておくのも決して喜ばしいことではない、と、一方で延将軍は考えていた。
折あらば、これを何とか再起不能なまでに打ちのめし、他への見せしめとせねばなるまいが、さて、何かよい手段はないものか―。
丁度そこへ、何とも絶妙なタイミングで揚鉄玉が現われ、何だかだと彼に言いつけた上、鳳家を密かに襲撃し、当主・貞徳を暗殺するという、願ってもない計略を持ちかけて来た。
まさに渡りに船とばかりに、延はさっそく飛びついたが、もとより、表面上はあくまでも威厳に充ちた態度を崩さず、至極徐に許可を下した。
同時に延は、揚の鼻先にえさを投げ与えることを、決して忘れなかった。揚が今なお執着してやまぬ鳳家の娘・香蘭を、彼はこともあろうに、生き餌として使ったのだ。
「揚よ、その女それほどに欲しいなら、この際、どさくさに紛れて奪い去ってしまえばよいではないか?混乱の最中に何が起きようと、いちいちお上も、詮索はせぬわなあ⁉」
〈しっかり黙認してやるゆえ、一刻も早うに方をつけるがよい!〉
延は巧妙に、揚の尻をひっぱたいてやった。
そうとも知らずにまんまと乗せられた揚鉄玉が、浮き浮きと、小躍りしつつ帰って行ったあと、ゆったりと肘掛け椅子に沈んだ延将軍は独り言ちた。
「やれやれ、女如きに目の色変える奴原の、気が知れぬわ!」
名にし負う龍陽(男色家)たる者の本音で、嘲笑気味にそう嘯き、事が上首尾に終わった暁に、いかばかりか苦しみ悲嘆に暮れるであろう、かの美しい若者の、一見柳条にも似て一際なよやかでありながら、それでいて、したたかに強靭な撓を秘めたその細腰を思い浮かべて、一人ニンマリと、ほくそ笑んだ。
何はともあれ、延将軍から鳳家襲撃の許可を取り付け、おまけに素晴らしい知恵まで授けられた揚鉄玉は意気揚々(ようよう)、さっそく崔王秀を呼び出した。
「『この計略が成功したならば、見返りとして、必ずや鳳家の跡目を継がせてやる』と、延将軍が太鼓判を押して下さったぞ」
揚鉄玉は巧みに嘘をつき、崔から鳳家の館の見取り図をせしめたのだった。
無論、世間擦れした崔は、揚の言葉をすべて信用した訳ではなかったのだが、当面の目の上の瘤・貞徳を亡き者にしてくれるならば、それこそ好都合というもの、即座に彼に協力したのである。
三者三様、三ツ巴となり、それぞれが相手を利用し、又利用され、結局利害の一致を見た訳で、悪党同士が結び付くには、やはり『利害関係』というものが不可欠、何とも浅ましい限りではあった。
かくて許すまじき陰謀は、揚配下の暗殺集団によって実行に移され、見事成功したかに見えたが、ここに一つの大きな誤算が生じた。
言わずと知れた、香蘭の自害である。
その報告を受けた揚は半狂乱、烈火の如く猛り狂って手下共を怒鳴りつけ、地団駄踏んで悔しがったが、死んでしまったものは、もうどうしようもない。
ともかくも貞徳の暗殺が成功したことだけを、彼は喜ばなければならなかった。
崔は崔で、これで漸く永年の野望を達成できると有頂天になり、嫡子・世凰というものがありながら、これを全く無視した形で、早々に手を打った。
まずは親戚一同を煽動して、自分が手に掛けたも同然の兄と姪の葬儀を喪主として取り仕切り、それが済むと、間髪入れずに親族会議を招集、その真只中で、急遽帰館した世凰を散々に辱めた上、孤立させることに成功した。
我ながらの上首尾に、高らかな快哉を叫んだ崔ではあったが、果せるかな、待てど暮らせど『鳳家相続許可』の吉報は訪れて来ない。
揚に何度掛け合ったところで一向に埒も明かず、崔は相当、頭に来ていた。
〈そろそろこのあたりで、強気に出ねばなるまい!〉
そう心に決めて、彼は、招ばれもせぬのに揚の祝宴に押しかけて来たのだった。こうしてみると、どうも事態は、揚と崔、それぞれの望む方向にばかり動いたとも思えず、とどのつまり、彼らのうちで一番得をしたと言えるのは、他ならぬ延将軍だけだったのかも知れない・・・。
さて、話を戻そう。
宴も半ばを過ぎて自然に座は乱れ、客たちが、それぞれ好き勝手な振舞を始めた頃を見計らって、揚は一人、庭へ出た。
今夜はついつい酒量を過ごし、気づいた時には、既に酔いが体中に充満していた。
酩酊一歩手前、というところである。
それで、夜風にでも吹かれて酔いを醒まそう、と思ったのだ。涼しい風の吹き渡る中庭の松の根元に立って、この男の柄にも無く、月などを眺めていると、背後にヒタヒタと近づいて来る人の気配がした。
振り返ってその気配の主を確認した途端、揚はあからさまに厭な顔をした。
