《三》比翼連理(それぞれの あい)-2-
あくる年、早春の頃。
広東郡の西端、通称『梅花苑』と呼ばれる梅の名所に於て、はや咲き零れ、時折散りかかる白い花びらの中、尽きせぬ名残りを惜しむ三人の若い男女の姿があった。
ここは北と西、二手に大きく街道を分かつ分岐点に当たり、北に辿れば、蓮河郡を経て最果ての千江へと達し、また西へ進めば、遥か西沙の地に至る。
そしてその途中には、かの雲南があった。
「どうしても、雲南にゆくのか?」
胡竜の問いかけに、世凰は大きく頷いた。
「白民雄殿を、このままにしておく訳にはゆかぬ。君たちと同じく、この私に信義の限りを尽くしてくれた人だ。それに・・・」
彼は、傍らに寄り添う美明に、やさしい視線を注いだ。
「それに何よりも、この美明の父だ」
「解った。もう何も言うまい」
胡竜は、より精悍さを増した顔をほころばせた。
「では呉れぐれも、気をつけてゆくがよい。しかし、決して無謀な事だけはするなよ。君はもう、独り身ではない。夫として、それに父親としての、重い責任があるのだからな」
「うん、それは私も、よく解っている積もりだ」
世凰は、きっぱりと答えた。
この時、美明の胎内に宿る新しい生命は既に三月目を迎えようとしていたのだ。
「美明殿。いや、もう奥方と呼んだ方がいいよな」
美明に向かって胡竜がそう言うと美明は、ほんのりと染めた頬に初々しい羞じらいの色を浮かべて、目を伏せた。
しっとりと匂い立つような、まことに艶やかな新妻振りである。
胡竜は、微笑しながら続けた。
「あなたは、この世にまたとない、優れた男の妻になられたのだ。その手を決して離さぬように、しっかりと摑まえていてやりなさい。なにしろ、この鳳凰と来たら妙に癇の強いところがあるから、うっかり離そうものなら、ふいに何処かへ飛んで行って、何かとてつもないことを仕出かすかも知れませんよ」
「おいおい、胡竜!変なことを言うなよ」
世凰が聊か閉口気味に抗議したので、彼らは心から楽しそうに、声を立てて笑い合った。
「胡竜。これを君に!」
ややあって世凰が差し出したのは、仇敵の一人・揚鉄玉を見事あの世へ送った、香蘭形見の短剣である。
「私の言い尽くせぬ感謝の気持ちと、永久に変わらぬ友情の証として。今の私には、これだけしか、君にあげるものが無い・・・」
「嬉しいぞ、世凰。何よりのものだ!」
胡竜は、瞳を輝かせて、それを受け取った。
「大切に預かって、末永く我が家に伝えよう。なに、大した家ではないが、類稀な親友を持った祖先の誇りとして、必ず子々孫々の代までも、守り伝えてゆくに違いないさ」
「ありがとう!そう言ってもらえると、私も嬉しい」
血肉を分けた実の兄弟よりも、もっと強い絆で結ばれ合った二人の若者は、しっかりと互いの両手を握り締めるのだった。
「胡竜、それではこれで!」
「体を厭えよ!俺は黎陽の街で、いつか君が帰って来る日を待っている」
青杏原で命を落とした梁・岑・蒋、この三人の朋友たちの弔いを済ませた後、広東郡に潜んだ彼らは、そこで傷を癒やし、回復した者から一足先に、それぞれの故郷へと旅立って行った。
それより先、武阿孫は、妻・菊玲と共に緋の一団を率いて、とうに千江郡へ去っている。
『盟友』としての共通の目的を達成した彼らは、もしかすると初めて、本来の意味での『夫婦』というものに成り得たかもしれない。
だが、それは所詮、二人にしか解らぬことであった。
そして、今、最後まで残った世凰と胡竜もまた、別れを告げようとしている。
世凰は美明と共に、義父・白民雄を救い出すべく、遥か雲南の地へ。
胡竜は、その故郷・蓮河郡・黎陽へと・・・・・。
美明が丁寧に頭を下げ、世凰のあとに従って歩み始めた時、胡竜も潔く彼らに背を向けて、北への道を辿って行った。
互いに身を切るような惜別の情を抱かぬ筈はなく、振り向いて今一度、その姿を瞳の奥に刻みつけたい想いは押さえ難い。
けれども、敢えて彼らは、振り返ろうとはしなかった。
ここでの別れは、明らかに今生の別れ。
だが、また会えるさ。
姿・形は変わっても、いつかまた、きっと君と肩を叩き合うだろう!・・・そう信じていたからだ。
―時を経ずして、相次ぐ内乱と、急激に活発になった緋賊の武力攻勢とに、もともとぐらいついていた屋台骨をつきに覆された宣王朝は、いみじくも延将軍の予言通りに、あっけなく滅亡した。
よも暫くの混沌の後、やがて世の習いに従って新王朝が成立し、覇権を握ったが、二人のその後の消息は、ふっつりと途絶えた。




