表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳳凰傳  作者: 桃花鳥 彌 (とき あまね)
33/37

《二》霊鳥覚醒(めざめのとき)

 炎が燃える。

 彼を押し包んで一気に焼き()くしつつ、燃え上がる。

 しかし、熱さは全く感じない。

 なぜなら、その炎は彼自身だからだ。

 風、雲、大地、森・・・生きとし生けるものすべてが、目眩(めくる)めく速度で眼前に迫ったかと思うと、直後に、彼をめがけて飛び込んで来る。

 だが、恐れはまるで無い。

 それらのどれもが、(あま)さず彼自身であるからだ。

 彼は燃える。

 もはや人としての存在を()え、無限(むげん)の炎そのものと化して、悠久(ゆうきゅう)静寂(せいじゃく)の中で燃えさかる。

 死が、彼を抱き取ったのではない。

 彼が、死を抱き取ったのだ。

 のみならず、森羅万象(しんらばんしょう)(ことごと)くを、(あまね)く、その稀有(けう)なる魂魄(こんぱく)の内に抱擁(ほうよう)したのだ。

 今こそ、彼らは一体であった。

 寂滅(じゃくめつ)無限(むげん)万象(ばんしょう)呼応(こおう)・・・・・一面の炎の中に、折しも彼自身の声が、(おごそ)かに(ひび)き渡る。

 寂滅(じゃくめつ)無限(むげん)万象(ばんしょう)呼応(こおう)・・・寂滅(じゃくめつ)無限(むげん)―。

(しか)り!」瞬時(しゅんじ)に彼は(さと)った。

(われ)覚醒(めざめ)たり!!」

   ―(おのれ)を無限と()し、

     森羅(しんら)万象(ばんしょう)(ことごと)くがこれに呼応(こおう)せし時、

        彼、まさに鳳凰(ほうおう)となりて、天空(てんくう)()けん!―

 これぞ、万人(ばんにん)が求めて得られぬ「梅花(ばいか)鳳凰(ほうおう)(けん)」究極の(おう)()である。

()(はな)て!!」

 雄雄(おお)しく、彼は(さけ)んだ。

「我が力、今こそ()(はな)て、(あまね)くものたちよ!我、覚醒(めざめ)たり。我即(すなわ)ち、(なんじ)我即(すなわ)ち、()(せい)!」

 そして、ひときわ高らかに、彼は宣言(せんげん)する。

我即(すなわ)ち、鳳凰(ほうおう)なり!!」

 瞬間、炎は一斉(いっせい)灼熱(しゃくねつ)の光柱となって立ち昇り、またたく間に天を()いて林立(りんりつ)した。

 かと思うと、(たちま)ちにして五彩(ごさい)の光体に分裂するや、(すさ)まじい勢いで乱舞し、目紛(めまぐる)しく飛び()い始める。

 やがて、より速度を増したそれは、見る見る一点に集中してゆき、(つか)()の核を形成すると同時に激突した。

 閃光(せんこう)!!

 轟音(ごうおん)!!

 熱風(ねっぷう)!!

 目も耳も皮膚(ひふ)も、(およ)そ人間の五官というものの無力さをまざまざと思い知らせる(けた)(はず)れの大爆発と共に、(はか)り知れぬ膨大(ぼうだい)なエネルギーを放出して、すべては八方に(くだ)け散ったのである。

 その世界を(くま)なく(おお)()くして(きら)めき()(そそ)飛沫(ひまつ)(ベール)の中、燦然(さんぜん)と目を射る華麗なる翼を拡げた(あざ)やかな鳥影が、天を(あお)ぐ。

―と見えたが、(しお)引くように晴れ渡った(ベール)の中から現れたのは、宇宙の偉大なる力を輝く五体に(みなぎ)らせ、端然(たんぜん)(たたず)む、世凰(シーファン)の姿であった。

 (じん)()など遠く及ばぬ亜空間に(おい)て、奇跡は瞬時に完遂(かんすい)され、鳳凰(ほうおう)()()めた。

 そして天空(てんくう)目指(めざ)し、今、()び立つ。

()けっ!翔琳鳳凰!!」

 勝ち誇った雄叫(おたけ)びと共に、(とど)めを刺すべく急激に()()いを詰めて(おど)りかかった(イェン)大剛(ダーガン)の目前、世凰(シーファン)の体は、信じ(がた)い、驚異的(きょういてき)跳躍力(ちょうやくりょく)を見せつけて、力強く大地を()った。


