表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳳凰傳  作者: 桃花鳥 彌 (とき あまね)
7/37

《五》奸慮背反(わるだくみ)-1-

 世凰(シーファン)が、夜を日に()いで広東(カントン)郡の屋敷に戻って来たのは、それから五日後のことであった。

 (こう)(だい)(やかた)は、遠目(とおめ)にもしんと静まり返り、沈鬱(ちんうつ)な空気が周囲(あたり)にまで()ち満ちている。

 ところがどういう訳か、門の周辺はおろか、何処(どこ)にも葬礼(そうれい)のための飾り付け一つ(ほどこ)されておらず、何となく、様子もおかしい。

 阿孫(アスン)が先に戻って来ている(はず)なのに、一体どうしたことなのだろう?

 少なからず不審(ふしん)に思いながら近づいてゆくと、偶然、門内から、一人の男がひょっこり姿を現した。

 何やら調子(はず)れな鼻唄まじりに、小銭(こぜに)をチャラつかせて出て来たその男は、世凰(シーファン)の亡き父・(ツェン)(テー)の腹違いの弟で彼にとっては叔父(おじ)に当たる(ツイ)(ワン)(シウ)の屋敷に(つか)える下男(げなん)(ティン)(ルオ)である。

 自分の目の前に立っている若い貴公子を見た途端(とたん)、その(ティン)(ルオ)の鼻唄は、(てのひら)(もてあそ)んでいた小銭と共に、跡形(あとかた)もなく何処(どこ)かへ消し飛んだ。

 これぞ『木偶(でく)の棒』とばかりにその場に立ち(すく)んだ彼は、次の瞬間、(あわ)てて(まわ)れ右をし、猛然と門内に走り込もうとした。

「まて、なぜ逃げるのだ⁉」

 素早く世凰(シーファン)に腕を(つか)まれ、珍妙な格好で急停止した。

「あ、あのっ・・・あの、えーっと、世凰(シーファン)さま!」

 滅多(めった)に口にしたこともない若さまの名をやっと思い出した(ティン)(ルオ)は、口をモグモグさせてその名を呼びながら、一方では、何とか彼から(のが)れるべく、必死に手足をバタつかせた。

(ティン)(ルオ)、葬礼の準備はどうなったのだ⁉阿孫(アスン)は何をしている⁉」

 いかに(ティン)(ルオ)がじたばたしようと一向(いっこう)にお(かま)いなく、世凰(シーファン)は、(きび)しい口調(くちょう)で彼を問い詰めた。

「そ、葬礼などっ!葬礼など、とっくの昔に済んじまいましたよっ‼」

 苦し(まぎ)れに思わず口走ってしまってから(ティン)(ルオ)は、(たちま)(おび)え切った表情を引き()らせて、世凰(シーファン)の顔色を(うかが)った。果たしてどんな目に()わされるかと、急に怖気(おそけ)()ったのだ。

「なに⁉」

 世凰(シーファン)は、耳を(うたが)った。

 当然、自分の帰りを待って取り行われるべき葬礼が、(すで)に終わってしまったなどと信じられるだろうか?

「そなた、出まかせを申すと承知せぬぞ‼」

 彼の腕に、知らず知らず力が(こも)った。

「い、いててっ!いてっ‼でで、出まかせなど()()()、言うわきゃないでしょうがっ‼いっ一昨日、うちの御主人さまが、ツツ(ツイ)(ワン)(シウ)さまが、一切(いっさい)合切(がっさい)取りしきられてですねえっ!・・・」

 世凰(シーファン)は、(あわ)を吹き散らしてまくし立てる(ティン)(ルオ)を無言で突き放すなり、キッと前方を見据()えながら邸内へ入って行った。

 今まで散々(さんざん)に引き寄せられた挙句(あげく)に、今度は急に突き放されてしまった(あわ)れな(ティン)(ルオ)は、体のバランスを保つ(すべ)さえ知らず、実に妙ちきりんな格好で、スッテンコロリとその場にひっくり返った。


 突然、勢いよく開かれた扉に驚いて、人々の目が、一斉(いっせい)に部屋の入口へと向けられた。

 ぽかんと口を()けたそれらの顔は皆、(フェン)家とは何らかの血縁関係にある親戚(しんせき)たちで、彼らを見渡す格好で一番上手(かみて)の席にふんぞり返っているのは、他ならぬ、(ツイ)(ワン)(シウ)であった。その席は本来、(フェン)家の当主たる者が座るべき場所である。

