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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第2章・少年と少女のおつかい
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少年と少女のおつかい・9

 「ええと、千佳ちかちゃん、だよね?」

 しばらくして泣き止んだ玖凪くなぎは、自分が抱きしめていた女の子からそっと手を離して訊いた。

 これで人違いであれば酷いオチだったが、さすがにそんなことはなく、目を赤く腫らした千佳はこくんと頷いた。

 「私たち、千佳ちゃんのお母さんにお願いされて、千佳ちゃんを探してたんだよ」

 目の高さを合わせて話す玖凪の言葉はどこまでも優しい。

 「ねえ、千佳ちゃん。どうして一人でここまで歩いてきたのかな?」

 せっかく泣き止んだ千佳の瞳に、再び涙が満ちる。

 「あ、あのね、だって、嫌だったから」

 「うん」

 「お引っ越しするの、嫌だったから。か、帰りたかったから!」

 これが、道もろくに分からない6歳の女の子が独りで街を離れようとした理由だった。

 「そっかあ、千佳ちゃんはこの街があんまり好きじゃないのかな?」

 「この街には、かおちゃんもきっちゃんもいないもん。千佳が好きなケーキ屋さんもないし、ワンちゃんに会える公園もないし。千佳、あの街が好きだから!」

 道理で、秋水あきみずには分からないはずだ。

 自らの意志で故郷を捨ててきた秋水にとって、その感情は理解できても共感できるものではなかった。

 羨ましいとは思わない。愚かだとも思わない。ただ、自分とこの女の子では生きてきた環境が違うのだと、その事実だけを思い知った。予想するなど、到底困難な類のものだったのだ。

 ――その理屈で言えば、千佳の心情を慮ることの出来た玖凪は、彼女と似たような体験をしたことがあるということになるが。

 玖凪にも帰りたいと想う場所があるのだろうか。

 「千佳ちゃんが住んでた街は、とても素敵な場所だったんだね」

 「うん、そうだよ――」

 「でもね、お母さんに内緒で行こうとするのはどうかな? お母さん、とっても心配してたよ」

 「……うん」

 「ね。今日は一度、お母さんのところに帰ろっか」

 看板が自分目がけて落ちてくるという恐怖に晒され、さすがにこれ以上独りで行動する勇気も元気もなかったらしい。千佳は力なく頷いた。


 通行人が通報したのか、落下した看板の元にはパトカーや消防車が集まり始めていた。

 千佳が無傷であることを再確認してその場を離れ、玖凪は千佳の母親に電話をかける。

 「はい、これからそちらに……はい、それでですね」

 秋水はその間、千佳のことを見ていた。また独りでいなくならないように、と念を入れていたが、すっかりしょげている千佳を見るとその心配はなさそうだった。

 「ねえ、お兄ちゃん」

 「ん?」

 「お母さん、千佳のこと怒ってるかな?」

 「いや、怒ってはいないと思う」

 「うん……」

 「…………」

 話が続かない。千佳を元気付けてやることもできない。年下の扱いが分からない秋水にとって、これほどつらい役目もない。

 思い返してみれば、今日は美琴みことにしろ千佳にしろ(そして年の差はわずかであるが玖凪にしろ)、年下の少女絡みで受難する日のようだった。

 「お待たせしました」

 電話を終えて玖凪が戻ってくる。

 「それじゃあいこっか」

 千佳の手をぎゅっと握りしめ、ゆっくりと歩き始める。秋水は2人の後ろに続いた。

 千佳を捜して歩き回った行きの時とは違い、帰りは道が決まっている。母親が待っている紅梅堂までそれほど時間はかかるまい。

 交差点で信号待ちをする。青で進行を促されたので横断歩道を渡り、左へ――。

 「…………」

 ――右?

 秋水の疑問をよそに、玖凪は迷いなく右へ進む。

 この街に不慣れとはいえ、さすがに秋水にも分かる。どう考えても、商店街へ向かうには左折した方が早い。

 玖凪がそのことに気づいていない訳がない。だがその意味が解らない。声をかけるべきか、黙っているべきか。

 先を進んでいた玖凪と目があった。意味ありげな目配せ。そして魔術に頼らずとも「まあ、ここは任せてください」という声が聞こえるような、屈託のない笑みを向けられた。

 しばらくして目の前に現れたのは、『岩城公園』の広場だった。

 昔の城跡を整備して造られた大きな公園であり、休日の今日はかなりの人出があった。芝生で飼い犬と遊ぶ家族連れ、シートを敷いて花見を楽しむ若者達、のんびりと散歩をしている老夫婦。老若男女が集って各々の時間を過ごしている。

 「あ、来てた来てた」

 玖凪は広場の中央にお目当てのものを見つけて指をさした。

 「ねえ、千佳ちゃん。私お腹が空いちゃったから、ちょっと寄ってもいいかな?」

 それはピンク色に彩られた可愛らしいクレープ販売車だった。近くには写真付きメニューが貼られた木の看板。人気があるらしくレジにはどんどん人が吸い寄せられている。

 ずっと俯いていた千佳が『クレープ』の登場に顔を上げる。そして、遠慮がちに呟いた。

 「う、うん。お姉ちゃんが食べたいなら」

 「よし、じゃあ千佳ちゃんも食べよう! オススメは『イチゴとバナナのチョコレートスペシャル』!」

 「え? え?」

 強引に千佳を引っ張って、玖凪は人混みの中に消えていった。

 戻ってきたとき、2人の手には出来たてのクレープが握られていた。

 「い、いいの?」

 「いーのいーの。とっても美味しいから」

 クレープを見つめる千佳の瞳には、分かり易すぎるほどの熱がこもっていた。ちらりと玖凪の顔を窺い、最終的に誘惑に勝てなかった千佳は小さな口でクレープに噛り付く。

 これまた分かり易すぎる大輪の花が咲いた。

 「おいしい! お姉ちゃん、おいしい!」

 「でしょー。このクレープ屋さん、水曜日と日曜日にこの公園に来るんだ。いちごジャムで誤魔化さずにちゃんとおっきないちご使ってるところがポイント高いんだよね!」

 「千佳、いちご好き!」

 「そっかあ、よかった」

 穏やかな表情で千佳の食べっぷりを眺めている玖凪。改めてよく見ると、その両手には二刀流よろしくそれぞれクレープが握られている。

 「……随分と欲張るな」

 「ふっ、2つとも私が食べるわけじゃありません!」

 玖凪は慌てて、その内の片方を秋水に差し出す。

 「はい、寒凪かんなぎさんもどうぞ」

 まさか自分の分まであると思っていなかったので、秋水は面喰らった。

 「俺は生クリームはあまり……」

 「じゃあ大丈夫です。生じゃなくてカスタードクリームですから。それともなんですか、2つとも食べて私に太れって言うんですか」

 言ってない、言ってないから。

 玖凪のじとりとした視線に負け、差し出されたクレープに口をつける。

 甘い。

 だがそれは、胸やけするような嫌な甘さではなかった。いちごの酸味が程よいアクセントとなり、調和している。

 歩き回った身体に糖分が廻るのを感じながら、そういえば、いつの間にかこういう嗜好品と縁がなくなっていたことを今さらながら思い出した。この前の桜もちを除けば、ここまでしっかりした甘いものを食べたのは久々だった。

 「好き嫌い、あるじゃないですか」

 顔をあげると、同じようにクレープを頬張っていた玖凪が頬にクリームをつけながら笑った。

 「それじゃあ、次はどこに行きましょうか?」

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