 同じ頃―華南(ファナン)郡・九龍山翔琳寺の奥深い一室では、大管主・(ツー)(ジュエ)禅師(ぜんじ)が、(おごそ)かな臨終(りんじゅう)の時を迎えようとしていた。

 居並(いなら)ぶ高僧、高弟(こうてい)たちが見守る中、彼は最後の昏睡(こんすい)を続けていた。

 恐らくはもうこのまま、目覚(めざ)める事は有り得まい、と誰もが信じて疑わなかったその時、突然禅師(ぜんじ)の瞳が、カッと開いたのである。

 人々は驚き(どよめ)いたが、やがて再び、水を打ったようにしんと静まり返り、(しわぶき)ひとつする者もいなくなった。

 見開かれた禅師(ぜんじ)の目には生き生きとした光が宿り、(あたか)も誰かを見守るかと(おぼ)しき深い慈愛を(たた)えて、(おだ)やかに輝いている。

 そして、(おもむろ)に唇を動かした彼は、誰にもはっきりと聞き取れる(りん)とした声音(こわね)で、こう言ったのだ。

「見よ!今こそ鳳凰(ほうおう)()ぶ。破邪(はじゃ)の翼、見事虚空(そら)(ひろ)げて・・・。天晴(あっぱ)れじゃ、(フェン)世凰(シーファン)!!」

 さもさも満足気()に大きく(うなづ)いて、彼は再び瞳を閉じ、昏睡(こんすい)に戻った。

 その後(ほど)なく―(けん)(せい)(ほま)れ高き、九龍山翔琳寺第二十八代大管主・(ツー)(ジュエ)禅師(ぜんじ)は、永遠(とわ)の眠りについたのである。


 人々はその時、はっきりと見た。

 人の世のあらゆる邪悪打ち(くだ)かんがため、我が身をも(あけ)()め抜き、大きく翼を拡げて天空(そら)高く飛翔(ひしょう)する伝説の(ずい)(ちょう)鳳凰(ほうおう)の、雄雄(おお)しくも華麗(きわ)まるその姿を・・・。

 時ならぬ(どよめ)きが、修羅(しゅら)(ちまた)と化した(チン)(シン)(ユエン)を満たした。

 (イェン)将軍も、見た。

 彼も無論、見たのだ。

 しかしながら(イェン)の目は、最後までそれを(とら)え切ることは出来なかった。

 天の高みに飛翔(ひしょう)を終えた直後に、到底(とうてい)神業(かみわざ)としか思えぬ恐るべきスピードで()(さか)さまに急降下(きゅうこうか)して来た世凰(シーファン)の体が、彼の頭上で(あざ)やかに回転した、と見えた時には、(イェン)大剛(ダーガン)頭蓋(ずがい)は、目にも止まらぬ痛烈な連続蹴()りに直撃され、ものの見事に粉砕(ふんさい)されていた。

 幻の最高(わざ)鳳凰(ほうおう)(しょう)(てん)(きゃく)!!

 火中(かちゅう)に身を投じ、自らを焼き()くして再び蘇生(そせい)する鳳凰(ほうおう)さながらに、我が身を大地に激突させる危険をも(かえり)みず、起死(きし)回生(かいせい)()けた、捨て身の必殺(わざ)である。

 (あた)り一面に脳漿(のうしょう)と鮮血とを()き散らして、(イェン)は立ち尽くしていた。

 地上すれすれで体勢を立て直し、ひらりと地面に降り立って自分の最後を見届けようとしている(たえ)なる若者の、さすがに大きく波打ち、依然として(おびただ)しい血汐を(したた)らせてやまぬしなやかな体を、今にも閉ざされかけた視界でひたすら追い求めて、彼は声ならぬ声で問いかける。

何故(なぜ)じゃ!?この(イェン)大剛(ダーガン)ともあろう者が、何故(なぜ)、おぬし(ごと)きに(やぶ)れねばならぬ!?〉

 だが、その実、彼は何処(どこ)かで納得している(おのれ)自身に気付いていた。

 ガクッと両膝(ひざ)が落ちた。

 そのままゆっくりと、(イェン)は大地に沈んでゆく。

 意識はまだあった。

 ()()くほんの(わず)かに、残されていた。

 不思議に、苦痛は無い。

(フェン)世凰(シーファン)よ!すべてに(まさ)りて美しき者よ!?(なんじ)はそも、何者であったのか!?〉

 (わか)っている。

 永久にその答えの得られぬことぐらい―。

此度(こたび)こそは・・我がものと思うたに・・・・・よくよくつれな・・い‥奴よ・・・のう・・・・」

 自嘲(じちょう)めいた、何とも不可解な微笑(えみ)口許(くちもと)()り付かせた面貌(かお)で、(イェン)大剛(ダーガン)は絶命した。

「さらば!!()宿敵(しゅくてき)(イェン)大剛(ダーガン)

