Dream Memories5 電車 3
――主人公サイド――
「っつ!!」
俺はその母親の言葉に……自分の母親の言葉に驚いていた。……ありえない。
(俺の母さんが、こんなに若いはずがない!)
もちろん、今目の前にいるのが何年も前の姿と仮定しても、とても今(現実)との差がありすぎるのだ。
(俺の母さんの姿とは、根本的に違う!)
と、少し失礼なことを考えるが、実際にそうなので仕方がない。
(って、こんな変なこと考えてる場合じゃないって!)
とにかく、今目の前にいるのが俺の母さんだとは、とても思えない。何かの間違い……いや、もともとこれは俺の夢なのか……。
俺は最初、この親子の近くの席に座っていたが、さっきの言葉に驚いて、思わず立ち上がってしまった。
母親からは見えるような立ち位置だったのだが、そんな俺には一切の目も向けてはこなかった。
つまり、この前のように俺の姿が見えていないのだろう。
でもそんなことは今はどうでもいい。
「これは夢なんだ。だとしたら、この人が母親だということも、所詮は俺の作り出した物でしかないはず……」
どうせ、俺の言葉は誰にも聞こえないと分かった俺は、声を出して現状の考察を始めた。
「そうだ。そのはずだ。きっと俺は、過去という変えられない事実を、自分の理想で埋めようとしているんだ。大体、俺は昔こんな風だったか? 親と電車に乗ってどこかに行くことを楽しみにしているような……」
そこまで言って、違和感を感じる。
(……思い出せない)
俺は思い出せなかった。
そう、なにも思い出せない。
昔、俺がどんな風に生きてきたか。
どんな遊びをしてどんなことを思ったのか。
いや、昔のことともなれば、記憶は薄らいでいくものだ。もしかしたら、それだけなのかもしれない。しかし、俺はそれは違うと思った。
何が違うのかは分からない。でも、そんな何も思い出せない中でも、俺の中でそう思わせてくる。俺の中の心が記憶が……。
(俺は何かを忘れている?)
そう思う。大事な何かを……。それが今の……この現状をすべて納得させるための何か。
ワンピース足りない、俺の記憶。
「この先に、俺の忘れてしまったものがあるのか?」
……だが、いいのか? このまま思い出してしまっても……。
それは、俺にとって苦でしかないかも知れない。
なんせ俺が、自ら封じてきた記憶なんだから。
思い出したくないから。
思い出したら駄目になるから。
だからきっと、俺は頭の奥底に封じてきていたのだろう。
それなのに今、この幻想の中で思い出していいのか?
「そうさ。これは幻想。真実じゃないかもしれないんだ。俺の作り出したものでしかないって、そう自分でもいってたじゃないか。第一、ここで俺の無意識が作り出した真相ってものを見てしまったら、それを俺が『本当の真実』にしてしまうかもしれないんだ」
だったら、こんなのはどうだっていいじゃないか。見なくたっていい。そうだろ?
