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鳳凰傳  作者: 桃花鳥 彌 (とき あまね)
22/37

《三》赤絲再逅(えにし ふたたび)-9-

 (パイ)家の山荘の裏手にある断崖(だんがい)は、家人(かじん)さえも滅多(めった)に近づかぬ危険な場所であった。

 まさに絶壁(ぜっぺき)と呼ぶにふさわしい荒削(あらけず)りな急斜面が、()(はる)かす眼下に展開し、上に立って見下ろすと、自然に吸い込まれそうになる。

 よって、余程の酔狂者(すいきょうもの)でもない限り、わざわざ(のぞ)き込んで身震(みぶる)いしてやろう、などという物好きな人間はいなかった。

 万一の場合に備えた山荘の抜け穴は、普段は全く使われることのない書斎の壁を通って、この崖下(がけした)に出るように作られていた。

 さすがの猛火も、ここまで駆け下って来るのは不可能だったと見え、崖上(がけうえ)の、目を(おお)うばかりの惨状(さんじょう)とは明らかに(いち)区画(くかく)()し、深遠なる木立(こだち)鬱蒼(うっそう)(しげ)る別世界の中で、(メイ)(ミン)は、瑞娘(ルイニャン)亡骸(なきがら)を求めて彷徨(さまよ)い続けていた。

 彼女の背中にたった一つ結び付けられた包みは、その瑞娘(ルイニャン)が荷物を(こしら)える途中で残して行った布切れで咄嗟(とっさ)にくるまれた、()いかけの長衫(チェンサン)である。

 山火事の翌日に降った豪雨のために、あちこちで泥濘(ぬかるみ)となった(けわ)しい地形、しかも慣れぬ環境にあって、遺体探しは困難を(きわ)めた。

 (メイ)(ミン)の手足は、いつの間にか()り傷だらけになり、顔と衣裳同様、泥まみれになってしまっている。

 けれども、彼女は決して(あきら)めようとはしなかった。

 何としても瑞娘(ルイニャン)を見つけ出して、きちんと(ほうむ)ってやりたかったからだ。

 間違っても鳥獣(ちょうじゅう)(たぐい)などに()千切(ちぎ)らせてはならぬと、(メイ)(ミン)(かた)く念じていたのである。

 彼女にとっては(さいわ)いと言うべきか、(シュエン)軍は、目の前で断崖(だんがい)から身を投げた『(パイ)(メイ)(ミン)』の姿を何十人もの目で確認しており、さらに、言語を絶する断崖(だんがい)()(よう)に恐れをなして、わざわざ崖下(がけした)まで降りて遺体の捜索(そうさく)をすることなど、あっさりと断念してしまったらしい。

 多分、上官への報告書には『崖下(がけした)及びその周辺を(くま)()探索(たんさく)すれども、亡骸(なきがら)これ無く、恐らくは野獣にでも喰われしものと推察致しおり云々(うんぬん)・・・』などと記載されるのでもあろうが、実際には、(いっ)兵卒(ぺいそつ)たりとも姿は見せなかった。

 散々(さんざん)その(あた)りを探し廻った末、ついに(メイ)(ミン)は、絶壁(ぜっぺき)の中途から(なな)めに()えた松の古木(こぼく)の根元、その岩陰(いわかげ)(かん)(ぼく)の間に隠れるように横たわる瑞娘(ルイニャン)を発見した。

瑞娘(ルイニャン)瑞娘(ルイニャン)!」

 泥濘(ぬかるみ)に足を取られ。今にも(ころ)びそうに(かし)いだ体で走り寄った(メイ)(ミン)は、素早く彼女の(かたわ)らに(ひざまづ)き、その顔を(のぞ)き込んだ。

 猛烈なスピードで絶壁(ぜっぺき)を落下して来たであろう瑞娘(ルイニャン)は、一旦(いったん)、老松の(こずえ)に引っ掛かり、ある程度の衝撃を(やわ)らげられた(のち)に、地面に叩きつけられたようだ。