 世凰(シーファン)手向(たむ)けた訣別(けつべつ)の言葉は、果たして彼の耳に届いただろうか?・・・。

 (じん)()(はる)かに超えた死闘の()()きを、固唾(かたず)()んで見守っていた人々は、一様(いちよう)畏怖(いふ)の念に打たれ、(こと)(シュエン)軍に至っては、はや(まった)くと言っていいほど、戦意を喪失(そうしつ)してしまっていた。

 ()くして、胡南(フーナン)郡・(チン)(シン)(ユエン)の野に()(ひろ)げられたこの世の地獄図そのものの戦闘は、今(ようや)く、血塗(ちぬ)られた凄惨な結末を迎えようとしていたが、世凰(シーファン)の闘いは、まだ終結してはいなかった。

 槍、長剣、その他様様(さまざま)な武器に加え、戦旗、甲冑(かっちゅう)、ありとあらゆるものが血汐(ちしお)にまみれ、引き裂かれ、大地を(おお)って投げ出されている。

 その上に下に(ひし)めき合い、累累(るいるい)と横たわる犠牲者たちの中に、見覚(おぼ)えのある幾つかの顔を見出(みいだ)して悲嘆(ひたん)に暮れながらも、世凰(シーファン)は、残る仇敵・(ヤン)(ティエ)(ユイ)の姿を求め、よろめく足で彷徨(さまよ)い歩くのだった。

 

「待て!(うぬ)ら、何処(どこ)へゆく!?よもや(わし)を見捨てて、逃げる積もりではあるまいな!?」

 戦闘が始まるや(いな)や、(いち)(はや)く逃げ込んでいた岩(かげ)から、抜き足差し足で出て行こうとする(フイ)(ルー)とを見咎(とが)めて、(ヤン)(ティエ)(ユイ)は、目の玉ひん()いて叱責した。

 図星(ずぼし)を指されて少々(あわ)てはしたものの、二人は(たちま)ち開き直った。

「御名答!図星(ずぼし)だぜ、(ヤン)さんよ」

 鼠賊(そぞく)の本性()き出しにせせら笑って、(フイ)はもはや『殿』などとは呼ばぬ。

「てめえなんざと心中するなんざ、()(ぴら)御免(ごめん)のコンコンチキと来らあ!俺っちは、このあたりでずらからせてもらうぜ。何たって、命あっての(もの)(だね)にゃあ違いねえからな!」

「う、裏切り者めっ!恩知らずめっ!この(わし)が拾い上げてやった恩を、(あだ)で返しおって!!」

 (ヤン)は赤鬼となり、頭から湯気(ゆげ)を立てて(ののし)った。

「ケッ、恩が、聞いて(あき)れらあな!」

 (フイ)にとっては、(かえる)(つら)になんとやら。

「人を散々にこき使いやがって、恩とはよく言うじゃねえか!?とにかくこちとらぁ、恩になんぞ感じちゃいねえのさ。逆に、礼の一つも言ってもらいてぇくれえだ!おっと、とんでもねえ手間(てま)を喰っちまった。行こうぜ、(ルー)!」

 ふてぶてしく言い捨てた。

「あばよ!せいぜい()られねえように上手(うま)(もぐ)って、(ふる)えてでもいな!!」

 こともあろうに(つば)まで引っかけて、しっかり(ヤン)を見捨てた彼らは、連れ立って岩(かげ)から走り出て行った。

「待てっ!待たぬかっ!!(わし)も連れて行け!こん畜生(ちくしょう)めがっ!!(くそ)ったれめがっ!!(おぼ)てろ、今度遇()ったら(ただ)じゃおかねえぞ!!」

 部下も部下なら殿()殿()

 (たい)して違わぬ馬脚(ばきゃく)をすっかり(あらわ)して(わめ)き散らし、二人の(あと)を追う(ヤン)(ティエ)(ユイ)

 しかし生憎(あいにく)彼の足では、とても彼らには追いつけぬ。


 突如(とつじょ)()く手の岩蔭(かげ)から飛び出して来た二人連れが、世凰(シーファン)に気付いて、一瞬ギョッと立ち止まり、すぐに風を()らって逃げ去って行った。

 言うまでもなく、(フイ)(ルー)

