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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第4章・消えない傷跡
36/57

消えない傷跡・2

 国王がおわす王都は、王城を中心に市街地が広がる城下町だった。

 王城の周りには有事にもすぐに対処できるよう、国の公的機関がぐるりと建ち並ぶ。その周りを貴族の邸宅が囲み、さらにその外に一般国民の住居や商店が軒を連ねるという造りになっていた。

 王城に最も近い建物、王国警備隊の官舎は新しいものではなかったが、上質な建材を用いた伝統ある建物だった。巨大な大理石やエボニーが惜しみなく使われ、さらには貴重な鉱石であるミチリス鉱までもがすべての柱に埋め込まれている。国民100人に聞けば100人が「王城に次ぐ荘厳な建物だ」と答えることは確実だった。

 その4階建ての官舎の2階。王国警備隊・第2部隊、通称中央部隊の執務室はそこにあった。

 100名以上が在籍する部屋は広く、艶のある机がずらりと並べられている光景は圧巻の一言。普段、外回りから戻った隊員はここで報告書を作成したり、少しばかりの休憩を取ったりする。

 しかし今、執務室には3名の人間しかいなかった。それ以外の隊員は、約半数が1週間前に発生した建国史上最低最悪の凶悪事件の後片づけに追われて外出しており、そしてもう半数はその事件で身体的または精神的に患って休職を余儀なくされていた。

 生者としてカウントできなくなった者も、複数名。

 元々広い執務室は、空虚と言えるほどガランとしていた。

 「あー、やってらんねえよなぁ……」

 在室している内の1人、明るい茶髪の軽薄そうな男が椅子の背もたれに寄りかかって天井を眺めながら独り言を呟いた。髪はボサボサ、口の周りに無精髭が見て取れる。加えて、目の下にはくっきりと青いくまが浮かんでいた。

 群青色の軍服は何日も着続けているせいか、本来の威厳を失いかけていた。唯一輝いているのは隊花であるアスターが彫られた真鍮のエンブレムだけ。

 男が向かう机の上にはとある建物の図面がある。1枚ではない。玄関、大広間、晩餐の間、宝物庫、厨房、寝室、客室、訓練場、おまけに広大な庭。すべてを合わせると20枚にも及ぶ間取り図は、事件の発生場所である貴族の屋敷のものだ。

 図面には所々に赤い丸印がつけられている。隣には日時に人名、状況のメモ。

 男が寝る間も惜しんで作成していたのは犠牲者の遺体発見場所をまとめた屋敷の見取り図だった。

 「一体あいつら、なんであんなことしちまったのかね。36人だぜ、36人。まだ口割った奴いねーんだろ? 司法部隊から連絡あったか?」

 カーディナル家の屋敷で一族の人間と多数の使用人が惨殺された事件。王国中を震撼させたこの事件は1週間が経った今、カーディナルの代名詞でもあった魔術《赤戒(せきかい)(くさり)》をもじって『赤壊(せきかい)(くさび)』と呼ばれるようになっていた。

 犯行に及んだのは一族に仕えていた6人の使用人。『大罪人』『6人組』『王国最悪の悪夢』『崩壊者』――等の呼び名がついた彼らは、多くの犠牲を出しながらも全員確保されたが、取り調べが難航しているという噂しか流れてこないのが現状だった。

 「まだ何も。目的が一切わからないらしいね。狂っているとしか言いようがない」

 茶髪の男に返答したのは、彼の同期である真面目そうな風貌の男だった。元々の細目をさらに細めて、思案する。その目の下にも当然のように青いくまができていた。

 「ひっでえもんだよ。規模も、しでかしたことも、影響も、な」

 「まったくだね。――あのさ、ここ数日、僕はまともなものにありつけていないわけなんだけど、全然食欲が湧かないんだ。むしろ、無理して何か口にしたら吐くと思う。仕事を続ける上では空腹で集中できなくなるよりマシなんだけど――皮肉なもんだ」

 「……あれ、見ちまったらな」

 「6人全員が食人してたっていうから、異常者が集まって事件を起こしたってことなのかな」

 「異常者ねえ。人殺しだけでも普通はそう呼ばれるんだけどな。今回のはちっと強烈すぎるよなあ」


 「――そうでしょうか?」


 男2人の会話に口を挟む声。振り向くと少し離れた席で、その声の主がぴょこんと顔を出した。ブロンドの髪とアメジストの瞳が光る。

 「んー? どうしたディアナ?」

 ディアナと呼ばれた、少女と言っても通用するほど齢の若い隊員は、自席を離れると会話していた2人の近くに腰掛けた。男たちが来ているものとは少しデザインが異なる女性ものの軍服は、くたびれてはいるが比較的新しい。やはり目にはくまがあるが、職人にでも作らせたのかと思うほど整った顔のパーツを持つ彼女には何処となく優美な雰囲気があり、『やつれている』という言葉より『儚げ』という言葉を採用したくなる。得な女だった。

