Dream Memories3 電車 1
――子供サイド――
ぼくは今、電車の中で揺られていた。
電車というのは何にか……すごいものだと思った。それは、歩くよりも早く遠くまで行くことのできるからだ。
でも、本当はそれだけじゃなくて、電車が動くことによって、そこから見える景色が絶えず変わり続ける。そんな、電車の中から見える景色に、ぼくはすごいと思ったのだ。
ぼくの中の世界――つまり、家の庭というのは、やっぱり姿は変わらない。
まあ、ぼくたち子供が持つ想像力はすごく、庭なんかでも、アニメなんかに出てくるような大きな森や、雲の上の世界なんかに変えることができる。
けどそれは、結局は想像でしかない。あくまで自分の中だけでしかないものなのだ。
ここから見えるものは違う。実際に存在する、世界にある一つの風景。
それはとても、自分が作り出したものでは味わうことのできない、リアルがあった。
子供というのは、現実と想像を混同してしまうというが、ぼくにとっては全然違う。想像よりも上にあるのが、やっぱり、現実なのだとぼくは思う。
だから、現実におきえないことはたとえ想像でも、ぼくにはなんの面白みもない。想像も現実の中にあるからこそだと思うのだ。
想像という作られた世界では味わえないことが、現実。
想像というのは、現実の中にあってこそのもの。それがぼくの考えだった。
こんなことを考えているからなのか、ぼくはよく、人に『大人びている』とか、『ませている』とか言われることがあった。実際、そうなのだろう。
ぼくは他の……同じ年齢の子より何かが違っていた。
「ねぇ、おかあさん」
ぼくはおかあさんに話しかけた。家を出発してからそれなりに時間が経った。
時計を見れば、長い針がすでに一回転をしようとしていた。
でもそれなのに、未だにぼくたちは、電車の中で外を見ていた。それもぼくにとっては楽しいことなのだが、元々ぼくはおかあさんに連れられてどこかに行こうとしていたのだ。やっぱりそれが気になってしまう。
それが楽しみで自分の世界から出てきたのに、まだそこにはたどり着けてない。
ぼくはまだ、どこに行くのか知らない。おかあさんは話してくれなかった。聞いても「ついてからのお楽しみ」というばかりだった。……そして、少しだけ顔を歪ませるだけだった。
「ずいぶんと時間が経ったけど、どこに行くの? さすがにもう教えてくれてもいいんじゃない?」
どうせ駄目だと分かっていても、ぼくはそう質問した。これはぼくの好奇心の問題でもあるが、それ以上に……。
「……………………」
このおかあさんの辛そうな表情が、どうしても気になったからだった。
家を出るときも、おかあさんはそうだった。なにかに辛さを感じながらも、ぼくの前では笑っていた。
だから、ぼくもそれを分かっていても、笑って返してあげることが……気づかないふりをしていることが、一番いいと思った。
だけど、それはやっぱり違うと分かっていた。
苦しんでいるなら、助けてあげるのがいいなんてことは分かっていた。
でも、ぼくがそうしなかったのは、きっと『分かっていた』からだ。
分かっていた……何もかも分かっていながら、ぼくは分からないふりをした。
(……けど、いいんだ)
ぼくは知っちゃいけないから。
思い出しちゃいけないから。
認めちゃいけないから。
ぼくは何も知らない自分でいい。今はまだ、それでいい。
どうしたって、もうすぐ知ってしまうから。
思い出させられるから。
認めさせられるから。
だからぼくは今だけでも分からない自分でいたいと思った。