  従って、彼女の体には大きな外傷も無く、その顔一つ取ってみても、鼻と唇から出血して、額に打撲の跡があるだけで、これと言った損傷は見当たらなかった。

 (かた)く目を閉じた表情には、苦痛の影など、微塵(みじん)も宿してはいない。

「よかった、瑞娘(ルイニャン)!お前、余り苦しまずに済んだのね。本当に良かった!・・・」

 彼女の(ほお)にまつわりついているほつれ毛を、そっと取り除いてやり、(メイ)(ミン)は、はらはらと落涙(らくるい)する。

「許して!とうとうお前までを、犠牲にしてしまったわ」

 瑞娘(ルイニャン)の冷たい手を握りしめ、同様に冷たいその(ほお)()でて、彼女はただただ、物言わぬ侍女に許しを()うた。

 どのくらいそうしていたのか、(メイ)(ミン)には解らない。

 だが、よも(しばら)()って我に返った時、彼女は(たちま)ち、途方(とほう)に暮れなければならなかった。

 瑞娘(ルイニャン)亡骸(なきがら)を、果たして何処(どこ)(ほうむ)ればいいのだろう!?

 この場所には木々の根が複雑に入り組んでいて、泥濘(ぬかるみ)の下はとても掘り起こせたものではないし、かなり大きな岩が幾つも、あちこちに(ころ)がっている。

 とりあえずは、土の柔らかい所を探して遺体を運ばねばならないのだが、一体全体、どうやって運べばいいのやら・・・。

 一向(いっこう)に良い思案(しあん)も浮かばずに、(なか)ば呆然とその場に座り込む(メイ)(ミン)の背後から、足音もさせずに近づいたらしい、若い女の声が呼びかけた。

「どうなさいました?このような場所で、何をなさっておいででございます!?」

 この時の(メイ)(ミン)の驚きを、どう言い表わせばよいのか、適当な言葉が見つからない。

 吃驚(びっくり)仰天(ぎょうてん)青天(せいてん)霹靂(へきれき)・・いや、どれもがふさわしくはない。

 とにかく、彼女の驚きはひととおりのものではなく、雷に打たれたように全身が硬直(こうちょく)し、その硬直した体のままで、飛び上がりそうにもなったのである。

 引き()り、(あお)ざめた表情で振り向いた(メイ)(ミン)の後に、旅仕度をした若い尼僧(にそう)が立っていた。

 かなり遠方からやって来たらしい彼女の、尼僧にしてはどこか野性的な光を(はな)鳶色(とびいろ)(ひとみ)が、じっと(メイ)(ミン)に注がれている。

「・・・・・」

 (メイ)(ミン)はまるで言葉が見つからず、沈黙したきり、尼僧(にそう)見詰(みつ)め返すだけだった。

 無意識のうちに、瑞娘(ルイニャン)亡骸(なきがら)(かば)う姿勢になっている。

 けれども、鋭い視線で瞬時にそれらを見て取った尼僧はすべてを察し、やおら(メイ)(ミン)の近くに身を寄せるなり、その耳許(みみもと)に低く(ささや)きかけた。

(パイ)(メイ)(ミン)さまでございましょう!?御心配なく、決して(あや)しい者ではございませぬ。そのお方は、この(わたくし)が」

 彼女は、(いぶか)(メイ)(ミン)を尻目に瑞娘(ルイニャン)に向かって軽く手を合わせると、その細い体のどこにそんな力が秘められているのか、と疑いたくなるほど軽々と、遺体を(かつ)ぎ上げた。

「さ、早く!(わたくし)と共においで下さいませ。ここでは万が一、追手(おって)の目に()れぬとも限りませぬゆえ」

 尼僧(にそう)(メイ)(ミン)(うなが)し、先に立って(けわ)しい山道を登ってゆく。

 とても女の、それも重い遺体を背負った足とは思えない。

 (メイ)(ミン)咄嗟(とっさ)に覚悟を決め、背中に結び付けていた世凰(シーファン)(チェン)(サン)の包みを(はず)して胸に抱き、腰に()した香蘭(シャンラン)の短剣を、確かめるようにそっと握りしめると、すぐに彼女の後を追った。

 しばらく山道を登り詰めた地点で尼僧(にそう)は振り返り(メイ)(ミン)に告げた。

「すぐ、そこでございます」

 彼女の指差す先には、山間(やまあい)木立(こだち)に隠れてひっそりと建つ、小さな古寺があった。


 本堂と呼ぶには少々おこがましい気もするほどに小じんまりとした一室の、粗末な台座の上に敷物を延べ、瑞娘(ルイニャン)遺骸(いがい)を安置した尼僧(にそう)は、蠟燭(ろうそく)を立て、線香を()き、どこにあったのか心ばかりの供物(くもつ)まで用意して、てきぱきと一応の形式を整え終わると、(メイ)(ミン)と並んで(ゆか)(ひざまづ)き、よく通る声で低く経を読み始めた。