…………ああ。分かっているさ。そんなのただの言い訳だって。分かってる。
幻想なんかじゃない。この景色は、確かに俺の昔の姿なんだ。記憶なんだ。
確かに、視点が自分自身であるはずの、子供ではない。けど、俺の本能がそう言ってくれてる。
それだけじゃない。思い出せるんだ。確かに……。
ずっと見てると最初は分からなかったことが……。
この人の……母さんの顔が。雰囲気が。
それはぼんやりとしていて完全ではない。顔も全然見えない。けど、確かに感じる。
優しさに満ちた空間……。安らげてくれる感情。
俺は、これが幻想なんて思えない。これは本当に、確かな俺の記憶だ。
ならあとは一つだ。
この記憶を思いだしたいか。だしたくないか。
俺は……思い出そうと思った。
正直な話、これは思い出さないほうがいいことなのだろう。さっきも思った通り、これは封印してきたものなんだから。思い出したとき、俺がどうなるのか分かったものじゃない。
それこそ、後悔するのかもしれない。だったら、そのままにしておくのがいいんだろう。それに、いつもの俺なら迷わずにそうしていた。でも、今回は違う。だって……。
「いるんだよ……目の前に。こんなにも美しい女性が……俺はその人の子で、今まで生きてきていたんだろ?」
絶対に、どう考えても俺の知っている母親と、目の前の母親は別人だ。辻褄が合っていない。それが何を意味するのかわからない。だけど思うのは、
「惜しいじゃないか。こんな素敵な人のことをずっと忘れたまま生きていくなんて。大切なはずの人のことを、忘れたまま生きていくなんて。悲しいし、それに……」
今なら分かる。
さっきまでよりも鮮明に。
そして、さっきよりもたくさんのことを。
いつも笑顔でいてくれた母さん。
俺のことをしっかりと見守っていてくれた母さん。
俺の起こす予想外の行動に困りながらも、冷静に対処していた母さん。
全部……思い出せる。
それだけの思い出を。
母さんと過ごした日々を。
思い出したんだ。だからこそ、俺は――
「母さんに失礼だもんな」
全部なかったこととして記憶を閉ざすことは、母さんがいたことを一緒にいた時間を、すべて否定してしまうこと。そんなことをしたくなかった。
「これから先にある大切なこと。俺は思い出すよ」
それを知らなければ、また忘れるのだろう。母さんとの大事な思い出も。
思い出したくない、過去として一緒に心の底へと封印されてしまう。
それだけじゃない。真実を知った時、俺の心がまた、記憶を閉ざしてしまうかもしれない。
今までにも、こんなことがあったということも考えられる。今回は大丈夫という保障があるわけではない。
「俺は絶対に忘れない。これは俺の意思。確固たる決意。たとえ、何があろうともこの決意……曲げたりはしない」
だから――いよう。
もう忘れない。
逃げない。
過去から。
ちゃんと向き合うよ。
だから、母さん。一緒に……いよう。
もう迷いはなかった。現実を見据えていた。
夢という形で現れた、俺の閉ざされた記憶。
現実から逃げていた自分。忘れるという手段を使って逃げていた。
だからこそ、思ったのだ。
もう忘れるなんて駄目だと。
逃げちゃいけないと。
時間はずいぶんと経った。俺も少しは成長したはずだ。いつかは、この事実を受け入れなきゃいけない。それが今だ。
昔は俺の心が幼いから受け入れられなかったこと。
でも今は、もう辛い現実にだって目を向けることができる。受け入れられるはずだ。
(ああ……なんだろうこの気持ち……すごく清々しいや……)
久しぶりに感じたかもしれない。こんな感じ。
嫌な気持ち……負の感情が洗い流されるような感覚。
優しさに包まれているこの空間。とても、居心地がいい。
(あ……)
そんな中、俺の体に異変が生じた。少しずつ消えかかっている。夢が覚めるようだ。
(母さん……)
やっと会えた。ついに取り戻せた。そう思ったけど。ここで夢は覚めてしまうんだね。
だとしたら、どうなるんだろう? この記憶は覚えているんだろうか? せっかくの思いだした思い出は、また忘れるのだろうか?
……嫌だ。もうそんなことにはなりたくない。
大切なものをもう失いたくはない!
「母さん……今はまたちょっとの間、お別れだけど……本当の真実を知るのは、少し先になるみたいだけど……。オレ、絶対忘れないから」
今日見た夢のことは。
この記憶だけは。
もう、絶対忘れないから。
「だから……母さん。それまで、さよなら。そして、ありがとう。会えてうれしかったよ」
言い終わると、本格的に夢は覚めつつあった。
意識が遠ざかっていく。頭が重くなっていく。だんだんと視界も暗くなっていく。
そこまで来ると、なにも考えられなくなった。そして完全に意識が途切れた。
目が閉じている。当たり前だ。今、夢から目覚めたんだから。ただ、目を開けずにまだいるだけなんだから。俺は見ていた夢のことを思い出す。
(母さん……)
……ちゃんと覚えていた。母さんのこと。忘れていなかった。……なら、いいか。
俺はゆっくりと目を開け、差し込んでくる光をしっかりと受け止めた。




