最後の回収
「お久しぶりですね、カレリヌリアさん」
「ふふっ、来てくださったのですね。回収屋さん」
俺は今、ベッドの隣に立っている。
一人で寝るにしては大きめのベッドに横たわる、老婆。
ここは寝室で、さっきまでは家族も集まっていたのだが、俺が訪れると老婆が家族に退くように言い含めた。
家族にとって面識のない男が突然やってきたのだ、警戒され追い出されそうになったが、老婆が穏やかに諭すとすぐさま納得してくれて、ほっとしている。
「これ、あなたが好きな花でしたよね」
ここに来る前に、何度か購入させてもらっている花売りの少女から買い取った花を、取り出した花瓶と共に窓際に活けさせてもらう。
「覚えていてくださったのね。んー、いい香り」
目を閉じて胸いっぱいに香りを吸い込み、満足そうに目を細めた。
歳を取りしわが増えたが、ふとした瞬間の表情は昔とさほど変わらない。
「あなたは初めて会った頃と見た目が変わらないのね。カラスの羽のように艶やかな黒髪に漆黒の瞳。そして、穏やかで優しいお顔」
「つまり、どこにでもいそうな平凡な顔ってだけですよ」
「ふふふっ、私はそのお顔が大好きよ」
「ありがとうございます」
数十年ぶりに会ったカレリヌリアさんは相変わらず和む人だ。死がすぐ近くまで迫ってきているというのに、そんな素振りは微塵も見せない。
「あなたが来たということは、私の寿命は間もなく尽きるのね」
「ええ……そうです。以前の約束通り、渡したスキルの回収にやってまいりました」
「回収屋さんのおかげで、楽しい人生だったわ。貴方から買った『幸運』と『健康』のおかげで健やかに過ごせました」
その言葉が真実である証拠として、彼女の顔に後悔は微塵も感じられない、清々しい笑顔が浮かんでいる。
「私もカレリヌリアさんから買い取りさせていただいた、『寿命』『若作り』にはお世話になっていますよ。まさか、エルフがそれを売り渡すとは思いもしませんでしたが」
「あの時、回収屋さん驚いていらしたものね、ふふふ」
エルフの象徴でもあるスキル『寿命』『若作り』を手放す者がいるとは思いもしなかった。
だけど、高レベルの二つを全て買い取ったわけじゃない。レベルを調整して望む数値だけを買い取ったのだ。
――カレリヌリアが求める年齢に合わせて。
「私も好きになった人と一緒に年老いたかったのよ。旦那と一緒に年を取りたかった……。ただ、それだけなのよ」
エルフは同種族だけではなく、人間との間に子を産むこともできる。
稀に人間と恋に落ち結婚するエルフも存在する。
その場合、人間の伴侶のみが年々老けていき、エルフは若いまま相手を看取ることになる。それが耐えられなかった。それだけ……か。
「では、『幸運』と『健康』を買い戻しますね。料金はご家族に渡せばいいですか?」
「ええ、お葬式代と遺産になって、一挙両得ね」
「ははは、そうですね。じゃあ、ちょっと買い取り金額に色を付けさせてもらいますよ」
「お願いするわ」
互いに微笑み、俺に向けて伸ばされた痩せ細った手を支えるように軽く握る。
骨と皮ばかりとなった年季を感じる手。これは『若作り』と『寿命』を売った結果だ。
俺の体に『幸運』『健康』が入り込む感覚がした。途端に彼女の呼吸が荒くなり、目が虚ろになる。
『健康』スキルが失われたことで、死が一気に押し寄せてきたのだろう。
「最後に一つ買い取ってもらいたいスキルがあるのですよ」
「な……何かしら」
「ええとですね、『穏やか』というスキルです」
「あら……最後まで回収屋さんらしいわね。さっきの買い取り金額から……お支払い……していいかしら……」
「はい、売買成立です。それでは、ご家族をお呼びしますね」
眉間のしわが消え、呼吸も落ち着いてきた。
あと数分しか命が保てないことを理解して、彼女に背を向けドアノブに手をかける。
「最後に……お名前、教えてもらって……いいかしら?」
弱々しい声に振り返ると、上半身を起こして俺を見つめるカレリヌリアがいた。
俺は誰にも名乗らず、回収屋で通している。長い付き合いとなった彼女にも、教えたことはない。
死にゆく彼女への手向けという訳ではないが、教えても大丈夫だろう。
踵を返し、もう一度ベッド脇に立つと、そっと彼女の耳に口を近づける。
「あら、そのお名前……そういうことなのね。……だから、こんなにも……いっぱいのスキルを……」
「誰にも話したらダメですよ?」
ウィンクをして彼女に口止めを頼む。
目を見開いて驚いていたのだが、すっと目を細めると口元に手を添えた。
「ちゃんと……あの世に……持っていきますよ」
そして、昔と変わらない茶目っ気のあるウィンクを返す。
それが、彼女と交わした最後の言葉だった。
彼女の葬式が終わるまで村に居座り、俺は次なる村へ移動することにした。
死ぬ間際に親族へ俺のことを説明してくれたようで、今日まで穏やかに日々を過ごせた。これもすべてカレリヌリアのおかげだ。
初めて会った時の印象は、天然でおっちょこちょいで、見ていて心配になるエルフだった。エルフは自然を愛し、人に対しては高圧的で、美しく気高いイメージだったのだが……覆されたんだよな。
彼女の人懐っこさとおっとりとした性格。多くの人々に良い影響を与え好かれていたのだろう。葬儀には村中の人々が訪れ、悲しんでくれていた。
子供も孫もカレリヌリアの面影があり、彼女の血が受け継がれたことに喜びを感じている。彼らを見ていると、ほんの少し寂しさが和らぐ。
俺を残して多くの人が去っていく。
もう、何度も何度も見続けてきた光景だ。
自分のスキルスロットにはめ込んだままの『不老』を取り外せば、俺も同じように逝ける。
「いつか、そんな日が来るのかな」
墓前に彼女が好きだった花を供え、俺は村を後にした。
数日後に寿命が尽きる友人の元に、向かわなければならないからだ。
あと何度、取り残されるのか。
自問自答したところで答えは出ない。
彼女や仲間たちのいる場所へ、いつかたどり着けるのだろうか。
この長い長い旅路の先に終着点は存在しているのか。
答えは出ないまま、一歩踏み出す。
終着点が見えないからといって、歩みを止めるわけにはいかない。進まなければ決して、たどり着くことができないのだから。