 その間中、(メイ)(ミン)は手を合せる事も忘れ、瑞娘(ルイニャン)の冷たい(ほお)()でては、滂沱(ぼうだ)の涙を流し続けている。

 やがて経が終わると、尼僧(にそう)はゆっくりと(メイ)(ミン)の方に向き直り、静かな口調で問いかけた。

(メイ)(ミン)さま。この方は、あなた様のお()()わりになられたのでございますね?」

「は・・はい」

 嗚咽(おえつ)しながら答えた(メイ)(ミン)であったが、その胸に突如、新たな自責の念が()き上がり、わっとその場に泣き()してしまった。

「許して、瑞娘(ルイニャン)!どうか、この私を許して頂戴(ちょうだい)!!」

「左様にお(なげ)きなされますな、(メイ)(ミン)さま。この方に()びられる必要など、少しもございませぬゆえ」

 尼僧(にそう)の意外な言葉に(メイ)(ミン)は思わず、涙に濡れた顔を上げたが、当の尼僧(にそう)は彼女の方を見ようともせず、瑞娘(ルイニャン)の死に顔に(おだ)やかな視線を(そそ)ぎながら言った。

「この方のお顔を御覧(ごらん)なさいませ。この世に何ら思い残すことも無く、()たされた、至福(しふく)の表情をなさっておいででございます。ただの忠義心からだけでは、こうはまいりませぬ。まさしく、愛する者のために命を()けることの出来た人間のみが()()るお顔!私は以前にも、これと全く同じお顔に出会ったたことがございました」

 (メイ)(ミン)は、息を呑んで瑞娘(ルイニャン)を見詰める。

瑞娘(ルイニャン)。お前は、この私を!?そうなの、瑞娘(ルイニャン)!?」

 尼僧(にそう)は、きっぱりと(うなづ)いた。

「この方は、こうすることで、あなたさまへの真心を(つらぬ)かれたのです。ほんに尊い事でございます。たとえどのような()()()でありましょうとも、人が人を恋うる真心に、何ら(へだ)たりのあろう(はず)はございませぬ。ましてや、()くも純粋なものであるならば、なおのこと。必ずや、御仏(みほとけ)もお(ゆる)しになりましょう。そうはお思いになりませぬか、(メイ)(ミン)さま?」

 そして、尼僧(にそう)は改めて瑞娘(ルイニャン)に手を合せた。

「ようなさいました、瑞娘(ルイニャン)殿。そなたの想い(かの)うて、(メイ)(ミン)さまはこれこの通り、御無事でおられまする。定めし、御本望(ごほんもう)でございましょうな」

瑞娘(ルイニャン)!!」

 (メイ)(ミン)は、()()瑞娘(ルイニャン)亡骸(なきがら)に取り(すが)り、声を殺して泣き(むせ)んだ。

 幼い頃から、ほとんど片時(かたとき)も離れることなく、常に影のように(メイ)(ミン)に寄り添って来た瑞娘(ルイニャン)

 勝気な娘同士、時には主従(しゅじゅう)であることさえ忘れて他愛(たあい)()口喧嘩(くちげんか)(きょう)じ、そして笑い合った日々―(メイ)(ミン)があの日、危機に遭遇(そうぐう)して世凰(シーファン)に救われた時、たまたま宿下(やどさ)がりをしていてその場に居合わせなかったのを、竹を割ったような気性(きしょう)に似ず、いつまでも気にしていた瑞娘(ルイニャン)・・・。