 「何処か気になるところでもあった?」

 問いかけてくる先輩に対して、彼女は言う。

 「はい、ちょっと。奴らが狂った異常者というのは、どうなんでしょう?」

 「どうなんでしょうって……いや、どう考えてもオカシイだろ」

 「ああ、いえ。オカシイというのは確かなんですが……完全に狂人というわけではないような。私には、奴らが計画的に動いていたように思えるんです」

 彼女は若く、隊に配属されてから日も浅い。しかし、他の追随を許さぬほどの洞察力、観察眼を持っていることは紛れもなく、この事件の解決に彼女が大きく寄与したことは厳然たる事実だった。男2人は顔を見合わせると、何も言わずに先を促した。

 「私がおかしいと感じる点はいくつかあります。まず一つ目。カーディナル家の人間を殺して食べた、しかしその一方、それ以外の人間には一切口をつけていない点」

 「――いや、変だろ。じゃない、おかしくないだろ。ああ、混乱するな、とりあえずちょっと待て」

 「どうしました?」

 「カーディナル家でも全員が食われたわけじゃない。つまり、偶然食人の対象になったのが全員カーディナルの人間だっただけで、犯人たちに選り好みする意図はなかった。そうであればお前が感じている疑問は思い違いだってことになる」

 「それがそうとも言い切れないんですよね」

 彼女は紙の束を差し出した。一枚一枚にびっしりと文字が並んでいる、めくっているだけで気が遠くなりそうな書類だった。紙と紙の隙間から複数枚の写真が覗いている。

 「ようやく届きました。これは、今回の事件の被害者たちのデータです。生い立ちやら経歴がまとめられていますが――ここから分かることは、カーディナル家で食われなかったのは他の一族から嫁いできた嫁や婿、つまりはカーディナルの血を継いでいない人間だったということです」

 これは偶然と言えるのか。そう訴える目をしながら、彼女は指を2本立てる。

 「一つ目に関連して二つ目。カーディナルの血を受け継いだ人間を晩餐の間に集めた一方、それ以外の人間は別の場所で殺している点」

 「別の、場所……」

 茶髪の男は自分が作成していた見取り図に目を通した。赤い印の位置を確認する。

 確かに、カーディナルの血を継いだ人間は皆、晩餐の間で生き絶えていた。一方、使用人や、カーディナル家であっても嫁や婿の立場である者は、発見場所に法則性がない。というか、晩餐の間から離れた場所で殺されている――?

 「晩餐の間で発見された遺体は見るも無惨でしたが、他の遺体は比較的綺麗なものでした。殺し方に無駄がない。殺すために殺した、とでも言いますか……ほとんど抵抗のあとも見られなかったので、1人ずつ適当なところへ誘い出し、隙をついて淡々と殺していったんでしょう。見境なく狂っていたのであればそんなことはしない」

 白くて細長い指が3本になる。

 「そして最後、三つ目。あれだけ派手に殺しまくったのに、1人だけ生き残らせた点」

 生き残り。

 今ではカーディナルの血を受け継いだ唯一の人間になってしまった少年。

 「理性がとんだ獣が、1人だけ大事に確保しておくものでしょうかね? 我々に対する人質という感じでもありませんでしたし、とすれば――」

 「何か意味や目的があった、と」

 3人は腕組みをして考え込んだ。執務室が完全に無音になる。しばらくして、最初に音をあげたのは茶髪の男だった。

 「あー、考えれば考えるほどわけわかんねー」

 「先輩、それでよく警備隊に就職できましたね……」

 「うるせー、俺は腕っ節要員だから頭脳労働は苦手なんだよ」

 「それ自分で言っちゃ駄目なやつです」

 軽口の応酬に苦笑して、細目の男がパンッと手を叩く。

 「じゃあとりあえず、今分かっていることや考えられることを整理してみようか」

 男の提案に、他の2人は頷いて同意を示した。

 「犯人グループは、何らかの計画にそってカーディナル家を襲撃した。狙いはカーディナルの特殊な血を受け継いだ者たち。それ以外の人間は、邪魔にならないよう屋敷のあちこちでこっそりと殺した。その後、カーディナルの血を受け継いだ人間を晩餐の間に集めて血肉を貪った。1人だけ殺さずに拉致したが、このタイミングで警備隊に全員確保された……こんなところかな」