 無礼(ぶれい)(きわ)まる闖入(ちんにゅう)(しゃ)(フェン)家の嫡男(ちゃくなん)世凰(シーファン)だと分かると、人々は何やら口々にヒソヒソ話を始めた。

 お世辞(せじ)にも好意的とは言い(がた)い好奇の視線が、あからさまに、世凰(シーファン)に集中している。

「今頃やっと()帰館(きかん)か、翔琳鳳凰殿?」

 その有様を、(いわ)くありげな薄笑いを浮かべつつ見守っていた(ツイ)(ワン)(シウ)は、皮肉たっぷりにそう言って、口許(くちもと)(ゆが)めて見せた。

 世凰(シーファン)はそれに答えず、つかつかと(ツイ)に近づいた。

「これはどういうことなのです、叔父上(おじうえ)⁉」

 (つと)めて(おだ)やかに問いかけた()もりではあっても、燃え立つ怒りを抑えかね、語調はどうしても強くなってしまう。

 が、もとより老獪(ろうかい)(ツイ)のこと、柳に風と苦も無く受け流した。

「はて、何のことやら?」

「しらばくれるのは、おやめ下さい‼(ツイ)叔父上(おじうえ)、あなたの御一存(ごいちぞん)のみで事を運ばれたというのは、まことなのですか⁉」

 世慣(よな)れた(ツイ)太刀打(たちう)ちできるべくもない世凰(シーファン)は、(わず)かに声を(ふる)わせながら、懸命(けんめい)に平静を(たも)とうとしていた。

「おお、何じゃ、何かと思えばその事か」

 (ツイ)は内心、大いにほくそ笑み、あくまでものらりくらりと、気に()わぬ(おい)をいたぶり続ける。

「はてさて、さても不可思議(ふかしぎ)なる問いかけをされるものよのう・・そもそも(むご)き有様にて死んだ人間を、そう何日間も放ったらかしにしておけるとお思いか?それこそ()()()に対し、不調法(ぶちょうほう)(きわ)みでござろうよ。そのくらいのことは、いかにおぬしといえどもお(わか)りになろう。のう、世凰(シーファン)殿⁉」

 明らかに(ツイ)は、親族たちの(まっ)只中(ただなか)世凰(シーファン)罵倒(ばとう)することにより、(いちじる)しく彼の立場を(おとし)める腹積(はらづ)もりでいるのだ。

 それが(わか)っていながら、やはり世凰(シーファン)は、まだ若い。

 その純粋な怒りのままに、真正面から(ツイ)と対決しようとすればするほど、(かえ)って彼の思うつぼにはまってゆく。

「しかし、叔父上(おじうえ)!」

 世凰(シーファン)がさらに一歩、(ツイ)に詰め寄った途端(とたん)だった。

「良いか、世凰(シーファン)‼」

 待ってましたとばかりに、(ツイ)(ワン)(シウ)はがらりと豹変(ひょうへん)し、つい先程(さきほど)までのあの()()()()振りから一転して、この上もなく(きび)しい表情となった。

「兄・(ツェン)(テー)(めい)香蘭(シャンラン)の葬儀は、他ならぬこの(ツイ)(ワン)(シウ)が、一切(いっさい)の責任を持って取り仕切り、親族一同共に力を合わせて、(フェン)家の体面(たいめん)()じぬ立派なものを送り出したのだ」

「十四年もの間、ろくに家にも寄りつかずに勝手気儘(きまま)を通した挙句(あげく)、今頃になってのこのこと戻って来たお前などに、とやかく言われる筋合(すじあ)いはないわ‼」

 一部の破綻(はたん)も無く道理を(あげつら)い、ピシリと決めつけた。

 なるほど、理屈(りくつ)(ツイ)の言う通りであった。確かに世凰(シーファン)は、十四年の間、(ほとん)どと言っていいほど実家には戻らなかったし、それを持ち出されれば全く一言(いちごん)もない。

 しかし、理屈(りくつ)はどうあれ、彼は(まぎ)れもなく、当主となるべき正統な血筋を受け継いで生まれてきた(フェン)家の嫡男(ちゃくなん)である。

 いくら家に居つかないからと言って、彼の存在を無視することなど、絶対に許されないのだ。

 他ならぬ(フェン)家の当主とその娘の葬儀に、家を()ぐべき者が喪主(もしゅ)として出席しないという事を、そして、そのような儀式をとり行うという事自体を、官庁が決して許す(はず)がないではないか⁉

 許可が()りる方が、(むし)ろおかしいのだ。

 世凰(シーファン)がそれを言おうとするのを(あらかじ)め承知していたかのように、(ツイ)はニンマリとしてこう言った。

「わしが事情を説明申し上げたところ、(シュエン)の長官殿は、(いた)く同情して下された。

『そのような不肖(ふしょう)嫡男(ちゃくなん)を持って、(フェン)家も気の毒じゃ』と、(おお)せられてな。さっそく、特例(とくれい)として(うえ)(かた)言上(ごんじょう)して下さり、この(ツイ)(ワン)(シウ)喪主(もしゅ)(つと)めるならば・・・という条件で、許しが()りたのだ。すべて万端(ばんたん)(とどこお)りなく、事は運んだ。すべて万端(ばんたん)()()()()()()()、な!」