 けれど、ここ最近、彼女はなぜかめっきり口数が少なくなっていた。

 それらの一つ一つが皆、彼女の(メイ)(ミン)に対する、純粋でひたむきな愛情表現だったのである。

『さようなら、素敵(すてき)(メイ)(ミン)さま!!』

 最後に残したそのひと言に、瑞娘(ルイニャン)はすべての想いを凝縮(ぎょうしゅく)させたのだ。

「ありがとう。本当にありがとう!お前のことは、決して忘れない。いつかきっと、また会いましょう。ね、瑞娘(ルイニャン)!?」

 (たと)えお前の気持ちに気付いても、多分、(こた)えてはあげられなかった。

 でも、ありがとう!!愛してくれて・・・。

(メイ)(ミン)さま。ただ今のお言葉で、まさしくこの方は(むく)われました。きっとお(こころ)()きなく、成仏(じょうぶつ)なさったことでございましょう」

 尼僧(にそう)はそう言って、(そで)(ぐち)で涙を()いた。

 ひとまずの(とむら)いを終えたのち、尼僧(にそう)は、(メイ)(ミン)庫裏(くり)へと(いざな)った。

「長い間遠出(とおで)をいたしておりましたゆえ、お口に合うものとてございませぬが」

 彼女は手早く山菜(さんさい)(きざ)んで熱い(かゆ)を作り、(メイ)(ミン)にふるまってくれたのである。

「さ、どうぞ冷めぬうちに召し上がれ、あなたさまが(しょく)されれば、()()()への供養(くよう)にもなりましょうから」

 実のところ(メイ)(ミン)は、極度の疲労と深い悲しみとに打ち(ひし)がれ、全くと言っていいほど空腹を感じてはいなかったのだが、そう(うなが)されて(はし)を取る気になった。

 火傷(やけど)をせぬよう気をつけて一口含むと、(かゆ)のとろけるような(あたた)かさがこの上もない滋味(じみ)となって、ゆっくりと口中に拡がってゆく。

 見知らぬ尼僧(にそう)の厚意に対する言い尽くせぬ感謝の涙が、ぽとりと一滴、(わん)の中に落ちた。

 いつの間にかその場から姿を消していた尼僧が、ややの(のち)(メイ)(ミン)(はし)を置く頃を見計(みはか)らったかのように、包みを一つ(たずさ)えて戻って来た。

 尼僧(にそう)(メイ)(ミン)の側に腰を()ろして卓子(テーブル)の上に包みを拡げ、中から粗末な男の着物と破れ笠を取り出して、彼女の前に並べて置いた。

「お食事が済みましたなら、早速(さっそく)にもお()()えなさいませ。むさ苦しゅうはございますが、これで人の目は充分にごまかせましょう。そのままのお身なりにては、人目に立ち過ぎます」

「はい」

 素直に(うなづ)いて、(メイ)(ミン)は立ち上がった。

 尼僧(にそう)に手伝ってもらって着換えを済ませた時、そこには貧しい農民の若者が一人、誕生していた。

御髪(おぐし)は、私が()んで差し上げましょう」

 最後の仕上げに彼女の黒髪を()み上げるため、尼僧(にそう)(メイ)(ミン)の背後へと回ったが、その時美明(メイミン)が抜き取った翡翠(ひすい)(かんざし)目聡(めざと)く視線の(はし)(とら)え、一瞬、複雑な光がその(ひとみ)に宿ったかに見えた。

 が、彼女はじきに何事も無かったかのような静かな表情に戻り、手際(てぎわ)よく編髪を()み終えると、着物と一緒に用意して来た破れ笠を目深(まぶか)(かぶ)らせ、(あご)(ひも)まで結んでやった。

 そうやってすっかり(メイ)(ミン)身支度(みじたく)を整え終わった尼僧(にそう)は、彼女に向かって言った。

(メイ)(ミン)さま。瑞娘(ルイニャン)殿の御供養(ごくよう)、この身が真心(まごころ)()めて(つと)めますゆえ何のご心配もいりませぬ。一刻も早ようにこの場を落ちのび、(チュー)(リン)へお戻りなされませ。お父上が、さぞかし御心痛(ごしんつう)のことと存じます。しかしながら、万に一つも、(シュエン)軍などの目に()れてはなりませぬ。(わたくし)だけしか知らぬ間道(かんどう)をお教え致しましょう」

 重ね重ねの尼僧(にそう)の厚意に、(メイ)(ミン)は問いかけた。

(あま)様。このようなこと、申し上げてはならぬかと存じますが、()えてお(たず)ね致します。何ゆえ(わたくし)に、これほどまでの御厚意、頂けるのでございましょう?」

「すべては、御仏(みほとけ)のお慈悲(じひ)からでましたこと。この尼などの裁量(さいりょう)ではございませぬ。ただただ、御仏(みほとけ)に感謝なさればよろしゅうございます」