 「そうですね、そうなります」

 「うーん、前よりかはわかりやすくなった、のか?」

 「目的はまだ見えてきませんね」

 「――仮説になるけど、ちょっといいかな。その昔、何かの本で読んだことなんだけど」

 細目の男は、過去に得た知識を引っ張り出そうとして――それか、あまり愉快な話題でないからかもしれないが――眉間に軽くシワを寄せた。

 「――飢餓状態における生存目的を除いた食人行為、すなわち儀式的な習慣をカニバリズムと言って、そういう概念がある。もちろん、今のこの国では認められることじゃないけど」

 「儀式的な習慣?」

 「例をあげると、食人することで対象の力を取り込むとか、自分を強化するとか、そういう類の信仰」

 「……まさか」

 それを聞いたディアナの顔色がすっと青くなる。

 「カーディナル家の特殊系統魔術、《赤戒の鎖》……!」

 カーディナル家はその血を用いる特殊な魔術で、対象の魔力や能力を押さえつけることができる。もちろんその逆も。

 であれば、この考えに至るのは不思議なことではない――吐き気がするほど醜悪ではあっても。

 「血をつけるだけで力を底上げすることができるカーディナル家。その血肉を食せば、能力を限界まで開花させることができると考えて……?」

 一体全体どうしてこういう考えに至ったのか、これが本当であれば頭を抱えたくなるような動機だった。

 仮説だと断りを入れた細目の男も自分が言った内容に引いているのか、形容しがたい表情で固まっている。

 カニバリズム思想。

 狂っているくせにどこか合理的だった犯人たちの行動。それは彼らなりのルール、信仰から来ていたのか。その理由は、能力開発の思想にあった――?

 「でもよ、確保のときは散々粘られたけど、あいつらそんなにすごい能力に目覚めてたか?」

 ポツリと。

 難しい顔で腕組みを継続していた茶髪の男が思い出したように呟いた。

 そういえば。

 「確保に苦労はしましたが、飛び抜けてすごい魔力は感じませんでしたね。屋敷の構造上、攻め方には難儀しましたが、魔術の攻略という点ではあまり印象がない」

 そもそも、途轍もない能力とやらに目覚めてしまっていたら、今ごろ確保なんてされずに全員逃亡していたことだろう。

 ――とすれば。

 「じゃあなんだ。あいつらは、カーディナルの血を飲めばすっげえ力が手に入ると思い込んで、36人も殺して。で、実際に血を飲んでみたけど能力はこれっぽっちも変化しなくて。大暴れした挙句確保されたってわけか?」

 茶髪の男は心底軽蔑した顔で、そして、少しの哀愁を込めて、この仮説を聞いたらすべての人が思うであろう心の声を代弁した。

 「バッカみてー……」

 本当に、馬鹿みたいだ。

 これでは、亡くなった人たちが浮かばれない。

 今ある情報で推測できるのはここまでだった。この仮説が真実か、誤っているかはさておき。

 「……この国の司法は、これからどうなるんでしょうね」

 このまま休憩を取ることにした3人は、ストーブの上に置かれたケトルから熱いコーヒーをカップに注いで口をつけた。今後のことを憂いてディアナは疑問を口にする。

 カーディナル家がほぼ滅亡状態の今、これまでと同じ方法で司法を行うことは難しいだろう。思えば、司法部隊から一向に連絡が入ってこないのも、取り調べが難航しているということだけでなく、長を亡くした司法部隊が混乱の極みにあるということが大いに影響しているに違いなかった。

 とろんとした眼をこすりながらコーヒーを流し込んだ茶髪の男は、固まった肩をほぐしながら言った。

 「今後のことは王がお決めになるんだろうが……とりあえず、今回の件はあのおぼっちゃんがケリをつけるだろ」

 「……え?」

 ケリを、つける?

 「『え?』って――おいおい、当然だろーが。自分の家族を殺した連中を裁ける権利と能力があるんだぞ。やらないわきゃねーだろ」

 驚いた表情を向けたディアナに、茶髪の男が呆れたような――あるいは非難するような口調で告げる。

 「まあ、そうなるだろうね。彼にしかできないことだから。直接仇を討つってわけではないと思うけど……これはあの子ができる唯一のケジメで、報復だ」

 同意する細目の男。

 この2人は生き残りの少年が自分の宿命を、血筋にまつわる義務を全うすると信じている。

 しかし、ディアナは違う。

 何を――。

 何を言っているんだろう?