 だが世凰(シーファン)は、彼らを知らぬ。

 けれども、その(あと)を追って、何やら口汚(くちぎたな)(わめ)き散らしつつ()け出して来た髭面(ひげづら)の男を見るなり、彼は叫んだ。

(ヤン)(ティエ)(ユイ)!!」

 その声に度肝(どぎも)を抜かれて立ち(すく)み、こちらへ顔を向けた(ヤン)の顔面は、見る見るうちに蒼白(そうはく)となって、この上もない(みにく)さで(ゆが)()()った。

「こっ、小倅(こせがれ)!!」

 (ほとん)(うめ)きに近い声を()げたかと思うと、あれだけ遮二(しゃに)無二(むに)世凰(シーファン)を追い求めてやまなかった(はず)のこの男は、向かって来るどころか、何と、(あわ)を喰って逃げ出したのである。

 一刻も早く(そら)(おそ)ろしい小倅(こせがれ)から(のが)れようと、(ころ)がるように遠ざかってゆく(ヤン)を追う力は、世凰(シーファン)にはもう残されていない。

 彼は咄嗟(とっさ)に、帯の間に手挟(たばさ)んでいた短剣を引き抜きざま、身内に残る最後の力を()(しぼ)り、腕も折れよと、(ヤン)の背めがけて投げつけたのだった。

 亡き姉・香蘭(シャンラン)の、万感(ばんかん)の想い宿るその短剣は、一瞬キラリと光を(はな)ち、(あたか)も意志あるものの如く一直線の軌跡(きせき)を描いて、まるで吸い込まれるように(ヤン)の背深く突き立った。

「ギャッ!!」

 断末魔(だんまつま)の悲鳴を、たった一声この世に残し、()()と地面に(たた)きつけられた(ヤン)(ティエ)(ユイ)は、柄元(つかもと)まで()まる短剣に魂を奪い去られて、それきり、二度と立ち上がることはなかった。

 極限をとうに()えていた気力が、その時一気に(ゆる)み、もはや体を支えきれなくなった世凰(シーファン)の足は、(ヤン)の死を見届けると同時にぐらりと()れ、(たま)らずその場に(かた)(ひざ)を突いた。

〈父上!姉さま!そして、多くのかけがえのない方々!!・・・どうぞ御覧下さい。世凰(シーファン)はついに・・・ついにあなたがたの御無念を、晴らして差し上げることが出来ました!!〉

 (かん)、ここに(きわ)まって天を(あお)ぎ、彼は亡き人々へのひとしおの哀惜(あいせき)を、傷ついた身と共に両の(かいな)で抱き()めて、深い深い嘆息(たんそく)()らした―。

 

 天は今、その足許(あしもと)で展開された言語を絶する惨劇を、目を(みは)るばかりの燃え立つ夕映(ゆうば)えで()(くく)った。

 炎と化した鮮紅(くれ)(ない)は、(チン)(シン)(ユエン)に流された(おびただ)しい血汐(ちしお)そのままに、地上のあらゆるものを()み込み、ただ一色(いっしょく)に染め()くしたのである。

 やがてその中を、生き残った者たちは敵も味方も、それぞれの意志に従って、ひっそりと去って行った。

 両腕をへし折られて、もう泣き声さえ立てることも出来ず、息も()()えにその(あた)りを()いずり回っていた(シュエン)朝皇帝・太宗(タイゾン)が、(ようや)く異変を知って駆けつけて来た救援部隊に保護されたのは、実に丸二日後のことであった。

 ついでながら―。

 (チン)(シン)(ユエン)から『あんたの()()えは御免(ごめん)』とばかりに(ヤン)を裏切って逃げ出した(フイ)(ルー)は、行きがけの駄賃(だちん)にと、どさくさ(まぎ)れに盗み取って来た皇帝の錦繍(きんしゅう)や、かなりの額に(のぼ)銀塊(ぎんかい)の分け前を(めぐ)って仲間割れを(しょう)じ、(みにく)内輪(うちわ)()めの挙句(あげく)双方(そうほう)(あい)()ちとなって、その(しかばね)を、無様(ぶざま)山野(さんや)(さら)()()となり果てた。

 世凰(シーファン)の父と姉とを直接死に追いやった張本人たちは、結局こうして天の(むく)いを受け、自然(しぜん)淘汰(とうた)とも言える死に(ざま)()げたのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