 尼僧は事もなげに答えた。

「ならばせめて、あなたさまのお名前なりとも、お聞かせ願えませぬか?」

御覧(ごらん)の通り、寺とは名ばかりの草深い(いおり)()び住まい至す身。ことさらお聞かせ申し上げるような名など、持ち合わせてはおりませぬ」

 しかし、その問いにもやはり尼僧(にそう)は、どこか謎めいた微笑を(たた)え、あくまでも名乗ろうとはしなかった。

「そのようなことよりも、(はよ)うゆかれませ!さ、御案内致しましょうほどに」

 尼僧(にそう)()き立てられた(メイ)(ミン)は仕方なく、瑞娘(ルイニャン)の安置された本堂に向かって手を合せ、心の中で別れを告げると、(ふところ)深くに(かんざし)と短剣、胸に(チェン)(サン)の包みを(いだ)き、尼僧(にそう)(みちび)かれるまま寺を後にした。

 寺の左手の道を、来た時とは反対の方角に向かって少し下ったところに深い竹林(ちくりん)があり、それに沿()って、(たけ)高く伸びた雑草に(うず)もれた形で、道ともいえぬ間道(かんどう)が見え隠れしていた。

 その行手(ゆくて)は雑草によって(おお)い隠され、全く確かめることはできない。

「この道を、西へ西へと辿(たど)っておゆきになれば、(ほど)()く、(チュー)(リン)へ続く山道に出ることが出来ます。それを下られたなら、(チュー)(リン)はもう、目と鼻の先。何卒(なにとぞ)御無事で、お父上の御許(おんもと)にお着きになりますよう。それでは、(わたくし)はこれにて・・・」

 そこまで来ると尼僧は立ち止まり、丁寧(ていねい)に頭を下げて、立ち去ろうとした。

 その彼女を、(メイ)(ミン)は、ややためらいがちに呼び止めた。

「もし、(あま)様。身に余る御恩(ごおん)を頂きました上に、このようなさらなるお願いを致しますのはまことに恐れ多い事と存じますけれど、もしもお聞き届け願えますならば、(パイ)家の山荘跡に眠る者たちに、せめて御経(おきょう)の一行なりとも、詠んでやっては頂けませぬか!?」

 そう願いつつ自分を見詰める切れ長の目の中に、かけがえのない真実(まこと)を察した尼僧(にそう)は、胸中(きょうちゅう)深くに感嘆し、(こころよ)く彼女の申し出を承諾した。

「よろしゅうございますとも。この身が、確かに(うけたまわ)りましょう。御安心の上、どうか一刻も(はよ)う!」

「ありがとうございます。(あま)様。この御恩(ごおん)終生(しゅうせい)忘れませぬ!」

 深深(ふかぶか)と一例するや、(メイ)(ミン)は、背丈(せたけ)ほども伸びた雑草を()き分けて間道(かんどう)へと踏み込んで行った。

 その姿は、すぐに茂みの(かげ)に隠れて見えなくなったが、尼僧(にそう)は一人その場に(たたず)み、感慨深げに、こう(つぶや)くのだった。

(メイ)(ミン)さま!あなたさまこそは、まことにあの方にふさわしき女性(にょしょう)。我が眼に狂いはございませなんだ。この上は、(ひとえ)(おん)(いのち)(なが)らえられ、見事、世凰(シーファン)さまと()()げなさいませ!・・・」

 数刻後―・

 (ハイ)(フォン)山・(パイ)家山荘の無残な焼け跡に、どこからともなく、若い美貌の尼僧(にそう)が現われ、涼やかな声音(こわね)で経を朗々(ろうろう)手向(たむ)け始めた。

 (あた)りを警備していた(シュエン)軍兵士の一人が、謀反人(むほんにん)の一味に経など上げるなと(とが)めると「死者を(とむら)うに、謀反人(むほんにん)も何も有りは致しますまい!(なさけ)無き事を申されますな!!」凛然(りんぜん)たる口調で、(おそ)れ気も無くそう叱咤(しった)し、余りにも(あざ)やかなその態度に圧倒されて『でくの棒』の集団と成り果て、呆然(ぼうぜん)と見守るのみの(シュエン)軍を尻目に、朗々(ろうろう)手向(たむ)けの経一巻を詠み終えた彼女は、現れた時と同様、また何処(いずこ)へともなく風のように去って行った。

 その尼僧(にそう)が果たして誰であったのかは、敢えて語るまい・・・。



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