 一体この先輩たちは何故こんなことを口に出せるのだろう。

 あいかわらず不思議としか思えないディアナは、はたとあることに気がついた。自分と先輩たちとの違い。この2人は、事件後の彼を一度も見ていないのだ。

 そうであれば、血迷ったとしてもこんなこと言えるわけがない。

 今のあの子の状況を知っていたら――。


 「ディアナ、いるか?」


 3人で占有していた執務室に、1人の男が入室してきた。

 「あ、分隊長」

 部隊は複数の分隊で構成されている。今現れたこの男は3人が所属する第1分隊を取りまとめる直接の上司で、それゆえ着ている軍服も一般隊員のものとは少し異なっていた。歳はそろそろ30に届くというところ。この若さで中央部隊の第3位に就いているということからわかるように、相当頭の切れるエリートだった。精悍な顔立ちには疲れが見えるが、立場ゆえに必要最低限の身だしなみは整えるよう努力しているようだった。

 「分隊長、お疲れ様です」

 部屋にいた3人は立ち上がり、敬礼をする。

 「何か御用でしょうか?」

 名前を呼ばれたディアナが訊ねると、分隊長は敬礼を下ろすように指示して訊ね返した。

 「ディアナ、今日は彼のところに行ったか?」

 ここ数日、官舎ではこの事件の話題しか出ようがないから「噂をすれば影」というのとは少し違うが。

 彼、と言えば、もちろんあの子しかいない。

 「いいえ、今日はまだ。これから行く予定でしたが」

 「そうか。ルチアが探していたから行ってみてくれ。検査結果が出たと話していた」

 わざわざ分隊長が伝言に来るとは。申し訳ないことをしたと思うディアナの横で、敬礼を下ろした茶髪の男が軽口を叩いた。

 「分隊長、なんでディアナがおぼっちゃんのお世話係に任命されたんですか? 俺も一度くらいは会ってみたいですよ」

 休憩中とはいえ分を弁えているとは言い難いその発言に、分隊長はたしなめることなく冷静に返した。

 「ディアナに任命したのにはちゃんと理由がある」

 「と言いますと」

 「警備隊に所属するいかつい男性よりも、女性のほうが彼を萎縮させないと考えたから。さらに、ディアナは彼を助けた張本人だ。これ以上の適任はいない」

 「まあ、そうですよね」

 茶髪の男もそれがわかっていないわけではないし、本当に自分がお世話係になりたいわけでもない。休憩時間にやってきた上司とコミュニケーションを取るための単なる軽口で、それ以外の何物でもない。

 だからこの、部下に慕われている分隊長はこう付け加えてやるのだった。

 「お前がそういう役回りになることはまずないな」

 「断言ですか」

 「お前みたいな騒がしい奴が急に現れたところで、相手が気を使うだけだ。どっちがお世話係かわからん」

 他愛ない話を聞き流しながら、ディアナはカップに残ったコーヒーを飲み干した。よく冷まさないまま流し込んだので、熱さに顔をしかめる。

 「それじゃあ、ちょっと様子を見てきますね」

 ディアナは敬礼もそこそこに、執務室を後にした。

 検査結果が出たということだが、何か新しいことでもわかったのだろうか。

 (「一度くらいは会ってみたい」、か)

 官舎の長い廊下を足早に移動するディアナは、先ほどの先輩の発言が頭の中でリフレインして軽いため息をついた。

 あの子の現状を知っているのは、中央部隊でもほんの一握りの人間のみ。知らなくてもいい人間には徹底的に伏せられている。

 先輩に悪意がないことは百も承知だが、何も知らない先輩に対してこう問いかける寸前だった。

 本当に会ってみて、あの子を見たとしたら、「血筋に従って義務を果たせ」と言えるのですか、と。

 ここまで考えて、分隊長があのタイミングで現れたのは直前の会話を聞かれていたからかもしれないと思い至った。先輩に対する軽口も、あの場の空気を不自然なものにしないためだったのではないかと。

 「まだまだだなあ、私も……」

 上司の優しさに頼っている自分に反省しつつ、それならば与えられた仕事は全うしなければならないと、ディアナは軽く頬を叩く。

 気持ちを切り替えて、ディアナは官舎の地下に向かった。

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