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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第0章・プロローグ
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プロローグ

仕事の合間にちょこちょこ書いたものを投稿します。

ネット上に投稿するのはこれが初めてです。

基本的に1週間に一度の更新です。

最後まで走り続けられるよう頑張ります!

 限界にきていた。


 暖かくなってきたといっても、さすがに夕方にもなれば肌寒い。時折冷たい風が吹き、満開になりかけの桜たちを大きく揺らした。それが赤々とした夕日に映え、幻想的な美しさを放っている。

 その景色とは裏腹に、白南風玖凪(しらはえくなぎ)の気持ちは暗澹としていた。彼女が着ているのは松波高等学校の制服で、どこかくたりとしている。長い黒髪は鳥のくちばしを彷彿とさせる大きなクリップで一つに纏めていたが、見る人によっては雑な印象を受けることは間違いなかった。覚束ない足取りで、アスファルトの道をじりじりと進んでいく。


 玖凪には、少し困った癖・特性があった。

 それを我慢しようと思ったことは過去に何十回とあったが、今回ほど長続きしたことは一度たりともなかった。

 これが禁煙であれば(玖凪は未成年であり、もちろん喫煙者ではない。例えだ)「成功した、よかった」で済む話だったのだが、生憎玖凪の問題はそういう類のものではなかった。

 異変に気づいたのは、我慢を始めて10日目、今日から3日前のことだ。

 溜め込んでいたものが燻り、今までにないほど澱んでいた。

 普段は小まめに消費されていたものが行き場をなくし、溢れる寸前になっていた。

 これを解放してしまった場合、これまでの比にならないほどの出来事が起こるということを玖凪は感じ取ってしまった。

 だから我慢を続行せざるを得ないのだが――もう自分のキャパシティギリギリで、こうしている間にもさらに澱みは濃縮されていく。

 我慢なんてするべきではなかった。

 過去を悔やんでもどうしようもないことはわかっている。

 だが、ここまで来てしまって一体どうすればいいのか?


 進むことも戻ることもできず、ただ我慢をしながら、玖凪は交差点にさしかかった。

 東に向かってすぐのところに商店街があるせいか、人通りは多い。車も先ほどから途切れることなく続いている。

 そこで信号待ちをし、青になったのを確認、癖を出さないように細心の注意を払いながら一歩踏み出した、その時。

 横断歩道の反対側にいた中年女性が、立ち話に夢中になって愛犬のリードを手放した。一箇所に留まることにいい加減飽き飽きしていたその犬は、絶好の機会を逃さず、スタートダッシュ。容赦ない勢いで玖凪にタックルを食らわせた。

 「あっ――」


 パッチン。


 予想外の出来事に、張り詰めていた玖凪の注意力もきれた。そして――左手で指パッチン。

 途端、恐ろしいことが連続して起きた。

 まず、先ほどの犬はクイッと浮き上がり、颯爽と駆けてきた弁当配達のバイクの運転手に直撃した。当然のごとく、運転手の体とバイクは離れ、運転手は犬ともみくちゃになりながら後方に吹っ飛び、一方のバイクは乗り手を失って惰性で走行したあと、バランスを崩して横倒しになった。

 正確に動いていたはずの信号機は、青・黄・赤、さらには茶・紫など、通常では考えられない色で高速点滅している。

 信号のせいか、それとも別の要因か。バイクに続いていた他の車たちも、お互いぶつかったり、電柱に追突したりしている。あたりにはクラクションの音と、ゴムの焼けた匂いが充満した。

 さらには、商店街の買物客が持っていたであろうたまねぎやらティッシュボックスが宙に浮いている。

 まさにありえない光景。

 一体何が起きたのか、瞬時に理解できた者はいない。――玖凪以外は。

 これが彼女の癖、そして特性。

 玖凪の左手の指パッチンは、彼女にも予測できない事態を巻き起こす。

 もちろん、普段はこれほどのことは起こらない。せめて傍にあったりんごが砕けたり、時計の針が逆回転したりする程度だ。

 これほどの惨事を引き起こしたのは、慣れない玖凪の我慢が原因であることは間違いなかった。

 騒動は止まることを知らず、玖凪は止め方を知らない。

(どうしよう......どうすれば......!)