 最後の言葉を、わざと()り返して世凰(シーファン)に当て付けた(ツイ)は、次にはもう全く彼を無視した格好で、親戚(しんせき)たちに向かって言った。

諸兄(しょけい)方。(フェン)家の今後についての談合(だんごう)は『また後日(ごじつ)、改めて』ということに致そうではござらぬか。本日は折角(せっかく)にお集まり願ったのだが、先程(さきほど)からの不遜(ふそん)振舞(ふるまい)にてもようお(わか)りの(ごと)く、とんだ礼儀知らずの、物の道理など毛ほども(かい)さぬ山猿が闖入(ちんにゅう)して、盛んに邪魔(じゃま)()て致しおるのでな!」

 言い捨てるなり(ツイ)は、挑発(ちょうはつ)するように世凰(シーファン)睥睨(へいげい)した。

 世凰(シーファン)の形の良い唇は、血の(にじ)むほどにきつく()みしめられ、握りしめた両の(こぶし)が、屈辱(くつじょく)()えかねて小刻(こきざ)みに(ふる)えている。

 そして、美しい彼の()漆黒(しっこく)の炎と()し、まばたきも忘れて、(ツイ)(にら)()えるのだった。

〈してやったり‼〉

 その(おい)に向かって勝ち(ほこ)った嘲笑(ちょうしょう)を投げつけるや、実の叔父(おじ)(ごう)(ぜん)と胸を()らせ、悠悠(ゆうゆう)と歩み去って行った。

 彼に続き、他の親族たちもまた、誰一人世凰(シーファン)挨拶(あいさつ)をする者もないままに、何事か(ささや)き合いながら帰ってゆく。

 やがて、それらがすべて立ち去ったあとのがらんとした室内に、一人の痩身(そうしん)の老人が、世凰(シーファン)と共に取り残されていた。

 世凰(シーファン)にとっては最も血縁の薄い、(リエン)家の当主・(シェン)(チェン)である。

 彼はゆっくり世凰(シーファン)に近づくと、そっとその肩に手を置いた。

「よくぞ()えられた、世凰(シーファン)殿!」

 そう言って、深い同情を()めた眼差(まなざ)しで彼を見詰めた。

「本当に、お気の毒なことをした。だが、(ツイ)(ワン)(シウ)(ちご)うて、我々には何の力も無い・・・どうか、悪う思わんで下され」

 世凰(シーファン)は、唇を()みしめたままで答えなかった。

 今、何か言えば、激情が慟哭(どうこく)となって、(ほとばし)ってしまうに違いない。

 それを(さっ)してか(シェン)(チェン)は、もうそれ以上何も言おうとはせずに、(だま)って溜息(ためいき)をつくばかりだったが、(あた)りから全く人気(ひとけ)()せて久しいのを見極(きわ)めると、ふいに世凰(シーファン)耳許(みみもと)に顔を寄せ、小声で早口に(ささや)いた。

世凰(シーファン)殿、香蘭(シャンラン)殿の鏡台の奥にお形見(かたみ)の品がござるゆえ、一刻も早う、お(おさ)めなさるが良い!」

 思わず顔を上げて見詰(みつ)める切れ長の()に、(みずか)らも視線で(うなづ)き返しながら、(リエン)老人は心から済まなそうに()びるのだった。

「許されよ!せめてそれくらいのことしか、この老いぼれにはして差し上げられぬ・・・」

 彼は、涙ぐんでさえいる様子だった。

〈何か言わねば!〉

 世凰(シーファン)は思ったが、ついに言葉は出ず、彼はただ、老人に頭を()げることしか出来なかった。

「いやいや、そのようなことはして下さるな。(かえ)ってこの身が、せつのうなりますゆえ・・・それでは、これにてお(いとま)致そうほどに。何卒(なにとぞ)、お気を落とされぬようにな・・・」

 ()()るように帰って行った(リエン)(シェン)(チェン)と入れ違いに、じっと廊下(ろうか)(たたず)んで待っていたらしい(チョウ)阿孫(アスン)が飛び込んで来た。

世凰(シーファン)さま、申し訳ございませぬ‼」

 (ほとん)絶叫(ぜっきょう)に近い叫びと共に、彼は(ゆか)の上に(くず)おれた。(うつぶ)せになった肩から背中にかけて、その体が激しく波打ち、顔も上げられぬままに声だけが(しぼ)り出される。

「わ、(わたくし)が戻りました時には、(すで)に!・・・」

 無論、世凰(シーファン)はよく解っていた。

阿孫(アスン)、さあ立つがよい。そなたのせいなどであろう(はず)はない。すべては、この私のせいなのだ。私が!・・・私が不甲斐(ふがい)()いからだ‼」

 声を(ふる)わせてそう言うなり、彼は阿孫(アスン)を残して部屋を飛び出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