崔王秀が愛想笑いを浮かべ、揉み手をしいしい立っている。
招んでやった覚えもないのに、いつの間にか宴席にもぐり込んでいた崔は、揚にとって、文字通りの『招かれざる客』であった。
なまじ彼の魂胆が解っているだけに、揚はよけい彼を疎ましく思い、憎みさえしたのである。
〈鬱陶しい奴!まるで蛞蝓じゃわ‼〉
彼は蛞蝓が大嫌いだった。
他のどの虫螻よりも、嫌いだった。
そんな揚の胸中知ってか知らずか、崔は卑屈な態度でしばらく彼の顔色を窺っていたが、やがてしびれを切らしたように言葉をつないだ。
「これはこれは揚様、さてもこちらにおいででござりましたか。お姿が見えませぬので、いやはや、この崔めは、いたく気を揉みましたぞ」
猫撫で声でしなしなと言いながら、つい、と肩を並べてきた。
「何の御用ですかな、崔殿」
そっぽを向いたまま、揚は面倒臭そうに尋ねた。
すると崔は、本当の蛞蝓のようにぬらぬらとした媚を、体中から発散させながら歯の浮くようなお世辞で応えた。
「揚様。本日はまことに御盛会にて、何よりでござります!」
「おぬし、わざわざそんなことを言いに参られたのか⁉」
揚は心底腹が立って来て、頗る不機嫌になった。
せっかくのいい気分もぶち壊しにされ、彼は、崔をその場に蹴倒して、踏みにじってやりたい衝動に駆られていた。
そうしたらどんなにか、胸がすっきりすることだろう。
だがしかし、そんな彼の不興など、どこ吹く風。
「いやはや、これは揚様も、お人の悪い。この崔めのお願いは、先刻御承知であらせられましょうに⁉例のことでございますよ、例のこと!」
崔は思い入れたっぷりに、事もあろうに、横目で彼を睨む真似までした。
〈こいつ、オカマか⁉〉
揚は思わず、ぞっと鳥肌を立てた。その結果、彼はますます不機嫌になり、且つ意地悪くもなってゆく。
そして揚は、空っとぼけた。
「はて、例のこととは、一体何でござろうかな?」
「これはまた、手酷いお戯れを!いやはや、全く以って、お人の悪いお方じゃ‼」
崔はさかんに『いやはや』を連発しながら、ぺったりと揚に絡みついて離れない。
「鳳の一族はすべて、この崔の言うがまま思うがままにて、誰一人として、逆らう者もおりませぬ。あとはただ、身共を鳳家の正式な後継者として認可して頂きさえすれば、万事目出度く、一件落着でござりまするよ」
しかし、揚はさらに底意地悪く、崔の気持を逆撫でした。
「ほほう、それはそれは・・しかしながら崔殿、おぬし、一番大事な事を忘れておられぬかな?鳳家には、世凰というれっきとした倅がある。こちらはおぬしと違い、正真正銘、鳳家の嫡流、彼奴めの始末は、どのようになされるお積りじゃ?」
「世凰など‼」
崔は、やにわ語調を変えて吐き捨てた。
「あのような小倅など、何ほどのことがありましょうや⁉鳳家の嫡男とは名ばかりの、まるで世間知らずの山猿息子・・なんら恐るるに足りませぬわ!つい先日も、この崔の弁舌にぐうの音も出ぬ有様・・あのようなものは、有無を言わせず体よく追い出してしまえば、万事解決・・」
「そう簡単に事が運べば、何の苦労もござるまいがの」
揚はどこまでも、崔に逆らった。
「『あれは若いが、なかなかの強者・・うっかり侮ると、手痛いしっぺ返しを喰うやも知れぬ』と延将軍も大層気にかけておられましたぞ!」
ことさら大袈裟に脅しておいて、揚は、皮肉っぽい目でチラリと、崔の反応を盗み見た。
「ま、まさか⁉・・・あのように青臭き子倅めが・・・」
慌てふためく崔を、揚は実に小気味よげに観察していた。
「はっはっは・・・ま、そうまで心配することもござるまいて。すべては延将軍と、この揚鉄玉とに任せておかれればよろしい。おぬしはせいぜい、親族の中から裏切り者が出ぬよう、目を光らせておかれることですな!」
言い捨てるなり、彼を見向きもせずに、さっさと屋敷の中に入って行こうとした揚に追い縋り、崔はとんでもないことを口走ってしまっていた。
「くれぐれも、よろしゅうお頼み申しますぞ、揚様!崔王秀、そのために、実の兄と姪殺しの片棒まで担いだのですからな‼それもこれも皆、そこ許を始め延将軍、ひいては宣王家の御為にて・・・」
「しっ!声が高い‼」
恐ろしい形相で崔を黙らせた揚は、そそくさと、足早に邸内へ消えた。
胸中、急速に頭を擡げつつあったのは、彼にとっては虫螻にも劣る子悪党・崔王秀への殺意である。
かかるやりとりの一部始終を、折しも明かり届かぬ植え込みの暗がりに身を潜め、委細漏らさずその目で見、また、耳で聞いてしまった一人の人間がいた・・・。
巻ノ一 翔琳鳳凰〈了〉