 どうしようもなく、壊れた人形のように立ち尽くす。喧騒の中、玖凪だけが切り離されたよう。

 本来、白南風玖凪は何事においても自助しようとするタイプの人間である。

 その彼女が、柄にもなく縋った。

 自分の力ではどうにもできないことを認め、何でもいいからこの事態を収束して欲しいと心から祈った。

 自分のせいで起きたことを自分で解決できないという不甲斐なさに苛まれながら、それでもなお願った。

 そんなに都合のいいことが起きるはずがないということも分かっていたけれど。

 それでも縋るしかなくて。

 目の前の現実をこれ以上見ていられず、涙でゆがんだ景色を閉じながらーー。

「おい」

 そんな彼女に、奇跡が起きる。

 「――え?」

 ぱっと目を開ける。視界が一人の人物に占領された。それは、この惨事の最初に、犬に巻き込まれて吹っ飛んでいったバイクの運転手だった。

 「おい、止めろよ」

 「は、はい?」

 「お前だろ、これの原因」

 運転手はヘルメットを取った。それを見て、――そんな場合ではないのに――玖凪は思わず見入った。

 運転手、玖凪と同い年くらいの少年の髪と瞳は、燃えるような赤だった。

 最初は夕焼けのせいかと思い、次に事故の怪我で大量出血して髪全体が真っ赤に染まっているのかと思った。しかし、それは彼そのものの色であり、鮮やかで、それでいて深い、見る者を魅了する不思議な色をしていた。

 「おい、聞いてるのか」

 少年の声で我に返る。

 「だから、どうするんだ、これ」

 「どうにかしたいのは山々なんですけど……」

 止められるものなら止めている。

 「まさかお前、自分でやったくせに止め方がわからないのか」

 何故、私が原因だとわかるのだろう。そう思って少年を改めて見ると、

 「あ、血が――」

 やけに赤い血だった。

 少年の左腕には傷があり、そこから血が滲んでいた。大量出血ではないとはいえ、あれほどの勢いで吹っ飛んだのだ。無傷なわけがなかった。少年はそれを手で拭い、まじまじと見つめる。

 その顔は、非常に形容しがたいものだった。自分が人間であることを久しく忘れていて、それを思い出したかのような。

 少年は、血のついた手を見たあと、視線を玖凪に移した。

 しばらく逡巡すると、顔を上に向けて諦めのような息を吐きだし、その手を玖凪の額に押しつけた。

 「な、なななな、なにをするんですか!」

 血まみれの手を押しつけられて面食らった玖凪のことなどお構いなしに、少年は言う。

 「お前は、これを止めたいか?」

 「と、止めたい、です」

 「本当に自分では止められないんだな?」

 「本当の、本当です」

 ここでまた、ため息。

 「いいか、俺は調整するだけであって、やるのはお前だからな」

 瞬間、少年の手が熱を持った。額がじんっと温かくなり、そこから体中に電流のようなものが駆け巡った。

 すると、目の前で起きていた惨事がピタリと止まった。

 点滅していた信号機のライトも、鳴り続けていた自動車のクラクションも、宙を舞っていた様々な品物も、それらを目の当たりにして騒然としていた野次馬たちも、全てが停止した。

 その現象を認識しているのは、少年と少女だけ。

 玖凪はただ少年を見ていた。赤い髪と瞳が穏やかな光を放ち、陽炎のように揺らめいていた。

 少年は玖凪から手を離さないまま、周りの様子を伺い、諭すように告げる。

 「ほら、やってみろ」

 少年の言葉に促され、すぐに世界は動き出す。前方に、ではなく、後方に。録画テープを巻き戻しているかのごとく、するすると全てが元通りになっていく。宙を舞っていた品物は持ち主の手元へ、壊れた自動車は走行可能な状態へ、歪曲した電柱はまっすぐに。最後に、惨事のきっかけになった犬が飼い主の鎖に繋がれ、復元は完了した。

 一瞬、軽く引っ張られるような不思議な感覚が玖凪の全身を襲った。時間の流れがいつも通りに戻る。

 そこに居合わせた人々は、しばらくの間茫然としながら首を捻っていた。確かに、目の前で大惨事が起きていたはずだ。しかし、大破している車なんて存在しないし、信号も規則正しい間隔で青・黄・赤を繰り返している。

 悪い夢でも見ていたかのようだ。

 これ以上ここにいても仕方ないと判断したのか、人々はぱらぱらとその場を後にする。最後に、ぼけっとしていた犬が、飼い主の女性に引っ張られて「わふっ」と変な鳴き声を発した。

 あたりまえの光景。戻ってこられた。

 一気に気が抜けて、玖凪はその場にぺたりと座り込んでしまった。涙で滲んだ目で少年を捜すと、彼は自分のバイクが無事であることを確認し、早くもこの場から立ち去ろうとしていた。

 「ま、待って!」

 すでにヘルメットをかぶっていたため、その表情までは判らなかった。少年はこちらを向いて、

「もうこんな面倒事起こすな」

とつまらなさそうに言い置き、バイクを発進させた。


 これがきっかけだった。

 時間にして数分、しかしこの時の出来事が、少年と少女の未来を確かに決定付けた。

 こんな出会い方でなければ違う未来もあったかもしれない。否、結局同じルートを辿ることになった可能性もある。それは誰にも解らない。

 ただ一つ言えることは。

 彼らの始まりはこのようなものだったということだけである。

 様々な因果が絡み合う、複雑な未来の幕開けだった。

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